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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
39/142

海上要塞ベアトリスの死闘・5

 振り下ろされた槍を、自然と受けるようなやわらかさで、その黒い棍棒は差し出された。そして、イサギの刃を受けながら棍棒は、時間を超越したようにゆるやかに、それでいてたしかに、ルキフォンスの首に触れる手前で、刃を止めた。

「すまんなあ」

 ケンサブルは、強く悔いる声でいった。「遅れてしまったなあ」

 ルキフォンスの身体が前に倒れかかるのを、ケンサブルは抱きとめ、そっと背中を上にしたまま寝かせると、鷹揚に立ちあがり、メイナードに顔を向けた。

「死んでもらうよ」

 ケンサブルのその声は、異様なほど厳しく、抗いがたい響きをもっていた。

 メイナードはピクリと顔をしかめると、瞬時にうしろに退いた。

 目の前の地面に、さきほどの黒い棍棒が突き刺さった。

 ──考えるまでもない。

 メイナードはケンサブルをにらみながら思った。

 ユルトは死んだ。当然だ。わたしのせいで、このケンサブルと一騎打ちにさせてしまったのだから。

 でも、もう後悔はない。怒りも、悲しみも、苦しみもない。あるのは、恐怖。このイサギを持つ手が、震える? そこまでわたしは、今この男を恐れている? かれの剣技、いや、かれの「在るところ」を、わたしは理解しているはずだ。十分に戦える。いつもなら。でも今は……今は?

 メイナードは、イサギを下段にかまえ、万全の態勢で、目を閉じた。

 空や海の砲声、戦闘機の飛行音、潮騒。機銃の乾いた音がかすかにする。遠い海鳥の鳴き声は、幻か。匂い。身体にこびりついた血の臭い。潮の、地面の石の、硝煙の、自分の汗の、匂い。重い海風。髪のそよぎ。体温。闇。光。メイナードの中で、ふいにすべてが渾然一体となる。

 無意識に、メイナードの腕が上がった。槍の柄に、刃が当たる音。だが、たしかにケンサブルの刀を受けたはずが、まるで力が抜けるように、イサギがどんどん下げられていく。抵抗感が、まったくない。

 メイナードは目を開けてうしろに跳びすさると、渾身の力で、身体ごとイサギを一回転させた。

 強烈な衝撃波が、爆音とともに、一帯の地面を吹き飛ばした。

 ──これは、駄目だ。

 メイナードは逃げながら唇をかみしめた。

 いまは勝てない。わたしとあの男は、同質だ。だから、わたしはためらわずに、逃げるという決断ができる。逆の立場なら、あの男もきっとそうしている。


 ──痛み分けとも、いえない。

 と、メイナードは、旗艦に戻る飛行艇の中で考えた。

 ユルトは死んだ。でもルキフォンスは、そう簡単には死なない。あのくらいの傷なら、たぶん復帰してくるだろう。

 そしてベアトリスが陥落したいま、エントールは本土での全面戦争が現実味を帯び、そうでなくても国内は、ことに肝心の聖都ラザレクは、混迷をきわめている。

 リカルドひとりでは、もう制御しきれないのではないだろうか。ひしめく政敵も、皇帝陛下も。

 ぐったりと座席にもたれかかったメイナードは、疲労に耐えきれずに目を閉じた。そのまま底深いめまいをおぼえるメイナードを乗せて、飛行艇は敵の砲撃をくぐりぬけ、旗艦に収容されていった。


 がれきの山から起き上がったケンサブルは、後ろのルキフォンスのほうを振り向いた。

 とっさにかがみこんで壁となったおかげで、ルキフォンスはメイナードの最後の攻撃にさらされず、なんとかその場に倒れたままでいる。

 といっても、危険な状態にはちがいない。

 上空から味方の飛行艇が近づいてくる音がする。

 ──死にはしないが、復帰にはしばらくかかるだろう。

 ケンサブルはけわしい顔で、ルキフォンスの、無数の剣先が突き刺さった背中を見下ろした。

 自分や、ほかの隊長たちと違い、ルキフォンスの身体は、あまりタフではない。ここにきてルキフォンスの艦隊を長く欠くのは、エントールへの進攻に大きく影響するだろう。

 ──だがいまのおれには、国と国の争いなど、どうでもいい。

 飛行艇が着陸し、卿団員たちが飛びだしてくる。

 ケンサブルは、メイナードが逃げた方向に顔を向けた。

「仇は必ず取るよ、ルキフォンス」

 口を切ったのか、血の味がする。

 それを勢いよく吐き出すと、ケンサブルは急ぎ足で飛行艇に向かっていった。

 すでにアイザレン海軍の艦隊が、沿岸にせまっていた。ベアトリス上空の制空権も、アイザレン軍が掌握していた。

 二日に渡ったベアトリス攻防戦は、こうして終わりをむかえたのだった。


  *


 歌がうたわれている。

 言葉がつむがれている。

 歌も言葉も、わたしの口が発している。

 これは、わたしたちの世界を超えた、なにものかに向けた歌、そして言葉。

 わたしはそれを理解している。

 わたしを守り、取り巻く戦士たちも、理解している。

 勇ましく気高い戦士たちの、剣と剣のまじわる音や怒号、叫びが、見晴るかす大地に広がりわたっている。

 その間にも、わたしは歌い、言葉をつむぎ、かれらは声を張り上げ、斬りあい、ある者は倒れ、ある者は立ちつづける。

 戦うべくして戦い、流れるべくして流れる血。

 それは、わたしもかれらもわかっている。

 もう長い長い間、わたしたちはこうして、この身を捧げつづけてきたのだから。

 なのに、この胸の痛みは、とめどない涙は、なぜ?

