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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
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嵐の前・1

 静かな朝だった。

 熱い風が砂塵を巻いて、ゆるゆると吹いている。

 その外の熱気は、石造りの建物の、奥まった広間にもこもっている。

 全体がベージュ色に統一された広間だ。

 幾何学的な模様の床、さまざまな武具が飾られている壁。

 広間の真ん中にある、大きなロング・テーブルは、背の高い椅子に囲まれている。

 いま、その椅子には、何人かの者が座っていた。

 みな、けわしげな表情で、むっつりと黙りこみ、そのまま時が経つのを神妙に待っているかのようだ。

 だが、中にはさまざまな思いが胸の内にせめぎ合っている者もいた。

 リターグ聖自治領の『知事』、レイ・ロード=サヴァンも、そのうちのひとりだった。


 ここは、リターグから八百キロ北にある、スレドラハムという部族の町の都城だ。

 長大な市壁の内側に城下町があり、その中央に、高い城塞がそびえ立っている。このヴァキ砂漠でも有数の規模の町だ。

 サヴァンたちがスレドラハムに着いたのは、昨日の夜のことだった。そして一夜を過ごし、いまは朝だ。

 しかし本来であれば、ここで夜を明かすことも、こうして会談の席につくこともできないはずだった。というのは、この町は北方の大国、アイザレン帝国の軍に占領されていたからだ。

 アイザレンの理由なき侵攻が突然はじまったのは、ひと月ほど前。

 その魔の手は、まずヴァキ砂漠に伸び、ナザンやハイドスメイといった町を蹂躙し、砂漠の南のリターグも、先日、第一次攻撃に襲われた。

 同時に、アイザレンは、レガン大陸の南方の大国、エントール皇国にも手を伸ばした。

 エントールとリターグが同盟を結び、アイザレンに宣戦布告をした初めの段階で、すでにレガン大陸は、全土に渡る大戦の渦に巻きこまれてしまっていた。

 いまこの会議用の広間にいるのは、全員、その戦渦に直接さらされた者たちばかりだ。

 故国ナザンを追われ、なおアイザレンが不可解にもその身を狙っている、王女リディア・ナザン。

 リターグの異能者集団『知事』のひとりで、リディアの護衛として行動を共にしているサヴァン。そしてサヴァンのパートナーの、レダ・リュッケ。

 さらに、占領の憂き目にあったスレドラハムを治める王と、部族の主だった者たち。

 かれらの沈黙は、重かった。それだけ、大ごとなのだ。熟慮がいる。しかし時間はない。スレドラハムを離れたアイザレン軍は、こうしている間にも、リターグに近づいているのだ。

 ──そうはいってもなあ。

 サヴァンは、テーブルにじっと目を落としながら、もやもやとしたものを感じていた。

 たしかにスレドラハムは大きな町だ。人口も多い。でも、戦力にはならない。

 砂漠の部族の軍隊は、基本的には旧式の陸戦隊だ。飛行艦隊はもちろん、反重力装置で悪路をものともせずに行くフロート・タンクも持っていない。

 ──リターグとスレドラハムの部隊で、アイザレン軍を挟み撃つ、というのがおれたちの作戦だったけど、どうもあまり現実的じゃないな。

 ここを占領していたアイザレン軍が、一兵残らずリターグに向かったことが、この作戦の見込みの薄さを証明している。つまり、スレドラハムの戦力など、敵としては無視していいレベルなのだ。

「スレドラハム王」

 凛とした声が、ふいに響いた。

 揺るぎない信念をこめた声。

 ナザン最後の王女リディア・ナザンのその一声は、サヴァンの胸に複雑な思いをもたらした。

 そう、いまさら、あとにはひけない。でも、おれたちは、無駄な努力をしているんじゃないだろうか?

「……陛下。砂は、ためらうことはありません」

 リディアがつづける。

「風のまま流れるのが、砂の理です。いま、風はアイザレン軍の背中に吹いています。砂はこれを飲みこみ、自然の風の広がりを、取り戻すべきです」

 スレドラハム王は、黙ったままでいた。

 ふあ、と気の抜けた声が、サヴァンの隣から聴こえ、サヴァンはそちらに、チラッとたしなめるような目を送った。

 サヴァンとおなじ、『知事』の白い詰襟の制服を着た、レダ・リュッケだ。いつものとおり、濃いアイラインに濃い口紅。その目は、あくびのせいで涙が滲み、口は、いまは不機嫌そうに閉じられている。無造作に左右にたばねられた髪も、どこかこの場をからかうように、ふらふらと揺れている。

