女帝リリィ・エントール・6
──同刻。
飾り気のない大廊下を行く者たちがいる。
先頭には、貴族然とした装いの、男とも女とも知れないような、壮麗な若者。
うしろには、浅黒い肌をした、美しい女。
そしてふたりを取り巻く者たちは、みな同じ黒いマントで屈強な身体を包んでいる。
ブーツの重い靴音が、その一団の威容に、いっそう近寄りがたいものを与えている。実際、その場にいる、あるいは行き来している兵士や士官たちは、かれらのすがたを見てとると、だれもが好奇といぶかしさのまざった、複雑な目をむけた。
そんな衆目をいっこうに気にしない様子で、先頭の若者は前方の大扉にむかって、カツカツ、と規則正しく靴音を響かせ、肩まであるカールのかかった黒髪を波打たせていた。
やがて大扉の前に来ると、まわりの者たちの中から二人が進み出て、左右の扉を押し開いた。若者が中に入ると、あとには女だけが続き、ほかの者たちは一礼をして、扉を閉めて去っていった。
ふだんは、サロンとして使われている部屋なのだろう。厚手の絨毯に、シャンデリア。広すぎもせず、狭くもない。品のいい内装で、いかにもゆったりとくつろげそうな部屋だ。
しかし、いまはとてもくつろぐ雰囲気ではない。
調度品は片寄せられ、中央には、ロング・テーブルが置かれ、それを囲んでいる将官服の老人たちが、入ってきた二人に鋭い視線を送っている。
「スーラ元帥」
若者は、そんな将官服の男の一人に、小さくうなずいてそういい、また別の男にむかって、「メキリ元帥」と同じようにあいさつをした。そして、ひとりだけ軍装ではない男にむかっては、「コーエン公」と言葉をかけた。
「ならびに将軍ご一同、ごきげんよう」
近衛静導士団・首席隊長リミヤン・キュベルカは、ほかの者たちにも視線を送り、涼しい顔でいった。「キュベルカだ。よろしく頼む」
「アイゼン公」と、その場にいる者たち全員が、キュベルカに頭を下げた。
「その名は使わないでいただきたい」
と、キュベルカはきぜんとした調子でいった。
「アイゼンは、すでに廃絶している。そうでなくとも、わたしは一介の近衛としてここにいる」
「では、キュベルカ卿」
と、スーラ元帥と呼ばれた男が、その場を取り持った。
「さっそく、軍部と士団の方針のすりあわせを行いたい。敵軍は、」といって、スーラはロング・テーブルを指し示した。そこには、エントール東部の地図が広がっている。
「敵軍は、ここより北六百キロの地点に陣を構えている。もう明日にでも攻めてこようかという状勢であれば、われわれの間に隔意のないことを、確認しておきたい」
「了解した、将軍」
キュベルカは薄くほほ笑み、威厳をたたえた表情で、全員を見わたすようにしてつづけた。
「軍部と士団の在りようのちがいは、ことさらいうまでもあるまい。だがわれらはいま、この戦場の同胞であり、われら二つを結ぶ線、これこそが戦線である。この思いに、一片のくもりもない。機関の隔意、これあるを認めはするが、このキュベルカは、軍部をないがしろにするつもりは毛頭ない。将軍ご一同におかれては、キュベルカの意を、どうかおくみ取りいただきたい。ともに正義を遂行せん、ただ、この一念のみである」
その朗々とした声に、しばらく場が静まりかえった。
やがて、「ただいまのご口上、」と、スーラ元帥がまた場を取り持った。
「まさに、皇国一丸の言と心得る。ご一同、この場にもはや、憂いはあるまい。委細の用件にかかるとしよう」
「ねえ、コーラ?」と、楽しげな声がする。
「あなたは、三人の中では、だれが好み? スーラ将軍と、メキリ将軍と、コーエン公」
「レザーン、またそんなことを」
と困りきった顔で、キュベルカ隊副長コーラ・アナイスがいった。
ここは、コーエン公領の首都ラメクにある、公爵の居城の貴賓室だ。さきほどまで作戦会議をしていた広間から、そう離れてはいない。
城は小さいが、がっちりと角ばった灰色の石組で、いかにも堅牢な外観だった。ユーゼン公領やエイゼン公領と隣りあわせということもあって、長く二公戦争の火の粉にさらされた先代のコーエン公が、万が一にそなえて建造させたものだった。
そんなわけで、とにかく防衛拠点としての用途をおもんじた結果、美しくもなんともない、ほとんど牢獄のような城ができあがったのだが、堅さは国内でも屈指という評判だった。
「あたしはねぇ、」と、レザーンがいたずらっ子のような笑みを浮かべていった。「やっぱり、コーエン公かな。おひげがチャーミングよね」
一人掛けの椅子に座るレザーンは、テーブルのティーカップを両手で持って、胸元に引き寄せると、背中を丸めてそれに口を近づけた。
「お行儀が悪いわよ、レザーン」
むかいに座るコーラは、姉のような口調でたしなめた。
目の前にしているのは、上官の、リミヤン・キュベルカ本人だ。でも、いまはそうじゃない。その身に宿るもうひとりの人格、やんちゃなレザーン。いつもなにかいたずらを考えている、かわいいレザーン。
コーラは、自分の注意も聞かずに、身体を丸めて紅茶を飲むレザーンのすがたを目にして、思わずふっと優しい笑みを浮かべたが、すぐにまた、もとのせつないような表情にもどった。
『士団の秤』と称されるキュベルカは、ここにはいない。あるいは、エントール随一の名門、アイゼン公としてのキュベルカも。
いや、名門だった、といったほうが正しい。あの軍議の場で本人が口にしたとおり、アイゼン公は廃絶した。キュベルカがかろうじて生き延びているのは、ひとえに、その特異な戦闘能力を買われたからだ。そして、わたしも。
「ねえコーラ、クイズよ!」
レザーンがパッと顔を輝かせていった。
「スーラ将軍と、メキリ将軍と、コーエン公の、ここでの肩書を、正確にいいなさい。あたったら、ごほうびをあげるわ!」
「……スーラ元帥は、東部方面連合軍総司令、皇軍東方戦線司令」と、コーラは気乗りはしないものの、顔には出さずに、おだやかに答えた。
「メキリ元帥は、東部方面連合飛行艦隊司令長官、東方戦線総参謀長。コーエン公は、諸侯連合軍司令。……これでいいかしら?」
「あたり!」
レザーンは椅子から跳ね上がると、コーラのもとに駆け寄って、ほほにキスをした。
「ごほうび!」うれしそうにそういうと、レザーンは鼻歌をうたいながら、窓辺に向かって歩いていった。
昼の陽光が、部屋に差しこんでいる。はるか遠い海上要塞ベアトリスでは、激戦がつづいていた。
「……じゃあ、もうひとつクイズ」
と、少しして、レザーンがふいに口を開いた。
「あの三人の中で、いちばん格上の人はだあれ?」
コーラはかすかに眉をひそめて、窓辺のレザーンのほうを振り向いた。
陽光を浴びて立つレザーンは、ほほえんでいた。が、それはどこか不穏な笑みのように、コーラには感じられた。
「三人とも、同格よ」コーラは答えた。
「あたり」
レザーンはほほえんだまま、静かにいった。




