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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
27/142

エンディウッケ・3

 ふたの開いた、横型の治療カプセルに、ケイ・エルフマンは寝かされていた。

 いや、浮かんでいたといったほうがいい。

 カプセルは薬液で満たされ、エルフマンは、ぴったりとした白い特殊な病衣をまとって、そこにひたっているのだった。

 ハイドスメイで、ロー・エアハルトと相討ちになった、次の日の朝だ。

 昏倒したエルフマンを助けたのは、ルケ・ルクスだった。

 ルケは『ロヴァ』にエルフマンを収容し、その最新鋭の戦闘機は、来たときと同じように、敵にさとられずに、エルフマン隊の旗艦オステアに戻ったのだ。

 エルフマンを連れ帰ると、ルケは自分の部隊のもとに帰っていった。

 エルフマン隊は、地上の第十六師団と、それを指揮するピットを残して、あとはすべて戦線を離脱し、カイトレイナまで後退した。

 医療施設が整っている、いちばん近い町といえば、カイトレイナ以外にはなかったからだ。

 エルフマンはすぐに大病院に移送され、夜を徹して手術がおこなわれた。その結果、エアハルトの剣で深手を負った胴はふさがれ、エルフマンは一命をとりとめたのだった。

 空が白みかけてきたころに手術が終わると、エルフマンは治療カプセルに入れられて、個室に移された。

 そしていま、エルフマンはとても不機嫌だった。

 個室に運ばれてから数時間後に目を覚まし、部下からひととおりの状況を聞かされると、エルフマンは荒っぽく部下に退室を命じ、あとはじっとひとりで天井をにらみつけ、思いにもならない思いをめぐらせていた。

 不機嫌になる理由は、数えればきりがない。

 エアハルトから受けたはずかしめ。ふがいない果たし合い。憎たらしいルケを出しぬくどころか、逆に助けられたという事実。

 西部戦線のルキフォンスとケンサブルは、そろそろ動き出すらしい。マッキーバはマッキーバで、自分の仕事をこなしているのだろう。

 そしてここまでまったくいいところなしの自分は、あろうことか薬液に浸かって、なにもできずにいる。

「ああ、もう!」

 エルフマンは思わず声をあげた。

 右のわき腹がむずむずする。大きな傷は残ったが、もう問題なく動ける。自分の身体のことはわかる。ただでさえ、中枢卿の治癒力は並ではない。

 ──早くピットと合流しなければ。

 そのとき、カプセルのそばの棚にある、自分の携帯通信機が鳴った。部下が気を利かせて置いていったものだった。エルフマンは手を伸ばし、それを取って、ディスプレイの表示に目をやると、小さくため息をついた。

「どうだ、身体のほうは」

 通信機越しに、中枢卿団団長エーヌ・オービットは、普段どおりの声でいった。

「問題ありませんわ、団長」

 エルフマンはいかにも気丈な風に答えた。「今日中に、中央戦線に戻ります」

「もう完治したのか?」

「もちろんですわ。おかげでいい休養がとれました」

「なら、戦線に戻る前に、やってもらうことがある」

「なんでしょう?」

「そっちにいるはずのマッキーバと連絡が取れない。すぐに状況を確認して、報告しろ」

 ……なんですって?

 戦線復帰のことしか頭になかったエルフマンは、あぜんとした。

 マッキーバとエンディウッケが二人組と対峙して、少し経ったころのことだった。


 そして同じころ、砂漠のリターグ聖自治領の病室では、コーデリア・ベリが、エアハルトの寝姿にじっと目をそそぎ、悲しみと、疑念にとらわれていた。

 ──どうして?

 コーデリアは、呼吸器をつけて眠っているエアハルトに、心で語りかけた。

 どうして、また、あんな薬に手を出したの? どうしてあれを、わたしに黙って持っていたの?