 ──頼むから、なにもいうなよ、レダ。

 サヴァンは心の底からそう願った。

 生粋のトラブル・メーカー、レダ・リュッケ。

 その予測できない暴言、暴挙は、リターグでも、エントールでも、とんでもない事態を巻き起こした。その尻拭いをするのはだれか。おれだ。そんな関係が、『知事』になる前の予備学校時代から、ずっとつづいている。腐れ縁とはいうけど、腐りすぎてこっちの身が持たなくなる日も近い気がする。

 幸い、レダはなにかをいうつもりはないらしい。こいつにはあまりに退屈すぎて、物をいう気力もないんだろう。

「……敵は、一個軍団」

 上座のスレドラハム王が、口を開いた。しゃがれ声だが、朗々としている。髭におおわれたいかつい顔立ちで、深いしわが年齢を物語っている。王家ゆかりの模様の、ゆったりとした衣装をまとい、そでから覗く腕は、黒くひきしまっていた。

「仮に、その大軍を運よく退けたとして、」とスレドラハム王はつづけた。「その先は、どうなる?」

 リディアは、言葉につまった。

「アイザレンは、さらなる大軍をさしむけてくるかもしれん」王はいった。「そうなれば、われらになすすべはない」

「ですが、いまできることを、見すごすわけにはいきません」

 リディアが勢い込んでいった。

「陛下の一声で、近隣の部族は団結するでしょう。そして、やがてこのヴァキ砂漠全体が一丸となれば、アイザレン軍をおしとどめることもできましょう」

「口では、なんとでもいえるものだ」

 ため息まじりにスレドラハム王はいった。

「エントールとて、こちらに気をまわす余裕があるとは思えん。……嵐はいつか止む。戸を閉め、耐え忍べばよい」

 リディアは絶句して、思わずうつむいた。

 ──まあ、レダがあくびをするのも、わからなくはない。

 とサヴァンは思った。

 絵にかいたような茶番だ。でも、自分たちの話に乗り気になられるほうが、逆に心配になってくる。

 スレドラハム王以下、ここにいる連中も、リディアの言葉にすこしは希望を抱いただろう。でも、それこそ砂塵のようなもの。冷静に考えれば、アイザレン軍とまっこうから戦うなど、自殺行為だ。一国を背負う王であれば、なおさら慎重にならざるをえない。

 ──こうなると、おれやレダの『知事』としての〝力〟だけで、なんとかするしかないかもしれない。

 サヴァンは思った。

 ……でも、それはリディアの本意じゃないだろう。リディアは、自分の手で、ばらばらの諸部族をまとめようとしているんだ。

 リディアの気合いの入りかたは、並大抵じゃない。受け身でありつづけなければいけなかったこれまでの、反動なのかもしれないな。

 そんな結論に達しても、もちろんサヴァンの心は、すこしも晴れることはなかった。


 数十分後。

 サヴァンとレダとリディアは、会議の間と同じような、ベージュの調度類が置かれた宿泊用の部屋のロング・ソファーに座り、むっつりと黙りこんでいた。

 なんの実りもない会談が終わって、三人はこの、リディアが泊まっている部屋に移り、今後のことを話し合おうとしていたのだった。

 しかし、ここまでは、ただ呼吸の音だけが聴こえていた。とりわけ、リディアの息は荒かった。

 そもそも三人とも、クタクタだった。

 昨日は昨日で、リターグに向けて南下してくるアイザレン軍と行き合わないように、スレドラハムまでの飛行艇の進路に神経をすり減らし、一夜明けると早々に、さきほどの会談だ。

 スレドラハムを説得し、さらに砂漠全体をまとめる。

 たしかに、スレドラハム王がいうとおり、口ではなんとでもいえる。

 ここに来るまでは、どうにかなるだろう、と楽観していた三人だったが、いざ会談してみると、現実的な問題が次々と立ちはだかった。

 〝スレドラハムを説得するのは、不可能〟。

 これが、いまの三人の思いだった。だれも口には出さないが、沈黙の空気でそう察せられた。

 この部屋でこうして、漫然と過ごしている間に、リターグを救う可能性が減っていく。でも、どうしようもない。焦燥だけが胸につのる。

「……おふたりとも、はじめから、無理だと思ってらっしゃったんでしょう?」

 と、リディアが突然口を開いた。低く、すこし震えた声だった。

「会談のとき、なにもおっしゃってくださいませんでしたもの。……わたくしは、さぞ滑稽だったでしょう?」

「そんな」サヴァンはあわてて答えた。「ただ、現実を見せられた、という思いは、ありますけど」

「現実なら、とっくに見ています!」

 リディアが声をあげた。

「なんの罪もない砂漠に、アイザレン軍が乗りこんできて、わたくしの故郷を滅ぼし、いまはリターグを滅ぼそうとしています! この現実に立ち向かうための、わたしたちの現実は、どこにあるっていうんですか!」

