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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
86/142

エトの陰謀・2

 重巡空艦「オステア」。

 先端がとがったかたちをしていて、白銀色の装甲がまぶしい。思わず目を見張るほどの、威容を誇る飛行戦艦だ。

 それは、中枢卿団・副団長ケイ・エルフマンの、艦隊の旗艦になっている。

 いつもは旗艦らしく整然としている、オステアの戦闘指揮所だったが、この大戦がはじまってからは、なにかと騒然とすることが多い。原因不明のエンジン停止で、艦隊ごと沈没しかけたこともある。

 だがいま、はるか前方で沈没した味方の戦艦は、あきらかに敵の砲弾で機関をやられたのだ。

「第三艦隊、二番艦轟沈!」ヘッドセットを着けた通信士の声が飛ぶ。

 姿は見えないが、落ちゆく戦艦の巨大な黒煙は、エトのスモッグの、天然の煙幕の中からも視認できた。

「弾着が、より正確になってきています」

 広々とした戦闘指揮所の高所の、デスク席に座る参謀長が、横の司令席に座るエルフマンに顔をむけていった。

「さすがに、戦闘開始から六時間がたってますからな」

「地上はどうかしら?」

「外縁の防衛線で足止めされています。まだ外壁にもたどり着いていません」

「……一度後退して、仕切りなおしたほうがいいかもしれないわね」エルフマンがいった。

 エルフマンの前方には、百人ほどの通信士が、ヘッドセット越しにひっきりなしに通信をしている。

 奥の壁一面は、巨大なモニターになっていて、いまは仮想フィールド上で、光点や光線がたえず動き、刻々と変化する戦況を伝えていた。

 ──やはり、エトは甘くないわね。

 エルフマンは、思わず軽く歯がみをした。

 味方の地上部隊の主力は、ヴァキ砂漠からエントールに入ってラメクを落とした三個軍の中央軍集団と、ピットが率いる元軍部の最精鋭・第十六師団、現在の〝エルフマン機甲部隊〟だ。

