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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
63/142

クイラ・クーチ・2

 フン、と、通りの様子をながめていたクイラ・クーチは、ふと鼻を鳴らした。切れ長の目は、どこへか避難しようとする人から人へと、すばやく移っていく。

 ──ざまみろ。

 クイラは心であざ笑った。

 あたしをさんざんしいたげてきた連中が、虫けらのように逃げていく。荷物をかかえて、わき目も振らずに、ぞろぞろと。でも、どこに逃げたって、きっとあたしと同じ、みじめな境遇になる。そのときはじめてわかるってわけだ、あんたたちがさげすんできた、あたしの気持ちが。

 クイラはくるっときびすを返すと、狭い路地を荒っぽく歩いていった。

 ──あたしは、絶対に生き延びる。

 クイラの目は燃え上がるようだった。

 死んでたまるか。生きて生きて生きぬいて、この地獄から這いあがって、絶対にみんなを見かえしてやる。そう、絶対に。

 貧しい家々が建ちならぶ界隈だが、前方には、山のように巨大な、キラキラと輝く知事局がある。

 その町並みのコントラストは、聖地というイメージには、あまりふさわしいものではなかった。

 しかし、これが現実だった。リターグにも貧富の差はある。

 そしてクイラは、極貧の中で生まれ、育った。


 クイラには親の記憶がなかった。生まれてすぐに両親を病でなくし、祖母に引き取られたからだ。

 そこは貧しい家だった。物心がついたときには、もう祖母の細々とした内職を手伝わされていた。

 満足に物を食べられない厳しい生活だったが、祖母は十年の間、クイラを育てた。

 そしてその祖母が死ぬと、ほかに身寄りのないクイラは、ごく自然に路上生活者になった。

 わずか十歳での路上生活。おそらく、クイラの持つ特殊な力がなければ、一年と持たずにのたれ死んでいたにちがいない。

 クイラの身体能力と反射神経は、尋常ではなかった。

 十歳のひよわな子供が何日も路上にたたずんでいれば、嫌なやつらがやってくる。クイラはそんな連中を、ことごとく叩きのめした。大の男でも、まるで相手にならなかった。

 容赦なく骨を折り、奪い取った刃物で肉を刺した。

 倒れこんで震えおののく男たちを、クイラはいつも不思議そうに見おろした。わけがわからない。なんでこいつら、こんなに弱いの?

 やがて界隈でうわさが広まり、ちょっかいを出す者はいなくなった。

 しかしクイラにとってはそんなことよりも、どう食べていくかが問題だった。

 本当なら、だれかほかの路上生活者から教えてもらうのがいいのだろうけど、いまではだれも、目も合わせてくれない。

 はじめのひと月ほどは、それでも店から食べ物を盗ったり、自然に生えているものを食べて暮らしていたが、それも限界だった。

 クイラは必死で考えた。

 あたしにできること。とにかく、お金が欲しい。中には、土で作った楽器を吹いたり、アクロバットをしたり、いろいろと見世物をしてお金を稼いでいる人たちもいる。あたしは、なにができるだろう。こんな、まるで小石みたいにちっぽけなあたしに。

 小石。クイラは、ふっと思った。

 あたしと同じくらいの子供たちは、いつもあたしに石を投げてきた。なにかよくわからない悪口をいいながら、何度も何度も投げてきた。でも、一度も当たらなかった。あんまり石が遅いから。それで、あたしが全部避けると、あの子たちはムキになって、いつもひどいことを叫んで、走り去っていった。その子たちも、いつからか、あたしを避けるようになったな。

