エンディウッケ・3
ふたの開いた、横型の治療カプセルに、ケイ・エルフマンは寝かされていた。
いや、浮かんでいたといったほうがいい。
カプセルは薬液で満たされ、エルフマンは、ぴったりとした白い特殊な病衣をまとって、そこにひたっているのだった。
ハイドスメイで、ロー・エアハルトと相討ちになった、次の日の朝だ。
昏倒したエルフマンを助けたのは、ルケ・ルクスだった。
ルケは『ロヴァ』にエルフマンを収容し、その最新鋭の戦闘機は、来たときと同じように、敵にさとられずに、エルフマン隊の旗艦オステアに戻ったのだ。
エルフマンを連れ帰ると、ルケは自分の部隊のもとに帰っていった。
エルフマン隊は、地上の第十六師団と、それを指揮するピットを残して、あとはすべて戦線を離脱し、カイトレイナまで後退した。
医療施設が整っている、いちばん近い町といえば、カイトレイナ以外にはなかったからだ。
エルフマンはすぐに大病院に移送され、夜を徹して手術がおこなわれた。その結果、エアハルトの剣で深手を負った胴はふさがれ、エルフマンは一命をとりとめたのだった。
空が白みかけてきたころに手術が終わると、エルフマンは治療カプセルに入れられて、個室に移された。
そしていま、エルフマンはとても不機嫌だった。
個室に運ばれてから数時間後に目を覚まし、部下からひととおりの状況を聞かされると、エルフマンは荒っぽく部下に退室を命じ、あとはじっとひとりで天井をにらみつけ、思いにもならない思いをめぐらせていた。
不機嫌になる理由は、数えればきりがない。
エアハルトから受けたはずかしめ。ふがいない果たし合い。憎たらしいルケを出しぬくどころか、逆に助けられたという事実。
西部戦線のルキフォンスとケンサブルは、そろそろ動き出すらしい。マッキーバはマッキーバで、自分の仕事をこなしているのだろう。
そしてここまでまったくいいところなしの自分は、あろうことか薬液に浸かって、なにもできずにいる。
「ああ、もう!」
エルフマンは思わず声をあげた。
右のわき腹がむずむずする。大きな傷は残ったが、もう問題なく動ける。自分の身体のことはわかる。ただでさえ、中枢卿の治癒力は並ではない。
──早くピットと合流しなければ。
そのとき、カプセルのそばの棚にある、自分の携帯通信機が鳴った。部下が気を利かせて置いていったものだった。エルフマンは手を伸ばし、それを取って、ディスプレイの表示に目をやると、小さくため息をついた。
「どうだ、身体のほうは」
通信機越しに、中枢卿団団長エーヌ・オービットは、普段どおりの声でいった。
「問題ありませんわ、団長」
エルフマンはいかにも気丈な風に答えた。「今日中に、中央戦線に戻ります」
「もう完治したのか?」
「もちろんですわ。おかげでいい休養がとれました」
「なら、戦線に戻る前に、やってもらうことがある」
「なんでしょう?」
「そっちにいるはずのマッキーバと連絡が取れない。すぐに状況を確認して、報告しろ」
……なんですって?
戦線復帰のことしか頭になかったエルフマンは、あぜんとした。
マッキーバとエンディウッケが二人組と対峙して、少し経ったころのことだった。
そして同じころ、砂漠のリターグ聖自治領の病室では、コーデリア・ベリが、エアハルトの寝姿にじっと目をそそぎ、悲しみと、疑念にとらわれていた。
──どうして?
コーデリアは、呼吸器をつけて眠っているエアハルトに、心で語りかけた。
どうして、また、あんな薬に手を出したの? どうしてあれを、わたしに黙って持っていたの?
この数時間、椅子に座ってかたくなにエアハルトを見守りながら、コーデリアはそうやって、何度も何度も同じ問いかけをくりかえしていた。
リターグの飛行艦隊の、ハイドスメイ撤退はうまくいった。エントール軍が壊滅的な打撃を受けたのに対して、ほとんど損害はなかった。
しかし、士気の低下は深刻だった。
リターグの誇る『知事』のエース、ロー・エアハルトの重傷。そしてなにもできずに敗北を喫した、コーデリア・ベリ。
旗艦のハンガーの監視カメラにおさめられていた戦闘の一部始終は、あまりにもショッキングで、乗組員には口外厳禁が命じられたが、うわさはたちまち広がっていった。
薬物で豹変したエアハルト、狂乱の声をあげてうずくまるコーデリア。
結果としては相討ちのようなものだったとはいえ、『知事』のそのような醜聞は、せまりくるアイザレン軍と戦わなければならないリターグの、軍や知事局に、重い影を落としたのだった。
幸いコーデリアはすぐに回復したが、エアハルトはそうはいかなかった。
エルフマンの渾身の突きで胸をつらぬかれれば、いかに強靭なエアハルトとはいえ、復帰にどれだけかかるのか、いや、そもそも復帰できるのか、確かなことはだれにもいえなかった。
ただ一ついえるとすれば、それはエアハルトとコーデリアの、リターグでの立場がいちじるしく低下した、ということだけだった。実際、コーデリアはこの知事局内の病室に来るまでに、いままで仲の良かった『知事』たちとすれちがったが、かれらはさげすみの表情をあらわにして、コーデリアを無視して通りすぎたのだった。
しかしコーデリアには、そんなことはどうでもよかった。
わたしにとって、本当の仲間は、サヴァン、レダ、そしてエアハルトだけ。あとの人たちには、なんと思われても、全然かまわない。わたしたちは四人、なにがあろうと、いつまでも変わらない。こんなことで揺らぐ関係じゃない。
