エトの陰謀・1
どれも同じかたちをした、無骨な建築物が延々と広がっている。
それらを、網目のように道路が区切り、町の周囲は、巨大な工場群が、まるで外壁のようにつづいている。
あちこちの煙突からたえず吐き出される煙で、空は灰色ににごり、昼間でも陽が射さない。
ゴオン、という、工場からの鈍重な音が、ひっきりなしに町中に響いている。
エントール最大の重工業都市エトとは、そういうところだ。
しかし、いま上がっている煙は、いつもの工場のそれとはちがう。
鳴り響いている音も、工場からのものではない。
エトを特徴づけるものは、殺伐とした町並みや工場群だけではない。
町中のいたるところに設置されている、高射砲もそのひとつだ。
200ミリ高射砲の一群。
突き立つ砲台群は、平時であれば、うつろな砲口を空に向けているだけだ。
だがいま、その砲口はすさまじい音と煙を、次々と放っている。
発射された砲弾がむかうところ、それはエト近郊の空に浮いている、飛行戦艦だ。
アイザレン軍の飛行艦隊は、この高射砲群の砲撃のおかげで、エトに近づくことができないでいた。
エト攻防戦の口火がきられたのは、今日の朝。
そしていまは、昼もとうに過ぎていた。
町を見おろす丘の上にある、エトの都城も、巨大な鉄のかたまりという印象で、城というよりは要塞だ。そして、町中と同じように、高射砲群が外壁から四方に突き出ていて、まるでハリネズミのような姿になっている。
あまり見ばえのいいものではないが、戦時には、見た目どおり驚異的な力を発揮する。
その城内の、広間の一つに、人が集まっていた。
殺風景だが重厚な部屋で、中央に、腰の高さほどのロング・テーブルがある。
そのテーブルのまわりを囲んでいるのは、聖都ラザレクから派遣された、皇軍の将官服を着た男たちと、この城を居城にしている、エトの領主レイゼン公イェゲダン。
そして貴族服の男が一人。さらに、黒いローブ姿の女が一人。
短髪で、浅黒い肌に憂えたような瞳をした、その黒いローブの女、キュベルカ隊副長コーラ・アナイスは、さきほどから、一人の将官服の男に目をやっていた。
この、広間に設置された軍司令部の中心にいる、四十ほどの男だ。
まだ身にまとうには若すぎる、いかつい元帥服をきっちりと着こなし、てきぱきと指示を送っている。
──さすがに、皇軍の未来を背負うといわれるだけのことはある。スペイオ、見事な働きぶりね。
エト方面連合軍・総司令兼総参謀長、スペイオ。
聖将とうたわれたスーラ元帥がラメクで死んだことで、あらたに赴任してきた男だ。
軍でただ一人の若年元帥で、才気闊達。
ひょうひょうとした三枚目で、独特の人間的な魅力がある。
あらゆる方面にコネを持ち、ラザレクの皇軍の中でとんとん拍子にのし上がっていったが、本人は権力欲とは無縁だ。かれにとって、すべてはほとんどゲームだった。
身ぶり手ぶりをまじえ、はつらつと軍議を仕切っている、そんなスペイオ。
──それにくらべて……
コーラは視線こそ移さなかったが、自分の横でうろうろしている男の様子は、手に取るようにわかった。
細いひげを丁寧に整えた、貴族服の壮年の男だ。
腕組みをして、なにやら歩きながら考えにふけっているように見えても、実際はただ気もそぞろなだけだということは、コーラでなくてもわかる。
コーエン公ドゥノ。
エントール東部の大公で、アイザレン軍に占領されたラメクの、領主だった男だ。
キュベルカの画策によって、コーラがラメクで皇軍将校たちを暗殺したその場に、居あわせたのはかれだった。コーラの説得で味方につき、いまは皇軍とは別の、エントール諸侯の連合軍の指揮にあたっている。
コーエン公は、ごう慢で臆病な男だが、エントール随一の名門の公爵だ。だからこそ、ほかの諸侯は、かれに連合軍の指揮をまかせたのだ。
