決断・1
夜のシャトルポート。離陸を待つ小型の飛行艇が、エンジン音を響かせている。
機械油の匂いやほこりっぽさが、町本来の空気を消している。
まあ、たいしていい空気じゃなかったけど、と、サヴァンは飛行艇を背にして立ちながら思った。
いや、そもそも空気を感じるゆとりなんてなかったな。……しいていえば、血なまぐさかったか。
サヴァンは、やれやれと首を横に振りかけて、それを押しとどめた。
白い『知事』の制服を着たサヴァンとレダ、そして紅色のワンピースにショートブーツという、軽い旅装のリディアがそこにいた。
横並びの三人の前方には、護衛の者たちに囲まれたリカルド・ジャケイ。その後方には見なれたリムジンが数台。
この景色も、場所も時間も、二日前とまるで同じだ、とサヴァンは胸の内で苦笑いした。
もっとも、肝心な部分はまるでちがう。それどころか正反対だ。おれたちはこのラザレクに、入るのではなく、出ようとしているんだから。
リカルドは顔には表さないが、かれの心の声ははっきり聴こえてくる。〝なにを考えているんだ、こいつらは?〟
本当にどうかしている。でも、そうしなきゃいけないんだ。これは理屈じゃない。
時は深夜。
涼しい風も、飛行艇の熱気でもやもやとよどんでいる。
はるか西の空の「エイヨーン」艦内で、コーデリアという嵐が吹き荒れているころだった。
*
昨夜、ナードとヤードの奇襲を迎え撃ったあと、三人は離宮の中を見てまわった。
その惨状は目を覆わんばかりで、警護の者から使用人まで、全員殺されていた。
リディアは気を保とうとしていたが、限界だった。
血まみれの床に倒れそうになるところを抱きとめたサヴァンは、リディアに深い同情を寄せた。──休んで、リディアさん。本当に、ゆっくり休んでほしい。
そのリディアを貴賓室のベッドに寝かせているとき、離宮の表が騒がしくなった。
窓の外を見るまでもない。リカルド・ジャケイの気配がする。サヴァンは歯を噛みしめた。偉大な剣士かなにか知らないが、やっていることはいつも後手後手だ。ラザレクはあんたの庭だろう? 伸びた枝の一つも、満足に切れないのか?
といっても、この怒りはフェアじゃない。奇襲を考えなかったのは自分も同じだし、リカルド閣下だって、好きで後手を踏んでいるわけじゃない。でも心情と理屈はちがう。
貴賓室にやってきた、いつもの仏頂面のリカルドを前にして、お早いお着きで、とサヴァンはもう少しで口にするところだった。
サヴァンの硬い声の状況報告を淡々と聞いたリカルドは、すぐに場所を移動してもらいたい、といった。静導士団の施設に、一時避難するという案だった。
サヴァンは少し考えてから、その申し出をことわった。いまは、リディアを動かしたくない。それに、おれもレダも疲れきっている。とびきりタフなレダでさえ、榴弾をまともに受けたダメージが大きいのか、ソファーに頭を持たせかけてぐったりしている。
自分のかわりにあいつがリカルドにくってかかるところを見たかったけど、いまのレダにはそんな気力はないようだ。
なんにせよ、今夜また奇襲をかけられることはないだろう。明日からのことは、明日考えればいい。
リカルドはあきらかに不満そうだったが、それでもサヴァンの要望にしたがった。
ものものしい警戒のざわめきや、離宮の後始末の音も気にかけず、三人は深々と眠った。そして今日、サヴァンが起きてみると、すでに昼もだいぶ過ぎた時間だった。
目を覚ましたサヴァンは、自分の部屋を出て、リディアがいる貴賓室にむかった。
廊下には、前とは比べものにならない数の警護が立っている。
ノックをしても返事がないので、サヴァンがリディアの部屋のドアを開けると、目に飛び込んできたのは、あられもないかっこうでソファーに寝ているレダだった。
それを横目に、寝室の様子をうかがうと、リディアもベッドで規則正しい寝息を立てている。
レダといいリディアといい、普段と変わらず寝ている姿が、なぜかサヴァンにはありがたく感じられた。
でも、おれたちが置かれている現状は、ありがたくもなんともない。どうすりゃいいんだ、これから?
