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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
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リターグの『知事』・1

 すれちがう人々のふしぎそうな視線を浴びながら、レイ=ロード・サヴァンは早足で廊下を突き進んでいた。

 白い詰襟の制服を着た青年だ。

 帯剣し、ブーツの音をいらだたしく響かせるその姿はなんとも威圧的だが、わけを知る者には、ああまたか、と苦笑をさそう景色だった。

 おまけに男としては細身で、顔もどことなく中性的なので、いまひとつ迫力がない。それでも、眉をきつく寄せたけわしい表情は、声をかけることをためらわせるには十分なものだった。

 廊下をいくつか曲がると、まだ目的地まで距離があるにもかかわらず、もう騒動の音がサヴァンの耳に届いてきた。若い女の強烈な罵声と、複数の男の怒声。

 むかう先は、正面に見える半透明の自動ドア。中は食堂だ。

 ──もう本当に勘弁してくれ。

 と、サヴァンは胸の内で毒づいた。

 おれはまだ、朝飯も食ってないんだぞ。

 自動ドアの前に立ち、音もなく開いたその先の光景に、サヴァンは思わず顔をひきつらせた。

 ひっくりかえったテーブル、散乱する食べ物、飲み物。

 男が一人うずくまっている。

 女が一人、勝ち誇ったように立っている。

 そして数人の男たちが、その女にいまにも飛びかかりそうな様子でいる。

 遠巻きのやじうまは、目を輝かせてその一幕に見入っている。

 全員、サヴァンと同じ白い制服を着ていた。

 かれらは『知事』だった。

 ここはリターグの、知事局とよばれる施設の中なのだ。

 サヴァンは、殺気立った男たちの顔を見て、とたんにげんなりした。おいおい、よりによって、ユース・ヴァンゼッティの取り巻きだったやつらかよ。

 回れ右をして退散したいが、そうもいかない。サヴァンは短くため息をつき、意を決して前に進むと、男たちと女の手前で立ちどまった。

「……えーと、」サヴァンは双方に目をやって、おそるおそるたずねた。「ど、どうしました? なにか問題でも?」

「うせろ」

 男のひとりが、女をにらみつけたまま押し殺した声でいった。

 まずいな、とサヴァンは警戒した。こいつら、本気で怒ってるぞ。なにをやったんだ、レダ?

「問題なんか、なーんにもないぞ、サヴァン」

 と、女のほうが軽い調子で口を開いた。

 詰襟とスカートの白い制服にロングブーツ。もちろん彼女も『知事』の一人だ。

 長い黒髪は左右に無造作に結わえられていて、勝気そうな顔は、濃いアイラインとどぎつい口紅で、よりいっそう不敵に見える。その瞳は、目の前の男たちをギラギラと見すえて離さない。口もとは笑っている。

 つきあいの長いサヴァンでなくても、このレダ・リュッケが、いまの状況を楽しんでいるのは一目瞭然だ。もっともその笑みは、豪胆というよりは、どこか狂気を感じさせる。

 まあよほど頭がおかしくなければ、とサヴァンは思った。ヴァンゼッティの取り巻きと、ひと悶着起こそうなんて考えない。時期的にも最悪だ。つまり、問題だらけだ。

「とにかく、落ちついてくれ」と、サヴァンは両手で制止のジェスチャーをして、どちらにともなくいった。こういう仲裁はもう慣れっこになっている。

「いまは、仲間同士でけんかをしている場合じゃあないだろう?」

「仲間?」とさきほどの男が、軽蔑しきった調子でいった。

「だれが仲間だ。おまえらのような虫けらと一緒にするな」

「アッハハ!」

 レダが笑った。

「おまえらのボスは、虫けらみたいに死んだけどな!」

 それはまずい、とサヴァンが思う間に、男たちの手が腰の剣にかかった。さすがに周囲も一瞬で騒然となった。当のレダだけが、あいかわらず不気味な笑みを浮かべて悠然としている。

 サヴァンはその場に立ちつくして、無意識に自分の剣に手を持っていった。もうしかたない。こいつらが抜いたら、おれも抜くしかない。私闘、流血、へたをすれば人死。ただじゃすまない。でもあとのことは考えていられない。ただしレダ、今度こそ、おまえとは縁を切らせてもらうぞ。

 男たちが剣を抜こうとした、まさにそのときだった。

「やめろ」

 と、サヴァンの背後で男の声がした。

 まだ若いが堂々とした一声だ。

 その声だけで、サヴァンにはそれがだれなのかわかった。そして小さく、安どのため息をついた。

 男たちの動きが止まったのを確認して、サヴァンはうしろをふりむいた。

 そこには二人の『知事』が立っていた。

 一人は真っ赤な髪を短く刈りこんだ、精悍な顔の男だ。隣には、ゆったりとカールした金髪を両肩に流した、美しい女が寄りそうようにしている。

「見苦しい」赤毛の男は言い放った。「同朋として、なげかわしく思うぞ」

「なにが同朋だ! 調子にのるなよ、エアハルト!」さきほどの男が、噛みつくような調子で応じた。

「ならば、局長にご裁量願おうか?」

 エアハルトと呼ばれた男は、動じる気配もなくいった。

「それとも、あくまでも剣を抜くというのであれば、こちらも同朋とは思わん。おれが相手になろう」

 男たちは怒りで煮えたぎった顔で、しばらくエアハルトをにらみつけていたが、やがて全員、荒々しく鼻で息をつき、出口に向かって歩き出した。レダは両手を頭のうしろに組んで、いかにもしらけた様子でそっぽをむいていた。

