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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
83/142

嵐の前・2

 ──同刻。

 真っ白い『知事』の制服を着た少女が、部屋に一人で立っている。

 まじまじと、その新しい服に目をやり、少女の胸には、いいようのない嬉しさがこみ上げている。

 髪は短く、肌は青白く、痩身だが、利発そうな顔立ちが印象的な少女だ。

 ──『知事』! このあたしが、本当に、『知事』になったの?

 クイラ・クーチは、湧きあがる高揚に、胸を震わせた。

 男といつわって、路上生活をしてきたこの五年間。客が自分に石を投げて、それを避けるという見世物で、なんとか食いつないできた日々。

 それが、リターグの市街地戦で、偶然『知事』のトップ・エース、ロー・エアハルトに助けられてからここまで、なにがなんだかわからないうちに話が進んでしまって、まだ充実感のようなものはない。

 それに、あたしは、あたし。

 クイラの心に、ふっと影が差した。

 腕や顔にある、いくつものあざ。

 石を投げられ、客を満足させるためにわざと当たることで、受けた傷。

 どうしたって、あたしはほかの人とはちがう。この綺麗な服だって、結局は、ほどこしを受けたようなものじゃないのかな。

 クイラは、制服の帯に差している、黒く小ぶりな刀剣の重みを意識した。

 これだけは、だれのほどこしを受けたものでもない。あたしが、敵から勝ち取った戦利品だ。たとえまた裸にされても、これだけはあたしのもの。だれにも渡さない。

 と、部屋の自動ドアがスッと開かれ、同じ服を着た男が、クイラの目に飛びこんできた。

 その瞬間、クイラの心は、一気に晴れわたった。

「エアハルト!」

 クイラは思わず顔をほころばせ、入り口に立つエアハルトのそばに駆け寄った。

「どう? 似合う、かな」

 ふふ、とエアハルトは笑った。

「よく似合ってる。これでもう、立派な『知事』だ」

 ロー・エアハルトは、屈託のない声でそういった。

 ──まったく、奇縁というのは、あるものだな。

 エアハルトの胸には、そんな感慨があった。

 このクイラが、妙な機械兵に切り殺されそうなところを間一髪で助け、知事局で一連の話を聴いてみると、彼女がとてつもない身体能力の持ち主だとわかった。その潜在的な力は底知れない。貴重な戦力だ。

 ただでさえ、いまは、リターグには『知事』のエース級が自分しかいない。あとはみんな、レンという町での奇襲作戦で、行方不明になってしまった。おれの愛する、コーデリアも……。

 でもコーデリアとは、絶対に会える。かならず再会できる。そうでなくては、うそだ。

 エアハルトの目が、ふいにすこし遠くなったのを、敏感なクイラは見てとった。

 胸がチクッとした。

 ──コーデリア・ベリ。

 別に、何度も聞かされたわけじゃないのに、あたしの頭の中に響いてやまない。

 エアハルトの、恋人だった? そうなんだろう。エアハルトがこういう顔をするときは、いつも、コーデリアっていう人のことを考えているんだ。

「ねえエアハルト、おなかすいちゃった」

 別にすいてない。

「食堂に連れてって」

 別に行きたくない。

 もっと、エアハルトとこうして二人きりで話していたい。

 でも、あたしはもうエアハルトの腕を取って、部屋を出ようとしている。エアハルトも、われにかえって、ほほ笑んでる。

 ……あたしは、なに?

