レンの狂乱・2
中枢卿団の基地にされている、高台の屋敷の前は、広い砂岩の平地になっていた。
いま、屋敷の灯は消され、頼みにする明かりは、月と遠い町の灯だけだったが、その平地に立つ者たちの姿を見分けることはできた。
一方には、白い制服に白いマントをはためかせた、二十人ほどの男女。
もう一方は、身体を黒いマントでおおった、同じくらいの数の男女。
そして向かいあう集団の一歩前には、二人の者がいる。
一人は、大きくカールした豊かな金髪を両肩に流しているコーデリア。
もう一人は、女よりは年長の、精悍な顔つきの男。
コーデリアが高台に着いたとき、すでに中枢卿は、隊列を組んで待ち受けていたのだった。
コーデリアの前に立っているのは、ケイ・エルフマン隊の副長で、軍部から接収した第十六師団を指揮するピットだった。
ピット以下卿団員たちは、『知事』が全員集まってくるまで、身じろぎもしないで立ちつくしていた。
その間も、そしてこうして相対しているときにも、砂の匂いや、物を焼いた煙の匂いを、なまぬるい風が運び、眼下の町の兵士のうごめきも、聴こえずとも伝わってきた。
音らしい音はなかった。その静けさは、ふたつの集団の向かいあう様子を、まるで密会のように仕立てあげていた。
「名高い中枢卿団にあって、」
と、やがてコーデリアが、穏やかながらも澄んだ声で切り出した。
「さらにその勇名をとどろかすピット殿とは、あなたですか」
「いかにも」とピットも、その前口上を受けて立った。
「大陸の守護、『知事』の聖職にあり、勇壮あまねく伝わるコーデリア・ベリ。こちらはそのお姿も存じあげている」
「ならば、のちの世にはこう伝えられるでしょう。誇り高きピットは、明けるはずの闇の中で、おのずからとこしえの闇を引き入れたと」
「のちの世はいうであろう。闇を照らした白鷺は、明かりに焦がれて月に昇り、いまはその白さも、月の染みのひとつに過ぎぬと」
ピットはおもむろにマントを開き、すらりと長剣を抜いた。ほかの卿団員たちも、それぞれの武器を構える。あわせて『知事』たちも一斉に抜刀する。
その中で、コーデリアだけが、まだ剣を抜くことをためらっていた。
わたしが抜けば、それが引き金となる。
このピットという男は、並じゃない。全力で戦わなければならない相手だ。ほかの卿団員たちは、どのくらいの力があるのか。とにかく、乱戦になって損害を出したくはない。わたしたちはこの戦いのあとに、さらに一個師団を壊滅させなければいけないのだから。
コーデリアは心を決めた。
時間はかけられない。すみやかにピットを討ち、機先を制して、ほかの卿団員にたたみかけよう。それには、打ちこむタイミングが肝心だ。
コーデリアは剣の柄に手をかけ、ピットとの立ち合いに神経を集中させた。
そのときだった。
コーデリアの右隣にいる仲間の男が、じりじりとした間に耐えられずに、前に向かっていく気配がした。コーデリアはとっさに腕を伸ばして、それを制した。
「なんのつもりだ、てめえ」
男は怒りをかみ殺した声で、コーデリアに食ってかかった。
「機は、わたしが作ります。勝手は許しません」コーデリアは冷静に答えた。
「面汚しが、いい気になってんじゃないよ」
と、今度は左にいる仲間の女が侮蔑の声をあげ、前に踏み出そうとした。コーデリアはもう片方の腕も伸ばして、それをさえぎった。
「おやめなさい」
コーデリアは、つぶやいた。そして、ふいにいら立ちをこめた声でいった。
「ほら、場がしらけてしまった。恥を知りなさい」
「おまえにいわれたくねぇな」うしろで仲間の罵声が飛んだ。「おまえがおれたちの恥なんだよ、クソが」
コーデリアの心に、シンと静けさが降りた。
その場はもう一触即発の空気だった。われ先にと敵に躍りかからんばかりの『知事』たちと、かれらの不和を不審に思いながらも、しっかりと受けて立つ構えの卿団員たち。
コーデリアは、ゆっくりと腕を下げた。
直後に、すっと糸を引くような気配が、あたりに広がった。
それはほんの一瞬のことだったが、その場の全員が思わず動きを止めるほど、鋭い気配だった。
どさ、と音がした。
音は、続けざまに起こった。
なにか重いものが、次々と地面に落ちる音だ。
赤黒く染まった、白い塊が、あたりに散らばっている。
それは『知事』たちの、切断された上半身や下半身だった。
そして、その無残な仲間の死体を背に、コーデリア・ベリは、血にまみれた剣を片手に持ち、どこかおぼろげな表情で、じっとうつむき、立ちつくしていた。
「……ごめんね」
コーデリアは、だれに向けてか小さくそういって、うっすらとほほ笑んだ。