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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
51/142

レンの狂乱・4

 夜の三時。

 寝静まる時間だ。

 砂漠の小さな町であれば、なおさらだろう。たとえ、敵軍の兵站として占領されていても同じことだ。夜間の警戒態勢の中にも、静けさは落としこまれる。

 しかしいま、レンの町は静寂とは無縁の、真昼のような喧騒だった。

 町中の灯が照らされ、歩哨どころではない数の兵士たちが、道という道を行きかっている。

 町の外では無数の戦車のエンジン音が鳴り響き、さらに向こうでは、これも町の灯と同じくらいの明るさの中で、何隻もの飛行艦が整備を行っていた。

 高台にある屋敷からも、その眼下の町の様子や、町の外の明かりが見わたせた。

「いいのよ、ピット」

 ケイ・エルフマンは屋敷の二階の窓辺に立ち、騒然とした町の光景をながめながらそういった。うしろにひかえているピットの、苦渋をこめた謝罪の言葉を受けてのことだった。

 ふたりがいるのは小奇麗な書斎で、現在はエルフマン隊の執務室にされていた。

 エルフマンと本隊の飛行艦隊がレンに到着したのは、ついさきほどのことだった。ルケがコーデリアを連れ去って、二時間が過ぎていた。

 迎えに出たピットの状況報告は、屋敷への道中からはじまり、この書斎に入っても続いた。コーデリアら『知事』との一幕、ルケの介入、事態を知った第十六師団の厳戒態勢。もっとも厳戒態勢については、報告を聞くまでもなく、町の様子を見ればだれの目にもあきらかだ。

 そして報告のあと、ピットが謝罪をしたのは、隊長不在の間の独断と、部下に犠牲を出したことに対してのものだった。

「あなたは、よくやってくれたわ」

 エルフマンはピットに顔を半分向け、流し目を送った。

 豪快なパフ・スリーブの白いローブに、白いマント。腰には金の指揮刀。長い金髪は昨日からの苦難を感じさせない輝きで、すっとローブの背に寄り添っている。

 いましがた、旗艦オステアから降り立ったそのいつもの威容を目にして、ピットは胸が詰まる思いがした。

 エアハルトに斬られ、重傷を負って昏倒したエルフマンが、艦隊ともどもカイトレイナに撤退するのを、ピットがなすすべなく見送ったのは二日前のことだ。

 全身血にまみれたエルフマンの無残な姿は、ピットの心を激しく乱した。

 慎重なピットが、エントールへ行くアイザレンの中央軍集団と分かれ、リターグにむかうことにしたのも、ある意味では、動揺がそうさせたといってもよかった。

 しかしこれまでの混乱も、いまとなっては過ぎたことだ。一夜の悪夢のように、覚めて消えた。

 そんな実感で、ピットは心を入れ替えた。

 ──ここにこうして、隊長は立っている。おれの愛する、ケイが。

「これでリターグはもう、裸も同然ね」

 そう口にするエルフマンの声を、ピットはここちよく聴いた。

「ルケがなにを考えているかなんて、知ったことではなくてよ」

 エルフマンは窓辺を離れ、ピットのほうに歩いていった。

「リターグを攻略すれば、ようやくわたしたちの面目が立つんですもの」そういってほほ笑んだエルフマンは、もうピットに身体を寄せていた。

「そうでしょ?」

「三日以内には落とせます」ピットはかすかに口もとに微笑を浮かべていった。

「北の軍の部隊は必要ありません。われらの戦功にすべきです」

「あなたにまかせるわ」

 エルフマンはそういうと、ピットのほほに軽くキスをして、また窓辺に戻っていった。

 ピットはその背中に目をやりながら、胸中に思いをめぐらせた。

 このレンと同じように、リターグの北八百キロの町にも、アイザレン軍の侵攻部隊が駐屯している。

 聞くところによれば、八個師団からなる一個軍団、つまりこちらの八倍だ。おそらく支援の飛行艦隊もあるだろう。

 対して、人口五万人の小国リターグは、どう集めても、地上部隊は一個師団の四分の一程度にしかならない。

 ざっと見積もっても、わがエルフマン隊だけで、すでにリターグの四倍近い戦力があるのだ。

 そうでなくても、北の軍部との合流は、極力避けたい。

 軍部と卿団は、もとから折り合いが悪い。そこにきて、自分たちはナザン攻略時に、軍の第十六師団を無理やり接収し、アトリ海では、第二隊長のルキフォンスが、本土の軍の参謀総長まで怒らせたらしい。当分は、これ以上波風を立てたくない。

 しかし、わが隊長は天衣無縫、軍部のことなど、まったく気にかけない。まあ、そこが隊長の魅力でもあるのだが。

「……それで、ルケは中央戦線に戻ったのね」

 エルフマンは先ほどと同じように、窓際に立っていった。

「通信は入っておりませんが、おそらくそうでしょう」とピットはいった。

「……コーデリアを連れて」ひとりごとのようにエルフマンがいった。

 は、とピットは答えた。

 ──コーデリア・ベリ。

 エルフマンは窓外に目をやりながら、二日前の記憶を呼びおこした。

 リターグの戦艦に乗りこんだわたしとルケ。そこにエアハルトと共に立ちはだかった、あの女。

 清純にして気丈、いかにも『知事』の華という印象だった。それが、まさかピットがいうような凶行に走るなんて。

 でも実際、わたしは屋敷の前で、二十人の『知事』と、部下の卿団員の壮絶な死体を、この目で見た。部下の中には、まだショックから立ち直っていない者もいる。

 エルフマンは、夜の窓に映るピットに、ちらっと目をむけた。

 あのピットですら見えない剣技を持つというコーデリアを、ルケが連れていったのは、なんにしても好都合だ。これでわたしは、エアハルトに集中できる。

 わたしの胴を斬ったエアハルト。

 クスリに浸かったおぞましい目でわたしを見、わたしの髪に触れ、わたしの胸を開いた、ロー・エアハルト。絶対に許さない。あの男、わたしの突きをまともに受けて倒れたけど、『知事』のトップ・エースならば死にはしないはず。

 いえ、死なれては困るのよ。

 戦えないならそれでもいい。わたしはベッドに横たわるおまえの胸に、深々と剣を突き立ててあげる。

 エルフマンは湧き立つ高揚に目を鈍く光らせ、ふたたび窓辺を離れると、ピットのもとに寄っていった。そしてとっさに、ピットの唇に唇を重ねた。そうしてふたりはしばらくの間、互いの口をむさぼり、舌をからませた。

「明日にそなえて、休みたいかしら?」

 エルフマンは顔を離すと、いたずらな笑みを浮かべていった。

「いまさら遅いですよ」と、ピットもいたずらっぽく返した。

 ふっと、エルフマンの背中に走るものがあった。

 ルケの声が不吉によみがえる。

 〝それじゃ遅いよ〟

 エルフマンの瞳が、にわかにさまよった。エルフマンはすべてを振り払うように、またピットと激しくキスをした。そしてたくましいピットの腰を折らんばかりに抱きしめ、ふたりは床に倒れこみ、一心に身体を求めあった。


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