おまけに、コーエン公は、剣技にもすぐれていた。
いままでは、〝北のトルゼン、東のコーエン〟と称されていたが、トルゼン公が討たれてからは、エントールの貴族の中では最高の剣士ということになっていた。
──長短あわせもつ、とはよくいうけど……
複雑な思いにとらわれそうになったコーラだったが、ふいに自分の携帯通信機が鳴ると、気を取りなおして周囲に目をやり、通信機を手にして部屋の外に出た。
「変わりないか?」
短く、冷やかともいえるような一声。隊長キュベルカからの通信だった。
「変わりありません」こころもち声を低くして、コーラは答えた。
「レイゼン公は、あいかわらずなにも発言をしないのか?」
「はい。立ったまま、まったく軍議に参加しません。ただ見物しているだけです」
「妙だな、なにかたくらんでいるはずだが」
「こちらから、接触してみますか?」
「いや、いい。やぶを突いている時間はない。おまえはいままでどおり、司令部の監視をつづけろ」
「はい、キュベルカ様」
「夜には、わたしも地上に降りられる」キュベルカがいった。「城に戻ったら、四人で話せる機会があればいいが」
「手配します」
「頼んだぞ」
通話が終わり、コーラは携帯通信機をしまうと、司令部の広間に戻った。
──四人。
コーラは、変化のない司令部をざっと見わたしながら、ふと思いをめぐらせた。
キュベルカ様と、わたし、それにスペイオと、コーエン公。
わたしたち四人が、ひとつの考えのもとに結託しているということを、レイゼン公は察しているのだろうか? 前にスペイオがいったとおり、停戦の宣言は、本当に、わたしたちへの警告だったのだろうか?
ラメクの城の、ここと同じような司令部の中で、スーラやメキリといった将軍たちを斬り捨てたときから、もうあとには引けなくなった。
いや、そもそもはじめから、そう、名門アイゼン公キュベルカが、公家廃絶の憂き目にあったときから、戻る道などなかった。
それでも、いくつか選択肢は残されていた。だがいまは、たったひとつ。
聖都ラザレクの、転覆。
女帝を廃し、キュベルカ様を頂点とした、新しい国を創る、という道だけ。
その前に立ちはだかるものは、だれであろうと、なんであろうと、越えていかなくてはいけない。
おそらく、いま最大の障壁は、アイザレン軍じゃない。前方でぼんやり立っている、レイゼン公だ。わたしにはそう感じる。
なにかをしそうな気配もないけど、わたしの直感が、警鐘を鳴らしている。あの老人は危険だ。これは単に、心情の問題じゃない。なにか、直接的で、物理的な危険の匂いがする。
キュベルカ様も、それを感じ取っているからこそ、極力接触しないで、わたしを仲介にしているのだ。
ああそれにしても、道はひとつでも、なんて入り組んでいるのかしら。
コーラは、思わず首を横に振りそうになった。
空で艦隊の指揮をしているキュベルカ様の身が、なによりも心配だ。なんといっても、アイザレンの大軍が押し寄せてきているのだから。
それに、スペイオとコーエン公は、予想以上にそりが合わない。あとは、あのメイナード卿も、いつまで自失の状態がつづくのか。
……しかも。
コーラは目を伏せると、無意識に眉を寄せた。
──この、薄気味の悪い気配。
城内のどこかに、静導士でも中枢卿でもない、異能者がいる。
気配は二つ。
考えられるのは、宰相ヴァン・ビューレンの私設部隊、「レトー」の者たち。
静導士団とビューレンとは、水と油だ。なにが起こっても不思議じゃない。
コーラは、黒いローブに隠れた、自身の左肩の包帯のことを思った。ラメクでわざとコーエン公に刺させた傷だ。傷口は浅いが、まだ万全とはいえない。
──いざとなったら、この人の剣技は頼りになるのかしら。
と、コーラは最後に、まだ横でわけもなくうろうろしているコーエン公に、さらなる不安をおぼえたのだった。




