決断・3
甘い香りがする。
あとは金属、油、あるいは汗、ほこり。もしくは、革のにおい。
なんにせよ、その甘いフルーツ・フレーバーは、この無骨な場所にあって、場違いでもあり、ほとんど嘲笑的といってもよかった。
人の放つ感情のにおいを、嗅ぎわけられるような動物は、はたしているのだろうか。
もしいるとしたら、いまこの場にある一触即発の空気は、どんなにおいとして嗅がれるのか。電気臭か? いや、猛獣などには、これこそ甘美な香りなのかもしれない。
ここは、飛行船用のシャトル・ポートだ。
それも、ラザレク皇軍の、特殊作戦や緊急時にだけ用いられる、非公式の場所だった。
郊外の地下施設で、地上は軍の演習場になっていた。
いまは五隻ほどの飛行船が、その地下のポートで、重いエンジン音を響かせている。ずんぐりとした長方形で、民間の飛行輸送船のようだが、実際はそれに偽装した、軍用の飛行艦だった。
しかし、そんな軍のポートにもかかわらず、兵士の姿はなかった。
かわりに奇妙な一団が、飛行艦の前に立っている。
一団といっても、ほんの数人だ。
このレガン大陸で、かれらの存在を知る者は、きわめて限られている。ふつうは、知る必要もないのだ。
目にすれば、なんだこの連中は、とほとんどの者が眉をひそめるだろう。
一人は、黒光りする装甲服に、黒いフード、ひざ下まである黒い戦闘用のチュニックという出で立ちで、異様に大柄だ。
となりには、白くなまめかしいような装甲服に、白色のフード、白いチュニック姿の、細身の者がいる。
そしてふたりの正面には、ミニのTシャツに短パン、履きつぶしたブーツという格好の少女が立っている。髪を両側で無造作にたばね、化粧っ気のない顔にはそばかすが浮いている。
少女の名前は、ナードといった。
そのナードの瞳は、凶悪なまでにらんらんと光り、唇の端でキャンディ・スティックの白い棒が、イライラと小刻みに上下している。
「不要」と、黒い者が口を開いた。機械を通したような、耳障りな音だ。
「同意」と、白い者が応じた。同じ声音だが、少し細い声だ。どちらにしても、感情が読み取れない。
そして無機質なのは、声だけではない。二人のなめらかな灰色の顔は、遠目には生身に見えるが、近くで見れば、精巧な義顔だとわかる。
黒いほうはむっつりとしていて、白いほうは、かすかにほほ笑んでいる。
二人とも、その表情のまま変わることはない。眉毛もまつ毛もない。
頭をすっぽりと覆うフードは肩まで垂れさがり、毛髪の一本も見えない。どちらのフードにも、呪文のような金色の細かい模様がびっしりとあしらわれている。
「ウザい、ウザい!」ナードは、キャンディ・スティックを噛みちぎらんばかりの顔で、二人をにらみつけていった。「殺すよ殺すよ?」
「不能」黒いほうがいった。
「同意」白いほうも即座に応じた。
ナードの身体が、フッと後ろに退いた。背中には、常人では持ち上げることも困難な重さの、巨大なスナイパー・ライフルが入ったケースをかついでいる。
ナードはそのケースを、ブン、と前に振りまわして、ドカッと地面に突き立てた。
「やっちゃうやっちゃう♪」
ナードの狂気の笑顔がはじける。それを見て、細身の白い者が、ナードの横にまわりこむようにスッと動いた。腰にある二本の刀剣が、存在感を放つ。臨戦の構えだった。
「やめよ!」
と、そのとき、女の鋭い声がした。つづいて足音がする。
ナードと白い者は、睨みあったまま固まっている。黒い者だけが、その声の主に顔を向けた。
「さがれ、ナード、クード」
幼い声だが、不思議と、従わなければならないような威厳がある。
漆黒のマントに身を包んだ少女だった。後ろに引きつめて束ねた一本の髪が、歩みにあわせて大きく揺れている。
「意外」と、クードと呼ばれた白い者がつぶやき、慎重にナードから距離を取った。
「同意」と、黒い者もつぶやいた。
ケッ、とナードは吐き捨てるように声をあげ、立てたケースをすばやく背負いなおした。
飛行艦のエンジン音が、出航を待っている。その音は、いつでも飛べる、と吠えているようだ。その雄々しい騒音をぬって、少女は歩いてくる。
「ニド」黒い者は、やってきた少女に平板な声をかけた。
「異例」クードと呼ばれた白いほうもそういって、もとにいた場所に戻った。
「ナードも連れていけ、ジュード」
ニドは、巨体の黒い者を見あげていった。
「異議」ジュードと呼ばれた者は、すぐに返答した。
「同意」クードも合わせていった。
「クソがクソが!」
ナードが、クードとジュードをにらみつける。口から伸びるキャンディ・スティックが、ギリギリと噛まれて天を向いた。
「問答は無用」ニドは淡々とした調子でいった。「イドが決めたことだ」
沈黙が降りた。
「ビューレン」ジュードが口を開いた。
「反感」クードもいう。
「われを怒らせるか?」ニドの鋭い声が飛んだ。
「……妥協」間をはさんで、ジュードはそう答えた。そしてニドに背を向けて、飛行艦のスロープを上っていった。
「遺憾」とクードもいい残して、ジュードの後につづいた。
ナードはその場にとどまり、向かいあったニドの顔を、じっと見つめた。
「ありがとありがと」
やがてナードはやわらかくそういうと、おもむろに短パンのポケットからスティック・キャンディを取り出し、ニドに勢いよく差し出した。
ニドがキャンディを受け取ると、ナードはニッと笑って、巨大なケースをかついだまま、スロープを駆け上っていった。
ほどなく、五隻の飛行艦は、開けられた天井から次々に浮上していった。
それを見送るニドの顔には、表情らしい表情はうかがえなかった。
ただ唇からは、ナードにもらったキャンディのスティックが、しっかりと突き出ていた。