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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
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リターグの『知事』・3

 そのあとのレダの反応を見て、リディアを急いで退室させたのは、局長の賢明な判断だった。というのも、オフィスはたちまち不穏な空気になったからだ。

「お姫さまの、おもり、だと!」

 レダは笑みをひきつらせてレドムにつめ寄った。

 レドムはデスクの椅子に戻り、脚を組んで深々と座っていた。

「あたしに、あの女の下につけっていうのか? このあたしに?」

 レドムはおどけるように、お手上げのジェスチャーをした。

 これは、なにをいってもだめそうだ、とサヴァンは、二人のやりとりを横で見ながら思った。

 ここにきて、このレドムという人間が、すこしわかった気がする。他人の意見をのらりくらりとかわしながら、すっとぼけた言動を続けて、最後は結局自分の意見を通してしまう、そんなタイプにちがいない。

 しかも立場は上司と部下。お手上げのジェスチャーをしたいのはこっちのほうだ。

「そんなもん、軍の兵士にやらせりゃいいだろ!」

 レダは上司も部下もない調子で、まだがんばっていた。

「あたしはこの任務、拒否する」

「おまえはどうだ、サヴァン?」

 なにごともなかったように、レドムがサヴァンに話を向けた。

「……自分は、命令にしたがいます」

 サヴァンがそう答えると、レダはキッと振り向いて、今度はサヴァンにつめ寄った。

「変態」

「は?」

「おまえ、あいつがかわいいからそんなこというんだろ。この変態!」

「そうなのか、サヴァン?」

 レドムが冗談か本気かわからない表情でいった。

「どんな任務でも、局内にいるよりはましだというだけです」

 サヴァンはうんざりして答えた。

「いまのままでは、なんのために『知事』になったのかわかりませんから。……しかし局長、なぜ我々なんですか?」

 これはぜひとも聞いておかなければ、とサヴァンは思った。

 『知事』にも、暗黙のランクがある。おれやレダみたいに、無駄飯を食ってごろごろしているだけのやつは、いうまでもなく最低ランク、いや、ランク外だ。局内にはまだ何人も、数々の任務をこなしたエース格が残っている。

 注目を集めている悲劇の王女の移送警護、それも戦時下。こんなのは、エアハルトみたいなトップ・エースがあたる任務のはずだ。

「なに、別にたいした理由じゃない」とレドムは軽い口調でいった。

「スムーズに連携がとれる男女、ということで君らをピックアップしたまでだ。この任務の性質上、男だけでは、なにかと行き届かないだろうからな」

「それなら、エアハルトとコーデリアがいるじゃないですか」

「かれらには、別の任務がある」

 なんか、すっきりしないな、とサヴァンは思った。

 この程度の条件なら、ほかに適合者はいくらでもいるはずだ。わざわざ底辺の自分たちを選ぶ理由にはならない。

「まだ、納得いかないか?」

 レドムはじろりとサヴァンを見た。

 サヴァンは答えるかわりに視線をそらした。

「なら、付け足そう」

 とレドムはいった。

「〝最悪の状況におちいっても、殿下を守りきれる男女〟。これでどうだ?」

 ほとんど無意識に、サヴァンはなんの表情もない顔で、レドムを見つめた。視線の先に、自分の上司ではなく、なにか別のものを見ている風だった。ふしぎな、冷めた顔つきだった。そんなサヴァンを、レダはするどい目で観察していた。

「わかりました」

 やがてサヴァンは静かに答えた。そして我にかえったように、ハッと表情を取り戻し、レダに顔を向けた。

「おまえは、どうする?」

「あの女のおもりはいやだ」

 レダはツンとして答えた。「でも、ここに残るのは、もっといやだ」

「決まりだな」とすかさずレドムがいって、腕時計に目をやった。

「昼にブリーフィングをして、今夜には発ってもらう。すぐしたくをしてくれ」


 オフィスを出て、長い廊下をまた歩きはじめると、緊張がとけたサヴァンは、思わず安堵の息をはいた。しかし安らかな気分はたちまち消え去り、あとには心配だけが残された。

 ──エントールの首都まで、王女を護衛、か。

 サヴァンは考えをめぐらせた。

 さすがに軽飛行機で乗りこむわけにもいかないから、飛行船での航行になるだろう。飛行艇一隻でも二日、船団を組んだら五日はかかるにちがいない。そのあいだに、アイザレン軍にでも出くわしたらどうする?

