予兆・2
一人になったサヴァンは、しばらくじっと身体をこわばらせていたが、やがて立ち上がると、応接室を出て、リディアとレダがいる二階の貴賓室にむかって歩きだした。
自然、サヴァンはリカルドの提案した作戦に思いをめぐらせた。
単純で、危険な作戦だ。
おまけにリカルドの話では、襲撃を実行した、『レトー』というビューレン直属の特殊部隊は、並はずれた力を持つという。
そんな連中をわざわざ誘い出そうというのだから、危険というよりは、やはり無謀といったほうがいい。でも、おれたちはこの作戦を受けざるをえない。
──あいつめ。
サヴァンは歩きながら、歯をかみしめた。
やってくれたな、レダ。おまえは、皇帝が即刻追放をいいわたすほどの、なにかとてつもない無礼を働いたというわけだ。リカルド閣下は、いまひとつ頼りないが、律儀ではある。だから皇帝が激怒しているというのは、嘘ではないのだろう。まったく、謁見の記憶がなくてありがたいくらいだ。
なんにせよ、この戦時下にラザレクを放り出されたら、おれたちは行き場がなくなる。リターグに帰ろうにも、アイザレン軍の戦線を三人だけで突破することはできないのだから。
階段を重い足取りで上りながら、サヴァンは考えた。。
レダをとことん糾弾すべきだろうか。それとも、過ぎたことはしかたないとあきらめて、素直にリディアに作戦の話をするべきか。あるいは上司の指示をもらうか。
おれとレダに、リディア護衛の任を命じた、局長ジオ・レドムは、どういうだろう。またいつものとおり、とぼけた調子で、うまくやれ、としかいわない気もするが。
サヴァンは、部屋のドアの前で立ちどまると、一向に思案がまとまらない自分に嫌気がさし、ほとんどやけっぱちの気分になった。
もう、なるようにしかならない。ドアを開けて、レダが目に入ったらレダを問いつめ、リディアが目に入ったら、リディアと話をしよう。ふたりともいなかったら、局長に連絡だ。
サヴァンはドアをノックした。
「おう、入っていいぞ!」
レダの声だ。サヴァンは心を決めた。皇帝への無礼の詳細は、もうこの際どうでもいい。問題は、リディアを窮地に追いこんだという、その事実だけだ。昨日の晩も、あいつは行方をくらませて、護衛の任務を放棄した。あいつの好き勝手な行動の責任を負うのは、おれひとりで十分だ。事もあろうに、護衛対象のリディアの身を、ここまで追いつめるなんて。
……そう、リディアは、謁見のことをおぼえているのだろうか。もしおぼえているとしたら、いまごろは、おれたちに失望して、肩を落としているかもしれない。
サヴァンは、怒りにまかせて、いきおいよくドアを開けた。
そして、そこには、見なれた二人の姿があった。
上品なチュニックの部屋着をまとい、三つ編みの金髪を頭にぐるっと一周させた、多難な王女、リディア・ナザン。
サヴァンとおなじ『知事』の制服を着て、長い黒髪を両側に二つに束ね、濃いアイラインに濃い口紅をひいた、レダ・リュッケ。
ソファーにならんで座っているふたりは、入り口で立ちつくしているサヴァンを、不思議そうにながめていた。
そうか、とサヴァンは胸の中で苦笑した。ふたりが同時に目に入ったときのことを、おれは考えてなかったな。
「宮殿では昼を食いそこねたからな」と、レダがニヤッとしていった。「先に二人で、夕飯を食ってきた。うまかったぞ、なあ?」
話を振られたリディアは、ほほ笑み、小さくうなずいて目を伏せた。
サヴァンもまた、われ知らず笑みを浮かべた。
目の前にいる、いつもと変わらないふたりを見て、いままでわだかまっていたいろいろなものが、すっと身体から抜けていくここちがした。
──まあ、そうだな。
とサヴァンは思った。なんとかなるさ、おれたち三人なら。
「……おれも、おなかがすいたよ」
サヴァンはふたりにむけてそういうと、中に入り、ドアを閉めた。
──同刻。
「おまえの気持ちは、よくわかる」
通信機越しに、男の声が聴こえる。
「それで?」別の男の答える声がする。
「だがな、刃には刃の秩序、というものがあるだろう」最初の男がいう。「いや、刃であるからこそ、秩序そのものでなければならない。『卿団の刃』と称されるおまえには、特にその自覚を持ってもらいたい、ケンサブル」
「なんだか、よくわからんなあ」
と、アイザレン帝国中枢卿団・第四隊長イル・ケンサブルは、お決まりのぼんやりとした調子でいった。
四十前半にしては老けた顔、オールバックになでつけた髪、やせぎすの身体に、よれたジャケット姿。その冴えない風貌からは、大陸最高峰の剣士という勇名はとても想像できない。
しかしかれはつい数時間前、海上要塞ベアトリスにおいて、エントール皇国近衛静導士団のトップ・エース、アントラン・ユルトを討ち取り、さらにその名をとどろかせる副団長メイナード・ファーも敗走させたのだった。
しかし、こちらも無傷というわけにはいかなかった。共に戦っていた、大陸最強の飛行艦隊を率いる第二隊長ルキフォンスが、メイナードによって重傷を負わされ、ルキフォンスは艦隊ともども、戦線からの撤退を余儀なくされたのだった。
「わからなければ、はっきりいおう」
ディスプレイ越しの、中枢卿団・団長エーヌ・オービットは、有無をいわせない調子でいった。
「メイナード・ファーを、追うことは許さん」
ここはベアトリスに仮設された、卿団基地の中だった。海沿いの見晴らしのいい建物で、もとはエントールの防衛部隊の施設だったものだ。ケンサブルがいる部屋の窓からは、海に落ちかけた夕陽のオレンジがいっぱいに差しこみ、どこか世離れしたような雰囲気を作り出していた。
もっとも、実際にここは、エントールの本土からは遠くへだたっている。
ベアトリスを失ったエントール軍と静導士団が、本土のテッサという港湾都市を拠点に、第二次防衛ラインを敷いているという情報は、ケンサブルの耳にも届いていた。
そして、ケンサブルの思いはただ一つだった。
メイナードを討ち、ルキフォンスの仇を取る。
それは、メイナードがテッサにいるうちでなければならない。さもないと、今度はいつ顔を合わせられるかわからない。
だからこそ、こうして、急いで団長にかけあったのだが……
「おまえは、軍部と協力して、テッサを攻略しろ」
無言のケンサブルに対して、オービットはさらにくぎを刺した。「単独行動は許さん。これは命令だぞ、ケンサブル」
「そうだねえ」ケンサブルは、またつかみどころのない口調で答えた。
「まあ、とりあえず、そういうことにしておこうかなあ」
「ルキフォンスの容体は落ち着いている」オービットはいった。「いずれ戦線に復帰できる。私情は、心にとどめ置け。いいな」
テーブルの据え置きの通信機が切れ、ディスプレイからオービットの顔が消えても、ケンサブルはその画面にじっと目をやっていた。
そしておもむろに立ちあがり、窓辺によると、腰の後ろに手を組んで立ちつくし、降りかかる夕陽のまぶしさに目を細めた。
「俗物が」
いつにない、鬼気迫るような声で、ケンサブルはつぶやいた。「知った口を聞きやがる」
窓の外をながめるケンサブルの、切れるような目つきは、もう夕陽のまぶしさのせいだけではないようだった。