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レガン戦記  作者: 高井楼
第二部
45/142

誤算・2

 調子っぱずれの鼻歌が聴こえる。若い女の声だ。それはイヤホンを通して響いていて、鼻歌が高音になると、そのたびにザザッと電気ノイズが走る。

「ナ、ナ、ナード」吃音の男の声がする。「は、鼻歌をやめて、し、集中しろ。こ、こ、これからが本番だ」

「了解了解」男の耳にあるイヤホンから、おさえた調子の声が聴こえる。

 そして静寂。

「ヤード、ヤード」と、少しして、またイヤホンから声がする。

「な、な、なんだ、ナ、ナード」ヤードと呼ばれた吃音の男が、冷静に応じる。

「さむいよさむいよ」ナードと呼ばれた女が、わざとらしく情けない声を出した。

「が、が、がまんしろ」

 離宮の庭に立ちつくすヤードが答えた。「も、もうじきだ」

「了解了解」

 遠く離れた、高い建物の屋上に寝そべり、スナイパー・ライフルのスコープに目を当てているナードは、やれやれといった調子で答えた。


   *


 部屋のドアをそっと開け、まずサヴァンが廊下に出た。部屋着のままのリディアが続き、最後に出たレダは、きょろきょろと部屋の中を見まわしてから、静かにドアを閉めた。

 三人は二階の廊下を慎重に進み、赤いじゅうたんの敷かれた長い階段を、階下に気を配りながらおりていった。

 静かすぎる。

 使用人が寝静まるにはまだ早い。警護の者たちも姿が見えない。

 ──どういうことだ?

 サヴァンは階段をおりながら、いぶかしんだ。

 屋敷の外に気配を感じたのは、いまさっきだ。その前にも後にも、妙な気配はなかった。じゃあ、この屋敷にいる二十人ほどの人たちは、どこへ行ったんだ?

 一階におりた三人は、玄関のほうに目をやって、立ち止まった。

 倒れている者がいる。サヴァンはあたりを警戒しつつ近づいていき、リディアとレダもそれに続いた。

 玄関前のその死体に、サヴァンは顔をしかめ、リディアは息をのんだ。

 石の床におびただしい血が広がり、その上に、男のうつぶせの身体がある。

 片腕だけが不自然に伸びていて、人差し指が扉を指している。

 この離宮の警護にあたっていた、リカルドの部下の一人だ。

 サヴァンは死体から目をそらし、携帯通信機を取りだした。画面には電波圏外のマークが映されている。

 電波妨害もぬかりなしか、とサヴァンは苦々しさをかみしめた。こうなるとリカルドの救援は望めない。おれたちは、完全に孤立した。

「サヴァン、どうする?」レダが低い声でいった。「中にこもるか、外に出るか」

 レダとリディアの視線を受けながら、サヴァンは頭をふりしぼった。

 死体の腕を伸ばして、扉に指を向けたのは、どう見ても襲撃者のしわざだ。中を見まわってもむだだ、早く外に出ろ、というメッセージだろう。この離宮の静けさが、いまはいっそう重苦しく感じられる。ともあれ、強敵にはちがいない。自分やレダに察知されずに、ここまでやるのだから。

 むやみに相手の誘いには乗りたくない。でも、屋敷にこもっても、火を放たれたら? あるいは建物ごと爆破でもされたら? いや、外に出るにしても、リディアはどうする。中に残しておいたほうが安全だろうか?

「行きましょう」

 突如、リディアのきぜんとした声が響き、サヴァンは驚いて目をやった。

「このような非道、断じて許せません」怒りと決意をこめた顔を死体にむけて、リディアはいった。

「足手まといにはなりません。ナザンの名にかけて、わたくしは戦います。行きましょう」

 レダがひやかすような目でサヴァンを見る。サヴァンはその視線を痛いほど感じながら、なおどうするべきか必死に考えていた。

 わかってるよ、レダ。優柔不断なおれより、リディアのほうがよっぽど頼りになる、そういいたいんだろう? でもな、おれは、できるだけリディアに負担をかけたくない。……まだ十日だぞ? この十日で、彼女は自分の国を侵略され、父親を殺され、行く先々で人の死に遭い、いまもまた、こうして凄惨な死体を見せられている。おれなら耐えられない。いったい、なんの因果でこんな……