自分の部屋に戻る間に、サヴァンの頭にはさまざまな思いが乱れ飛び、かけまわった。
部屋に帰るとサヴァンは、とりあえず局長のジオ・レドムに連絡をすることにした。いまできることといえば、それしかない。
サヴァンはおもむろに携帯通信機を取りだし、それを操作して耳に当てた。
着信音が長い。
リターグにも大軍が迫っているということだったけど、まさかもう……と一抹の不安がよぎったとき、レドムの声が聴こえ、サヴァンはほっと胸をなでおろした。
しかし、そんな安堵のここちも、一瞬で消え去った。
「……え?」
サヴァンはレドムの話を聞いて、頭が真っ白になった。レドムも、あえてなぐさめの言葉はかけなかった。その話がサヴァンにとってどれだけショックなことか、レドムにはわかりすぎるほどわかっていたからだ。
ハイドスメイでの、エアハルトの重傷。エアハルトとコーデリアへの風当たり。そして、昨夜レンにむかったコーデリアとエース格全員の、行方不明。
初めて聞かされる事実に、サヴァンは声を失った。しかし心の内では、言葉が飛びかっていた。
──そんなばかな! ……いや、エアハルトのことは、まだ納得できる。中枢卿団の副団長と一騎打ちをしたんだ。敗れることもあるだろう。でも、なんなんだ、コーデリアの行方不明っていうのは? しかも、エース級も全員消えた? 信じられない。いや、絶対に信じない。……くそ! どれだけ振り払おうとしても、エアハルトの、コーデリアの、苦しんでいる顔が浮かぶ!
『知事』になる前の予備学校時代から、ふたりは、いつもおれとレダの味方になってくれた。
同級生との喧嘩で汚れたレダの顔や服を、きれいにしてくれたコーデリア。
時にうつむいてしまったおれの肩に、手を置いてくれたエアハルト。
おれとレダに優しくしてくれたのは、おまえたちだけだった。
勝手は許さないぞ、ふたりとも。勝手に死ぬなんて、絶対に許さない。
「リターグに戻ります」しばらくして、サヴァンの口から、自然に声が出た。
「……リディア殿下は、どうするんだ?」すこしの沈黙のあと、レドムはいった。
サヴァンは極力冷静に、それでも激情からわずかに声を震わせて、話をした。
ラザレクが安全とはかけはなれていることや、リディアが賊を討ったこと、頼りにならないリカルドのことから、皇帝の不興をかっていることまで。
もちろん、そんなことは、大きな戦禍に見舞われかけているリターグに帰る理由にはならない。
しかしレドムは、サヴァンの話を聞き終えると、しばらく無言の間をはさんでから、こういった。
「……三人で決めろ」
リターグの南と北から、アイザレン軍がすぐそこまで迫ってきている。リターグの十倍の兵力だ。
一方リターグは、『知事』のトップ・エースのエアハルトの傷は癒えず、ほかのエースたちは全員いない。
そもそもリターグの軍と『知事』を合わせても、勝ち目がないのは砂漠の虫でもわかる。実際、リターグ周辺の砂漠からは、動物が消えた。アイザレン軍の進軍の音は、かすかな地鳴りとなって、動物たちの耳に危険を報せたのだろう。
しかしそれでもなお、レドムには、来るな、とはいえなかったのだ。
「おまえたちの決定を、おれは尊重する」
レドムはやや口調をただしていった。
──戻ってくるだろうな、三人で。
レドムはそう直感し、思いをめぐらせた。
本来ならば許されない決断だ。亡命させたリディア殿下を、わざわざ死地に呼び寄せるようなものなのだから。
でも、いまこのレガン大陸には、条理など存在しないかのようだ。アイザレン軍は不可解な侵攻をつづけ、一枚岩で迎え撃つべきエントールは、まだ国内の権力闘争に明け暮れている。われらリターグの町も、すでに暴動に近い大混乱におちいっている。
コーデリアたちをレンに送りこんだのは、失敗だった。その責めは、後日甘んじて受けよう。だが、後悔はしていない。おれはコーデリアたちを信じた。それはだれにとがめられることでもない。
そしておれはいま、サヴァンとレダと、リディア殿下を信じる。かれらの考えと行動を信じる。これは、局長としての、おれの使命だ。おれの信念だ。
「おまえたち、戦況はどこまで把握している?」
いつになく厳粛な声で、レドムはサヴァンにそういった。




