クイラ・クーチ・7
激しい爆音と振動で、エアハルトは目覚めたのだった。
──どこにいるんだ、おれは?
おぼろげな意識の中で、視線を天井にさまよわせ、それから頭を横に向けた。
仕切りのカーテンが揺れている。その手前には、点滴の下がったスタンドがある。全身になにか窮屈な違和感を感じる。頭の後ろでは、電子音が一定の間隔で鳴っている。
──なぜ、おれはこんなところにいる?
エアハルトの意識は徐々に晴れていったが、自分が病室に寝ている理由はどうしても思い出せなかった。
エアハルトは、なんとか上半身を起こした。身体中に、医療用のチューブが刺さっている。胸の真ん中にズキリと痛みが走り、エアハルトは思わず顔をしかめた。見れば、肉が盛りあがってふさがった、大きな傷あとがある。だがまだ記憶はもどらない。
──ここは、どこの病室だ?
エアハルトは再び自問しながら、仕切りの反対側の、空しか見えない小窓に目をやった。
爆音が鳴り響いている。これは砲声か? 断続的な振動も、スタンドの点滴をカタカタと揺らすほど強い。
エアハルトは、ひとつ深呼吸をした。そして、身体中のチューブを一気にはずすと、ベッドから起き上がった。少しふらふらするが、動けないことはない。
エアハルトは、ベッドの横の大きなキャビネットの前に行き、なんの気なくそれを開けてみた。
──なるほどな。
エアハルトは中を見て納得した。
ハンガーにかけられているのは、真新しい白い詰襟の制服に、白いマント。その下の棚には、自分の剣が置かれている。
たぶん、ここはリターグだ。エアハルトは、自分の病衣に見るともない目をやった。理由はわからないが、おれはリターグの病室にいるのだろう。そして、外はいま、戦闘状態にある。
エアハルトはすばやく病衣から制服に着替え、マントを羽織り、帯剣した。チューブをはずしたからか、心電図の電子音が一定の高音で鳴りつづけている。エアハルトはちらっと、その巨大な電子機器に視線をやってから、病室を出た。
ここは、知事局だな。エアハルトはまだおぼつかない足取りで廊下を進みながら、あたりの様子を確認してそう判断した。おれは、知事局の医療フロアにいるのか。それにしても、まったく人が見当たらないのはどういうことだ?
医療フロアを抜けると、エアハルトは廊下の端の窓から外を眺めた。
はるか下の地上から、何本も黒煙が上がっている。そして、目をこらすまでもなく、眼下に戦車群が見える。
エアハルトの記憶の扉が一つ開かれた。あれは、ハイドスメイで見た、アイザレン軍のフロート・タンクだ。……そう、おれは、ハイドスメイに行ったんだ。コーデリアと一緒に。それから、……それからどうなった?
そう考えている間にも、とがった靴のようなフロート・タンクの砲撃が見てとれる。だが、どうも変だ。まるで統率がとれていない。それぞれが右へ左へと、ほとんど乱射しているように見える。『知事』の部隊がかく乱しているのか? でもこれでは、いたずらに街に被害を与えるだけだ。
エアハルトはエレベーターに乗りこんだ。この砲撃の中では危険な選択だが、階段で降りる体力はない。
エアハルトの心は、責任にとらわれていた。記憶がまだ完全に戻っていない状況だが、この緊急事態に手をこまねいていては、なんのためのトップ・エースかわからない。
エアハルトはエレベーターの長い下降にもどかしさを感じ、制服から携帯通信機を取りだすと、局長に連絡をしようとした。しかし、不通だった。着信音すらならなかった。
エアハルトは眉をひそめた。事態がきわめて深刻なことは明らかだった。
一階に到着し、エレベーターのドアが開くと、エアハルトは目を見張った。
知事局の広いエントランスに、『知事』が集まっている。五十人はいるな、とエアハルトは見積もった。ほとんどの者が武器を手に持ち、臨戦状態にある。
しかし、とエアハルトはそちらに近づきながら、『知事』たちのうしろ姿を見渡して、いぶかしさを感じた。エース格が一人もいないのは、なぜだ? おれの知るかぎり、ここにいるのは全員二線級だ。統率する者がいないのはおかしい。
気配を感じた男の『知事』が振り向いて、アッと声をあげた。それで全員が、エアハルトを見るかたちとなった。
異様な雰囲気を、エアハルトはすぐに感じ取った。おれに向けられているこの視線は、蔑視? 敵意? ……なぜだ?