「サヴァンさん」

 リディアのうながす声がした。

 サヴァンは、考えにもならない考えを中断して、リディアを見た。

 まっすぐな目が、自分を見かえしてくる。

 レダもなにかを問いかける目で、じっとこちらを見つめている。

 サヴァンはすこしの間うつむいた。そして、顔をあげた。

「わかった。出よう」


 離宮の大扉を押し開くおごそかな音が、夜の周囲にことさら重く響いた。

 外は広大な庭が広がっている。手入れが行き届いた芝生を区切るように、舗道が十字に通っている。ところどころに適度に灯りがあり、暗すぎず明るすぎず、ほどよい視界をたもっている。果たし合いにはうってつけの場所だ。

 そして、その男は十字路の中心に立ち、サヴァンたちが姿を現しても、ピクリともしなかった。


 あたりの気配をうかがいながら、サヴァンはゆっくりと男に近づいていった。賊はどうやら、あの男だけらしい。たいした自信だな、とサヴァンは、夜の灯明にぼんやりと照らされる姿を観察した。

 ロング・コートを着た大柄な身体、逆立った短髪、端整な顔立ち。片耳にあるのは、イヤホン・マイクか。細い管状のものが、ほほに伸びている。

 リカルドのいう『レトー』の者か? まあそうだろう。おれだって一応は『知事』だ。相手の雰囲気から、実力の程度を知る感覚くらいは持っている。

 サヴァンは男と適度な間合いを取って、立ち止まった。そのすこし後方にレダが立ち、リディアを背中で守るようにしている。

 サヴァンは、男が手にする風変わりな武器に目をやった。

 黒一色で、槍ほどの長さがある。片側が刃になっていて、全体としては、細身のなぎなたに近い。男はそれを片手で持ち、刃先はこちらに向けているが、腕は下がっていて、構える様子がなかった。

 そうして、サヴァンとヤードの時間が、しばらく静止した。

 なんの口上もないのか? とサヴァンが思った、その直後だった。ヤードの空いているほうの手がすばやくコートに差しこまれ、次の瞬間にはもう、取りだしたハンドガンをサヴァンに向けて連射していた。

 そしてサヴァンも、すでにそこにはいなかった。

 ヤードがコートに手をかけた一瞬を、『知事』のサヴァンは見逃さなかった。

 一発目が発射される前に、サヴァンは風のようにヤードの横にまわりこみ、ハンドガンを持つ手をねらって、抜いた剣を振り下ろした。

 乾いた銃声が止み、薬きょうはカラカラと地面に落ち、風景が止まった。

 剣を振り下ろした姿のサヴァンと、身をかわして、なおハンドガンを突きつけているヤード。

 止まった風景が動き出す。

 サヴァンの剣が、今度はヤードの胸に突きかかる。ヤードはそれを後ろに退いてかわす。常人の目には留まらない、すさまじい速さの攻防だった。

 ヤードはハンドガンを捨てると、片手に持っていた長い武器を、両手に持ち替えた。手と手の間隔を大きく取り、刃先をすこし下げた構えを取っている。

 サヴァンも、剣を正眼に構えて、向き合った。

 そのとき、ふいに風を切る音がして、直後に爆発音がとどろいた。しかしサヴァンとヤードは対峙したまま、身じろぎもしなかった。

 ──狙撃手か。

 サヴァンはヤードから目を離さずに思った。

 リディアを狙ったものだろう。でも心配ない。昨日のシャトル・ポートのときとはちがう。いまはレダが、しっかりと守っているのだから。

 『知事』の白い制服に、白いマントをはためかせたレダは、サヴァンの後方に堂々と立ちつくし、不敵な笑みを浮かべていた。その背後には、爆音に思わずかがみこんだリディアがいる。


「どうしてどうして?」

 スナイパー・ライフルのスコープから目を離して、ナードは声をあげた。ヤードの返事はない。

「うそだうそだ!」ナードは、くわえていたキャンディ・スティックの棒を、ギリギリと噛んだ。

「……殺す、殺す!」

 ナードはスコープに目を当て、照準を合わせると、怒りに震える指でトリガーを引いた。


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