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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
75/142

テッサの陥落・1

 鐘が鳴っている。おごそかな鐘。

 それは時を知らせるものではなく、休日を知らせるものでも、集会に呼ぶ鐘でもない。

 降伏の鐘だ。

 テッサの町の中央にある、その講堂の大鐘は、何度も何度も鳴らされる。兵士は武器を置け、市民は家から出るな。単調な鐘の音が、いかめしくもそう告げている。

 もとより、兵士も市民も、とうに悟っている。

 いまは夕刻。オレンジの陽光が海面に映され、広がりわたっている。

 普段ならば美しい風景だが、いまはただ、もの悲しさしか覚えない。

 町のあちこちから立ちのぼる黒煙。硝煙の臭い。海には無数の、漁船や軍艦の残骸が浮き沈みしている。海鳥の姿はなく、見なれない軍服の兵士たち以外は、ほとんど人も見あたらない。

 ただときおり、単発的に砲声や銃声が聴こえる。その最後の抵抗も、まもなくむなしく終わることだろう。

 エントール皇国の誇る港湾都市テッサは、一時間前、完全に占領されたのだ。


 そのテッサの埠頭に、奇妙な一団がいた。およそ二十人ほどの集団だ。ほとんどは黒いマントで身体をおおっている。しかしかれらに囲まれて立つ三人はちがう。

 一人はよれたジャケット姿の、髪をオールバックになでつけた、やせぎすの中年。相対するように立つのは、ぼさぼさの長髪に、さえない色のマントと平服をまとった大柄の男。その男の後ろに隠れるようにしながら、前方を覗きこんでいるのは、黒いドレスにエナメルの靴を履いた、長い黒髪の幼い少女だ。

 周囲にはアイザレン軍の兵士たちもいたが、異様な雰囲気のかれらにちらっと好奇の視線をやるだけで、あとは無関係を決めこんで、各々の任務に専念していた。

 いつでもそう、中枢卿団などにかかわれば、ろくなことにはならないのだ。


「とりあえず、言い分を聞こうか」大男のほうが口を開いた。「団長がおれをこの戦線によこした理由は、わかっているだろう、ケンサブル」

「ルキフォンスの後任兼、わたしの目付け役だろう?」ぼんやりした笑みを見せて、中枢卿団・第四隊長イル・ケンサブルは答えた。「ルキフォンスの容体はどうだい?」

「命に別状はない」中枢卿団・筆頭隊長マッキーバは、硬い声で返した。「だが、あれからまだ二日だ。復帰は当分先だろう」

「その、後ろの子はだれだい?」

 ケンサブルは顔を突き出し、目を大きく見開いて、いかにも興味深そうに少女を見ながらたずねた。

「エンディウッケという」いっこうに話が進まないいら立ちをおさえて、マッキーバは答えた。「話せば長くなる。とにかく、団長命令で同行している」

「ああ、そうか。団長から聞いてるよ。強いんだってねえ」

 そういうと、ケンサブルはまた恍惚としたような笑みを浮かべた。

 エンディウッケはすっかりおびえて、マッキーバの背中に隠れてしまった。

「では、言い分を聞こう、ケンサブル」

 マッキーバは断固とした口調でいった。

「おまえは昨日の夜、団長命令を無視して、単独行動を取り、メイナードを追った。のみならず今の今まで行方不明とあっては、それなりの懲罰を覚悟するのだな」

「懲罰ねえ」あいかわらずとらえどころのない口調で、ケンサブルはいった。「それなら、ケイやルケはいいのかい? かれらだって、好き勝手やっているだろう」

「かれらは命令にしたがう」マッキーバは言下にいった。「かれらは団長の許す範囲で行動している。おまえとはちがうぞ」

「そんなものかねえ」

 ケンサブルはマッキーバから、すぐ横に広がるオレンジの海面に顔を移し、ふと目を細くした。

「だが、わたしはテッサ攻略の功労者だよ? トルゼン公を討っていなければ、いまごろきみたちはまだ空の上だ。いや、」

 ケンサブルはマッキーバに顔を戻して、おぼろげにほほえんだ。「もしかしたら、海の下かもしれないねえ」

「いままで、どこにいた?」ケンサブルの言葉を受け流し、マッキーバは厳しい顔でたずねた。「なぜ帰還しなかった。わけを話せ」

「これといったわけはない」ケンサブルは、また海に顔をやって答えた。「ただこの町を、見てまわりたかった、それだけだ」

 そのケンサブルの声には、思いがけず深い憂愁のようなものがこめられていた。一同はしばらく沈黙した。海を見つめるケンサブルの目は、鋭かった。


 ──ケンサブルのいうとおり、もしトルゼン公が討たれていなかったら、いまごろはどうなっていたのか。

 静寂の中で、マッキーバはふと思いをはせた。

 ベアトリスとテッサの間にある、エントールの防衛線は堅かった。昨日はわが軍をさんざん蹴散らし、その士気は今日も高かっただろう。おそらくわれわれを手ぐすね引いて待ていたにちがいない。場合によっては、占領したベアトリスが取りかえされる恐れもあった。