だからこそ、ロー。わたしは、あなたが目を覚ましたら、思いっきり責める。思いっきりひっぱたく。あなたが約束をやぶったことを、わたしは許したい。
目を覚ましたら、許してもいいと思えるくらいのことを、わたしにしてちょうだい、ロー。
この数時間でもう枯れきったと思っていた涙が、コーデリアの目にあふれ出した。エアハルトの呼吸器の音が、ひと呼吸ごとに、なにか波のようにコーデリアに不安を誘う。
と、白い制服のポケットの携帯通信機が鳴った。コーデリアは涙を拭き、通信機に耳をあてた。
「……わかりました」
と、やがてコーデリアは通信機越しに答えた。
それは、局長ジオ・レドムからの通信だった。南からも北からも、アイザレン軍が間近にせまっていた。コーデリアは、気持ちの整理も満足にできないままに、苛烈な戦いに身を投じなければならないのだった。
──さらに同刻
「それは、連隊長の総意ということか?」
若い男の、落ち着いた声がする。
朝の陽光に照らされた、こざっぱりとした部屋で、砂漠民の調度品があちこちに見受けられる。
大きな机の上にブーツの足をどっかりと乗せた、エルフマン隊副長ピットは、目の前に立つ初老の男をにらみつけていた。
「総意、という意味では、そのとおりだ、ピット卿」
男が硬い声で答えた。
「電撃を旨とするわれらが、こうして時間を空費する理由は、どこにもない。この期におよんで、待機など無意味だ。……貴卿の指揮に異議はないが、」
と、男は含みを持たせるようにつづけた。
「われわれは、われわれのなすべきことを、なすべき時に行いたい。そしてこれは、連隊長の間の話ではない。われら第十六師団の総意だ」
ふふ、と、ピットは笑った。
「なにがおかしい」男がとげとげしい声でいった。
「たとえば、きさま、わたしをどう思う?」ピットは不敵な笑みを浮かべていった。
「質問の意味がわからんが」男は警戒した口調で答えた。
「そう、たとえば」
ピットは机に足を乗せたまま、おもむろに腰から短剣を抜いた。そして男にむけて、振り下ろすしぐさをした。
とたんに、男の軍服が、肩から腹にかけて、ななめに裂けた。
男は驚愕と怒りで目を見開き、唇を震わせた。
「リターグには、わたしと同等か、それ以上の『知事』が、手ぐすねひいて待っているぞ、大佐」
と、人を食ったような調子でピットはいった。
「きさまは、敵の本拠地で、軍と『知事』を相手に、文字どおり孤軍奮闘するつもりか?」
「こうしている間にも、その敵は防備をかためているのだ!」
かみつくように男は応じた。「聞く耳をもたないというのであれば、この件は総司令部を通じて、正式に……」
「まだそんな、たわけたことをいうのか」
ピットは男の言葉をさえぎり、足を机から降ろして、姿勢を正した。
「第十六師団は、もはや軍の指揮下にはない。栄光の、中枢卿団エルフマン隊の、正規部隊だ。大佐、はっきりいっておこう」
ピットは立ちあがり、スッとあごをあげて男を見つめた。
「隊長代理のわたしは、当然、エルフマン閣下の随意にある。わたしへのさきほどの苦言は、まもなく戻られるエルフマン閣下へのそれととらえて、よろしいか?」
男は鼻で大きく呼吸をしてから、つばをのみこんだ。
「エルフマン卿は、いつ戻られる」
「まもなく、だ」ゆっくりと、高圧的にピットは答えた。
「この待機は、エルフマン卿の意志ということだな?」
「そうだ」
「……よかろう」男はいった。「では、帰還をお待ちしよう。手遅れにならねばよいがな」
男は、軍服を裂かれたことをものともしないで、堂々と部屋をあとにした。
──さすがに、軍が誇った最精鋭の部隊だ。どいつもこいつも、肝がすわってやがる。
ピットは、立ったまま思案顔になった。
だが、いまさらあとには引けない。
エントールに向かう中央軍集団と分かれ、リターグに進撃することは、たしかにおれの独断だったが、団長の許可はあとづけでもらった。
だからこそおれは、なんの気がねもなく、このレンという町を占領したのだ。
リターグから百キロ南。遠からず近からず、兵站にするにはもってこいの場所だ。
接収した、このレンの族長の屋敷とやらも、高台にあって居心地がいい。
待機など無意味、それはそのとおりだ。リターグの北からもアイザレンの援軍はやってきているが、われわれだけで十分リターグを攻略できる。
だが、いまはだめだ。
なにをおいても、隊長の合流を、待つのだ。
ルケ・ルクスからひととおり聞かされた、隊長とエアハルトとの果たし合いは、さんざんなものだ。隊長を助けてくれたルケ卿には、すなおに感謝するが、そんなことより、開戦から失態つづきのエルフマン隊には、あとがない。
カイトレイナからの報告では、エルフマン隊長の傷は、もう癒えたらしい。
ならば隊長と本隊が到着してから、リターグを落とし、エルフマン隊全体の戦功にしなければならない。
『知事』の本拠地のリターグを落とすことは、第一級の戦功だ。これでエルフマン隊の面目はたもたれる。むりやり部隊を増強したエルフマン隊長の、〝胸に秘めた悲願〟の、あしがかりにもなるだろう。
──そう、そしてなにより。
ピットは、腰の長剣に意識をやった。
感じるのだ。予感がするのだ。
戦争の喧騒ではない。刺すような、一本の予感。
この町に、『知事』がくる。
おれも卿団幹部のはしくれだ。そのときが近いことは、頭ではなく身体が感じている。
──これを打ち倒して、隊長帰還の、露払いとすべし。
ピットは高揚から、口もとに笑みが浮かぶのをおさえられなかった。そしてもてあます力を振り切るように、目的もないまま、勢いよく部屋を出た。