 ……それに、と、サヴァンは、ならんで歩くレダに顔を向けた。レダはさっきから、フフフフフ、と気味の悪い忍び笑いをしていて、目はらんらんと光っている。

「どうした、なんか変なものでも食ったか?」

「リターグを出られるんだ!」

 レダはサヴァンの軽口を無視して、感極まった声でいった。

「この牢獄から、ようやく出られるんだぞ! いっとくけどな、サヴァン。エントールが気に入ったら、あたしはリターグには戻らないからな!」

 おまえも亡命するつもりかよ、とサヴァンは苦笑いした。まあ、それならそれでも結構。ちょうどいい縁切りになるかもしれない。今日までおれは、どれだけおまえの無鉄砲に振りまわされてきたことか。

 そこまで考えて、サヴァンはふと思った。

 そうだ、この任務には、もうひとつ問題がある。

 あのお姫さまとレダ、その間で、右往左往するおれ。そんな光景が、いまからはっきりと目に浮かぶようだ。

 ……スムーズに連携がとれる男女、か。やっぱり、人選ミスじゃないだろうか。

「エントールは、戦渦の真っただ中だからなあ」

 サヴァンは急にぐったりとした気分になって、力なくいった。「もし住むなら、人里はなれたところにしたほうがいいよ」

「なーんだ、サヴァン、元気ないな?」

 レダはサヴァンの顔をのぞきこんで、背中をバシンとたたいた。

「心配するな。あたしがいれば、アイザレン軍だろうが、中枢卿団だろうが、どーってことないぞ!」

 静まりかえっている廊下に、レダの高笑いが響き渡った。


  *


 なんとも中途半端な面会を終えて、知事局内の宿泊部屋に戻ったリディアは、小さく息をつき、重い脚をひきずってソファーまで行くと、そこに倒れこむように腰をおろした。

 疲れのせいだけではない虚脱感が全身に広がっている。目の焦点さえどうしても定まらない。

 さっきはよく持ちこたえたものだ、と、リディアは自分の気力に我ながらおどろいた。

 聖地といわれるリターグが、あまりにもありふれた町であることには、リディアはすこし拍子抜けした。

 この知事局という施設も、快適なここの部屋も、窓から見える街並みも、これまで会った人たちも、なにからなにまで、秘所や聖地という感じじゃない。

 とはいっても、リターグに着いたのは、たったの三日前。

 それも一日目はずっと眠りつづけて、二日目も病室で過ごし、ようやく起きて歩けるようになったのは昨日のことだ。よく知るようになれば、またちがった感想を持つかもしれない。

 でも、ここにはもう長くはいないのだし、わたしには、どうでもいいことだ。

 ソファーに縮こまるように身をうずめながら、リディアは自然と、三日前のナザンでのことを思い返そうとした。

 しかし、途中から記憶がない。

 覚えているのは、あのユース・ヴァンゼッティの、地面に倒れたおそろしい顔を見たところまで。それから先は、どうやってリターグにたどり着いたのか、まったく覚えていない。

