表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
68/142

クイラ・クーチ・7

 激しい爆音と振動で、エアハルトは目覚めたのだった。

 ──どこにいるんだ、おれは?

 おぼろげな意識の中で、視線を天井にさまよわせ、それから頭を横に向けた。

 仕切りのカーテンが揺れている。その手前には、点滴の下がったスタンドがある。全身になにか窮屈な違和感を感じる。頭の後ろでは、電子音が一定の間隔で鳴っている。

 ──なぜ、おれはこんなところにいる?

 エアハルトの意識は徐々に晴れていったが、自分が病室に寝ている理由はどうしても思い出せなかった。

 エアハルトは、なんとか上半身を起こした。身体中に、医療用のチューブが刺さっている。胸の真ん中にズキリと痛みが走り、エアハルトは思わず顔をしかめた。見れば、肉が盛りあがってふさがった、大きな傷あとがある。だがまだ記憶はもどらない。

 ──ここは、どこの病室だ?

 エアハルトは再び自問しながら、仕切りの反対側の、空しか見えない小窓に目をやった。

 爆音が鳴り響いている。これは砲声か? 断続的な振動も、スタンドの点滴をカタカタと揺らすほど強い。

 エアハルトは、ひとつ深呼吸をした。そして、身体中のチューブを一気にはずすと、ベッドから起き上がった。少しふらふらするが、動けないことはない。

 エアハルトは、ベッドの横の大きなキャビネットの前に行き、なんの気なくそれを開けてみた。

 ──なるほどな。

 エアハルトは中を見て納得した。

 ハンガーにかけられているのは、真新しい白い詰襟の制服に、白いマント。その下の棚には、自分の剣が置かれている。

 たぶん、ここはリターグだ。エアハルトは、自分の病衣に見るともない目をやった。理由はわからないが、おれはリターグの病室にいるのだろう。そして、外はいま、戦闘状態にある。

 エアハルトはすばやく病衣から制服に着替え、マントを羽織り、帯剣した。チューブをはずしたからか、心電図の電子音が一定の高音で鳴りつづけている。エアハルトはちらっと、その巨大な電子機器に視線をやってから、病室を出た。

 ここは、知事局だな。エアハルトはまだおぼつかない足取りで廊下を進みながら、あたりの様子を確認してそう判断した。おれは、知事局の医療フロアにいるのか。それにしても、まったく人が見当たらないのはどういうことだ?

 医療フロアを抜けると、エアハルトは廊下の端の窓から外を眺めた。

 はるか下の地上から、何本も黒煙が上がっている。そして、目をこらすまでもなく、眼下に戦車群が見える。

 エアハルトの記憶の扉が一つ開かれた。あれは、ハイドスメイで見た、アイザレン軍のフロート・タンクだ。……そう、おれは、ハイドスメイに行ったんだ。コーデリアと一緒に。それから、……それからどうなった?

 そう考えている間にも、とがった靴のようなフロート・タンクの砲撃が見てとれる。だが、どうも変だ。まるで統率がとれていない。それぞれが右へ左へと、ほとんど乱射しているように見える。『知事』の部隊がかく乱しているのか? でもこれでは、いたずらに街に被害を与えるだけだ。

 エアハルトはエレベーターに乗りこんだ。この砲撃の中では危険な選択だが、階段で降りる体力はない。

 エアハルトの心は、責任にとらわれていた。記憶がまだ完全に戻っていない状況だが、この緊急事態に手をこまねいていては、なんのためのトップ・エースかわからない。

 エアハルトはエレベーターの長い下降にもどかしさを感じ、制服から携帯通信機を取りだすと、局長に連絡をしようとした。しかし、不通だった。着信音すらならなかった。

 エアハルトは眉をひそめた。事態がきわめて深刻なことは明らかだった。

 一階に到着し、エレベーターのドアが開くと、エアハルトは目を見張った。

 知事局の広いエントランスに、『知事』が集まっている。五十人はいるな、とエアハルトは見積もった。ほとんどの者が武器を手に持ち、臨戦状態にある。

 しかし、とエアハルトはそちらに近づきながら、『知事』たちのうしろ姿を見渡して、いぶかしさを感じた。エース格が一人もいないのは、なぜだ? おれの知るかぎり、ここにいるのは全員二線級だ。統率する者がいないのはおかしい。

 気配を感じた男の『知事』が振り向いて、アッと声をあげた。それで全員が、エアハルトを見るかたちとなった。

 異様な雰囲気を、エアハルトはすぐに感じ取った。おれに向けられているこの視線は、蔑視? 敵意? ……なぜだ?

