海上要塞ベアトリスの死闘・3
要塞の施設が立ち並ぶ大通りで、アントラン・ユルトは、目の前の光景を涼しい顔でながめていた。
もともとあった陸上部隊の兵士の死体にまざって、さまざまな格好をした静導士団の団員の無残な死体が倒れている。
空や海の砲声が耳につく。濃い潮の匂いが鼻をかすめる。
ユルトはあいかわらず、黒く細長い棍棒を肩にかついで、ふてぶてしい態度で立っていた。
そして前方には、血にまみれた自分のジャケットに目をやるケンサブルの姿があった。
「さすがに、一般兵士とはちがうなあ」と、だれにでもなくケンサブルはいった。「返り血を浴びてしまった」
「おれは靴のかかとが減った」ユルトは挑発した。「てめえのせいだ。弁償しろよ」
ははは、とケンサブルは気の抜けた笑い声を上げた。「わたしの靴なんか、もう底が抜けそうだよ」
「だせえな」
「ほんとにねえ」
次の瞬間、まるでパッと場面が飛んだように、ユルトはケンサブルの頭上に棍棒を振り下ろしていて、ケンサブルは刀を横にしてそれを受け止めていた。そしてすこしの間、刀と棍棒で押し合いをしたあと、また一瞬で元の間合いにもどった。
──わからねぇ。
ユルトは内心で疑問を感じていた。
たしかに、援護に来た部下の団員たちは、あっという間にやられた。全員、よりすぐりの猛者たちだった。そんなかれらがまったく相手にならなかったこの男、さすがに『卿団の刃』といわれるだけのことはある。
でも、どうもこう、力感がない。
ユルトは、前方にぼんやりと立っているケンサブルをにらみつけた。
さきほどの、部下たちとケンサブルの戦いがフラッシュバックする。
切りこんでいく部下たち。それを受けて、あるいは避けて、切りかえすケンサブル。その連続。
士団の下っ端あたりには脅威だろうが、おれからすれば、こいつはふつうの剣士にしかみえない。うちの副団長みたいな、圧倒的なものを感じない。……でも、なんだろう、この妙な違和感は。
瞬間、ふたたびユルトの棍棒とケンサブルの刀が交わっていた。振り下ろされた棍棒を刀が受ける、さきほどと同じ格好だ。しかし今度は、さらに押し合う。金属がこすれるいやな音がする。
ユルトはギリギリと棍棒を押しつけ、ケンサブルの刀は、なんとかそれを持ちこたえている。
これがユルトの戦い方だった。硬質な棍棒で、相手の武器を破壊する、あるいは肉体を砕く。ユルトのすさまじいスピードと剛力で、自在にあやつられた棍棒は、これまで数多くの相手の武器と身体を打ちすえ、壊してきた。そうやってユルトは、士団のトップ・エースにのしあがっていったのだ。
と、その優勢のユルトから、スッとケンサブルの身体が退いた。そして力をもてあましたユルトの棍棒が、ドスンと地面に突き当たった。
……なに?
ユルトはあっけにとられた。
いま、おれはあの男が、刀で棍棒を受けたまま、ゆっくりと後ろにさがるのを、たしかに見ていた。なのに、なぜおれは動かなかった? なぜ、まるで当然のように、あいつに後退を許した? そんなことは考えてもいなかったのに。
ユルトは警戒を強め、とっさにさきほどより遠い間合いを取って、ケンサブルと向かい合った。
「なるほどねえ」
と、ケンサブルはいかにも感嘆したようにいいながら、ユルトに向かってすたすたと歩き出した。「きみ、エースだけあって、なかなかやるねえ」
ユルトは、はじめて棍棒を両手でしっかりと正眼にかまえた。
部下の団員たちとケンサブルとの戦いが、また思い起こされる。もやもやとした違和感に、だんだんかたちが帯びてくる。
そう、猛者ぞろいの部下たちの実力からすれば、この男の剣技に、十分立ち向かえたはずだ。なのに、なぜ傷ひとつ負わせられずに、ああもあっさりやられた? あれはまるで、剣劇を見ているようだった。台本どおりにあいつが斬り、部下たちが斬られる、そんな自然な流れ。つまり不自然だ。
ユルトは、なぜかふいに戦慄をおぼえた。いいようのない不気味な感覚が、胸に押し寄せてくる。とたんに、ルキフォンスの一声でこちらに歩いてきたときのケンサブルの、あまりに自然な足取りが思い出された。
あのとき感じた不気味さと同じものを、いままさに感じている。棍棒をにぎるユルトの手から汗がふき出す。なんだかしらないが、やっぱりヤバい相手だ。いったん副団長と合流しよう。いや、もう手遅れだ。やられる。
……やられる?
心でつぶやいてはじめてそう気づかされるような、不思議なここちだった。しかしなによりも不思議なのは、こうして思いをめぐらせている間にも、ユルトはケンサブルが歩いてくるのをたしかに目にしていたのに、まるでなんの行動も起こそうとしなかったということだった。そしてケンサブルはいま、ユルトの目の前にいた。
本能的に、ユルトは棍棒を振り上げた。ふっとケンサブルの姿が揺らいで、次の瞬間には、ユルトの背後にまわっていた。
ユルトの身体が、棍棒を振り下ろした格好で硬直した。そしてすぐに、その首と両手首から鮮血が噴き出した。切断された手首が棍棒をにぎったまま地面に落ち、さらに首が落ち、身体が倒れた。
「……減ってないじゃないか、靴のかかと」
と、ケンサブルは倒れたユルトの足をのぞきこむようにしてつぶやいた。たちの悪い男だねえ。いや、立ちの悪い男かな?
ははは、と短く力のない笑い声をあげて、ケンサブルは抜身の刀をだらりと下げたまま、しばらくその場にたたずんでいた。