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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
29/142

女帝リリィ・エントール・1

 朝。

 部屋に近づいてくるなじみ深い気配に起こされ、サヴァンは、やれやれ、と心の中でつぶやき、寝ていたソファーから起き上がった。

「ラザレクは、でっかい街だぞ!」

 部屋に入ってきたレダは、悪びれもせずに、喜色満面でいった。

 昨夜の部屋割りの際の光景が、サヴァンの脳裏に去来する。

 レダにつめ寄る自分。挑む様子を見せるレダ。一触即発の空気。そして、脱兎のごとく逃げたレダ。

 いつになく不穏だった。でも、いまは気まずさはまったくない。もうしつこく問いただす気もない。大喧嘩をしても、三十分もすればなかったように接し合えるのが、おれとレダの強みだ。そうじゃなかったら、とてもこんなやつと長年付き合うことなんかできない。

「おまえ、一晩中歩きまわっていたのか?」

「まあ、そんなところだな」

 レダは答えると、くたびれた格好でソファーに座っているサヴァンをまじまじと見つめて、

「そうかあ……」

 と、同情に耐えないという調子でいった。

「裸の異文化交流は、できなかったんだな……」

「朝っぱらから下品な冗談はやめてくれ」

 渋い顔でサヴァンはいった。

「そう、朝だ!」レダの目が輝いた。「食堂はいいにおいがしてたぞ。あたしはお腹がすいた。リディアを起こしてくる」

 街の中だけじゃなく、この離宮も見てまわったのか。サヴァンはレダの言葉からそれとなく察して思った。まあ悪いことじゃない。なにせおれたちは、いつまた襲撃されるかわからない身だ。昨日のリディアとの話で、あらためてそれが実感できた。細かい気配りや心がまえ、これからは、いっそうそういうものが大事になってくる。


 しかしそんなサヴァンでも、さすがに、まだ皇帝に謁見する心がまえまではしていなかった。

 豪華な大食堂で、長いテーブルの端に三人で固まって座り、リディアは上品に、レダは豪快に、サヴァンは落ち着かなげに、それぞれ朝食を食べているところに、いそがしくやってきたのは、リカルド・ジャケイだった。

 朝の光の元だからか、サヴァンには、リカルドが昨日よりも老けて見えた。

 局長からエントールの内情を聞かされたあとでは、このリカルドの双肩にかかる責任や心労はよくわかる。顔にきざまれた深いしわの一つ一つに、苦労がにじんでいるようだ。寝ていないのか、こころなし目の下も黒い。

 サヴァンがそんなことを考えているうちに、きびきびとやってきたリカルドは、立ちあがったサヴァンとリディアに手短にあいさつをしてから、実は、と重い口調で本題に入った。

「実は、皇帝が、本日みなさまとお会いしたいとのことで」

 いきなりの話にポカンとするサヴァンと、きょとんとするリディア。座ったままのレダは、背中を丸めてスープをすすっている。

「さしつかえなければ、昼にでも宮殿にお越しいただきたいのですが」

 はあ、そうですか、と、サヴァンとリディアは同時にぼんやりと答えた。

 そしていくつかやり取りをし、昼にむかえにくるといってリカルドは去り、ふたりはなかば放心したまま席に戻った。

「朝からせわしない男だな」

 と、レダはパンでいっぱいになった口をもごもごさせて、気楽にいった。「ありゃ女にもてないタイプだぞ」

 レダのあんまりな軽口をたしなめる余裕は、いまのサヴァンにはなかった。

 なんか変だな、とサヴァンは考えていた。口ぶりからすると、リカルド閣下はこの件に乗り気じゃないらしい。まあそれは理解できる。いまは戦時で、それも本土に侵攻されている一大事だ。閣下とすれば、のんきに皇帝とおれたちの会談の場を設けている場合じゃない。

 でも、あの口ぶりの重さは、そういったものとは別のなにかを感じさせた。単純に、皇帝に会わせたくない、とでもいうような。

 それに、そもそもなんで皇帝が、おれたちに会おうとするんだ? むこうは超大国エントールを統べたもう大君主だ。砂漠の小国の亡命者とその護衛のことなんか、本来、耳にも入らないんじゃないだろうか?

「美人らしいぞ」

 突然レダの声がして、サヴァンは考えを中断した。

「……なに?」

「リリィ・エントールといえば、絶世の美人らしいぞ。よかったなあ、サヴァン。行く先々で美人に会えて」

 おざなりにそういうと、レダは給仕にスープの皿をかざし、それを指で差しておかわりを要求した。給仕はいんぎんにおじぎをして、厨房のほうへと歩き去る。そのやり取りを見て、サヴァンは真剣に悩んだ。

 この、存在自体が国への冒涜みたいなレダも、謁見させなければならないのだろうか。昨日の夜の、シャトル・ポートでの懸念が、まさにいま現実のものとなった。こいつにはやっぱり、急病で寝こんだことにしてもらったほうがよさそうだ。

「そういえば、女帝、でいらっしゃいましたよね」

 リディアが声をひそませて、会話に加わった。

「わたくし、それ以外のことは、まったく存じ上げないんですけど」

「まあ、あたしの知るかぎり」

 と、レダはテーブルに置かれた、湯気の立つ新しいスープに目をキラキラさせながらいった。

「その女帝は、あたしみたいなやつだな」

 どんなやつだよ、とサヴァンは心の中で突っこんだ。

 リディアはとりあえずうなずいたものの、レダに似た女帝のイメージがうまく浮かばないらしく、小首をかしげている。

 当然だ。こんなやつに似た皇帝がいてたまるか。国が音を立ててつぶれる様が目に浮かぶ。

 ──それにしても。

 と、サヴァンは、パンとスープに熱心にとりかかっているレダの横顔を見て、つくづく思った。

 こいつは、いつもどこから情報を仕入れてくるんだ? エース級ならいざ知らず、おれたちみたいな、知事局からも出たことがなかったような落ちこぼれの『知事』は、世間知らずもいいところだ。おれだって、いわれてはじめて、エントールの皇帝が女帝だということを思い出した程度なのに、なんでレダは人物像まで知っているんだ? そんな話をする友だちは、こいつには誰一人いなかったはずだが。

 視線を感じたレダが、ふしぎそうな顔をサヴァンに向けた。その口はあいかわらずもぐもぐやっている。

「あんまり食べすぎるなよ」

 と、サヴァンはとりつくろった。「謁見で、午餐がでるかもしれないだろ?」

「おまえがおかずにならないように、せいぜい気をつけるんだな、サヴァン」

 と、レダは涼しい顔で答えてから、前を向き、またパンをぱくりとやった。

 その言葉の意味がわからず、サヴァンは思わずリディアに顔を向け、ふたりは首をかしげた。

 数時間後、サヴァンはレダのいったことの意味を、いやというほど知ることになる。


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