エアハルトはつとめて平静な表情を保ち、声をあげた『知事』のもとに歩いていった。
「いったい、なにが起こっている」
とエアハルトはいった。「いま起きたばかりで、状況がわからん。説明してくれ」
「説明?」とげのある声で、その『知事』は答えた。「説明してもらいたいのは、こっちのほうですよ」
一段と増した周囲の敵意が、エアハルトの身体を圧迫した。ほとんど立っているのもやっとのエアハルトだったが、トップ・エースが弱々しい姿を見せることなど許されない。「知事局」などといえば聴こえはいいが、実態は巨大な檻だ。その中で、力と野心とプライドに満ちあふれた連中がせめぎあっている。いつ寝首をかかれてもおかしくはない、ここはそんな場所なのだ。
エアハルトは涼しい顔で、目の前の『知事』を見た。
「エース格はどこにいる」
先ほどよりも厳しい口調で、エアハルトはいった。「だれでもいい、エース格と話をしたい」
「エース格なんて、どこにもいませんよ」
問われた男は皮肉な笑みを浮かべた。「逃げたか死んだか知りませんけど、ここにいる『知事』は、おれらだけです」
エアハルトは思わず眉間に深くしわを寄せた。エース格が一人もいない? そんなばかな話があるか。コーデリアはどこだ? あいつが、おれに黙って消えるわけがない。
「では、局長はどこにいる」
いら立ちをつのらせたエアハルトは、やや語気を荒くしていった。
そのとき、強烈な爆音と振動が、エントランスを襲った。
その場にいる『知事』たちは、身を伏せる者、逃げ腰で後ろにさがる者、ぼう然として立ちつくす者など、さまざまだった。
だれも士気など持ち合わせていない。これはだめだ、とエアハルトは判断した。ともあれ、ここで油を売っているひまはない。
エアハルトはとっさに、先ほどの男の胸ぐらをつかみ、グッと引き寄せた。
「経緯を説明しろ」表情にも声音にも、おそるべきすごみを効かせて、エアハルトはいった。
「せ、説明って、ど、どこからすればいいんですかね?」
男はおびえながらも、また皮肉な笑みで顔をひきつらせた。
男の話を聞き終えると、エアハルトはすこしの間、無言で立ちつくした。
そして、ふらっと脚を踏み出した。
エアハルトはそのまま、出口に向かって歩いていった。
前方に固まっていた『知事』たちは、いぶかしげな様子を見せながらも、自然と左右に分かれ、道を作った。かれらの刺すような視線を一身に受けても、エアハルトはなにも感じなかった。
──どこへ行こうというんだ、おれは。
出口の前を、急ごしらえのバリケードがふさいでいた。エアハルトはそれを無造作にかきわけて進み、ガラスの自動ドアの前に立った。しかし、ドアは開かなかった。防衛のために電気を遮断したのか、それとも単にアクシデントなのか、そんなことを考える余裕はなかった。
エアハルトはほとんど無意識に、ドアのすきまに両手の指を差しこみ、ギリギリと開いていった。
耳をつんざく砲声、むせぶような砂塵、強烈な熱風、陽光。
たちまちさらされた外の現実にも、エアハルトの心は動かされなかった。後ろの『知事』たちは、エアハルトがそうしてひとりで外に出ていくのを、あっけにとられて見やるしかなかった。
エアハルトは歩いた。
砲火の中を、そしらぬ風に、さまよい歩いた。
頭の中は真っ白だった。
──どこへ行く。
そんな言葉だけが、意味もなくうつろにこだました。
先ほどの『知事』たちの、自分に対する反感の理由は、エアハルトにも十分納得できた。男の話を聞くうちに、エアハルトもまた、ハイドスメイでの戦いを思い出したからだ。そう、おれは、禁じられている薬を使った。最大の禁忌を、おれは犯した。その罰は受けなければならない。
しかしエアハルトが理性的に考えられたのは、そこまでだった。次に男が、コーデリアたちエース格全員の行方不明の件を口にした瞬間、エアハルトは放心した。突然、はてしない空間に捨て置かれたような感覚だった。自分のことも、目の前で起こっている戦闘のことも、どうでもよくなった。コーデリアへの想いだけが、心を支配した。
どこにいる、コーデリア。おまえが死ぬことなど、おれは許さない。おまえは、絶対に生きている。
だからこそ、おれはこうして歩いている。……でも、どこへ? おれは、どこへ行くんだ?
絶え間ない砲撃の轟音と衝撃を間近にしながら、しばらくエアハルトは、あてどもなくふらふらと歩きつづけた。そうしてやがて、十字路にさしかかると、足の向くままそこを曲がった。
その先の奇妙な気配に、エアハルトは、それまでうつむいていた顔を上げた。
十メートルほど前方の路上に、ひとつの光景があった。
白いフードをかぶった異様な者が、民間人と思われる子供と向かいあっている。どちらも剣を構えているが、子供の剣は震えている。そして白い者は、両手の剣をしっかりと構えて子供ににじり寄り、いまにも斬りかかろうとしている。
なにを考えるよりも先に、身体が動いた。
まさに剣が子供に振り下ろされる瞬間に、エアハルトは一陣の風となって割りこみ、その凶刃を、自分の両剣で受けた。




