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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
77/142

リターグの再起・1

 無数の砲弾によって、灰色の壁のいたるところがえぐられ、厚い窓は割られ、まだ細い煙はいくつか上がってはいたが、リターグの知事局はしっかりと立っていた。

 中もひっくりかえったような散らかりようだったが、ちゃんと機能はしていて、深夜にもかかわらず『知事』や局員たちは、アイザレンとの一戦の事後処理に追われていた。

 最上階にある、局長ジオ・レドムのオフィスには、レドムを含めて六人の者がいた。

 遠いラザレクで、リカルドが女帝に謁見してから、数時間後のことだ。

 昼間の激戦は、リターグに大きな爪跡を残し、町全体がさまざまな復旧作業に必死に取りかかっている。

 それというのも、アイザレンは当然また攻めてくるからだ。しかも、今度はさらに大規模な部隊で。

 アイザレンとしても、昼間のような失態は二度と許されない。少数の増援に蹴散らされて後退するなど、本来ならば指揮官の首が飛ぶ。

 しかしそうならなかったのは、指揮していたのが軍部ではなく、中枢卿団の、それも副団長だったからだ。


「ケイ・エルフマン」と、レドムはデスクの椅子に深く腰かけ、しゃがれた声でつぶやいた。「あれがいなくなってくれたのは、実にありがたい。といっても、リターグからエントールに移っただけだから、状況は変わらんが」

 エルフマンとその部隊が、リターグ戦線を離れてエントールにむかったという情報は、たしかに明るい話なのか暗い話なのかわからなかった。肝心のエントールがそれによって苦境に立たされれば、本末転倒といってもいい事態だ。

 それはオフィスにいる、レドム以外の五人にもわかっていた。

 デスクの前に立っているサヴァンとエアハルトにも、真ん中のソファーに座っているリディアとレダにも、そして共に座っているクイラ・クーチにさえも。

「卿団の部隊がいなくても、残っている北のアイザレン軍は強力です」

 エアハルトが口を開いた。「とてもまともに戦える規模ではありません」

「そうだねえ」

 レドムはいつものようにとぼけた口調でいった。

「ともあれ、最悪の場合のことは考えているよ。そのために、わたしは昼間、地下にいたんだからね」

 その言葉の意味をとらえた顔をしたのは、エアハルトとレダだけだった。リディアやクイラはもちろん、サヴァンも、なんのことかわからないという表情をしていた。

 サヴァンがレドムの言葉の意味を知るのは、まだ先のことだ。

 なんにしても、昼にエアハルトがレドムと連絡を取れなかったのは、レドムが通信機のつながらない地下にいたからだった。さらに、こうして少し前にオフィスに呼び出されるまで音信不通で、しかたなく、まだ撃たれた肩が痛むエアハルトが局内をとりしきって、どうにか混乱をおさめていたのだ。

 そしてようやくレドムと再会しても、無事を喜びあう余裕はなかった。

 昼間の戦闘での損害状況や、エントールのラメクとテッサが落ちたこと、さらにコーデリア以下エースたちの失踪の件と、協議すべき問題は山積みだった。

 満身創痍のエアハルトはもちろん、レダもリディアもクイラも、さすがに疲労の色を隠せず、レダはオフィスに入るとレドムにあいさつもしないで、よろよろとソファーにむかい、リディアとクイラの顔色を見たレドムは、二人もソファーに座らせた。

 ということで、気丈なエアハルトと、できればソファーのほうにいたいサヴァンの二人が、デスクの前に立つことになったのだ。

 レダたちと同様に疲れきっているサヴァンとしては、いますぐベッドに横になりたい心境だったが、もちろんそうもいっていられない。リターグからラザレクへ、そしてまたリターグへと戻ったこの九日間の出来事を、報告する義務があった。

 レドムがエルフマンのことを口にしたのは、そういったあれこれをひととおり話し終えたあとのことだった。

「例の機械兵については、エントール側はなんと?」

 エアハルトがたずねた。

「調査中の一点張りだ」レドムは答えた。「おおかた、新造部隊の実力調査といったところだろう。残骸を調べれば、こっちでもなにかわかるかもしれない。ま、正体がなんであれ、助けられたのは事実だな」

「とにかく、エントールには増援を要請すべきです。今度は一時しのぎではなく、しっかりとした部隊を」

「どうかな」レドムは手を頭の後ろに組んで答えた。「エントールは、皇都での決戦も現実味を帯びてきている。支援している余裕はないだろう。しっかりした部隊ならなおさらね」

「北からくるアイザレン軍は、八個師団規模と聞いてます」エアハルトが、我慢強く説得するようにいった。「こちらは一個連隊にも満たないのでは、はじめから勝ち目はありません」

