襲撃・2
「指揮所に行かれなくて、よろしいのですか?」
と、艦長がするどい眼光を、前方の女に向けた。
豪快なパフ・スリーブの白いローブに、白いマント、腰まである金髪、金の指揮刀。立ちつくして戦況を見守るケイ・エルフマンは、艦長のほうを少し振り向いて、おだやかにいった。
「ここでよくてよ。あちらにはピットがいますから。それに、あそこ狭いんですもの」
エルフマン隊旗艦、重巡空艦「オステア」のブリッジは、整然としていた。
統制のとれたやりとりの声が響き、いかにも旗艦らしい、乗組員の熟練を感じさせる。
そして艦の外観も、それにふさわしい威容を輝かせている。
巨大な槍のような尖端が突き出た、銀白色の美麗なすがたは、敵も見とれるほどだ。
いま、そのオステアは、護衛の飛行駆逐艦四隻と、見事な陣形をとって進んでいて、エルフマンはちょうど、オステアからの砲弾がマスチスに直撃したところを、ブリッジで静かな微笑を浮かべながらながめていたのだった。
「山脈が近いようですけど、大丈夫ね?」
エルフマンは、今度はしっかり艦長のほうを振りかえっていった。
モニターやその他の計器に囲まれた席に座る艦長は、ぶ然としてうなずいた。
「はずしようがない的です。エントールに入る前に、必ず不時着させます」
「お願いね」楽しげな声でエルフマンがいった。「撃沈したら、怒りますからね」
「主砲開け」
艦長はエルフマンの言葉を聞き流して、号令した。
*
第五区画の4A、第五区画の4A、と呪文のように心でとなえながら、サヴァンは壁づたいに歩いていた。
断続的な衝撃で、とても支えがないと進めない。
すれちがう乗員たちも、おぼつかない足取りで、それでも一心不乱に駆けていく。
レダとリディアは声もなくサヴァンのうしろを付いてくる。
五の4A。ここはどこだ? 五の3B。
また衝撃、振動。
立ち止まってうしろに目をやる。
二人とも大丈夫だ。前進。目的地が近いのか遠いのかわからないが、とにかく前進するしかない。
どうにかたどりついた戦闘指揮所のぶ厚いドアはすんなり開き、三人は中に飛びこんだ。
ドアを閉めると、あたりはとたんに薄暗くなった。
緑色に光るディスプレイが、左右の壁にずらりと奥まで続いている。
一番むこうには、司令や参謀の席が見える。ぽつんと主人を待っている風情だ。
でもいまは、いつまで待っても来るはずがない。単艦の、それも輸送作戦に、司令も参謀もいらないのだ。
そもそも、戦闘すら想定されていなかったんじゃないか? と、サヴァンは中の様子を見て思った。ヘッドセットを着けたほんの数人が、ディスプレイに向かって座っているだけの景色は、なんだか頼りない。
まあとにかく、戦闘指揮所は軍艦の心臓だから、いちばん被弾しにくい場所にあるのは確かだ。どうにかエントールに逃げこむまで、ここでやりすごすしかない。
サヴァンはそう覚悟を決めたが、こころなし間隔がせまくなってきたような衝撃音を耳にして、もしかしたら、別の覚悟が必要かも、といやな予感が頭をよぎった。
「おいこら、どうなってるんだよ!」
レダの金切り声がした。
気づけば、近くのディスプレイ席にいる男の兵士につめよっている。
兵士は、だれだこいつは? という顔でぽかんとしていたが、すぐに、「あ、知事のかたですか」といった。
「ああ、知事のかただよ」レダはうなるようにいった。「いったい、なにがどうなってるんだよ!」
「おそらく、待ち伏せです」と、その若い兵士は気おされながらも冷静に答えた。
「艦隊と別れたところをねらって、奇襲をかけてきたんだと思います。さきほど直撃弾を受けて、機関の一部が停止しました。このまま避退して、なんとか山脈を越えます」
「そのあとはどうするんだよ」レダがさらに問いつめた。
「それは、その、」と兵士はいいよどんだ。「た、たぶん、不時着します」
「山脈を越えるまで、どのくらい時間がかかるんですか?」
とサヴァンは口をはさんだ。この調子だと、あと十分ももたない気がする。
「それは、えーと、」と兵士がまたいいよどんだ。「三十分はかかるかと」
「おいおまえ! あたしがいちばん嫌いなものを当ててみろ!」とほとんど半狂乱になってレダが叫んだ。
「あ、えー、な、なんですかね」兵士がおどおどといった。「虫とかですか?」
「落ちかけの飛行艦だ!」
レダが絶叫したそのとき、ズドン! とこれまでにないすさまじい衝撃が起こり、立っていた者は全員倒れこんだ。
なんとか起きあがったサヴァンは、立とうとしているリディアに手を貸しながら、周囲の様子をうかがった。
いま話していた兵士は血まなこでディスプレイに目をやって、ヘッドセット越しに専門用語をまくしたてている。
〝主砲直撃〟と〝タービン損傷〟だけは、サヴァンの耳に入った。
タービン損傷って、つまりエンジンをやられたってことか?
