エトの陰謀・2
重巡空艦「オステア」。
先端がとがったかたちをしていて、白銀色の装甲がまぶしい。思わず目を見張るほどの、威容を誇る飛行戦艦だ。
それは、中枢卿団・副団長ケイ・エルフマンの、艦隊の旗艦になっている。
いつもは旗艦らしく整然としている、オステアの戦闘指揮所だったが、この大戦がはじまってからは、なにかと騒然とすることが多い。原因不明のエンジン停止で、艦隊ごと沈没しかけたこともある。
だがいま、はるか前方で沈没した味方の戦艦は、あきらかに敵の砲弾で機関をやられたのだ。
「第三艦隊、二番艦轟沈!」ヘッドセットを着けた通信士の声が飛ぶ。
姿は見えないが、落ちゆく戦艦の巨大な黒煙は、エトのスモッグの、天然の煙幕の中からも視認できた。
「弾着が、より正確になってきています」
広々とした戦闘指揮所の高所の、デスク席に座る参謀長が、横の司令席に座るエルフマンに顔をむけていった。
「さすがに、戦闘開始から六時間がたってますからな」
「地上はどうかしら?」
「外縁の防衛線で足止めされています。まだ外壁にもたどり着いていません」
「……一度後退して、仕切りなおしたほうがいいかもしれないわね」エルフマンがいった。
エルフマンの前方には、百人ほどの通信士が、ヘッドセット越しにひっきりなしに通信をしている。
奥の壁一面は、巨大なモニターになっていて、いまは仮想フィールド上で、光点や光線がたえず動き、刻々と変化する戦況を伝えていた。
──やはり、エトは甘くないわね。
エルフマンは、思わず軽く歯がみをした。
味方の地上部隊の主力は、ヴァキ砂漠からエントールに入ってラメクを落とした三個軍の中央軍集団と、ピットが率いる元軍部の最精鋭・第十六師団、現在の〝エルフマン機甲部隊〟だ。
敵は、ラメクとテッサから撤退した残存部隊と、ラザレクからの援軍、および諸侯の連合軍で、あわせて四個軍規模。
空は、軍の連合飛行艦隊と、自分とルケ・ルクスの艦隊。
敵は、キュベルカとメイナードの飛行艦隊と、軍の小規模の支援艦隊だ。
キュベルカ艦隊は、たしかにラメクで増強されてはいるものの、空の戦力は、こちらのほうが断然優位だ。テッサに残っているマッキーバ隊も、明日には加わる。
しかし、エトには、やっかい極まりない奥の手がある。
その、町中に設置されている200ミリ高射砲が、予想以上にわれわれを手こずらせている。
動きのおそい飛行戦艦にとって、大口径の高射砲はそれだけでも脅威だが、砲煙のせいで、地上の視界がひどく悪い。
おまけに、空がスモッグの煙におおわれていることもあって、こちらは正確な砲撃も爆撃もままならない。
敵はそんな視界不良をこころえていて、地上の高射砲はもちろん、対峙する飛行艦隊も、命中率はこちらよりもはるかに上だ。
結果、さきほどから、味方艦の大破や沈没が目立ってきている。
陸の兵力は、味方がわずかに劣勢。おまけにエトは、町自体が鉄の大要塞のようなものだ。
町の外の防衛線を突破しても、はたして外壁を破るのに、どれだけ時間がかかるのか。
──こんなとき、ルキフォンスの艦隊がいれば。
いいようのない、じりじりとした思いが、エルフマンの胸に湧いた
と、司令席のデスクの、据え置きのモニター通信機が鳴った。
エルフマンは、画面の表示で相手を確認すると、短くため息をついた。
「どうだい、調子は?」
モニターのむこうに映るルケ・ルクスの顔は、こころなし興奮しているようだった。
「ご機嫌うかがいは、またにしてもらえるかしら」エルフマンは、軽くあしらうように答えた。
「いやいや、本当に体調のことを聞いてるんだよ」
ルケはいった。
「おかしな気配がするだろ? メイナードやキュベルカじゃない。新顔だ。会ってみたくない?」
「それどころじゃなくてよ」
エルフマンは言下に答えた。
「ひまならマッキーバとでも話しなさいな。それか、いまあなたの後ろにいる、元『知事』さんとでも」
「マッキーバはなあ」ルケはおどけていった。「なにせ子持ちになったからねえ。人生守りに入ったんじゃないかな。実際、まだテッサにいるし。どう思う?」
エルフマンは衝動的に、勢いをつけて通信機を切った。
通信の間、自分が意識的にルケの後ろに目をやらなかったことを、エルフマンはすぐに思い起こして、ふつふつといらだちをつのらせた。
──あのクソ女!