「それで、どうしたい?」レドムはギョロッとした目でエアハルトを見た。

「降伏か、もしくは……」

 いわんとするところがわからないサヴァンは、けげんそうにエアハルトに顔を向けた。

 レドムは、エアハルトの無言の答えをくみ取った顔で、じっとエアハルトを見つめていたが、やがて鼻から一つ息をはいた。

「ま、それは上の判断にゆだねよう」レドムはいった。「上の判断といえば、わたしの処遇も、通達待ちだ」

 その言葉に、部外者のクイラを除いた全員がハッとした。

 かれらの様子を見て、レドムはきまずい顔になって、目をそらした。

「レンに『知事』のエース級を全員送りこんだのは、わたしのミスだ。局長の役は解かれるだろう。わたしもつづけるつもりはない」

「逃げるのか?」ソファーにいるレダの声が飛んだ。からかいをこめた調子だったが、目は鋭く光っていた。

 ──局長も本来なら、いつものお手上げのジェスチャーをしたいところだろう。

 とサヴァンは思った。

 でも、事が事だ。そうはいかない。リターグの市街地戦も、エース級がそろっていれば、被害は少なかったかもしれない。

 だれの指示も得られず、自分の判断で外に飛び出して、死んでいった『知事』の数は少なくなかった。そもそも、陣頭指揮に立つべき局長が地下にいた、ということ自体が、いうまでもなく大問題だ。

 そしてなにより、コーデリアの失踪。それは自分とレダとエアハルトに、ほかのだれとも比べられないような特別な思い、苦渋、そして憤りを与えた。

 いまもそうだ。局長の言葉を聞いて、エアハルトは歯を噛みしめてうつむいている。レダは、怒っている。おれだって、壁の一つでも殴りたい気分だ。でもみんな、その怒りのやり場がどこにもないことは、わかっているんだ。

 オフィスの中は、重苦しい沈黙に包まれた。

「あの、」

 と、口を開いたのはリディアだった。

 リディアは、スッと立ち上がった。きれいなブラウスは埃にまみれ、髪は無造作に上にまとめられ、顔は青白い。

 昼からの、いや、このひと月の激務は、リディアから生気を奪っていたが、そのたたずまいがかえって、どこかいっそう彼女の高貴をあらわにさせるようだった。

「わたくしには、このようなときだからこそ、リーダーシップが必要だと思えます。レドムさんは、『知事』のみなさんから、とても信頼されていらっしゃいます。もちろん、わたくしも信頼しております。ですから、その、どうかお辞めにならないで」

 リディアのいったことは、単純なとりなしの言葉だった。それ以上でも以下でもない。しかし不思議と、彼女の声には、どこかしら人にそうさせるような、重みがあった。

 それに、リディアのいっていることはまちがいではなかった。まちがいどころか、正しい意見だった。なぜなら、進んで知事局の局長になりたい者など、レドム以外にはだれもいなかったからだ。

「ありがとう、リディア殿下」

 レドムは姿勢を正して、親しみをこめていった。

「上は上、わたしはわたし。いまはそういうことにしておきましょう。リーダーシップ、おっしゃるとおりだ。わたしのことはともかく、このままでは知事局は解体も同然だ。……エアハルト」

 レドムは前に立つエアハルトに、じっと目をやった。

「困難は承知だ。それでも、おまえに頼む。トップ・エースとして、『知事』をまとめろ。おまえにしかできない」

「頼まれるまでもありません」エアハルトはきぜんと答えた。「わたしはコーデリアと、胸を張って再会したい。わたしは、そのために生きます」

「いい返事だぞ、ロー」レダがまたソファーから茶々を入れた。だがその声も顔も、決してからかってなどいなかった。

「さて、クイラといったかな、きみは」

 レドムは一呼吸置いてから、大きな目を今度はクイラに向けた。

 いままでの話をまったく理解できなかったクイラは、自分が場違いなような、いや、実際あまりに場違いなところにいるという実感で、ソファーに縮こまっていた。

 ここは知事局。いままで仰ぎ見るしかなかった、建物の中だ。それにこのオフィス。あたしみたいなみすぼらしい人間がいていい場所じゃない。

 助けてくれたエアハルトの背中に隠れるように、ここまで手伝いをしてきたけど、あたしとこの人たちとは、住むところがちがう。

 すごく、恥ずかしい。このぶかぶかの服も、汚れた靴も、ぼさぼさの髪も、あざだらけのがりがりの身体も、なにからなにまで嫌。もう外に行きたい。ここにいると、恥ずかしさで溶けてしまいそう。

 レドムに声をかけられたクイラは、そんな気持ちにとらわれていたので、思わず肩をビクッと震わせた。その肩に、優しく手が置かれた。リディアだった。彼女の顔は、やわらかくほほえんでいた。クイラは、ふいにこそばゆいような心地になった。

 レドムは、なおもジィッと、クイラを見つめた。

 クイラのことは、エアハルトから聞かされていた。そのエアハルトはクイラから、彼女の境遇や、昼間の市街地での戦闘のことなどを聞いていた。

 エアハルトが、クイラをこのオフィスに連れてきた理由はひとつだった。『知事』に推挙する。

 たしかに猫の手も借りたい。鋭い爪を持つ猫ならなおさらだ。とレドムは考えた。だが、おれはこの子を知らない。本当に、『知事』になれるだけの実力があるのか?