 その言葉が無茶な論理だということは、リディアにもよくわかっていた。でも、だれかに吐き出さなければすまなかったのだ、胸にたまった怒りを。

 サヴァンもそのことを理解して、口をつぐんだ。

「……すみません」と、すぐにうちしおれたようにリディアはいった。「こんな、こんなこというつもりでは……本当に、すみません」

「いや、いいんですよ」いたわるようにサヴァンはいってから、ふっと息を吐いた。

「それより、これからどうするか。それを考えないと」

「これからどうするか、だと?」

 ふいにレダが割って入った。

「決まってるだろ。あたしらでやるんだ。なーに、一個軍団だかなんだか知らんけど、あたしの手にかかれば、どーってことないぞ!」

 毎度おなじみのセリフだが、いまは無視できない。なにせ、レダの『知事』としての異能は、ほとんど知られてはいないが、とてつもないものなのだ。

「あたしらっていうけど、リディアさんは、どうするんだ」サヴァンが、レダに顔を向けていった。

「そりゃあ、いいだしっぺだからな、もう逃げられないぞ!」

 不敵な笑みを浮かべるレダ。まだ物問いたげなサヴァン。そしてふたりの顔を交互に見るリディア。

 ナザンからリターグに亡命したリディアが、サヴァンとレダをともなって、さらにエントールに亡命することになったのは、二週間前。

 その途上でも、さらにエントールの聖都ラザレクでも、さまざまな命にかかわるトラブルに巻き込まれ、そのつど、レダは助けになった。

 リターグの危機を知って、三人でむりやり帰還したのは一昨日のことだが、その際も、レダはサヴァンの背中を押してくれた。

 〝帰るぞ、サヴァン〟。

 いまサヴァンには、そのときのレダの力強い声が思い出された。

 仲間内では、落ちこぼれの乱暴者、で通っているレダの、すさまじい実力を知るものは少ない。おれはそのひとりだ。

 そんな自分も、うだつのあがらない下っ端という立ち位置だが、レダの力をおさえられるのは、おれだけだ。そのことを知る者は、さらに少ない。

 まあなんにせよ、おれたちは、アイザレンの『中枢卿』や、エントールの『静導士』とならんで、このレガン大陸に名をとどろかせる、リターグの『知事』のはしくれだ。常人とはかけはなれた戦闘能力を持っている。

 おれたち二人で、リターグに進行しているアイザレン軍の背中を、突くことはできる。

 ──いや、おれたち三人で、だな。

 ナザン王ユリリクの、血のつながらない一人娘で、父亡きいま、ナザン王家ただひとり生き残りとなった、リディア・ナザン。

 うるわしい容貌だが、ナザン一族は武技の名家。父王に厳しい手ほどきを受けたリディアの実力は、ラザレクで強敵を討って証明された。

 そう、三人で、たった三人で、一個軍団の敵に立ち向かう姿勢を見せれば、および腰のスレドラハム王も、立ち上がらざるを得ないだろう。

 だが一個軍団は、文字どおり大軍だ。いくらおれたちでも、壊滅させることはできない。

 せいぜい、大部隊に背後を取られたと勘違いして、一時撤退してくれればそれでいい。その間に、エントールに援軍を要請することもできる。

 フッと、サヴァンは無意識に苦笑いした。

 こんな無茶苦茶なことが、できるという予感がする。

 なぜか。

 それは、レダの力を信じているからだし、リディアの力と信念を信じているからだし、なにより、結局は自分を信じているからだ。

「リディアさん、レダはこういっていますけど……」

「やります!」

 サヴァンが最後までいわないうちに、リディアは即答した。その大きな瞳が、つらぬくようにサヴァンに向けられている。サヴァンは、思わしげに視線を少しさまよわせてから、息を吐いた。

「じゃあ、スレドラハム王からは、ちょっと変わったおみやげをもらっておきたいな」

 フフン、と、レダは楽しそうに笑った。


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