 男たちが出ていくと、食堂の中は満足げな空気につつまれた。

 おさめるべき者が、この場を見事におさめた、というような調和したやすらぎが立ちこめ、すぐにいつもどおりの食堂の喧噪に戻っていった。

 そしてみんなが、ときおりその赤毛の男、ロー・エアハルトに羨望のまなざしを送り、彼に関するなにごとかの称賛をささやきあうのだった。

 仲裁にきたはずが、とんだやぶへびになったサヴァンのことなど、だれも見向きもしなかった。当然のこととはいえ、サヴァンはどうにもやるせない気持ちになった。

 サヴァンとエアハルトは、ちらかったその場の後片づけをはじめた。女のほうはレダのそばに寄って、なにか困ったような笑みをうかべて話しかけていた。レダはレダで、ふてくされた表情だった。

「いまのは、ユースの仲間だろう?」

 サヴァンが口を開かないので、エアハルトは、倒れたテーブルをふたりで持ち上げたのを機会に話しかけた。

「今回の喧嘩は、なにが原因だ?」

「レダに聞いてくれ」サヴァンはぶっきらぼうな声でいった。「おれは知らん」

 すぐに、そのレダと女が連れ立ってやってきて、サヴァンたちの手伝いをはじめた。といっても、レダはただふんぞりかえって、不機嫌そうにあたりを見まわしているだけだった。

「おはよう、サヴァン」女がにこやかに声をかけた。

「ああ、おはよう、コーデリア」とサヴァンはかえした。

 コーデリアとよばれた女とサヴァンは、残りの片づけにとりかかった。

 だれもが認める、『知事』のトップ・エースの一人、ロー・エアハルト。

 そして同じく輝ける才女のコーデリア・ベリ。

 トラブルばかり起こしている、頭のおかしい暴力女のレダ・リュッケと、その尻拭い役という以外、なんの特徴もないレイ=ロード・サヴァン。

 『知事』になる前段階の予備学校からの、かれら四人のふしぎな親密さは、ここでは知らない者はなかった。

「で、どうしてこんなことになったんだ、レダ?」

 やってきたレダに、エアハルトがたずねた。

 レダはそっぽをむいて、しばらくだんまりを決めこんでいたが、やがて観念したように答えた。

「あいつらがまたちょっかいを出してきたから、ユースのことでからかっただけだ」

「それはいけないわ、レダ」コーデリアが顔をくもらせた。

「知らされてから、まだ何日もたっていないのよ? あの人たちじゃなくても、ショックを受けているんだから」

「なら、あたしにケンカを売る余裕なんてないはずだぞ」とレダはいいかえした。

「あいつら深刻なバカだ。よく『知事』になれたな!」

 ハハ、とエアハルトが苦笑した。

 そして、四人は後片づけを終えるとむかいあった。

「そうだ、こんなことをしている場合じゃない」とエアハルトがいった。

「局長がおまえたちを呼んでるぞ。それを伝えるために探してたんだ」

「え?」

 サヴァンは目を丸くした。知事局の長官から呼び出しを受けるなんて、ただごとじゃない。エアハルトやコーデリアのようなエリートならいざしらず、自分なんか『知事』になってこの二年、直接顔を見たこともない。

「特別任務か? そうなのか?」

 レダがパッと顔を輝かせた。

「ようやく、あたしたちにもデカい仕事がくるのかな、サヴァン?」

「おれだけじゃなく、こいつも一緒に来いって?」

 サヴァンはレダを指さした。

「うん、おまえたち二人を呼んでる」

「……なんで?」

「おいサヴァン、なーんだその嫌そうないいかたは!」

 レダがつめ寄った。

 ふふっとコーデリアは楽しそうに笑って、サヴァンとレダに親しみをこめた視線を送った。

「とにかく、早く行ったほうがいい。至急といっていたぞ」

 エアハルトはそういってから、ひとつため息をついて付け加えた。

「参戦したいまとなっては、おれたちものんびりしているわけにはいかないからな」

 コーデリアが、ちらっとエアハルトに目をやった。

 サヴァンは、突然の呼び出しに首をひねりながら食堂の出口に向かい、レダはそんなサヴァンを小突くようにしてあとにつづいた。

 二人の姿が消えると、エアハルトとコーデリアの間で、しばらく沈黙が立ちこめた。

「大丈夫かしら」やがてコーデリアが、気づかわしげな声でいった。

「そう願う」エアハルトは短く答えた。

 食堂の中は、一段とにぎやかになっていた。

 アイザレン軍がナザンを占領して、三日後の朝のことだった。


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