ナザンの王女・3
「はあ……」
深くなげくような、女の声がする。
「本当に、こんな失態、団長になんていえばいいのかしら」
ここはナザンの城の大広間だ。
リディアがナザンを脱出した、翌朝のことになる。
その女のすがたは、その場の雰囲気には似つかわしくないようだった。
豪華なパフ・スリーブの純白のローブと、純白のマント。腰には金の指揮刀。長く美しい金髪。
女は、血にまみれた広間の中央に立っていた。
足元には、銃痕がなまなましい、ナザン王ユリリクの死体があった。ナザンの兵士の、無残な死体もあちこちに見受けられる。
その中で、アイザレン帝国の〝中枢卿団〟副団長、ケイ・エルフマンは、ユリリクの死体を見るともなくながめながら、なげきにひたっていた。
あたりには、アイザレン軍の兵士たちの声や足音がせわしなく響き渡っている。兵士たちはみな、この立ちつくすエルフマンを、好奇の目で見た。
エルフマンは軍人ではなかった。
〝中枢卿団〟は、皇帝直轄の戦闘部隊だ。略して〝卿団〟といわれることもある。
そこに属する者は『中枢卿』と呼ばれ、リターグの『知事』とおなじく、全員が常人離れした異能者だった。
かれらはふだん、軍部とかかわることはほとんどない。だから一般の兵士が、中枢卿団の、それも副団長を目にする機会など、めったにないのだ。
「やはり、指揮系統がわかれていると、なにかと不都合ですな」
エルフマンの背後にいる男が、ぽつりとつぶやいた。丈の長い漆黒のマントに身を包んだ、いかつい顔の若い男だ。
「それと、マッキーバ殿は、帝都に戻られたようです」
「声をまともに浴びたのなら、無傷というわけにはいかないわね」エルフマンは冷淡な声でそういうと、「自業自得ね」とつけ加えた。
そのとき、初老の男が一人、広間に姿をあらわした。位の高い将官用の軍服を着ていて、兵士たちは一様に敬礼をした。
男は不機嫌な顔つきで、エルフマンの前まで行き、立ちどまった。
広間の中はしんと静まりかえり、全員の視線が男とエルフマンにそそがれた。
「ごきげんよう」とってつけたように、エルフマンはにこやかにあいさつをした。
「きげんのいい顔に見えるかね、エルフマン卿」
男は威厳を強調するように、平静な声で返した。
「なかば強引に呼び出されたが、当然それだけの理由があるのだろうな」
「あら、もちろん理由もなく、お呼び立てするはずがありませんわ」と、エルフマンはしたしげにいい、フフッと目を細めて笑った。
「いつでもそうでしたでしょう? わたくしが、あなたがた参謀班にお会いするときには、かならず、相応の理由がありました。前は、たしかおとといでしたわね」
エルフマンはにこやかな表情をくずさずに、話を続けた。男は微動だにせず、エルフマンをきびしい表情で見つめた。
「あのとき、わたくしはこのナザンの即時攻略を、強くご提案申し上げましたわね。それなのに、あなたがたはいつも同じ言葉のくりかえし。軍本隊の、ハイドスメイへの進軍が先だ、司令部の決定だ、もうそればかりでしたでしょう? わたくしも途方に暮れてしまって」
「われわれは、本国の総司令部の命令にしたがったまでのこと。いかに卿団とはいえ、軍務に口をはさむことはまかり通らん」
「ですから、わたくしの部隊だけで参ります、と申し上げたではありませんか」
すねた少女のような口調で、エルフマンはいった。
「そうしたら、統制が乱れるなどとおっしゃって、とりつくしまがないんですもの」
「目標を取り逃がしたとがめは、軍部でうける」
男は毅然といい放った。「貴卿とこれ以上話すことはない。このうえ不満があれば、師団長に直接そういいたまえ」
「あら、ごぞんじではありませんの?」
エルフマンがきょとんとした顔でいった。
「将軍閣下は、更迭されてアイザレンにお帰りになりますのよ?」
「なんだと!」
「それと、この第十六師団は、第三軍をはなれて、本日付けでわたくしの指揮下に入りましたの」
男は驚愕の表情を顔にはりつけ、絶句した。
「ですからね、わたくし、あなたをお呼び立てする正当な権限があるのですよ」
エルフマンはやわらかい声でいった。
「これまでのあなたがたの、わたくしに対する態度ふるまい、残念でしかたありませんわ。わたくしのいうとおりにしていれば、安全に、迅速に、目標を捕らえることができましたのに」
男はあまりに急な出来事に驚くばかりで、言葉をかえす余裕もなかった。
「あなた、この師団の参謀長でらっしゃったわね?」
ああ、そうだ、と男はなんとか声を出した。
「では、あなたが責任をお取りなさい」
と軽やかにいって、エルフマンはほほえんだ。
「あなたがたは、わたくしの言葉に耳を貸さず、状況を正しく見ることもしませんでした。ピット」
は、とエルフマンのうしろの若い男が応じた。
「この者の耳をそぎ、目を突きなさい」
ピットは無言で前に進み出た。
そしてそれは、一瞬で行われた。兵士たちがまばたきをする間に、参謀長の身体はドッと顔から倒れ、すぐに血だまりが広がっていった。そぎ落とされたふたつの耳も床に落ちていた。まわりのアイザレンの兵士たちは、なにが起こったのかわからないまま、その場に凍りついていた。
「捕らえた師団長のほうは、どうされます?」
剣の抜き差しの動きも見せなかったピットが、エルフマンの耳元でいった。
「あら、どうするもなにも」と、エルフマンはすがすがしい微笑をピットに送っていった。「本国にお帰りいただくしかなくてよ、不慮の事故にあわないように」
ピットは神妙な顔で、小さくうなずいた。広間の中は少しずつ、元のざわめきが戻っていった。
「すぐに、この部隊の編成替えをなさい」エルフマンがすずしい声でピットにいった。「数日中に、娘を追って進発しますから」
「しかしこの件、軍部が知れば黙っていないでしょうな」
「あら、部隊の接収は、卿団の権利ですわ」
心外そうにエルフマンはいった。
「それに現状、わたくしたち以外に、だれがあの娘を追えて?」
「……団長への報告は、どのように」いいにくそうにピットがたずねた。
「あとにします。このままでは、合わせる顔がありませんもの」
そういって、エルフマンはいらだちを発散させるように、急に身をひるがえし、動揺と喧噪がまざりあった広間を出ていった。
一人で城の廊下を進むうち、エルフマンは、ふと窓の外に目をやった。
「……まあ、いい天気」
晴れやかにそういうと、エルフマンは立ち止まった。
晴天の大空は、紺碧に美しく染めぬかれていた。
「今日はいいことがありそう」エルフマンはつぶやいて、短く笑った。
同日午後、南のエントール皇国が、アイザレンに対して、宣戦を布告した。
これによって、レガン大陸全土にわたる大戦が勃発したのだった。