 敵は、ラメクとテッサから撤退した残存部隊と、ラザレクからの援軍、および諸侯の連合軍で、あわせて四個軍規模。

 空は、軍の連合飛行艦隊と、自分とルケ・ルクスの艦隊。

 敵は、キュベルカとメイナードの飛行艦隊と、軍の小規模の支援艦隊だ。

 キュベルカ艦隊は、たしかにラメクで増強されてはいるものの、空の戦力は、こちらのほうが断然優位だ。テッサに残っているマッキーバ隊も、明日には加わる。

 しかし、エトには、やっかい極まりない奥の手がある。

 その、町中に設置されている200ミリ高射砲が、予想以上にわれわれを手こずらせている。

 動きのおそい飛行戦艦にとって、大口径の高射砲はそれだけでも脅威だが、砲煙のせいで、地上の視界がひどく悪い。

 おまけに、空がスモッグの煙におおわれていることもあって、こちらは正確な砲撃も爆撃もままならない。

 敵はそんな視界不良をこころえていて、地上の高射砲はもちろん、対峙する飛行艦隊も、命中率はこちらよりもはるかに上だ。

 結果、さきほどから、味方艦の大破や沈没が目立ってきている。

 陸の兵力は、味方がわずかに劣勢。おまけにエトは、町自体が鉄の大要塞のようなものだ。

 町の外の防衛線を突破しても、はたして外壁を破るのに、どれだけ時間がかかるのか。

 ──こんなとき、ルキフォンスの艦隊がいれば。

 いいようのない、じりじりとした思いが、エルフマンの胸に湧いた

 と、司令席のデスクの、据え置きのモニター通信機が鳴った。

 エルフマンは、画面の表示で相手を確認すると、短くため息をついた。

「どうだい、調子は?」

 モニターのむこうに映るルケ・ルクスの顔は、こころなし興奮しているようだった。

「ご機嫌うかがいは、またにしてもらえるかしら」エルフマンは、軽くあしらうように答えた。

「いやいや、本当に体調のことを聞いてるんだよ」

 ルケはいった。

「おかしな気配がするだろ? メイナードやキュベルカじゃない。新顔だ。会ってみたくない?」

「それどころじゃなくてよ」

 エルフマンは言下に答えた。

「ひまならマッキーバとでも話しなさいな。それか、いまあなたの後ろにいる、元『知事』さんとでも」

「マッキーバはなあ」ルケはおどけていった。「なにせ子持ちになったからねえ。人生守りに入ったんじゃないかな。実際、まだテッサにいるし。どう思う?」

 エルフマンは衝動的に、勢いをつけて通信機を切った。

 通信の間、自分が意識的にルケの後ろに目をやらなかったことを、エルフマンはすぐに思い起こして、ふつふつといらだちをつのらせた。

 ──あのクソ女!

 ルケの背後に立って、いかにも副官気取りの、コーデリア・ベリ。いったい、何様のつもりなの、あの女。

 たしかに、ルケがいうように、妙な気配は感じる。静導士でも、『知事』でもない。

 だからもし、そんな得体のしれない者と立ち合うのなら、まずあの女がうってつけじゃない。

 もう『知事』でもない、何者でもない、コーデリア・ベリが!