 だれか教えて。だれか、それを……


 目を覚ましたリディアのほほからは、ひとすじの涙が伝っていた。いま観た、騒がしくも静かだった夢の名残が、全身に広がり、リディアはしばらくぼんやりと天井を見つめた。

 わけのわからない夢。でも、ただの夢とは思えない。

 はるかな未来と、はるかな過去がひとつに連なる、そんな重苦しい円環のような、この感覚。

 リディアはふいに、なにか閉じこめられているような息苦しさを感じ、ベッドから半身を起こした。

 ここは、離宮の貴賓室の寝室だ。夕暮れの、赤い陽が窓辺に降りかかっている。

 ──わたしは、なんで寝ていたのかしら。

 リディアは記憶をたどった。

 そう、謁見だ。皇帝との謁見。あのおぞましい広間の光景は、まざまざとこの目に焼き付いている。わたしはサヴァンやリカルドさんと、ひざをついて、拝謁した。そして、そう、レダさんが皇帝のお怒りをかって、リカルドさんが止めに入って、それから……それから、どうなった?

 リディアは目をきつくつむった。

 だめだ、覚えていない。そこから先は、いくら頭をふりしぼっても、思い出せない。このところ、わたしは記憶をなくしてばかりだ。ナザンからリターグまでのことも、リターグからユーゼン公領についたときも。

 リディアは悲しげに目を開けた。

 ──でも、逆に思い出したこともある。

 リディアは気を取りなおすと、ベッドの端に腰かけて、閉じたひざに両手をつき、うつむいた。

 『日に立つ者』。

 皇帝は、わたしのことをそう呼んだ。わたしはどこかで、その言葉を聞いたことがある気がした。

 いまは、はっきり思い出せる。あのマッキーバという人だ。ナザンの駐機場で、あの人は、たしかにわたしをそう呼んだ。どういうこと? なぜエントールの皇帝と、アイザレンの中枢卿が、わたしをそんな呼び方で呼んだのだろう?

 リディアは、思案にもならない思案に暮れかけた。

 そのとき、寝室のドアが開いて、顔をあげたリディアの目に、見なれた者の姿が映った。

「ベアトリスが落ちたぞ」

 レダ・リュッケは開口一番、あっけらかんとそういった。

「いまから、えーと、三時間くらい前だ。あと、シャトル・ポートであたしたちを襲った奴の正体がわかった。で、今後について、いまサヴァンとリカルドが協議してる」

「そ、そうですか」

 リディアはレダの早口にとまどいながら答え、いいにくそうな調子でつづけた。「あ、あの、レダさん。謁見のことなんですけれど……」

「楽しかったな!」レダがすぐさまいった。

「いえ、あの」リディアは恥ずかしげにうつむいた。「わたくし、途中から記憶がなくて……」

「ああなんだ、気にすることないぞ」レダはニヤッと笑っていった。「あの変な香にあてられたんだ。サヴァンなんか、謁見したこと自体忘れてるぞ。あいつの今後が心配だな!」

「あの、わたくしたち、皇帝になにか大変な無礼をしてしまったのでは?」

 リディアは記憶を頼りに、おそるおそるレダにたずねた。

「どこまで覚えてるんだ?」

「その、リカルドさんがレダさんをかばったところまでは」

「ほお、そこまで覚えてるか。さすがだな」レダはじっとリディアを見つめてそういってから、「まあ、その話はあとだ」と片手を振った。

「それより、あたしは腹が減った。はやく着替えろ。食堂に行くぞ!」

「わたくしは、あまり物を食べる気分ではないのですが……」遠慮がちにリディアはいった。

「食べられるときに食べたほうがいいぞ」

 と、レダはいつもの不敵な笑みを浮かべていった。

「おまえも、ナザンの戦士の本領を、発揮することになるかもだからな」

「それは、どういうことでしょう?」リディアは目を丸くした。

「あたしは見てみたいけどな。ナザン王に仕込まれた、おまえの剣技を」

 レダは軽く答えをはぐらかすと、リディアに再度着がえをうながし、部屋を出ていった。

 勢いよくドアが閉められ、リディアはすこしの間、ぽかんとそちらを見つめていたが、やがて、無意識に窓のほうに顔を向けた。

 窓の外は、塗りこめられたような、見事な赤い夕焼けが、空一面に広がっていた。

 リディアは恍惚として、その赤い空を、いつまでも見つめつづけた。


(第一部・了)


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