リターグの『知事』・3
そのあとのレダの反応を見て、リディアを急いで退室させたのは、局長の賢明な判断だった。というのも、オフィスはたちまち不穏な空気になったからだ。
「お姫さまの、おもり、だと!」
レダは笑みをひきつらせてレドムにつめ寄った。
レドムはデスクの椅子に戻り、脚を組んで深々と座っていた。
「あたしに、あの女の下につけっていうのか? このあたしに?」
レドムはおどけるように、お手上げのジェスチャーをした。
これは、なにをいってもだめそうだ、とサヴァンは、二人のやりとりを横で見ながら思った。
ここにきて、このレドムという人間が、すこしわかった気がする。他人の意見をのらりくらりとかわしながら、すっとぼけた言動を続けて、最後は結局自分の意見を通してしまう、そんなタイプにちがいない。
しかも立場は上司と部下。お手上げのジェスチャーをしたいのはこっちのほうだ。
「そんなもん、軍の兵士にやらせりゃいいだろ!」
レダは上司も部下もない調子で、まだがんばっていた。
「あたしはこの任務、拒否する」
「おまえはどうだ、サヴァン?」
なにごともなかったように、レドムがサヴァンに話を向けた。
「……自分は、命令にしたがいます」
サヴァンがそう答えると、レダはキッと振り向いて、今度はサヴァンにつめ寄った。
「変態」
「は?」
「おまえ、あいつがかわいいからそんなこというんだろ。この変態!」
「そうなのか、サヴァン?」
レドムが冗談か本気かわからない表情でいった。
「どんな任務でも、局内にいるよりはましだというだけです」
サヴァンはうんざりして答えた。
「いまのままでは、なんのために『知事』になったのかわかりませんから。……しかし局長、なぜ我々なんですか?」
これはぜひとも聞いておかなければ、とサヴァンは思った。
『知事』にも、暗黙のランクがある。おれやレダみたいに、無駄飯を食ってごろごろしているだけのやつは、いうまでもなく最低ランク、いや、ランク外だ。局内にはまだ何人も、数々の任務をこなしたエース格が残っている。
注目を集めている悲劇の王女の移送警護、それも戦時下。こんなのは、エアハルトみたいなトップ・エースがあたる任務のはずだ。
「なに、別にたいした理由じゃない」とレドムは軽い口調でいった。
「スムーズに連携がとれる男女、ということで君らをピックアップしたまでだ。この任務の性質上、男だけでは、なにかと行き届かないだろうからな」
「それなら、エアハルトとコーデリアがいるじゃないですか」
「かれらには、別の任務がある」
なんか、すっきりしないな、とサヴァンは思った。
この程度の条件なら、ほかに適合者はいくらでもいるはずだ。わざわざ底辺の自分たちを選ぶ理由にはならない。
「まだ、納得いかないか?」
レドムはじろりとサヴァンを見た。
サヴァンは答えるかわりに視線をそらした。
「なら、付け足そう」
とレドムはいった。
「〝最悪の状況におちいっても、殿下を守りきれる男女〟。これでどうだ?」
ほとんど無意識に、サヴァンはなんの表情もない顔で、レドムを見つめた。視線の先に、自分の上司ではなく、なにか別のものを見ている風だった。ふしぎな、冷めた顔つきだった。そんなサヴァンを、レダはするどい目で観察していた。
「わかりました」
やがてサヴァンは静かに答えた。そして我にかえったように、ハッと表情を取り戻し、レダに顔を向けた。
「おまえは、どうする?」
「あの女のおもりはいやだ」
レダはツンとして答えた。「でも、ここに残るのは、もっといやだ」
「決まりだな」とすかさずレドムがいって、腕時計に目をやった。
「昼にブリーフィングをして、今夜には発ってもらう。すぐしたくをしてくれ」
オフィスを出て、長い廊下をまた歩きはじめると、緊張がとけたサヴァンは、思わず安堵の息をはいた。しかし安らかな気分はたちまち消え去り、あとには心配だけが残された。
──エントールの首都まで、王女を護衛、か。
サヴァンは考えをめぐらせた。
さすがに軽飛行機で乗りこむわけにもいかないから、飛行船での航行になるだろう。飛行艇一隻でも二日、船団を組んだら五日はかかるにちがいない。そのあいだに、アイザレン軍にでも出くわしたらどうする?