 喧騒に巻かれる指揮所内で、エルフマンはいっとき、ひとり静かに心を煮えたぎらせていた。


  *


 昼の陽光が、大窓から降り注いでいる。

 うららかな午後。

 聴こえるのは、おだやかな波の音、鳥のさえずり。

 港湾都市テッサの、丘の上の邸宅内の一室は、おだやかな空気に包まれていた。

 上品な調度類に囲まれた小さな部屋で、テーブルがあり、椅子がある。

 そしてテーブルには食器が置かれていて、椅子には幼い少女が座っている。

 湯気を立てるスープ。籠の中のパン。

 でも、少女エンディウッケの手は動かない。

 背中を丸めて、テーブルの上を、ぼんやりと見つめている。

 扉が開く音がする。

 重い靴音が、カーペット越しに鈍く響く。

「なんだ、食べてないのか?」

 地味な平服に、ねずみ色のマント、ぼさぼさの長髪というかっこうの、大男だ。

 腰には大ぶりの剣が差さっていて、さながら流浪の剣闘士という風情だが、中枢卿団の筆頭隊長マッキーバともなれば、勝手に流浪できる立場でもない。

 テッサの攻防戦の後処理や、隊長不在のケンサブル隊の世話などに忙殺され、エトではとうに戦闘がはじまっているのに、こうして静かな町にとどまっている。

 もっとも、別に好んで戦いをしたいわけでもない。

 このような美しい邸宅で、いつまでものんびりと日々を過ごしたいものだ。

 ひとりじゃなく、家族がいればもっといい。

 かなわぬ夢、だな。

 マッキーバは、ふとそんな思いをよぎらせてから、うつむいているエンディウッケのもとに歩いていった。

「どうした?」

 エンディウッケは無言で、小さく首を横に振った。

「……妙な気配のことか?」

 エンディウッケは、じっとうつむいたままだった。

「ずっと遠くだ。心配ない」マッキーバはやさしくそういうと、エンディウッケの肩に手を置いた。

「さあ、食べなさい。冷めてしまうよ?」

 エンディウッケはようやく、ゆるゆると腕を伸ばして、パンをつかむと、小さくちぎって口に入れた。だがその表情はうつろで、心をどこかに置いてきたような様子だった。

 ──この子がこれほどおびえるのも、わからないでもない。

 部屋を出て、ひとりになったマッキーバは、眉を寄せた。

 なにかねばりつくような、不愉快な気配だ。エンディウッケは、人一倍感性がある。だから、感じ方も強いだろう。

 それにしてもいったい、この気配はなんだ? なにが目的だ? だが、そんなことは、考えてもわかるはずがない。

 マッキーバは首を横に振ると、大股で廊下を歩いていった。


  *


 メイナード・ファーは、窓の外を見ていた。

 ずっとそうしていた。

 変わり映えのしない、殺風景な灰色の風景。

 寝間着のままで、食事もとらず、椅子に座り、みじろぎもせず。

 重苦しい砲声が、城内にもこだましている。

 しかしそこだけ静けさに縫い取られたように、メイナードはもう長い時間、虚無の領域に沈んでいた。

 と、メイナードの瞳が、ふっと色を戻した。

 もやもやとした、なにかが、メイナードの心を揺らした。

 メイナードの視線が、自然と窓から離れ、あてもなく部屋の中をさまよった。

 いつしかその目は、けげんそうに細められていた。

 大砲の轟音とは別の、不吉ななにかを、メイナードの心はおぼろげに感じ取っていた。


  *


「フン!」と、ミドは鼻を鳴らした。

 その音は、目の前の飛行艇のエンジン音にもかき消されず、となりのシドの耳に届いた。

「ガキじゃない! 馬鹿にしてるの?」

 ミドの片手には、紙が持たれている。細かい文字と、写真。

「……エンディウッケ、か。変わった名前だね」

 シドが、ぼそっと口を開いた。

「なんであたしらが、こんなガキの相手をしなきゃなんないわけ?」

「だめだよ、ミド、相手を甘く見ちゃ。よく読んでみなよ。強そうだよ」

 ヒュ! と、切り裂くような口笛でミドは答え、さっそうとした足取りで、飛行艇の中に入っていった。

 ふぅ、と、そんなミドを見てためいきをついて、シドは自分の手にある、エンディウッケの資料にまた目を落とした。

 ──たしかに、ミドがいったこともわかる。

 シドはこころもち首をかしげて思った。

 なんでぼくたちは、この子と戦わなくちゃいけないんだ?

 そして次の瞬間、シドの顔が、けわしくゆがんだ。

 ……なんで、なんでぼくたちは、戦わなくちゃいけないんだ?

 にわかに心の奥に、灯るものがある。

 シドはゆらりと、不穏な気を広げながら、飛行艇の中に消えていった。


  *


 無数に飛びかう砲弾。

 その弾幕をかいくぐる、敵や味方の戦闘機群。

 ぶ厚い壁の内側でも、ズシリとくる爆発音。

 叫び声に近いような、たえまない報告の声、声。

 キュベルカ隊旗艦「イサリオス」の、戦闘指揮所内のことだ。

 横の席の参謀長が、通信機越しに声を張り上げているのを、キュベルカは冷めたここちで聴いていた。

 ──戦況は味方の優勢。地上は、スペイオがよくやっている。諸侯の連合軍の指揮も、コーエン公ではなく、スペイオにあずけたのは正解だった。

 だが、いささかやりすぎのところもある。勝ってはいけないのだぞ、スペイオ。

 いかに、うまくエトを撤退するか。

 ラメクのときもそうだった。このエトでもそうだ。そうして、皇軍の部隊をできるだけ取りこみ、ラザレクに迫っていくのだ。それは後退ではない。われらにとっては、これこそが、唯一の前進だ。

 今日は痛み分けでいいだろう。だが明日はこうはいかない。極力、兵力を減らさずに、皇軍の部隊を手中にしたい。

 明日、もしアイザレン軍が総攻撃をかけてくるとすれば、それがベストのタイミングだ。敵軍にこちらの地上の防衛線を突破させ、市街地に誘導して、高射砲群を一気にたたかせる。

 そうなれば、エト撤退のいいわけも立つというものだ。

 そのあとは、ラザレクを残すのみ。

 このわたし、アイゼン公キュベルカが、玉座に腰を下ろす日は近い。

 何人たりとも、さまたげになることは許さない。

「敵駆逐艦隊、前進。本艦隊正面300。突撃の模様!」通信士の声が飛ぶ。

「主砲、用意は」キュベルカの力のこもった声が響く。

「主砲、射撃用意よし」砲術参謀が応じる。

「撃ちかた、はじめ!」

 キュベルカは、するどい一声で号令を発した。


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