「こいつは使えるぞ」レダの声がした。鷹揚な口調だったが、目は笑っていなかった。「あたしが保証する」

「いいだろう」

 と、レダの言葉を聞いて、レドムは即答した。

「『知事』の見習いとしてむかえよう。もちろん、きみにその気があればの話だが」

 ほとんど無意識に、クイラはこくんと首を縦に振った。

 『知事』。リターグの、いや大陸中の尊敬を集める偉い人。

 あたしがそうなるの? そんなの無理。でも、この人たちは、みんな優しい。

 別に、『知事』になりたいわけじゃない。あたしは、この人たちと一緒にいたい。

 クイラの視線は、自然とエアハルトに向いた。ほっとした表情で、元気づけるようにほほ笑んでいるエアハルトの顔を見て、クイラは急に力がみなぎってきた。

「レドムさん」

 真剣な面持ちになったリディアが、話題を変えた。

「わたくしは、砂漠の部族を、一つにまとめたいと思います」

 全員の驚きの目が、リディアに向けられた。リディアは覚悟を決めたまなざしを、自分の足元に落とした。

「これまで砂漠の部族は、交易以外は独立していました。それが砂漠の決まりでした。砂は砂。集まったところで、所詮は散る定めだと。でも、」

 リディアは顔をあげ、まっすぐレドムに目をやった。

「砂も、血が落ちれば、固まります。いま、無数の血が大陸で流れています。わたくしは、このリターグやほかの国では無力ですが、砂漠では、多少のことができると思います。ナザン王家最後の王女として、わたくしは、わたくしのできることをしたい。そのために、わたくしは帰ってきました」

 すこしの間、オフィスは沈黙に包まれた。だが、それは決して気まずい沈黙ではなかった。どこかしっとりと、納得のいく静寂。あるいはそれも、リディアの声の力によるのかもしれなかった。

「砂漠をまとめる、か」レドムは一人になった顔で、リディアの言葉を反芻した。「願ってもないことですが、可能ですか?」

「必ず」リディアは重く、凛とした声で答えた。

 レドムはリディアを、あけっぴろげな、自分の部下を見るような目で、長い間見つめた。リディアも、ほかの者も微動だにしないで、レドムの言葉を待った。

「わかりました」

 レドムはいった。

「ならば、できれば北のスレドラハムと、その近郊の部族に、まずは呼びかけていただきたい。スレドラハムに駐屯していたアイザレン軍は、いまここに向かっています。これを挟撃できれば、勝算も高まります」

「では、すぐに準備を」

「その前に」と、レドムはサヴァンを見た。「おまえはどうしたい、サヴァン?」

 そんな気もなかったはずが、サヴァンはフッと苦笑いをした。わかりきったことじゃないか、と、まるでそんな風にいいたげな微笑だった。

「局長さえよければ、三人で決めます」

 レドムは口もとにいたずらっぽい笑みを浮かべ、ソファーのレダに目を向けた。

 少しおどけるような表情をしたレダも、また最後には、いつもの不敵な笑みを見せ、サヴァンに視線を送った。

 リディアにとっては、自分が答える必要もなく、そしてあらためて二人の考えを聞くまでもないことだった。胸が震え、目に涙が浮かびそうになるのを、リディアは必死でこらえた。

 ありがとう、サヴァンさん、レダさん。本当に、ありがとう。わたしは、すこしでも命を救いたい。だから、わたしの命は、あなたたちに預けます。

「アイザレン軍は、数日でここに到達する」レドムがひきしまった声でいった。「できれば殿下には、明日にもお発ち願いたい」

 リディアがうなずき、サヴァンとレダは、目で意志を確認し合った。

 その様子を見るエアハルトの目は、優しくもあり、どこか寂しげでもあった。


 翌日の明朝、リディアとサヴァンとレダは、アイザレン軍の進行ルートを迂回しつつ、北の町スレドラハムに向けて出発した。

 対してエアハルトは、知事局、いやリターグそのものの再起をはかるべく奔走し、クイラはその見習い、そして忠実なパートナーとしてつきしたがった。

 三人と二人の分離。それは、運命の亀裂のはじまり、とでもいえるようなものかもしれなかった。


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