……それに、と、サヴァンは、ならんで歩くレダに顔を向けた。レダはさっきから、フフフフフ、と気味の悪い忍び笑いをしていて、目はらんらんと光っている。
「どうした、なんか変なものでも食ったか?」
「リターグを出られるんだ!」
レダはサヴァンの軽口を無視して、感極まった声でいった。
「この牢獄から、ようやく出られるんだぞ! いっとくけどな、サヴァン。エントールが気に入ったら、あたしはリターグには戻らないからな!」
おまえも亡命するつもりかよ、とサヴァンは苦笑いした。まあ、それならそれでも結構。ちょうどいい縁切りになるかもしれない。今日までおれは、どれだけおまえの無鉄砲に振りまわされてきたことか。
そこまで考えて、サヴァンはふと思った。
そうだ、この任務には、もうひとつ問題がある。
あのお姫さまとレダ、その間で、右往左往するおれ。そんな光景が、いまからはっきりと目に浮かぶようだ。
……スムーズに連携がとれる男女、か。やっぱり、人選ミスじゃないだろうか。
「エントールは、戦渦の真っただ中だからなあ」
サヴァンは急にぐったりとした気分になって、力なくいった。「もし住むなら、人里はなれたところにしたほうがいいよ」
「なーんだ、サヴァン、元気ないな?」
レダはサヴァンの顔をのぞきこんで、背中をバシンとたたいた。
「心配するな。あたしがいれば、アイザレン軍だろうが、中枢卿団だろうが、どーってことないぞ!」
静まりかえっている廊下に、レダの高笑いが響き渡った。
*
なんとも中途半端な面会を終えて、知事局内の宿泊部屋に戻ったリディアは、小さく息をつき、重い脚をひきずってソファーまで行くと、そこに倒れこむように腰をおろした。
疲れのせいだけではない虚脱感が全身に広がっている。目の焦点さえどうしても定まらない。
さっきはよく持ちこたえたものだ、と、リディアは自分の気力に我ながらおどろいた。
聖地といわれるリターグが、あまりにもありふれた町であることには、リディアはすこし拍子抜けした。
この知事局という施設も、快適なここの部屋も、窓から見える街並みも、これまで会った人たちも、なにからなにまで、秘所や聖地という感じじゃない。
とはいっても、リターグに着いたのは、たったの三日前。
それも一日目はずっと眠りつづけて、二日目も病室で過ごし、ようやく起きて歩けるようになったのは昨日のことだ。よく知るようになれば、またちがった感想を持つかもしれない。
でも、ここにはもう長くはいないのだし、わたしには、どうでもいいことだ。
ソファーに縮こまるように身をうずめながら、リディアは自然と、三日前のナザンでのことを思い返そうとした。
しかし、途中から記憶がない。
覚えているのは、あのユース・ヴァンゼッティの、地面に倒れたおそろしい顔を見たところまで。それから先は、どうやってリターグにたどり着いたのか、まったく覚えていない。
マッキーバという男からどうして逃れることができたのか、それが気になってしかたなかったが、どうしても思い出せない。
ただ、わたしはなにか言葉を、それも、わたしの知らない言葉を口にしたような、そんな気がする。でも、知らない言葉なら、なおさら思い出しようがない。
昨日のうちに、リディアは知事局の病棟から宿泊用の部屋に移され、すぐに局長と面会をした。そこではじめて、ナザンの陥落を知った。
生まれ育った、砂の町。きびしくも美しい砂漠、やさしい曲線の砂丘。
町の、ほがらかな人々。侍女との取りとめのない語らい。父。
最期に口にした「お父さま」という言葉は、ほんの幼いころに使ったきりだった。
リディアは遠くを見つめる目を、無意識に横に流した。
「達者でな」という、父のやわらかい声が、いまも身体を包んでいる。
