ラメクの渦・2
キュベルカ飛行艦隊・旗艦「イサリオス」の戦闘指揮所の中は、いつになくあわただしかった。
刻一刻と変化する戦況を伝える、通信士たちの叫び声のような大声が飛びかっている。
壁際の高所の司令席に座るキュベルカは、あいかわらず赤鞘の太刀を杖のように前に突き、泰然とした顔つきで喧騒を見守っていたが、隣席の参謀長はいてもたってもいられない風に、椅子から立ちあがらん勢いで指示を飛ばしていた。
──妙な気配がする。……ルケ・ルクスか?
喧騒の中、キュベルカは独りのような心で、考えにふけっていた。
──やつの艦隊がいるということは、たぶんそうだろう。軍部にせっつかれたか。まあ、なんにせよラメクの命運は、もはや決まっているのだが。
地上はともかく、空は昨日の時点で、わがキュベルカ隊とメキリ直卒の本隊だけになってしまった。対するアイザレン軍は、ルケ艦隊も加わって、兵力差は三倍だ。いかにメキリの本隊が、エントール皇軍の最精鋭でも、そしてどれほどこの「イサリオス」の主砲が強力でも、この差はいかんともしがたい。
それを証拠に、艦隊の防衛線は、昨日よりも百キロも後退している。ここからさらに二百キロ行けば、もう本拠地のラメクだ。制空権を失えば、陥落は時間の問題となる。
そして、ラメクを落とされるということは、エントールの中央にまで、アイザレン軍が進出するということだ。敵も味方も関係なく、気の早い連中は、聖都ラザレクでの決戦を見すえはじめているだろう。
──空が、青いな。
キュベルカはふいに、前方の巨大なディスプレイの分割画面に映された、外の景色を目にして、そんなことを思った。実際、目の覚めるような、紺碧の空だった。そしてその色を縦横に侵食するように、多数の戦闘機が空中戦を展開している。さらに奥には、もう敵の飛行艦隊の姿が視認できた。
──空は、ただ青くあればよい。
キュベルカの心に、燃えるものがあった。
──飛ぶものなど、無用だ。
「閣下、艦隊を下げましょう!」
参謀長の強い調子の声が、キュベルカの耳に入った。
「われわれが、メキリ隊の前に出る必要はないはずです!」
「こちらの損害は?」キュベルカが不機嫌に返した。
「重巡2、飛空母1が沈没。大破も多数です」参謀長は焦燥を隠さずに答えた。
「本艦の主砲を警戒して、敵本隊はまだ距離をとっておりますが、このまま正面でやり合えば、まちがいなく全滅します」
参謀長の焦りや疑念は、当然といえば当然だった。
なぜ、われらがメキリ隊の盾にならなければいけないのか?
今日の午前、遠いリターグと時を同じくして、ここラメク戦線でも戦闘が勃発した。
そこでキュベルカが下した決断は、だれもが驚くものだった。
残された皇軍のメキリ本隊を後方に置き、キュベルカ隊だけが前に出て、応戦するというのだ。
そして数時間が経過した現在、敵艦隊の猛攻を受けている危機的な状況であっても、キュベルカは、決してうしろに退こうとはしなかった。
ラメクの都城内には、昨日の夜の取り決めどおり、皇軍と諸侯連合軍の合同司令部が設けられ、メキリ元帥も、しぶしぶながら陸に降りた。その結果、スーラ、メキリ、コーエン公の三人の意志疎通はスムーズになったが、だからといって連携が良くなるわけでもなかった。
メキリは、キュベルカの真意を探るよりも、私怨にこだわった。
近衛だかなんだか知らんが、静導士団はあちこちの戦線にしゃしゃり出て、われら皇軍に偉そうな口を聞きやがる。特に、あのキュベルカは気に食わん。あんな小僧に四の五のいわれてたまるものか。
スーラ元帥やコーエン公が、再三、本隊を前に出すべきだと忠告しても、メキリは頑として受けつけなかった。
──ここで艦隊もろともキュベルカが死ねば、気も晴れる。そうならなくとも、やつが敵戦力を少しでも多くけずれば、それでいい。わが最強の本隊は、まだ無傷だ。多少の兵力差など問題ではない。キュベルカの露払い、まことに結構ではないか。
メキリは内心で、そうほくそ笑んでいたのだった。
──とにかく、タイミングが重要だ。
参謀長の必死の意見を聴きながら、キュベルカは、これまで何度も胸の内でくりかえしてきたことを、また思った。
──早すぎても、遅すぎてもいけない。すべては、このタイミングにかかっている。
「敵先鋒隊、直進開始!」通信士の声が飛んだ。
「押しこまれれば、ひとたまりもありませんぞ」参謀長がさとすようにいった。
「主砲斉射用意」
キュベルカの号令が響いた。
「斉射と同時に、全艦後進。メキリ隊にも、あわせて後退するように伝えよ」
「メキリ隊は、打って出るかもしれませんな」
参謀長はそういうと、ブリッジの艦長と連絡を取りはじめた。
──それはない。
キュベルカは心の中で答えた。
だからこそのタイミングなのだ。
キュベルカは携帯通信機を取りだすと、手早く操作し、耳に当てた。
「はい、キュベルカ様」女の声がした。
「作戦開始だ」
キュベルカはそれだけいうと、通信機を切り、懐に戻した。
指揮所はあいかわらず混乱していた。キュベルカの横の副長席が、いつまでも空いたままであることを、不思議に思う暇もないほどに。




