女帝リリィ・エントール・1
朝。
部屋に近づいてくるなじみ深い気配に起こされ、サヴァンは、やれやれ、と心の中でつぶやき、寝ていたソファーから起き上がった。
「ラザレクは、でっかい街だぞ!」
部屋に入ってきたレダは、悪びれもせずに、喜色満面でいった。
昨夜の部屋割りの際の光景が、サヴァンの脳裏に去来する。
レダにつめ寄る自分。挑む様子を見せるレダ。一触即発の空気。そして、脱兎のごとく逃げたレダ。
いつになく不穏だった。でも、いまは気まずさはまったくない。もうしつこく問いただす気もない。大喧嘩をしても、三十分もすればなかったように接し合えるのが、おれとレダの強みだ。そうじゃなかったら、とてもこんなやつと長年付き合うことなんかできない。
「おまえ、一晩中歩きまわっていたのか?」
「まあ、そんなところだな」
レダは答えると、くたびれた格好でソファーに座っているサヴァンをまじまじと見つめて、
「そうかあ……」
と、同情に耐えないという調子でいった。
「裸の異文化交流は、できなかったんだな……」
「朝っぱらから下品な冗談はやめてくれ」
渋い顔でサヴァンはいった。
「そう、朝だ!」レダの目が輝いた。「食堂はいいにおいがしてたぞ。あたしはお腹がすいた。リディアを起こしてくる」
街の中だけじゃなく、この離宮も見てまわったのか。サヴァンはレダの言葉からそれとなく察して思った。まあ悪いことじゃない。なにせおれたちは、いつまた襲撃されるかわからない身だ。昨日のリディアとの話で、あらためてそれが実感できた。細かい気配りや心がまえ、これからは、いっそうそういうものが大事になってくる。
しかしそんなサヴァンでも、さすがに、まだ皇帝に謁見する心がまえまではしていなかった。
豪華な大食堂で、長いテーブルの端に三人で固まって座り、リディアは上品に、レダは豪快に、サヴァンは落ち着かなげに、それぞれ朝食を食べているところに、いそがしくやってきたのは、リカルド・ジャケイだった。
朝の光の元だからか、サヴァンには、リカルドが昨日よりも老けて見えた。
局長からエントールの内情を聞かされたあとでは、このリカルドの双肩にかかる責任や心労はよくわかる。顔にきざまれた深いしわの一つ一つに、苦労がにじんでいるようだ。寝ていないのか、こころなし目の下も黒い。
サヴァンがそんなことを考えているうちに、きびきびとやってきたリカルドは、立ちあがったサヴァンとリディアに手短にあいさつをしてから、実は、と重い口調で本題に入った。
「実は、皇帝が、本日みなさまとお会いしたいとのことで」
いきなりの話にポカンとするサヴァンと、きょとんとするリディア。座ったままのレダは、背中を丸めてスープをすすっている。
「さしつかえなければ、昼にでも宮殿にお越しいただきたいのですが」
はあ、そうですか、と、サヴァンとリディアは同時にぼんやりと答えた。
そしていくつかやり取りをし、昼にむかえにくるといってリカルドは去り、ふたりはなかば放心したまま席に戻った。
「朝からせわしない男だな」
と、レダはパンでいっぱいになった口をもごもごさせて、気楽にいった。「ありゃ女にもてないタイプだぞ」
レダのあんまりな軽口をたしなめる余裕は、いまのサヴァンにはなかった。
なんか変だな、とサヴァンは考えていた。口ぶりからすると、リカルド閣下はこの件に乗り気じゃないらしい。まあそれは理解できる。いまは戦時で、それも本土に侵攻されている一大事だ。閣下とすれば、のんきに皇帝とおれたちの会談の場を設けている場合じゃない。
でも、あの口ぶりの重さは、そういったものとは別のなにかを感じさせた。単純に、皇帝に会わせたくない、とでもいうような。
それに、そもそもなんで皇帝が、おれたちに会おうとするんだ? むこうは超大国エントールを統べたもう大君主だ。砂漠の小国の亡命者とその護衛のことなんか、本来、耳にも入らないんじゃないだろうか?
「美人らしいぞ」
突然レダの声がして、サヴァンは考えを中断した。
「……なに?」
「リリィ・エントールといえば、絶世の美人らしいぞ。よかったなあ、サヴァン。行く先々で美人に会えて」
おざなりにそういうと、レダは給仕にスープの皿をかざし、それを指で差しておかわりを要求した。給仕はいんぎんにおじぎをして、厨房のほうへと歩き去る。そのやり取りを見て、サヴァンは真剣に悩んだ。
この、存在自体が国への冒涜みたいなレダも、謁見させなければならないのだろうか。昨日の夜の、シャトル・ポートでの懸念が、まさにいま現実のものとなった。こいつにはやっぱり、急病で寝こんだことにしてもらったほうがよさそうだ。
「そういえば、女帝、でいらっしゃいましたよね」
リディアが声をひそませて、会話に加わった。
「わたくし、それ以外のことは、まったく存じ上げないんですけど」
「まあ、あたしの知るかぎり」
と、レダはテーブルに置かれた、湯気の立つ新しいスープに目をキラキラさせながらいった。
「その女帝は、あたしみたいなやつだな」
どんなやつだよ、とサヴァンは心の中で突っこんだ。
リディアはとりあえずうなずいたものの、レダに似た女帝のイメージがうまく浮かばないらしく、小首をかしげている。
当然だ。こんなやつに似た皇帝がいてたまるか。国が音を立ててつぶれる様が目に浮かぶ。
──それにしても。
と、サヴァンは、パンとスープに熱心にとりかかっているレダの横顔を見て、つくづく思った。
こいつは、いつもどこから情報を仕入れてくるんだ? エース級ならいざ知らず、おれたちみたいな、知事局からも出たことがなかったような落ちこぼれの『知事』は、世間知らずもいいところだ。おれだって、いわれてはじめて、エントールの皇帝が女帝だということを思い出した程度なのに、なんでレダは人物像まで知っているんだ? そんな話をする友だちは、こいつには誰一人いなかったはずだが。
視線を感じたレダが、ふしぎそうな顔をサヴァンに向けた。その口はあいかわらずもぐもぐやっている。
「あんまり食べすぎるなよ」
と、サヴァンはとりつくろった。「謁見で、午餐がでるかもしれないだろ?」
「おまえがおかずにならないように、せいぜい気をつけるんだな、サヴァン」
と、レダは涼しい顔で答えてから、前を向き、またパンをぱくりとやった。
その言葉の意味がわからず、サヴァンは思わずリディアに顔を向け、ふたりは首をかしげた。
数時間後、サヴァンはレダのいったことの意味を、いやというほど知ることになる。
 