あのときわたしが流した涙は、消えてはいない。それは、この両頬にきざまれた。わたしはもう、昔の自分には戻れない。
リディアは両肩を抱いて、うつむいた。
身体はかすかに震えていた。
*
「はぁ……」
と、ケイ・エルフマンは、豪華な一室のベッドにあおむけになって、息をついた。
「こんなことになるなら、やはり父親を人質にでもするんでしたわ」
「いまさら、しかたありません」
と、となりに寝そべるピットが苦笑まじりにいった。
二人とも裸だった。
ベッドは乱れ、ほてった空気が充満していた。
ナザンから二千キロ南西の、空の上のことだ。数隻の飛行艦が、まっすぐ航行していた。その中の、ひときわ大きい飛行艦の寝室に、二人はいた。
リディアがサヴァンとレダに会った、その日の夜のことになる。
「それに、人質などをとれば、ますます団長のご機嫌を……」
「団長のことはいわないでちょうだい」
ピットがいい終わる前に、エルフマンがきつい声でいった。
ピットは無言でやりすごした。
「……針路のことですけど」
しばらくして、エルフマンが口を開いた。
「本当に、これでいいのね? あの娘がリターグから出てこなかったら、わたくし、怒りますからね」
「まちがいありません」
ピットはすぐに答えた。もう何度もくりかえした会話なのだ。
「小国のリターグに、娘をかくまう力はないのですから。戦線が拡大していないこの時期に、かならずエントールに亡命させます」
「ナザンも心配ですわ」
エルフマンはいった。
「残してきたわたくしの本隊と、あの師団、もめていなければいいですけど」
大丈夫ですよ、と安心させるようにいったピットだったが、内心では、これはなんともいえない、と感じていた。
なにせ、軍部の一個師団を、むりやり吸収してしまったのだ。
わが副団長エルフマンがひきいる、中枢卿団の部隊は、強力な飛行艦隊とえりすぐりの団員で構成されてはいるが、多勢に無勢、かさにかかって反抗されたらひとたまりもない。せめて自分だけでも、とどまるべきだったかもしれない。
──なんにせよ、早くかたをつけたい。
エルフマン隊副長ピットは、そう考えていた。
エントール皇国とヴァキ砂漠の間には、長大な山脈がつらなっている。そして、これが国境となっていた。
エルフマンたちは、飛行艦隊の旗艦と数隻の護衛艦だけで、この山脈へと突き進んでいた。
リディアがエントールに入るのを、なんとしても阻止したい。
それがかれらの思惑だった。
「辺境の娘ひとりに、なんの価値があるのか知りませんけど」
突き放すようにエルフマンがいった。
「命令は命令ですわ。かならず捕らえます。もうエントールに入っていたら、話は別ですけど」
「まだ三日です。それはないでしょう」
「そう」
と軽快にいって、エルフマンはおもむろにピットのほほにキスをして、ベッドから出ると、白いガウンを羽織った。
「定時報告がまだよ、新師団長殿」
エルフマンは髪をかき上げながら、からかう調子でいった。
「特に変化はありません」
少しとまどった笑みを浮かべて、ピットは答えた。
「中央戦線も、西部戦線も、こう着したままです。中央は、ハイドスメイが思った以上に強固です。このままですと、卿団が介入することになるかもしれません」
「どうせ、ルケあたりがしゃしゃり出てくるのでしょう」
おもしろくもないという風にエルフマンはいった。「国内はどう?」
「マッキーバ殿が帝都にとどまるか、それとも」
「またカイトレイナに戻るかわからない、でしょ」
ピットをさえぎって、エルフマンはいらだった声でいった。
「あんな役立たずのことなんか、どうでもよくてよ!」
そういい残すと、エルフマンは荒い足取りで、バス・ルームに向かっていった。
ピットはベッドから半身を起こし、そんなエルフマンのうしろ姿を、複雑な表情で見守った。