 だが、戦闘開始直前の午前に入ってきた報は、おれですら衝撃を受けるようなものだった。だからアイザレン軍にとっては、凶報ではすまない大事態だっただろう。

 トルゼン公アーシュラの死、さらに、静導士団のメイナード隊の謎の撤退。

 後方にいたおれにもわかるほど、敵の防衛線は大混乱におちいった。

 裏をかかれて暗殺されたことへの苦渋もあっただろう。しかし、なにより身分、階級の区別なく慕われていたトルゼン公は、エントールの、ひとつのシンボルだった。それが討たれたことの意味は、予想以上に大きかったはずだ。

 そして、なぜメイナード隊は、ここにきて撤退したのか? アイザレン軍にしてみれば、おれやケンサブルの相手をだれがするのかと、いっそう混乱が深まったことは考えるまでもない。

 疑念、無念、不吉。アイザレン軍がそれらを吹っ切る間もないうちに、今日の午前、戦闘は開始された。ほんの少しの糸のほころびが、編み物を台無しにする。ほんの小さな穴が、巨大なダムを決壊させる。

 そう、どこがどうという大きな理由もないままに、あれほど堅固だった防衛線は総崩れとなった。戦闘開始から数時間で、もうテッサが目前に迫る距離まで押しこんだ。

 そこからは、たいして時間はかからなかった。敵の海軍艦隊は全滅。飛行艦隊や陸上部隊は、エントールの中央にあるエトに撤退したらしい。

 その間、ケンサブルは、なにをしていた? この男のことだ。町を見てまわりたかったというのなら、そうしたのだろう。

 昨日の夜、トルゼン公を討ったあとで、おそらく「ロヴァ」で一晩過ごし、明けた今日、テッサをぶらぶらと散策して、町に戦火がおよぶと「ロヴァ」にもどって、情勢を見守るなりしていたはずだ。

 やがて戦闘が収束して、空におれの艦隊の姿を見たケンサブルは、そこでようやく、「ロヴァ」の無線機で連絡を取ってきたというわけだ。


「帰還命令が出ている」

 マッキーバが口を開いた。「おまえは本国に戻り、団長の処分を待て」

「いいのかい?」ねばりつく潮風をぬぐうように、髪をなでつけ、ケンサブルは静かにいった。「エトには、メイナードとキュベルカがいるんだろう? わたし抜きで、大丈夫かね」

「ケイとルケとおれ、三人いれば問題ない」

「おや、みんな集まるのかい」ケンサブルは海を見たままつぶやいた。

「おまえがいない間に、団長から指示があった。……おれは、残念だぞ、ケンサブル。ルキフォンスにつづいて、おまえまでここで欠くことになるとはな」

 ハハハ、とケンサブルは気の抜けた笑い声をあげた。

 次の瞬間、静かな光景が一変し、凍りついた。

 まばたきもしないうちに、ケンサブルの振り下ろした刀が、マッキーバの頭をとらえている。マッキーバは、抜いた剣を横にして、それを受けている。

 まわりを囲む卿団員にすら、なにが起こったのかわからなかった。それだけケンサブルの剣技は速く、マッキーバもまた俊敏に反応したのだ。

 エンディウッケがスッと二人から離れ、ケンサブルを強烈ににらみつけながら、手で印を結び、文言をとなえはじめた。

「やめろ、エンディ!」マッキーバが叫んだ。

 ケンサブルは、ほとんど狂気に近い目で、マッキーバをじっと見つめていたが、やがて表情を戻して、ゆっくりと刀を引き、鞘に戻した。

「おとろえては、いないねえ」なにごともなかったように、ケンサブルはいった。「でも、おまえ程度じゃ、メイナードには勝てないなあ。まあせいぜい、イサギの錆にならないように、気をつけるがいいさ」

「おれよりも、自分の心配をするんだな」

 マッキーバがぶぜんと答えるうちに、ケンサブルはその横をすり抜けて、ひとりで歩き去っていった。マッキーバは眉を寄せて、その薄汚れたジャケット姿の背中を見送った。腰に寄り添うようにしているエンディウッケに、やさしく腕をまわしながら。


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