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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
81/142

静寂のエト・3

「停戦だと?」

 コーエン公ドゥノのせせら笑う声が響いた。

「ばかばかしい。布告もなく攻めこんできた相手に、通じる道理でもあるまい」

「皇軍筋で反戦派。……興味深いかたですね」と、コーラ・アナイスの声が聴こえた。

「レイゼン公がどうであろうと、大勢は変わらぬ」

 キュベルカの鋭い声がした。

「われらはわれらの目的を果たすまでのこと。停戦うんぬんの件は、おまえにまかせるぞ、スペイオ」

「もとより、軍部の望むところではありません」

 軽快にスペイオが答えた。

「停戦は、単に老公の一存にすぎません。ご安心ください」

 ここは、レイゼン公の居城の、キュベルカの宿泊用の貴賓室だ。メイナードのそれとちがい、華美な家具調度類に囲まれた、豪華な部屋だった。

 その居間のテーブルを囲んで、四人は座っていた。

 上品なフロック・コート姿のコーエン公、ゆったりと黒いローブをまとうコーラ、いつもの装いのキュベルカと、さらに軍装のスペイオだ。

 本来ならば、元アイゼン公のキュベルカと、大貴族のコーエン公を前にして、気おくれするようなところだが、スペイオはいっさい気にかけない様子で、むしろ一番くつろいでいるといってもよかった。

 エントール皇軍・陸軍元帥スペイオ。

 このおとこが若くしてのし上がった背景には、なみはずれた機知と、独特の人間的な魅力があった。

 かれはその特質を存分に活かして、軍部だけではなく、さまざまな機関にコネを作り、自身の基盤を築いていった。

 だからといって、かれは野心家ではなかった。

 もって生まれた社交性と好奇心、そして自分の機略を発揮する純粋な喜び、そういったものに素直に身を投じた結果、自然といまの地位が得られたのだった。

 そのため、かれはことさら、元帥の地位や栄誉に固執してはいなかった。

 まるでお手玉遊びのように、自分の手の内にありながらも客観的な目で、その元帥という手玉をとらえていた。

 なにがなんでも軍部にコネがほしかったキュベルカには、かれはうってつけだった。数年をかけて、キュベルカはひそかにスペイオと交流を深めた。そしてラメク戦線への赴任が決定したとき、キュベルカはスペイオに、自身の壮大な計画を打ち明けたのだった。

 そして、いまがある。

 もはやスペイオは、コーラ同様、キュベルカにはなくてはならない存在だった。

「ですが、レイゼン公は〝諸侯の知性〟と呼ばれるおかた」

 コーラが憂い顔でつぶやいた。

「なんの考えもなく、停戦などと非現実的なことをおっしゃるとは思えませんが」

「あるいは、われわれの計画に、気づいているのかもしれませんな」

 軽い口調でスペイオがいった。「そのうえで、けん制をかけているということも」

 スペイオはテーブルの酒のグラスを手に取ったが、口は付けずに、グラスを揺らして中の酒の動きにじっと目をやった。

「ではどうするのだ」

 コーエン公はスペイオをギラッとにらんだ。

 鼻持ちならない若造、とコーエン公は、はじめて顔を合わせたときから、このスペイオが気に入らなかった。

「予定通りです」

 あっけらかんとスペイオは答えて、フッと笑った。

「わたし、ここまで結構苦労しましたからね。途中で方針を変えるわけにはいかないんですよ。みなさんもそうでしょう?」

 スペイオはわずかにほほ笑みながら、グラスを揺らしつづけた。

 部屋の中に、ふと沈黙が降りた。

 それぞれが、それぞれの思惑に心を向けていた。

 ラザレクの皇軍総司令部の混乱に乗じて策をめぐらせ、エト方面軍の総司令になり、さらに本格的な飛行艦隊を送らないように画策したスペイオ。

 タイミングを見はからってラメクを撤退し、しかも盾になって守った最精鋭の皇軍飛行艦隊の絶対的な信頼を獲得したキュベルカ。

 スーラ元帥以下、ラメク戦線の将軍を一息に暗殺し、気難しいコーエン公を味方につけたコーラ。その際コーエン公に刺させた肩の傷は、いまはローブに隠れて手当の跡も見えない。

 そして、自分の領地を手放し、諸侯をまとめる大任を背負うことになった、コーエン公ドゥノ。

 四人の思いはさまざまでも、目的は一つだった。

 聖都ラザレクの転覆。

 元アイゼン公キュベルカを頂点とした、あらたなエントールの形成。

 そのためには、時機を見てアイザレンと協力する、というプランさえ、検討していたのだ。

「なんにせよ」

 と、キュベルカが沈黙を破った。

「軍部の艦隊に押し寄せられては、動きが取れないところだった。その意味で、スペイオはよく尽力してくれた」

 スペイオはおどけるように軽く頭を下げた。

「エト自慢の高射砲群には、せいぜい活躍してもらう」

 キュベルカはさらにつづけた。

「そのあとは、諸侯と軍部を着実に取りこむ。われらは一つの有機体として、ラザレクを侵食するのだ」

「……有機体であれば、悪性の腫瘍は、やや気になりますが」と、スペイオが口をはさんだ。

「なんだそれは? レイゼン公のことか?」コーエン公がいった。

 スペイオは無言で首を横に振った。

「リカルドか?」キュベルカがいった。

 スペイオはまた首を横に振った。コーラはいぶかしげな顔をスペイオに向けた。

 スペイオは、いつになく無表情になっていた。そしてまるで憑かれたように、片手に握るグラスを揺らしつづけた。


  *


 薄暗い部屋だった。

 いや、薄暗いのではない。ほとんど真っ暗だった。

 部屋の中はひんやりとしていた。

「シド、ミドが出発しました」男の声がした。

「そうか」と、老人の声がした。

「イド、ニドには動きはありません」別の男の声が聴こえた。

「放っておけ」老人がいった。「おまえたちは関わるな」

 老人は椅子に座っている。そのうしろに、二人の男が立っている。

 いつもは部屋に明かりをもたらすホログラム・ディスプレイが、いまは消えている。だからこの部屋は、いつもより暗いのだ。

「これで、準備は整った」

 老人がしゃがれた声でいう。

「エトは、火の海になろう。そして、次はラザレクだ。そして次、さらに次……。見ものだな」

「キュベルカは、どうされます?」

「あれは、そう、確かに想定していなかった」老人が即座にいった。「だがいまのところ、目的はわたしと同じだ。場合によっては、接触してもいい」

 部屋の中に静寂が降りた。

 それが短いのか長いのか、よくわからない。時間の感覚を狂わせるような空気が、ここにはあった。

「おまえたちも、そろそろ仕事をしてもらうぞ」

 老人が口を開いた。

「よく調整しておけ、ゴドー、リクドー」

 は、と答えた二人の男に、老人は鷹揚に手で退室を命じた。

 あとには、老人の息づかいだけが、しばらく聴こえた。

「……マザー・キーは遠いな」

 その老人、ヴァン・ビューレンは、ぽつりとつぶやいた。

 ビューレンは、暗闇の中で距離のつかめない部屋の壁に、いつまでもけわしい目を向けつづけていた。


(第二部・了)

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