 思いついた見世物は、クイラにとって、ほとんど天職のようなものだった。ほかの者にまねのできることではなく、それだけに、クイラの見世物はたちまち人気となった。

 簡単なことだ。客は一定の距離から、石をクイラに向かって投げる。それを、クイラが見事に避けるというものだった。

 石など、その辺にいくらでも転がっている。それを、十個、二十個単位で、金と引きかえに渡し、投げさせるのだ。

 大成功だった。クイラの驚くべき反射神経の前では、だれがどう投げてもかすりもしなかった。ときには複数の者が同時に投げたりもしたが、まったく問題にならなかった。

 およそ五年間、クイラはこの見世物のおかげで、こうして生きてこられたのだった。

 いちばん人の集まる、知事局周辺の区画を縄張りに、クイラは独立独歩で生きつづけた。

 その間、学ぶこともあった。特に、自分の見世物に関して。

 あまり避けすぎると、客はいらだち、しまいには怒り出す。

 その理由がクイラにはよくわからなかったが、食べていくためには、なんとかしなければいけない。

 そこで、クイラはわざと石に当たるようにした。

 客の顔色をうかがい、頃合いを見はからって、あたかも避けようとして当たったように見せかけた。それでみんな満足した。

 クイラの身体は、あざだらけになった。顔面もだ。それでも、客は石を投げたがり、当たると喜んだ。

 反対に、クイラの心には、憎しみがつのっていった。あらゆる他人に対する憎悪。

 敵意に満ちた目の投石者。まわりで哄笑する観客。

 石がぶつかる。わっと人が湧く。あたしのことなんか、だれも気づかってくれない。

 あたしは痛みで思わず当たったところに手を持っていく。その間に、人々が去っていく。

 同じことのくりかえし。石と人、そして痛み。

 特に寝そべると、ズキズキ痛む。あまりに痛くて眠れないこともある。そんなときは、歯を噛みしめて、じっと一点をにらみつける。

 泣いたらすべてが台無しになる、なぜかそんな気がする。だからあたしは、絶対泣かない。いままでも、これからも。

 クイラが女だということを知る者はだれもいなかった。祖母の家にいるころから、髪は自分で短く切っていたし、身体つきも服も靴も、女らしさとは無縁のものだった。さらにそのとてつもない強さを見せつけられれば、疑いを持ちようもない。

 クイラとしても好都合だった。女だと知られると、よけい面倒な男どもが集まってくる。

 それに、見世物にも差し障る。あたしのことを男だと思っているから、みんな思いきり石を投げてくるんだ。もし女だとわかったら、男どもは後ろめたくなって、石を買ってくれなくなるだろう。観客の女たちも、同情して止めようとするだろう。

 でも、あんたらの善意はそこまでだ。あたしを家に迎え入れて、育ててくれることなんて決してない。女だと気づかれたら、あたしは食えなくなるんだ。

 でも、と、いまクイラは路地を歩きながら、自分の胸の張りに意識をやった。

 これだけは、どうしようもないんだな。

 あきらめと、苦悩。なのに、その心の奥では、なぜかほんの少しうれしい。

 いつからか急にふくらみはじめた胸。まだ張ってきたばかりで、触ると痛い。でも石をあてられた痛みとは全然ちがう。身体の内側から、あったかくなるような、強くなっていくような。痛いのに、なにか〝希望〟みたいなものが、目の前にひらけるような。

 よくわからないけど、たぶんすごく大事なことだ。だからあたしは絶対、胸に石を当てさせない。胸をかばうから、あたしの腕や肩は、ほかよりもあざが多い。赤かったり、青かったり、黒かったり。

 でもそれは、胸を守ってきた証だ。あたしはそんな両腕のあざを、誇りに思う。

 いつか、このダボダボの服でも隠せないくらい、胸は大きくなるだろう、と、クイラは路地の出口に向かいながら思った。

 たぶん、石当ての見世物もできなくなる。そうしたら、どうしようかな。

 クイラは、さきほどとは反対側の大通りに出た。

 目の前でフロート・タンクが音を立てて停まっている。

 周囲の喧騒が、にわかに緊迫している。

 どこかで女の叫び声がした。

 なにかが近づいてくる。

 ……空?

 クイラがとっさに顔を上に向けた直後、強烈な爆発音が耳をつんざいた。それは、地上部隊の突入を支援する、敵の爆撃機の急降下爆撃の音だった。

 一帯は、もはや砂煙どころの騒ぎではなかった。対空砲撃の音がする。フロート・タンクは、きたるべき地上戦にそなえ、爆撃に巻きこまれないよう、後退していく。

 クイラは空をにらみつけたまま、立ちつくしていた。

 ──あたしは、絶対に生き延びてやる。

 黒煙がいくつもあがる青空に、クイラは誓った。


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