レンの狂乱・4
夜の三時。
寝静まる時間だ。
砂漠の小さな町であれば、なおさらだろう。たとえ、敵軍の兵站として占領されていても同じことだ。夜間の警戒態勢の中にも、静けさは落としこまれる。
しかしいま、レンの町は静寂とは無縁の、真昼のような喧騒だった。
町中の灯が照らされ、歩哨どころではない数の兵士たちが、道という道を行きかっている。
町の外では無数の戦車のエンジン音が鳴り響き、さらに向こうでは、これも町の灯と同じくらいの明るさの中で、何隻もの飛行艦が整備を行っていた。
高台にある屋敷からも、その眼下の町の様子や、町の外の明かりが見わたせた。
「いいのよ、ピット」
ケイ・エルフマンは屋敷の二階の窓辺に立ち、騒然とした町の光景をながめながらそういった。うしろにひかえているピットの、苦渋をこめた謝罪の言葉を受けてのことだった。
ふたりがいるのは小奇麗な書斎で、現在はエルフマン隊の執務室にされていた。
エルフマンと本隊の飛行艦隊がレンに到着したのは、ついさきほどのことだった。ルケがコーデリアを連れ去って、二時間が過ぎていた。
迎えに出たピットの状況報告は、屋敷への道中からはじまり、この書斎に入っても続いた。コーデリアら『知事』との一幕、ルケの介入、事態を知った第十六師団の厳戒態勢。もっとも厳戒態勢については、報告を聞くまでもなく、町の様子を見ればだれの目にもあきらかだ。
そして報告のあと、ピットが謝罪をしたのは、隊長不在の間の独断と、部下に犠牲を出したことに対してのものだった。
「あなたは、よくやってくれたわ」
エルフマンはピットに顔を半分向け、流し目を送った。
豪快なパフ・スリーブの白いローブに、白いマント。腰には金の指揮刀。長い金髪は昨日からの苦難を感じさせない輝きで、すっとローブの背に寄り添っている。
いましがた、旗艦オステアから降り立ったそのいつもの威容を目にして、ピットは胸が詰まる思いがした。
エアハルトに斬られ、重傷を負って昏倒したエルフマンが、艦隊ともどもカイトレイナに撤退するのを、ピットがなすすべなく見送ったのは二日前のことだ。
全身血にまみれたエルフマンの無残な姿は、ピットの心を激しく乱した。
慎重なピットが、エントールへ行くアイザレンの中央軍集団と分かれ、リターグにむかうことにしたのも、ある意味では、動揺がそうさせたといってもよかった。
しかしこれまでの混乱も、いまとなっては過ぎたことだ。一夜の悪夢のように、覚めて消えた。
そんな実感で、ピットは心を入れ替えた。
──ここにこうして、隊長は立っている。おれの愛する、ケイが。
「これでリターグはもう、裸も同然ね」
そう口にするエルフマンの声を、ピットはここちよく聴いた。
「ルケがなにを考えているかなんて、知ったことではなくてよ」
エルフマンは窓辺を離れ、ピットのほうに歩いていった。
「リターグを攻略すれば、ようやくわたしたちの面目が立つんですもの」そういってほほ笑んだエルフマンは、もうピットに身体を寄せていた。
「そうでしょ?」
「三日以内には落とせます」ピットはかすかに口もとに微笑を浮かべていった。
「北の軍の部隊は必要ありません。われらの戦功にすべきです」
「あなたにまかせるわ」
エルフマンはそういうと、ピットのほほに軽くキスをして、また窓辺に戻っていった。
ピットはその背中に目をやりながら、胸中に思いをめぐらせた。
このレンと同じように、リターグの北八百キロの町にも、アイザレン軍の侵攻部隊が駐屯している。
聞くところによれば、八個師団からなる一個軍団、つまりこちらの八倍だ。おそらく支援の飛行艦隊もあるだろう。
対して、人口五万人の小国リターグは、どう集めても、地上部隊は一個師団の四分の一程度にしかならない。
ざっと見積もっても、わがエルフマン隊だけで、すでにリターグの四倍近い戦力があるのだ。
そうでなくても、北の軍部との合流は、極力避けたい。
軍部と卿団は、もとから折り合いが悪い。そこにきて、自分たちはナザン攻略時に、軍の第十六師団を無理やり接収し、アトリ海では、第二隊長のルキフォンスが、本土の軍の参謀総長まで怒らせたらしい。当分は、これ以上波風を立てたくない。
しかし、わが隊長は天衣無縫、軍部のことなど、まったく気にかけない。まあ、そこが隊長の魅力でもあるのだが。
「……それで、ルケは中央戦線に戻ったのね」
エルフマンは先ほどと同じように、窓際に立っていった。
「通信は入っておりませんが、おそらくそうでしょう」とピットはいった。
「……コーデリアを連れて」ひとりごとのようにエルフマンがいった。
は、とピットは答えた。
──コーデリア・ベリ。
エルフマンは窓外に目をやりながら、二日前の記憶を呼びおこした。
リターグの戦艦に乗りこんだわたしとルケ。そこにエアハルトと共に立ちはだかった、あの女。
清純にして気丈、いかにも『知事』の華という印象だった。それが、まさかピットがいうような凶行に走るなんて。
でも実際、わたしは屋敷の前で、二十人の『知事』と、部下の卿団員の壮絶な死体を、この目で見た。部下の中には、まだショックから立ち直っていない者もいる。
エルフマンは、夜の窓に映るピットに、ちらっと目をむけた。
あのピットですら見えない剣技を持つというコーデリアを、ルケが連れていったのは、なんにしても好都合だ。これでわたしは、エアハルトに集中できる。
わたしの胴を斬ったエアハルト。
クスリに浸かったおぞましい目でわたしを見、わたしの髪に触れ、わたしの胸を開いた、ロー・エアハルト。絶対に許さない。あの男、わたしの突きをまともに受けて倒れたけど、『知事』のトップ・エースならば死にはしないはず。
いえ、死なれては困るのよ。
戦えないならそれでもいい。わたしはベッドに横たわるおまえの胸に、深々と剣を突き立ててあげる。
エルフマンは湧き立つ高揚に目を鈍く光らせ、ふたたび窓辺を離れると、ピットのもとに寄っていった。そしてとっさに、ピットの唇に唇を重ねた。そうしてふたりはしばらくの間、互いの口をむさぼり、舌をからませた。
「明日にそなえて、休みたいかしら?」
エルフマンは顔を離すと、いたずらな笑みを浮かべていった。
「いまさら遅いですよ」と、ピットもいたずらっぽく返した。
ふっと、エルフマンの背中に走るものがあった。
ルケの声が不吉によみがえる。
〝それじゃ遅いよ〟
エルフマンの瞳が、にわかにさまよった。エルフマンはすべてを振り払うように、またピットと激しくキスをした。そしてたくましいピットの腰を折らんばかりに抱きしめ、ふたりは床に倒れこみ、一心に身体を求めあった。