 マッキーバという男からどうして逃れることができたのか、それが気になってしかたなかったが、どうしても思い出せない。

 ただ、わたしはなにか言葉を、それも、わたしの知らない言葉を口にしたような、そんな気がする。でも、知らない言葉なら、なおさら思い出しようがない。

 昨日のうちに、リディアは知事局の病棟から宿泊用の部屋に移され、すぐに局長と面会をした。そこではじめて、ナザンの陥落を知った。

 生まれ育った、砂の町。きびしくも美しい砂漠、やさしい曲線の砂丘。

 町の、ほがらかな人々。侍女との取りとめのない語らい。父。

 最期に口にした「お父さま」という言葉は、ほんの幼いころに使ったきりだった。

 リディアは遠くを見つめる目を、無意識に横に流した。

「達者でな」という、父のやわらかい声が、いまも身体を包んでいる。

 あのときわたしが流した涙は、消えてはいない。それは、この両頬にきざまれた。わたしはもう、昔の自分には戻れない。

 リディアは両肩を抱いて、うつむいた。

 身体はかすかに震えていた。


   *


「はぁ……」

 と、ケイ・エルフマンは、豪華な一室のベッドにあおむけになって、息をついた。

「こんなことになるなら、やはり父親を人質にでもするんでしたわ」

「いまさら、しかたありません」

 と、となりに寝そべるピットが苦笑まじりにいった。

 二人とも裸だった。

 ベッドは乱れ、ほてった空気が充満していた。

 ナザンから二千キロ南西の、空の上のことだ。数隻の飛行艦が、まっすぐ航行していた。その中の、ひときわ大きい飛行艦の寝室に、二人はいた。

 リディアがサヴァンとレダに会った、その日の夜のことになる。

「それに、人質などをとれば、ますます団長のご機嫌を……」

「団長のことはいわないでちょうだい」

 ピットがいい終わる前に、エルフマンがきつい声でいった。

 ピットは無言でやりすごした。

「……針路のことですけど」

 しばらくして、エルフマンが口を開いた。

「本当に、これでいいのね? あの娘がリターグから出てこなかったら、わたくし、怒りますからね」

「まちがいありません」

 ピットはすぐに答えた。もう何度もくりかえした会話なのだ。

「小国のリターグに、娘をかくまう力はないのですから。戦線が拡大していないこの時期に、かならずエントールに亡命させます」

「ナザンも心配ですわ」

 エルフマンはいった。

「残してきたわたくしの本隊と、あの師団、もめていなければいいですけど」

 大丈夫ですよ、と安心させるようにいったピットだったが、内心では、これはなんともいえない、と感じていた。

 なにせ、軍部の一個師団を、むりやり吸収してしまったのだ。

 わが副団長エルフマンがひきいる、中枢卿団の部隊は、強力な飛行艦隊とえりすぐりの団員で構成されてはいるが、多勢に無勢、かさにかかって反抗されたらひとたまりもない。せめて自分だけでも、とどまるべきだったかもしれない。

 ──なんにせよ、早くかたをつけたい。

 エルフマン隊副長ピットは、そう考えていた。

 エントール皇国とヴァキ砂漠の間には、長大な山脈がつらなっている。そして、これが国境となっていた。

 エルフマンたちは、飛行艦隊の旗艦と数隻の護衛艦だけで、この山脈へと突き進んでいた。

 リディアがエントールに入るのを、なんとしても阻止したい。

 それがかれらの思惑だった。

「辺境の娘ひとりに、なんの価値があるのか知りませんけど」

 突き放すようにエルフマンがいった。

「命令は命令ですわ。かならず捕らえます。もうエントールに入っていたら、話は別ですけど」

「まだ三日です。それはないでしょう」

「そう」

 と軽快にいって、エルフマンはおもむろにピットのほほにキスをして、ベッドから出ると、白いガウンを羽織った。

「定時報告がまだよ、新師団長殿」

 エルフマンは髪をかき上げながら、からかう調子でいった。

「特に変化はありません」

 少しとまどった笑みを浮かべて、ピットは答えた。

「中央戦線も、西部戦線も、こう着したままです。中央は、ハイドスメイが思った以上に強固です。このままですと、卿団が介入することになるかもしれません」

「どうせ、ルケあたりがしゃしゃり出てくるのでしょう」

 おもしろくもないという風にエルフマンはいった。「国内はどう?」

「マッキーバ殿が帝都にとどまるか、それとも」

「またカイトレイナに戻るかわからない、でしょ」

 ピットをさえぎって、エルフマンはいらだった声でいった。

「あんな役立たずのことなんか、どうでもよくてよ!」

 そういい残すと、エルフマンは荒い足取りで、バス・ルームに向かっていった。

 ピットはベッドから半身を起こし、そんなエルフマンのうしろ姿を、複雑な表情で見守った。


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