サヴァンはリディアに肩を貸し、司令席のある奥のほうに向かった。
そこなら少なくとも、狭い通路で機器類に頭をぶつける心配はない。
うしろを見ると、レダがさきほどの兵士の肩を両手でガンガン揺らしてなにか叫んでいるが、当の兵士はさすがにそれどころではなく、揺らされるままヘッドセット越しの会話に集中している。
ようやくサヴァンとリディアがひらけた奥にたどりついた直後、ドカン! ドカン! と壮絶な轟音と振動がおこった。
しかも今度は途切れない。被弾によるものなのか、艦内のなにかが誘爆したのか、見当がつかない。
ちょっとまって、もうムリ、降参! というレダの悲鳴が、サヴァンの耳に届いた。
……なぜ?
衝撃と爆音の中で、リディアの胸は寄る辺のない怒りに満たされていた。
なぜ、ほかの人たちを巻きこむの?
父の声が去来する。
〝達者でな、リディア〟
ナザンの町の、おびただしい死骸、血、破壊された城、父の死顔。
イメージの断片が次々と押し寄せてくる。
そして、目。
死者の、むき出された眼球のイメージが頭から離れない。
気づけば、リディアのほほには涙が伝っていた。
鮮烈な光景が広がる。
艦の残骸、焼けこげた無数の死体、立ちつくす自分。
おびただしい骸のただなかにあり、遠い目で、遠い旋律を引き寄せようとしている、醜い自分のすがた。
無数の死骸の、カッと見開かれた、そのまなざし。ゆるぎない、断罪の視線。
男のものか、女のものかもわからない声がする。
――花を摘むのは人ではない
リディアの目が、左右に振動する。
――花を摘むのは人ではない
くりかえされる言葉が、リディアの胸になにかをこみ上げさせる。
――無辺の平原に、今
リディアの身体が震えだす。
――無数の棺がせり上がっている
リディアの眼球の動きが止まる。
――無数の立棺が切り立っている
リディアの口が、言葉をつなぐ。
「不動の立棺がそよいでいる」
様子がおかしいことに気づいたサヴァンが近寄ってくる。
リディアは最後の言葉をつぶやいた。
「パルス」
ふいに、爆音が止んだ。
サヴァンもレダも兵士たちも、けげんそうに様子をうかがっている。
すぐに気を取りなおした兵士たちが、またヘッドセット越しにやり取りをはじめた。
「砲撃が、止まった?」と、そのうちの一人が、信じられないという声をあげた。
「敵艦隊、失速」と別の兵士の声がする。
「ど、どうしたんだよ」レダがおびえ声で、さきほどの兵士にたずねた。
「理由はわかりませんが、敵が砲撃も追尾も中断しました」と、兵士は手元のキーボードをたたきながら答えた。
「エントールの領空はまだ先ですけど、このままなら逃げきれます」
どさ、と倒れる音がして、兵士がとっさにそちらに顔を向けた。
気を失ったリディアを、あわててサヴァンが介抱している。
レダは少し間をあけて、そのリディアに、なにか複雑な視線をやった。
*
まるで早送りのようなパニックがひととおり収束した、エルフマン隊旗艦オステアのブリッジは、不気味な静寂につつまれていた。
敵艦は黒煙をあげながらも、すでにはるかかなたに遠ざかっている。
オステアと護衛艦は上空で静止したまま、この信じがたい事態にあっけにとられていた。
オステアが敵艦に一斉射したあとの、突然の、全艦システム・ダウン。
艦内通信から武器管制、はてはエンジンの制御装置まで停止して、それらを各艦で死にものぐるいで再起動させ、状況を確認しあい、とりあえず陣形をたてなおしたのが、ついさっきのことだ。
そしていま、ブリッジの艦長以下乗組員たちは、立ちつくしてまっさらな空を見つめているエルフマンの言葉を、おそるおそる待っているところだった。
「閣下」
やがて艦長が、いつまでたっても口を開かないエルフマンに、艦長責任で声をかけた。
「全艦、復旧しましたが」
「システム・ダウンの原因は、わかって?」エルフマンは静かにたずねた。
「調査中ですが、おそらく敵艦の電子攻撃ではないかと」
そう、と、エルフマンはうつろな調子でいってから、気を入れなおすようにふっと息をはいて、艦長のほうを振り向いた。
「一度ナザンに戻ります。指揮はしばらく、あなたにまかせます」
「面舵、090度に一斉回頭」
艦長が副官に告げた。
エルフマンは携帯通信機を取りだすと、それを操作して耳に当てながら、喧噪を取り戻したブリッジをあとにした。
「はい、ピットです」
と、通信機が応答した。
「わたしよ、ピット」通路を歩きながら、エルフマンがいった。
「隊長、いまのは、あの娘のしわざですか?」
戦闘指揮所にいるピットは、声をしのばせながらも、興奮した調子でいった。
「さあ、どうかしら」エルフマンは興味もなさそうに答えた。「なんにしても、さすがにこれ以上は追えませんわね」
「どうされます」
「中央戦線に合流します」
エルフマンはいった。
「ルケなんかの好きにはさせないわ。ここは、わたくしの戦場ですもの。だからあなたもそのつもりで、準備してちょうだい」
「団長の渋い顔が目に浮かびますが」
「わたしの目には」
エルフマンは凛とした声でいった。
「ひさしぶりに本領を発揮する、わたしたちのすがたが見えてよ、ピット。なんだか、いまから楽しみになってきましたわ」
「……わかりました」
ため息まじりにピットがいった。
「好きよ、ピット」
甘い声でそういうと、エルフマンは通信機を切った。
通路を歩く足取りは軽く、下唇を軽くかんだその表情は、これからいたずらをしかける子供のような、興奮と喜悦に満ちていた。




