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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
53/142

二つの戦線・2

 ──同日、夜。

 灰色の市壁が、どこまでもつづいている。

 壁をへだててむこうは、見晴るかす大海。手前は、風光明媚な町だ。

 いつもならば、港湾には漁船や客船が整然と停泊している。

 だがいま、その停泊地にならんでいるのは、ほとんどが軍艦だ。そして夜にもかかわらず、港湾から突き出る巨大なドックでは、軍艦の整備や修理の音が重々しく響いていた。

 港湾都市テッサ。

 そこはエントール皇国の北、アトリ海に面した町で、交易の重要都市でもあり、また船舶を修理するドライ・ドックが整っていることから、有事には軍事拠点にもなる。

 エントールの中でもひときわ美しく、また豊かなこの町をめぐっては、諸侯の間で昔から領有権をめぐる争いが絶えなかった。

 しかしここ数十年は、トルゼン公の領地として定着し、周辺諸侯との小競り合いはありながらも、おおむね平穏をたもっていた。

 町の明かりが海面に映しこまれる、夜のテッサの風景は、ことさら美しかった。

 全体がゆるやかな小山のような地形で、その小山をおおうように、白い建物が立ち並んでいる。きらびやかなオレンジの街灯に、町は優雅に彩られ、訪れる者、住む者を問わず、心をしっとりとなごませるものがあった。……平時であれば。

 このテッサで特に目を惹くのは、小山の頂上にある公爵邸だ。町並みに見合った、美しい白い石造りの邸宅。その豪華さはほとんど宮殿のようで、実際、そこはもともと、かつてのエントール皇帝の離宮として建てられたものだった。


「町が、これほどさびしく感じられたのは、初めてだ」

 その若い女は、口もとにせつなげな微笑を浮かべて、眼下の、いつになく灯火のとぼしい景色に、遠いような目をやった。

 公爵邸の広間の一つで、窓際に置かれた椅子に座り、ワインの入ったグラスを手にしている。

 丸テーブルをはさんで座る、静導士団・副団長メイナード・ファーもまた、同じ思いで窓の外をながめていた。

「だが、さびしいなどとも、いっていられなくなるな」女はそうつぶやくと、無意識にグラスを口に運んだ。「ここもすぐ、戦場になる」

「……ごめんなさい、アーシュラ」メイナードが沈痛な声でいった。

「おまえが謝ることはない」と、アーシュラと呼ばれた女はメイナードに顔を向け、気づかうように笑っていった。

 トルゼン公アーシュラ。

 先代の遺した一人娘で、エントール皇国の諸侯の中で、ただひとりの女公だ。

 輝ける金髪、美貌、そして高い人格と知性を持ち、剣技にもすぐれていた。

 メイナードとは同じ年頃で、親しい友人だった。髪の色は違えど、ふたりとも似たような風貌で、ひかえめなメイナードと雄々しいアーシュラという、正反対な性格も、むしろふたりを結びつけていた。

 五年前に先代のトルゼン公が他界しても、周辺の諸侯が表立ってこの地に戦いをしかけないのは、偉大な先代にもおとらないアーシュラの求心力もあったが、それ以上に、近衛静導士団のナンバー2で、『士団の切先』と称されるメイナードの怒りを買うことを怖れたためだった。

「アイザレン、か」

 少しの沈黙のあと、アーシュラはぽつりといった。

「なにを考えて攻めてくるのか、それはわたしの知るところではないが、」窓に向きなおったアーシュラの目が、ふとけわしくなった。

「ここは、わたしの町だ。わたしが生きているかぎり、だれの好きにもさせん」

「そうね」

 やわらかい声でメイナードはいった。「この町は、守らなければいけない。絶対に」

 ハハハ、と、唐突にアーシュラが高い笑い声をあげて、メイナードのほうを向いた。

「しかしまさか、おまえとこんな話をすることになるとは、思ってもみなかったぞ、メイ」

 メイナードは淡くほほ笑んで、アーシュラを見かえした。

「本来なら、婿の取り合いでもしていなければならんのにな」

 アーシュラはそういうと、またほがらかに笑い、メイナードも目を伏せて笑った。

 そして、ふたたび沈黙が降りた。その間に、ふたりは飲み物を口にし、やがて、アーシュラが切り出した。

「ケンサブル、だったか」

「ええ」

「気のせいかな。それらしい気配が、ここに近づいてきているように、わたしには感じられるのだが」

 アーシュラは、グッとメイナードを見すえた。

「アーシュラ、あなたを巻きこみたくない」メイナードは首を横に振り、断固としていった。「これは、わたしの問題だから」

「こう見えてもな、メイ」

 と、アーシュラは鋭い表情の顔を、窓の外に向けていった。

「わたしは、修練をおこたってはいない。おまえと、士団の副団長の座を争ったときよりも、わたしは強くなっている。それはわかってもらえると思うが」

 メイナードは、アーシュラの精悍な横顔に、じっと目をやった。

 そう、たしかにわたしたちふたりでかかれば、復讐心に猛るケンサブルにも、勝てるかもしれない。でも……

「わたしはな、」アーシュラが髪をかき分けながら、涼しげにつづけた。「わたしは、おまえの背中を、常に追いかけてきた」

 メイナードはわずかに顔を曇らせ、うつむいた。

「おまえが、あの名槍イサギを継いだと聞いたとき、わたしはあまりにくやしくて、本当に舌を噛みきるところだった。そのときの痛みも、血の味も、昨日のことのように覚えている。……だがな、メイ」

 アーシュラは、またメイナードに強い目を向けた。

「わたしは、いまは公爵だ。このテッサを守る義務がある。おまえやわたしの問題ではない。ひいてはエントールの興廃にかかわることだ。おまえが止めても、わたしは公爵として、一武人として、立たなければならない」

 ──アーシュラ……

 メイナードは心の中でつぶやいた。

 あなたの性格は、わたしが一番よく知っている。こうと決めたら、だれにも止められない。

 それに、そう、たしかにわたしだけの問題じゃない。アーシュラの問題でもない。これは、戦争だ。むしろわかっていないのは、ケンサブルのほうだ。

 アーシュラのいうとおり、あの男の気配が近づいてきている。中枢卿団の隊長でありながら、単独でこのテッサに乗りこんでくるつもりらしい。それにしても、いったい、どうやって防衛線を抜けたのか。

 この日の昼、キュベルカのいる中央戦線での戦闘勃発と時を同じくして、アトリ海の西部戦線でも、大規模な戦闘がはじまっていた。

 テッサの北六百キロの海上に敷かれた、エントールの第二次防衛線は、アイザレン軍の進撃をよく食い止めていた。夜とはいえ、その強固な防衛線を抜けることなど、たとえ単機でも考えられない。しかし現実に、ケンサブルの気配は、もうこのテッサに着々と近づいているのだった。

「さて、着がえるとするか」

 軽装のアーシュラが、すっと立ち上がった。「これはこれで動きやすいが、礼に欠けるからな」

 冗談めかしてそういうと、アーシュラは広間の出口に颯爽と歩いていった。

 メイナードはアーシュラの姿が見えなくなるまで、その背中を、せつないような目で見つめつづけた。


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