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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
78/142

リターグの再起・2

 その白い部屋には窓がなかった。

 広いとも狭いともいえない中は、実際はひんやりしていたが、異常なほど暑苦しく感じられた。

 なぜなら、真っ白い壁には、無数の血しぶきが飛び、床はこれも赤黒い血にまみれ、肉塊、骨、毛髪などが、辺り一面に散乱していたからだ。

 このおそろしい部屋に、立ちつくす少女の姿があった。

 裸足で、胸と下半身をわずかに布でおおっているだけの全身に、血を浴びている。

 黒く長いポニーテールが揺れている。

 少女はそうして、床の血だまりをじっと見下ろしていた。こころなし肩を怒らせているが、呼吸は静かだった。

 少女の後ろに、変哲のないテーブルがあった。それは、この奇怪で凄惨な部屋に、どこかそぐわない印象だった。

 テーブルの椅子に座っている少年も、この場には似つかわしくない姿をしていた。

 きっちりとした紺のブレザーにスラックス、きれいな革靴。

 髪は短くていねいに整えられ、顔立ちはとても品があり、女性的だ。

 そんな少年が、椅子に座って、テーブルにひじをつき、手のひらにあごを乗せて、ぼんやりと血まみれの少女の背中を見つめているのだった。

 ヒュウ、と、突然少女が口笛を吹いた。それは奇妙な抑揚だった。

 ヒュウ、ヒュウイ、ヒュウ。

 ただの音というよりは、意思をこめた言葉のような調子だ。

 ヒュウ、と、少年も口笛を返した。小さく、少し投げやりな調子で。

 それを聴いて、少女が身体ごと振りかえった。その顔は、驚くほど少年に似ていた。ただ、少年の目がどこか鬱々としているのに対して、少女の目はらんらんと燃えていた。

「嫌なら出てけば、シド?」きつい声で少女がいった。

「ここにいるようにいわれたんだ」シドと呼ばれた少年は、つまらなそうに答えた。「だからここにいなくちゃいけない。いくら嫌でもね、ミド」

 ミドは、ヒュ、とかん高い口笛を吹いた。

 シドはため息をついて、テーブルに目を落とすと首を横に振った。

 二人は、双子だった。

 そして二人には、二人にしかわからない意思伝達手段があった。それが口笛だ。

 二人にとって、口笛はただの音ではなかった。抑揚のつけ方や長短、そのほかさまざまな要素が複雑にからみ合った言語、いわば口笛語だった。

 このおかげで、二人は人前でも、だれにも内容を知られずに会話ができた。

 といっても、いつもたいした会話があるわけではない。

 なにかにつけてミドがいきりたち、シドは沈着冷静、というよりも無関心を決めこむだけだ。

 いまも、つきあっていられない、という様子のシドに、ミドはいらだち、片足でドンと床を打ち鳴らした。足は正確に、床にあった眼球をふみつぶした。ギラギラした目でミドはシドをにらみ、シドはうつろな目をテーブルに向け、なんの興味もないという顔をしていた。