 エアハルトはつとめて平静な表情を保ち、声をあげた『知事』のもとに歩いていった。

「いったい、なにが起こっている」

 とエアハルトはいった。「いま起きたばかりで、状況がわからん。説明してくれ」

「説明?」とげのある声で、その『知事』は答えた。「説明してもらいたいのは、こっちのほうですよ」

 一段と増した周囲の敵意が、エアハルトの身体を圧迫した。ほとんど立っているのもやっとのエアハルトだったが、トップ・エースが弱々しい姿を見せることなど許されない。「知事局」などといえば聴こえはいいが、実態は巨大な檻だ。その中で、力と野心とプライドに満ちあふれた連中がせめぎあっている。いつ寝首をかかれてもおかしくはない、ここはそんな場所なのだ。

 エアハルトは涼しい顔で、目の前の『知事』を見た。

「エース格はどこにいる」

 先ほどよりも厳しい口調で、エアハルトはいった。「だれでもいい、エース格と話をしたい」

「エース格なんて、どこにもいませんよ」

 問われた男は皮肉な笑みを浮かべた。「逃げたか死んだか知りませんけど、ここにいる『知事』は、おれらだけです」

 エアハルトは思わず眉間に深くしわを寄せた。エース格が一人もいない? そんなばかな話があるか。コーデリアはどこだ? あいつが、おれに黙って消えるわけがない。

「では、局長はどこにいる」

 いら立ちをつのらせたエアハルトは、やや語気を荒くしていった。

 そのとき、強烈な爆音と振動が、エントランスを襲った。

 その場にいる『知事』たちは、身を伏せる者、逃げ腰で後ろにさがる者、ぼう然として立ちつくす者など、さまざまだった。

 だれも士気など持ち合わせていない。これはだめだ、とエアハルトは判断した。ともあれ、ここで油を売っているひまはない。

 エアハルトはとっさに、先ほどの男の胸ぐらをつかみ、グッと引き寄せた。

「経緯を説明しろ」表情にも声音にも、おそるべきすごみを効かせて、エアハルトはいった。

「せ、説明って、ど、どこからすればいいんですかね?」

 男はおびえながらも、また皮肉な笑みで顔をひきつらせた。


 男の話を聞き終えると、エアハルトはすこしの間、無言で立ちつくした。

 そして、ふらっと脚を踏み出した。

 エアハルトはそのまま、出口に向かって歩いていった。

 前方に固まっていた『知事』たちは、いぶかしげな様子を見せながらも、自然と左右に分かれ、道を作った。かれらの刺すような視線を一身に受けても、エアハルトはなにも感じなかった。

 ──どこへ行こうというんだ、おれは。

 出口の前を、急ごしらえのバリケードがふさいでいた。エアハルトはそれを無造作にかきわけて進み、ガラスの自動ドアの前に立った。しかし、ドアは開かなかった。防衛のために電気を遮断したのか、それとも単にアクシデントなのか、そんなことを考える余裕はなかった。

 エアハルトはほとんど無意識に、ドアのすきまに両手の指を差しこみ、ギリギリと開いていった。

 耳をつんざく砲声、むせぶような砂塵、強烈な熱風、陽光。

 たちまちさらされた外の現実にも、エアハルトの心は動かされなかった。後ろの『知事』たちは、エアハルトがそうしてひとりで外に出ていくのを、あっけにとられて見やるしかなかった。

 エアハルトは歩いた。

 砲火の中を、そしらぬ風に、さまよい歩いた。

 頭の中は真っ白だった。

 ──どこへ行く。

 そんな言葉だけが、意味もなくうつろにこだました。

 先ほどの『知事』たちの、自分に対する反感の理由は、エアハルトにも十分納得できた。男の話を聞くうちに、エアハルトもまた、ハイドスメイでの戦いを思い出したからだ。そう、おれは、禁じられている薬を使った。最大の禁忌を、おれは犯した。その罰は受けなければならない。

 しかしエアハルトが理性的に考えられたのは、そこまでだった。次に男が、コーデリアたちエース格全員の行方不明の件を口にした瞬間、エアハルトは放心した。突然、はてしない空間に捨て置かれたような感覚だった。自分のことも、目の前で起こっている戦闘のことも、どうでもよくなった。コーデリアへの想いだけが、心を支配した。

 どこにいる、コーデリア。おまえが死ぬことなど、おれは許さない。おまえは、絶対に生きている。

 だからこそ、おれはこうして歩いている。……でも、どこへ? おれは、どこへ行くんだ?

 絶え間ない砲撃の轟音と衝撃を間近にしながら、しばらくエアハルトは、あてどもなくふらふらと歩きつづけた。そうしてやがて、十字路にさしかかると、足の向くままそこを曲がった。

 その先の奇妙な気配に、エアハルトは、それまでうつむいていた顔を上げた。

 十メートルほど前方の路上に、ひとつの光景があった。

 白いフードをかぶった異様な者が、民間人と思われる子供と向かいあっている。どちらも剣を構えているが、子供の剣は震えている。そして白い者は、両手の剣をしっかりと構えて子供ににじり寄り、いまにも斬りかかろうとしている。

 なにを考えるよりも先に、身体が動いた。

 まさに剣が子供に振り下ろされる瞬間に、エアハルトは一陣の風となって割りこみ、その凶刃を、自分の両剣で受けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