 とたんに、クイラは心に大きな穴が開いたような気がした。そしてそれを振り払うように、前へ前へとエアハルトを引っぱって歩いていった。


  *


 ──さらに同刻。

 ラメク。

 そこは、エントール皇国の東にある町だ。

 金城鉄壁とうたわれた剛健な城を持ち、東方一の大貴族コーエン公の領地として栄えてきた。

 そのラメクが、アイザレン軍の手に落ちて、二日。

 城には、もうエントール軍の兵士はひとりもいない。

 いるのは、アイザレン軍の兵士たちと、もうひとつの集団。

 黒いマント姿の者や、独特な色のローブに身を包んだ者などが集まった、奇妙な一団だ。

 アイザレン帝国・中枢卿団。

 異能者の集まりで、その戦闘能力は、まさに一騎当千といえるものだ。

 そんな中枢卿団の、隊長ともなれば、軍部もおいそれと口出しができない。

 おまけに卿団の隊長たちのほとんどは、軍部など歯牙にもかけていない。

 だからこの二つの集団は、つねに折り合いが悪いのだ。

 そんなわけで、ラメクの城内は、ピリピリしていた。

 とりわけ、敵の司令部だった部屋を勝手に卿団のものにしてしまったことが、不穏な空気を、なお助長させていたのだ。

 その部屋の中に、いま、四人の者が立っていた。

 ──なんなのだ、いったい。

 その中の一人が、心の中で毒づいた。

 黒いマントに全身を包んだ、屈強な大男だ。

 彼の前には、豪快なパフ・スリーブの白いローブに白いマント、長い金髪をなびかせた、若い女の背中がある。

 その男、ピットには、目の前にいる、中枢卿団・副団長ケイ・エルフマンの神経が逆立っているのが、まざまざと感じとれる。

 原因は、二人の前にいる者たちだ。

 ひとりは、深い紅色のローブにケープをまとった、短い銀髪の男。卿団の第三隊長ルケ・ルクスだ。エルフマンとは犬猿の仲で、なにかと衝突する。

 しかし、エルフマンがいらだっているのは、かれのせいではない。

 そのルケの後ろにいる女が問題なのだ。

 白い、簡素なローブをまとった、これも若い女。大きくカールした、肩まである金髪が印象的だ。目はどことなくうつろで、顔にも生気がない。

 リターグの『知事』コーデリア・ベリ。

 いや、元『知事』といったほうがいいのか。

 エルフマン隊の副長をつとめるピットは、思わず眉を寄せた。

 レンで、このコーデリアら『知事』の部隊の奇襲を受けたのは、数日前。

 理由はわからないが、部隊の仲間たちを一閃のもとに斬り殺して、乱心のかぎりをつくした、悪魔のような女。

 ルケが助けに入らなければ、おれはこの場に立ってはいなかっただろう、とピットは思った。

 そしてそのルケは、打ち負かしたコーデリアを捕虜にした。縁がある、などといって。

 それにしても、堂々と、われらの前に引き連れてこようとは。

「……ここは、品評会の席ではなくてよ」

 低い声で、エルフマンが口を開いた。

「奴隷のお披露目は、ほかでやっていただけるかしら」

「奴隷なんて、またそんな」

 ルケは、特有の、つかみどころのない軽い調子で答えた。

「まあ紹介する必要もないよね。彼女はコーデリア・ベリ。いまは、ぼくの片腕だ」

「いつから卿団は、部外者を入れるようになったのかしら? 教えてちょうだい」

 怒りを押し殺して、エルフマンがいった。

「いや、部外者じゃないよ? れっきとした卿団員。彼女も了承済みさ」

「団長は、どういうかしら?」

「さあ、どうだろうね」

 ピットは、エルフマンの頭から湯気が立ちのぼる様を思い描いた。

 前途多難だ。

 ピットは歯を噛みしめた。

 ──それにしても。

 ピットの背中には、軽い戦慄が走っていた。

 レンでの、コーデリア・ベリの凶行。あの、壮絶なまでの剣技。

 そして、その目。

 あのときと、なにも変わらない。感情のない不気味な目だ。

 この女が、いまいきなり剣を抜いて、われわれに斬りかかってきても、驚きはしない。

 いったいどこまで、この女は制御されているのか。安全なのか。

 そうルケに問いかけそうなところを、ピットはグッとこらえた。

 エルフマンは、さげすみをこめた眼で、コーデリアを眺めまわした。

「役に立つとは、思えないわね」

「とーんでもない」

 大げさに腕をあげながら、ルケは椅子に座った。

「そこにいる、ピット君に聞かされてるはずだよ、彼女のことは」

 エルフマンは、きつくルケをにらみすえた。

 部外者。女。元『知事』のエース格。ルケの片腕。

 気に入らない。すべてが気に入らない。いらいらする。

 砂漠の町ハイドスメイでは、この女とエアハルトを相手に、わたしとルケが戦った。

 そのとき、この女はルケの精神攻撃を受けて、床に倒れてひいひい泣き叫んでいたじゃない。

 それが、よりにもよって、ルケの片腕ですって? 冗談じゃないわ。この女が卿団員を名乗るなんて、絶対に認めない。

 ──見てなさい。ただでは済まなくてよ。

 エルフマンの胸中に、猛々しい憤怒が、カッと燃えた。

 ──必ず、追い落とす。必ず。

「部外者、っていったけどね」

 ルケの声が響いた。

「なにも部外者を連れてるのは、ぼくだけじゃないよ。マッキーバのことも、知ってるよね?」

 知ってるどころか、命を救ったわよ、とエルフマンは喉元まで出かかった。

 アイザレンの第二都市カイトレイナで、卿団の筆頭隊長マッキーバと、連れの少女に襲いかかろうとする奇妙な二人組を追いはらったのは、ほかでもない、自分だ。少女と出会った経緯は、マッキーバから聞いている。卿団員暗殺事件の犯人と思われる、年端もいかない少女。

 団長はそんな少女をマッキーバにあずけ、自分たちはもうすぐ、そのマッキーバと合流することになっている。

 中枢卿団の隊長とその部隊が、三つも集まるというのは異例だ。ルケ、自分、マッキーバ。

 それだけ、次の攻撃目標、エントールの要衝エトは、一筋縄ではいかないということだ。

「せいぜい、足手まといにならないことね」エルフマンは、ルケにぴしゃりといった。「お荷物を背負って勝てるほど、エトは甘くないわよ」

「おや、そう?」

 おどけるようにルケが答えた。

 エルフマンはなかば憤然と、きびすを返し、部屋を出ていった。

 あとにつづくピットの目には、エントール軍の将校たちが謎の死をとげていたというこの部屋の、まだなまなましい床の血の跡が映っていた。


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