海上要塞ベアトリスの死闘・2
灰色の石畳の地面に、おびただしい兵士の死体がある。
それは、エントールの皇軍えりぬきの、屈強な兵士たちだ。
ベアトリス防衛という名誉ある任務を、勇敢にまっとうしようとした結果だった。
かなわない相手とわかっていても、かれらは銃口を、あるいは剣を、その侵略者たちに向けたのだった。
そして、石畳に広がる、その兵士たちの血を踏んで立つ者がいる。
一人は、白銀の細身のローブにマント、同じく白銀のフェイス・マスクをした、若い女だ。ローブの帯には、美しい白鞘の刀剣が差してある。海風が、その女の長い黒髪に、重くねばりついている。
もう一人は、くたびれたジャケットを着た中年の男だ。オールバックの髪、どこかぼんやりとした表情。戦争でなにもかも失った者の、絶望の姿にも見て取れる。しかし男の手には、血のりの付いた一本の刀が握られている。
空と海では砲声のとどろきが止まない。しかしそれらは、交戦というよりは掃討に近い、一方的なものだ。
海上要塞ベアトリスの攻防戦は、すでに終わった。そしてそこからはじまる一つの戦いを目前にひかえ、二人は無言で、いままさにこちらにやってくる者たちを、じっと見つめているのだった。
砲台群が全滅しても、ベアトリスの防衛部隊は、まだ十分な戦力があった。少なくとも援軍を待つ余力は残されていた。しかし、歴史上何度も敵をしりぞけてきた砲台群が、わずか数十分でがれきと化したという現実は、防衛部隊の士気を急激に低下させた。
アイザレン軍はこれを機に、一気に攻勢に出た。防衛線を突破し、海でも空でも敵部隊を撃破していった。
敗北を見越した第二次防衛ラインがすでにしかれているにもかかわらず、ベアトリス防衛部隊は、死守を命じられていた。撤退許可を求めた司令は罷免され、かわりに指揮することになった副官は、理不尽を承知で、命令を順守するしかなかった。
押すことも、引くこともできず、敵の波状攻撃を前に、ベアトリス防衛部隊は、なすすべなく壊滅していくほかなかったのだった。
海風が、奇妙な一集団の前を吹き抜けていく。
先頭を行くのは、若い女だ。白地に赤い模様をあしらった、丈の短いローブをまとい、長い髪を揺らすその姿は優美だが、両手で持つ黒い槍は、いかにも凶悪だ。
後ろの男はしゃれた背広姿で、片手に、これも黒く細長い棍棒を握り、それを肩に持たせかけて歩きながら、調子っぱずれの鼻歌を響かせている。
その二人のまわりを、さまざまな服装で、さまざまな武器を持った男女が取り囲んで歩いている。
全員で整然と隊形を作りながら、かれらはこの、凄惨を極めるベアトリスの敷地内を、まっすぐ進んでいた。
──鉛のような血の臭いがしてきそうだ。あるいは、本当の鉛玉の臭いも。
メイナード・ファーは、そうやって気配のするほうへ進んでいきながら、顔を曇らせた。
……手遅れだった。わたしたちの艦隊が到着したときは、もうアイザレン軍の飛行艦隊は、視認できる距離に迫っていた。
そしてその艦隊の、さらに奥に見えたふたつの艦隊。
メサイアを擁するルキフォンス隊と、ケンサブル隊。
大局の決したこの場で、問題なのは、ルキフォンスじゃない。わたしたち静導士にとって、いま脅威なのは、『卿団の刃』と称される、イル・ケンサブルのほうだ。
かれらの気配は、わたしたちが着く少し前から、もうベアトリスの陸にあった。
要塞を制圧して、わたしたちがやってくるのを待っていたのだ。
メイナードとユルトは、ともに部下の団員を連れて、降下艇でそのベアトリスに降り立った。そこは石造りの堅牢な施設が立ち並ぶ、一面灰色の空間だ。
一行は、ルキフォンスたちのもとに近づきつつ、同時にベアトリスの状況も確認してまわっていた。
──それにしても、ここまでやるとは。
メイナードは、なんともいえない無常を覚えていた。
深い裂傷が赤く開いた死体。胴から一刀両断され、内臓があらわになった死体。手足や首のない死体。それらが、いたるところに散見される。すべて刀傷だった。全員、要塞の陸上部隊の兵士たちだった。