 そのとき、シュッと空気の抜けるような音がして、部屋のドアが開いた。

「あーら」と、ミドが軽蔑しきったような声をあげた。

 姿を見せたのは、ナードだった。ナードは部屋の様子に驚くそぶりもなく、喜びにパッと顔を輝かせた。

「ミドミド!」ナードはうれしそうにいった。

「聞いたわよ」ミドは憎々しげにいった。「あんた、リターグでへまやったんだってね?」

 そういいながら、ミドは赤い足跡を付けて、ゆっくりとナードに近づいていった。ナードの顔から笑顔が消え、彼女は悲しげにうつむいた。

「ミドミド」

 立ちふさがるように前に立ったミドに、ナードはおどおどと呼びかけると、片腕を前に差し出した。

「あげるあげる」

 それはスティック・キャンディだった。ナードがいつもなめている、白いスティックのキャンディだ。

「あら、ありがと」ミドは高慢にそういい、キャンディを無造作に取ると、うしろに放り投げた。ビチャ、と嫌な音を立てて、キャンディは床に落ちた。

 ナードはなにもいわず、部屋の入り口に立ちつくし、うつむいたままでいた。だがその目には涙がにじみ、いまにも泣きだしそうなところを、なんとか耐えている様子だった。

 そんな二人に、シドは一度も顔を向けなかった。組んだ脚の上に両手を乗せ、テーブルの上をじっと見つめているだけだった。

「出てってくれない?」ミドがいった。「知ってるでしょ? あたし、あんたのこと嫌いなの」

「だめだよ、そんなことをいっては」

 ふいに、新しい声がした。とてもおだやかな、男の声だった。

「ナードは、きみたちが出ることを聞いて、こうして見送りに来てくれたんだから」

 ナードの後ろに、一人の男が姿を現した。

 白い長衣に、豊かな白い長髪。

 一見すると老人のようだが、三十くらいの若者だ。しかし不思議と、見る人によってそれよりずっと若くも、年上にも感じられる。

 その容姿といい雰囲気といい、どこか強く人を惹きつけるものがあった。

「マレイ!」

 ミドが、それまでとはうってかわった声をあげ、ナードを押しのけて男に抱きついた。

 ヒュ、と、短く鋭い口笛がした。ミドが吹いたものだった。かれはあいかわらずテーブルに顔をやったままだったが、マレイと呼ばれた男の出現には、興味をそそられたようだった。

「あ、……イド!」ミドはシドの口笛を受けて、男を見上げて名前をいい直した。

 イド、またはマレイと呼ばれた男は、にっこりとほほ笑み、ミドに、そしてむこうのシドに目をやった。

「準備はいいかな?」

「もちろん!」

 イドから身体を離し、ミドは勢いよく答えた。

「もう、はじめからあたしたちが出てれば、このバカみたいなへましなかったのに」

 そういいながら、ミドは背後にいるナードに、見くだすような流し目を送った。

「ナードは、よくやっているよ」イドは微笑した。「とても、よくやってくれている。それに、きみたちのことも応援している。だから、いけないよ、そんなことをいっては」

 イドは微笑したまま、じっとミドの目を見つめた。ミドはイドの視線に捕らわれたような表情で、声もなくイドを見あげた。

 静寂が、部屋を包みこんだ。

 突然、ヒュ、と吐き出すような、それでもきれいな口笛が響いた。

 その音に我にかえったミドは、色を戻した目をしばたたかせてから、無意識に口笛の主に顔をやった。

 シドは先ほどと同じ格好で、テーブルの椅子にいた。あいかわらず、振りかえって三人を見ることもしない。ただじっと座っているだけだ。

 しかし、なにかがちがった。その、言葉にならない不穏ななにかを、ミドは敏感に感じ取った。

 ……嫉妬? ちがう。孤独? そうじゃない。

 ミドはかすかに眉を寄せた。

 なにが気に入らないの、あんた。いつもいつも、あんた、なにがそんなに不満なの?

「行こう、イド!」

 ミドは意識的に明るい声を出した。そしてイドの腕を取ると、強引に引いて廊下に出た。イドは引かれるままにまかせた。淡い微笑をたたえ、その目は、だれにも向けられていなかった。白い長衣は、ミドの触れたあちこちに、血の跡がついていた。

 二人が去ると、部屋の中は、また先ほどとはちがった沈黙に包まれた。

 ナードは立ちつくしてうつむき、シドは座って前を見ていた。

 やがて、シドが椅子を引く音がした。同時に、ナードがすすり泣きをはじめた。

 シドはゆっくりと、ミドが投げたキャンディのもとに歩いていった。

 肉片と血にまみれて、それは白いスティックの大半を赤く染めて、たたずんでいた。

 シドは腰をかがめて、キャンディを拾った。

 そのキャンディを見つめるシドの目には、いつくしむような光が鈍く灯っていた。

 シドはそれを手に、出口に向かった。

 すすり泣くナードの横を通りすぎるとき、かれは短く、しかし感情をこめた声で、「すまない」といった。

 より高まったナードの泣き声を背に、シドは部屋をあとにした。

 歩を進めるシドの靴音は、静かだった。

 しかし全身からは、常人であれば近づいただけで昏倒するような、すさまじい気が湧き立っていた。

 ナードは泣きつづけた。

 ひとりになっても、床に涙をぽたぽたと落としながら、いつまでも泣いていた。


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