女帝リリィ・エントール・3
宮殿の玄関前で車を降りたサヴァンは、そのあまりの巨大さに、言葉もなかった。
ぶ厚い石の壁は、山のように高く、左右に長大に広がっている。
中央には、ひときわ大きなドーム状の塔の頭が見え、意匠をこらした円塔や尖塔も、いたるところから伸びている。
さながら、ごってりと武装した石の巨人といったところだ。しかも塔は、はるか奥にまで続いていて、もはや巨人の隊列といった印象だった。
リカルドに先導されて宮中に入ると、一行は、絢爛豪華な大廊下を歩いていった。
街道のように幅広で、これも街道のように、さまざまな容姿の人々とすれ違う。
青い空のかわりに見えるのは、万華鏡のような模様の天井画だ。
ここに一万人が暮らしている、と、道中でリカルドが説明した。
宮殿といっても、単に皇帝の住まいというだけではない。実際に皇帝が住んでいるのは、宮殿内の宮廷で、あとは家臣や、皇帝の聞こえのいい、あらゆる階級のあらゆる職業の者が、ここに居を構えているらしい。
むこうは何々の施設、むこうは何々の間、などと、無造作に指さしながら、リカルドは義務めいた調子で説明をつづけた。
まあ実際、義務みたいなものだろう、とサヴァンは、あたりに見とれまくっているレダが、フラッといなくならないように注意しながら思った。リディアは国賓で、リカルドはエントールを代表する人物だ。こういった宮中の案内も仕事のうちだろう。
大廊下では、重厚なローブをまとった者や、いかにも上級士官という服装の者たちが、みなリカルドに頭を下げたり目礼したりと、敬意を示して通りすぎるのが目につく。
それにしても、一万人とは、と、ひととおり説明を終えたリカルドのあとについて歩きながら、サヴァンは苦笑しかけた。リターグの住民の五分の一が、すっぽり入るじゃないか。まさに街の中にある街という感じだな。
廊下を進んでは曲り、進んでは曲り、をくりかえしたあと、一行は、ひとつの重々しい大扉を抜けて、中に入った。
すると、あたりの様子が、とたんに一変して、サヴァンは驚くよりも妙な気分になった。
赤い絨毯が敷かれた大廊下で、左右は、これも赤いカーテンがひだをうねらせながら、どこまでもつづいている。
明かりは、ほのかな間接照明だけで、うす暗いその廊下を行きかう者はだれもいない。
とても静かだが、なにかざわざわと胸騒ぎをもよおさせる圧迫感がある。しかも窓がないので、ずっとここにいると時間の感覚が狂いそうだ。
そして廊下には、ほのかに、樹脂を焚いたような甘い香りがただよっている。
それまでつつましく歩いていたリディアも、しきりに周囲に目をやるようになっている。レダはますます興味津々という顔つきだ。
「閣下」
サヴァンは静かに声をかけた。
んん? と、前を行くリカルドは応じた。なにかしら質問されるだろうと、予期していたようなそぶりだった。
「少々、あたりの様子が変わったように思えますが」
ふっと、リカルドが力なく笑った。
「わたしには、どこも同じように見えるがな。まあ、しかし」と、リカルドはこころもちサヴァンに顔を振り向けていった。「一応申しておこう。ここは、帝の宮廷内だ」
宮廷内、とサヴァンが意味もなく胸の中でつぶやいているうちに、「帝は、この先の広間でご会見に臨まれる」とリカルドがいった。
遠くの正面に、両開きの大扉が見える。
この場の雰囲気からすると、にこやかな午餐を、という感じではないな、とサヴァンは思った。〝おまえがおかずにならないように、せいぜい気をつけるんだな〟というレダの言葉が思い出される。
やっぱり、リカルド閣下に謁見の趣旨を聞いておくべきだったか、とサヴァンはいまさら後悔した。つい物怖じして、いわれるままここまでやってきたけど、まさか本当に取って食うつもりじゃないだろうな。
〝ラザレクは、魔窟だ〟と、今度は局長の言葉が思いかえされる。
サヴァンは、不安げな表情のリディアに、ちらっと目をやった。おれたちはいま、もちろん帯剣していない。でも、おれやレダにとって、剣は必要不可欠なものではない。万が一のとき、おれたちの力は、このリカルド・ジャケイにどこまで通じるのか。
サヴァンは胸の奥底に、わずかに灯るものを感じた。
しかし、サヴァンのそんな物騒な思いも、大扉の前までくると、たちまち吹き飛んだ。
この先に、大エントール皇国を統べる女帝が待ちかまえているのだ。罠じゃなければ。
サヴァンは無意識に身だしなみを整えた。リディアもリカルドも同じだ。レダだけは、早く開けろ、と無言でリカルドに催促している。
「では、よろしいですか?」
リカルドは、なぜか沈痛とすらいえる声で一同にたずねた。そして三人がうなずくと、リカルドはその大扉を両手で押しはじめた。
ゴウン、と重い鉄扉が開かれる音が響きわたる。中で焚き染められているのか、異様なほど濃密な甘さの香が、扉のすき間からムッと流れてくる。
視界が開け、その先の光景を目にして、サヴァンは息をのんだ。
謁見用の広間ではあるのだろう。遠い正面に、急傾斜の長い踏み段があり、頂上に玉座が設けられている。金に縁どられた赤い絨毯が、その玉座まで伸びている。
中はとても広い。ところどころに円柱があり、灯籠の台がある。いま歩いてきた廊下と同じくらいうす暗く、窓はいっさい見当たらない。
そして、大理石の床に横たわり、喜悦に身をもだえさせている、無数の人間たち。
みなほとんど全裸で、あたりかまわず一心にふけっている。
男も女も入り乱れて、恍惚とした表情で声をあげ、身体をからめ合い、くねらせ、激しく動く。
突然目に飛びこんできた、狂気の風景。
しかしサヴァンは、その風景にある種の力感をおぼえ、不快に思うよりも前に、単純に圧倒された。