やがて、一行は、ベアトリスの中央の施設群を抜けた。
そしてメイナードは、かれら陸上部隊が、中枢卿団によって殺戮されたことを、はっきりと認識した。
──怒りは、感じない。
メイナードは前を見すえながら、心の中でいった。
たぶん、わたしは哀しんでいる。無常そのものに、わたしは哀しみ、むなしさを覚えている。
ユルトの鼻歌が止んだ。
──あなたにはわからないでしょう、ルキフォンス。
石畳の、ひらけた場所に、足を踏み入れていた。
前方に立つ、二人の姿があった。
そして、何十人もの、兵士の死体。
その二人の後ろには、黒いオーバーコートに黒いケープをはおった卿団員が、一糸乱れぬ様子で、ずらりと整列している。
槍を持つ両手に力を込め、メイナードは歩を進めた。
「きさまらの、死出の供を仕立ててやった」
近づいてくるメイナードに、ルキフォンスがいった。「にぎやかな方がよかろう?」
「むごいことをしましたね」
距離をつめて立ち止まると、メイナードは静かに応じた。「底が知れますよ、ルキフォンス」
「これは戦争であり、かれらは兵士である」
ルキフォンスは目をきつく細め、朗々と返した。
「そして、われらは中枢卿である。メイナード、『士団の切先』と呼ばれるきさまこそ、その槍の漆黒に、どれだけのむごい血をまぎらせているのか」
「この槍は、受け入れる物」
メイナードはせつないような目を、自分の槍に向けた。
「あなたがたのような餓鬼の狂熱を、受け入れるためだけのものです」
「ほお。それが、名槍イサギかあ」
と、二人から距離を取って立っていたケンサブルが、ひとりごとのようにいった。「なるほど、美しいなあ」
「なんでもいいぜ」
棍棒で肩をイライラとたたきながら、ユルトがいった。「早くしようや。艦隊が持たねぇよ」
ユルトは砲声の響く空に、しかめた顔を向けた。
「アイザレン軍の連中がなだれこんでくる前に、決まりつけようや」
「……きみは、だれだい?」
ちょうどユルトの正面に立つケンサブルが、興味津々という顔を向けた。
「だれでもいいじゃねぇかよ」と、せせら笑いをまじえてユルトは答えた。
「あんた、すぐに死ぬんだから」
「そうなのかい?」と、ケンサブルはきょとんとした顔でいった。
「おやめなさい、ユルト!」
と、メイナードがぴしゃりといった。
その妙に厳しいメイナードの声を聴いたルキフォンスは、かすかに眉を動かした。そして、
「その下郎をやれ、ケンサブル」とすばやくいった。
「そうかい?」
と、軽く答えたケンサブルは、五メートルほど先にいるユルトに向かって、刀を片手に、まるで散歩でもするようにふらふらと近づいていった。
──しまった!
メイナードは思わず声をあげそうになった。
ユルトは、ケンサブルの雰囲気になにか不気味なものを感じたのか、かなり後ろに退いてしまった。そして自分の前方のルキフォンスは、すでに剣に手をかけてこちらにやってきている。ルキフォンスだけじゃない。ほかの卿団員も、みな同じように自分のほうに向かってくる。
これでは、もうユルトと連携がとれない。
メイナードは、自分もじりじりと後ろにさがりながら、唇をかみしめる思いでいた。
──なんということ! 分かれて戦うという、絶対に避けなければならない事態に、いきなりおちいってしまった!
「あなたたちは、ユルトの援護にまわりなさい!」
メイナードは部下たちに叫んだ。
──やはりな。
ルキフォンスは胸の中でほくそえんだ。
あのユルトとかいう下郎の力を、メイナードは信用していない。でなければ、この女が一対一の果たし合いに、部下を加勢させるはずがない。
槍がどうのと、くだらん偽善の口上で心が静まり、スキを作ったか。これならば、ケンサブルが戻ってくるまで、わたし一人でしのげる。
「総員かかれ! 『士団の切先』を折り、名を上げよ!」
ルキフォンスは号令を発し、部下ともども剣を抜き、メイナードに迫っていった。




