決断・2
「……で?」
レダの声が響く。「どうする?」
夕方にさしかかる貴賓室の居間で、三人は丸テーブルを囲んで椅子に座っていた。
レダとリディアは、サヴァンが話を終えるまで、だまって聞いていた。
レドムとの通信を終えてすぐ、サヴァンはリディアの部屋にむかい、まだ寝ている二人を起こしたのだった。
寝起きの悪いレダはぐずぐずいいながら目をこすり、リディアも疲れの抜けない表情だった。
でもどうあっても、起きてもらわなければならない。一刻も早く話し合う必要があるのだ。
サヴァンのいつにない強引な態度に、二人は驚いた。
しかしいまこうして、リターグの状況をひととおり聞かされたあとでは、二人の顔もおのずと引き締まっていた。
「おれは、リターグに戻りたい」
レダの問いに、サヴァンはすこしいいにくそうに答えた。
「リディアを連れて、か?」
沈黙が流れた。
名前が出たリディアは背筋をただして座り、じっと顔をうつむけて、物思いにふける様子でいた。
「おれだけで行ってもいい」
サヴァンが口を開いた。「おまえとリディアさんは、ここに残る。少なくとも、リターグよりは安全だろう」
「おまえはどうしたい、リディア?」
腕も脚も組んで椅子にふんぞり返っているレダが、するどい目をリディアに向けた。
リディアはうつむいたまま、無言でいた。
そのまま、時間が過ぎた。
「……わたくしは、砂漠の民です」
やがてリディアは、静かだがきっぱりとした口調でそういった。
「砂漠は、優しくて、厳しくて、暑くて、寒くて。砂は、服の中にも、口の中にも、髪にも入りこんで。一粒一粒、入りこんできて……」
リディアの声が、かすかに震えた。
「そんな場所で、わたくしは、生きてきました。わずらわしいと感じたこともありますが、いまは、その砂の一粒一粒がいとおしい。まとわりつく砂の感触がほしい。ここには、なにもありません。なにも……」
リディアは、首を弱々しく横に振った。目には涙があった。
リディアの言葉には、もちろん、脈絡もなければ理屈もなかった。
ただ帰りたい。無性に帰りたい。それだけだった。
ヴァキ砂漠にアイザレンが侵攻してからここまでの、およそひと月のめまぐるしい出来事が、イメージにもならないイメージで、頭を駆け抜けていく。その思いの疾走の先に、いまのリディアの言葉があった。
「帰るぞ、サヴァン」
レダが、今度はサヴァンに目を向けていった。
サヴァンはレダの顔を見つめた。
このときの、二人の視線のやりとりは、言葉を超えたものだった。瞳と瞳がしっかりと見つめあい、それだけですべてが、スッと通った。
「ラメクの南をまわりこんで、リターグに入ろうと思う」
迷いのない声と顔で、サヴァンはいった。「今夜中に発つ。すぐしたくをしてくれ」
「リカルドはなんていうだろうな?」いつもの、不敵な笑みを浮かべたレダがそこにはいた。
「なあに」と、サヴァンも口もとにいたずらな笑みを浮かべた。「みやげも付けて、送り出してくれるさ」
リディアはうつむいた目を、そっと手の甲でぬぐった。
*
そして、深夜のシャトル・ポートだ。
おみやげはありがたくいただきますよ、とサヴァンは、前に立つリカルドに、胸の中で軽口をたたいた。
三人での話し合いのあと、リカルドに連絡を取り、こうして飛行艇が用意されるまで、六時間。
これを迅速と評価すべきか、遅いと評価すべきか、判断に迷うところだ。でも、民間の輸送艇に偽装した、エントール軍の高速艇を用意してくれた事実は変わらない。
本来ならば操縦士もつけてもらいたかったが、エントールの置かれている状況を考えれば、ぜいたくはいっていられない。おまけに、リターグは明日にでも火の海になる可能性があるのだから、なおさら自動航行で向かうしかない。
ルート自体は、実にシンプルだった。ラメクが今日陥落しなかったことに、感謝するしかない。
アイザレン軍は、まだラメクの数百キロ北にいる。そのラメクより南の制空権は、エントールがにぎっている。そちら側から山脈を越えて進めば、エントールに入った敵軍だけではなく、リターグにむかっている敵の部隊よりも、さらに南を抜けることができるのだ。
高速飛行艇一隻で、可能なかぎりの速度で突き進めば、明日の午前中にはリターグに到着できるかもしれない。
そのころには、もう交戦がはじまっているのだろうか。でもそんなことは、いま考えてもしかたがない。おれたちは、帰るんだ。
リカルド・ジャケイの、灰色の長い髪が、風に揺らいでいる。だが、目はまっすぐサヴァンをとらえていた。とぎすまされた、そして、すこし非難がましい目。しかしサヴァンは動じなかった。
「ラメクには、この件は知らせてある」リカルドが口を開いた。「補給やそのほか、必要なことがあれば、ラメクにいる静導士団の部隊が、できるだけ対応する」
──無謀なことだ。
リカルドは心の中で、なんどもそう繰りかえしていた。
だが、おれにはどうすることもできん。シャトル・ポートでの襲撃、皇帝謁見の混乱、そして脅すように承諾させた奇襲作戦の失敗。ただでさえ、かれらには負い目がある。ラザレクに残れなどと、いえた義理ではないのだ。
それに、三人がエントールを出れば、国内の懸念事項がひとつ減る。かれらの行動は理解できないが、好きにさせよう。リターグの知事局も承諾済みということだから、こちらが責任を問われることもない。
「お三方におかれては、武運長久をお祈り申し上げる」
リカルドは三人それぞれに目をやって、そういった。
おそれいります、とサヴァンが受け答え、リディアも頭を下げた。
「今度は、ぜひ観光でお越しいただきたい」と、最後にリカルドはそんなことを口にした。「エントールは、本来は美しい場所です」
一通りのあいさつをすませ、三人は飛行艇のスロープへと向かっていった。
と、一番うしろを歩いていたレダが、唐突にリカルドのほうに振りかえった。
「なあ、リカルド。おまえ、死ぬんじゃないぞ!」
レダのあけすけな大声が、エンジン音に負けずに響く。
リカルドと護衛の者たちは、まだその場に立ち、三人のうしろ姿を見送っていた。
リカルドは、ふっと笑った。それまで見せたことのなかった、愛嬌のある笑顔だった。
そしてその笑いを顔に残したまま、颯爽ときびすを返し、歩き去っていった。護衛の者たちも、一糸の乱れもなく付き従う。
三人はそのリカルドの背中を、じっと見送り、やがてこちらも背を向けると、飛行艇の中に消えていった。