ルケの背後に立って、いかにも副官気取りの、コーデリア・ベリ。いったい、何様のつもりなの、あの女。
たしかに、ルケがいうように、妙な気配は感じる。静導士でも、『知事』でもない。
だからもし、そんな得体のしれない者と立ち合うのなら、まずあの女がうってつけじゃない。
もう『知事』でもない、何者でもない、コーデリア・ベリが!
喧騒に巻かれる指揮所内で、エルフマンはいっとき、ひとり静かに心を煮えたぎらせていた。
*
昼の陽光が、大窓から降り注いでいる。
うららかな午後。
聴こえるのは、おだやかな波の音、鳥のさえずり。
港湾都市テッサの、丘の上の邸宅内の一室は、おだやかな空気に包まれていた。
上品な調度類に囲まれた小さな部屋で、テーブルがあり、椅子がある。
そしてテーブルには食器が置かれていて、椅子には幼い少女が座っている。
湯気を立てるスープ。籠の中のパン。
でも、少女エンディウッケの手は動かない。
背中を丸めて、テーブルの上を、ぼんやりと見つめている。
扉が開く音がする。
重い靴音が、カーペット越しに鈍く響く。
「なんだ、食べてないのか?」
地味な平服に、ねずみ色のマント、ぼさぼさの長髪というかっこうの、大男だ。
腰には大ぶりの剣が差さっていて、さながら流浪の剣闘士という風情だが、中枢卿団の筆頭隊長マッキーバともなれば、勝手に流浪できる立場でもない。
テッサの攻防戦の後処理や、隊長不在のケンサブル隊の世話などに忙殺され、エトではとうに戦闘がはじまっているのに、こうして静かな町にとどまっている。
もっとも、別に好んで戦いをしたいわけでもない。
このような美しい邸宅で、いつまでものんびりと日々を過ごしたいものだ。
ひとりじゃなく、家族がいればもっといい。
かなわぬ夢、だな。
マッキーバは、ふとそんな思いをよぎらせてから、うつむいているエンディウッケのもとに歩いていった。
「どうした?」
エンディウッケは無言で、小さく首を横に振った。
「……妙な気配のことか?」
エンディウッケは、じっとうつむいたままだった。
「ずっと遠くだ。心配ない」マッキーバはやさしくそういうと、エンディウッケの肩に手を置いた。
「さあ、食べなさい。冷めてしまうよ?」
エンディウッケはようやく、ゆるゆると腕を伸ばして、パンをつかむと、小さくちぎって口に入れた。だがその表情はうつろで、心をどこかに置いてきたような様子だった。
──この子がこれほどおびえるのも、わからないでもない。
部屋を出て、ひとりになったマッキーバは、眉を寄せた。
なにかねばりつくような、不愉快な気配だ。エンディウッケは、人一倍感性がある。だから、感じ方も強いだろう。
それにしてもいったい、この気配はなんだ? なにが目的だ? だが、そんなことは、考えてもわかるはずがない。
マッキーバは首を横に振ると、大股で廊下を歩いていった。
*
メイナード・ファーは、窓の外を見ていた。
ずっとそうしていた。
変わり映えのしない、殺風景な灰色の風景。
寝間着のままで、食事もとらず、椅子に座り、みじろぎもせず。
重苦しい砲声が、城内にもこだましている。
しかしそこだけ静けさに縫い取られたように、メイナードはもう長い時間、虚無の領域に沈んでいた。
と、メイナードの瞳が、ふっと色を戻した。
もやもやとした、なにかが、メイナードの心を揺らした。
メイナードの視線が、自然と窓から離れ、あてもなく部屋の中をさまよった。
いつしかその目は、けげんそうに細められていた。
大砲の轟音とは別の、不吉ななにかを、メイナードの心はおぼろげに感じ取っていた。
*
「フン!」と、ミドは鼻を鳴らした。
その音は、目の前の飛行艇のエンジン音にもかき消されず、となりのシドの耳に届いた。
「ガキじゃない! 馬鹿にしてるの?」
ミドの片手には、紙が持たれている。細かい文字と、写真。
「……エンディウッケ、か。変わった名前だね」
シドが、ぼそっと口を開いた。
「なんであたしらが、こんなガキの相手をしなきゃなんないわけ?」
「だめだよ、ミド、相手を甘く見ちゃ。よく読んでみなよ。強そうだよ」
ヒュ! と、切り裂くような口笛でミドは答え、さっそうとした足取りで、飛行艇の中に入っていった。
ふぅ、と、そんなミドを見てためいきをついて、シドは自分の手にある、エンディウッケの資料にまた目を落とした。
──たしかに、ミドがいったこともわかる。
シドはこころもち首をかしげて思った。
なんでぼくたちは、この子と戦わなくちゃいけないんだ?
そして次の瞬間、シドの顔が、けわしくゆがんだ。
……なんで、なんでぼくたちは、戦わなくちゃいけないんだ?
にわかに心の奥に、灯るものがある。
シドはゆらりと、不穏な気を広げながら、飛行艇の中に消えていった。
*
無数に飛びかう砲弾。
その弾幕をかいくぐる、敵や味方の戦闘機群。
ぶ厚い壁の内側でも、ズシリとくる爆発音。
叫び声に近いような、たえまない報告の声、声。
キュベルカ隊旗艦「イサリオス」の、戦闘指揮所内のことだ。
横の席の参謀長が、通信機越しに声を張り上げているのを、キュベルカは冷めたここちで聴いていた。
──戦況は味方の優勢。地上は、スペイオがよくやっている。諸侯の連合軍の指揮も、コーエン公ではなく、スペイオにあずけたのは正解だった。
だが、いささかやりすぎのところもある。勝ってはいけないのだぞ、スペイオ。
いかに、うまくエトを撤退するか。
ラメクのときもそうだった。このエトでもそうだ。そうして、皇軍の部隊をできるだけ取りこみ、ラザレクに迫っていくのだ。それは後退ではない。われらにとっては、これこそが、唯一の前進だ。
今日は痛み分けでいいだろう。だが明日はこうはいかない。極力、兵力を減らさずに、皇軍の部隊を手中にしたい。
明日、もしアイザレン軍が総攻撃をかけてくるとすれば、それがベストのタイミングだ。敵軍にこちらの地上の防衛線を突破させ、市街地に誘導して、高射砲群を一気にたたかせる。
そうなれば、エト撤退のいいわけも立つというものだ。
そのあとは、ラザレクを残すのみ。
このわたし、アイゼン公キュベルカが、玉座に腰を下ろす日は近い。
何人たりとも、さまたげになることは許さない。
「敵駆逐艦隊、前進。本艦隊正面300。突撃の模様!」通信士の声が飛ぶ。
「主砲、用意は」キュベルカの力のこもった声が響く。
「主砲、射撃用意よし」砲術参謀が応じる。
「撃ちかた、はじめ!」
キュベルカは、するどい一声で号令を発した。