 この数時間、椅子に座ってかたくなにエアハルトを見守りながら、コーデリアはそうやって、何度も何度も同じ問いかけをくりかえしていた。

 リターグの飛行艦隊の、ハイドスメイ撤退はうまくいった。エントール軍が壊滅的な打撃を受けたのに対して、ほとんど損害はなかった。

 しかし、士気の低下は深刻だった。

 リターグの誇る『知事』のエース、ロー・エアハルトの重傷。そしてなにもできずに敗北を喫した、コーデリア・ベリ。

 旗艦のハンガーの監視カメラにおさめられていた戦闘の一部始終は、あまりにもショッキングで、乗組員には口外厳禁が命じられたが、うわさはたちまち広がっていった。

 薬物で豹変したエアハルト、狂乱の声をあげてうずくまるコーデリア。

 結果としては相討ちのようなものだったとはいえ、『知事』のそのような醜聞は、せまりくるアイザレン軍と戦わなければならないリターグの、軍や知事局に、重い影を落としたのだった。

 幸いコーデリアはすぐに回復したが、エアハルトはそうはいかなかった。

 エルフマンの渾身の突きで胸をつらぬかれれば、いかに強靭なエアハルトとはいえ、復帰にどれだけかかるのか、いや、そもそも復帰できるのか、確かなことはだれにもいえなかった。

 ただ一ついえるとすれば、それはエアハルトとコーデリアの、リターグでの立場がいちじるしく低下した、ということだけだった。実際、コーデリアはこの知事局内の病室に来るまでに、いままで仲の良かった『知事』たちとすれちがったが、かれらはさげすみの表情をあらわにして、コーデリアを無視して通りすぎたのだった。

 しかしコーデリアには、そんなことはどうでもよかった。

 わたしにとって、本当の仲間は、サヴァン、レダ、そしてエアハルトだけ。あとの人たちには、なんと思われても、全然かまわない。わたしたちは四人、なにがあろうと、いつまでも変わらない。こんなことで揺らぐ関係じゃない。

 だからこそ、ロー。わたしは、あなたが目を覚ましたら、思いっきり責める。思いっきりひっぱたく。あなたが約束をやぶったことを、わたしは許したい。

 目を覚ましたら、許してもいいと思えるくらいのことを、わたしにしてちょうだい、ロー。

 この数時間でもう枯れきったと思っていた涙が、コーデリアの目にあふれ出した。エアハルトの呼吸器の音が、ひと呼吸ごとに、なにか波のようにコーデリアに不安を誘う。

 と、白い制服のポケットの携帯通信機が鳴った。コーデリアは涙を拭き、通信機に耳をあてた。

「……わかりました」

 と、やがてコーデリアは通信機越しに答えた。

 それは、局長ジオ・レドムからの通信だった。南からも北からも、アイザレン軍が間近にせまっていた。コーデリアは、気持ちの整理も満足にできないままに、苛烈な戦いに身を投じなければならないのだった。


 ──さらに同刻

「それは、連隊長の総意ということか?」

 若い男の、落ち着いた声がする。

 朝の陽光に照らされた、こざっぱりとした部屋で、砂漠民の調度品があちこちに見受けられる。

 大きな机の上にブーツの足をどっかりと乗せた、エルフマン隊副長ピットは、目の前に立つ初老の男をにらみつけていた。

「総意、という意味では、そのとおりだ、ピット卿」

 男が硬い声で答えた。

「電撃を旨とするわれらが、こうして時間を空費する理由は、どこにもない。この期におよんで、待機など無意味だ。……貴卿の指揮に異議はないが、」

 と、男は含みを持たせるようにつづけた。

「われわれは、われわれのなすべきことを、なすべき時に行いたい。そしてこれは、連隊長の間の話ではない。われら第十六師団の総意だ」

 ふふ、と、ピットは笑った。

「なにがおかしい」男がとげとげしい声でいった。

「たとえば、きさま、わたしをどう思う?」ピットは不敵な笑みを浮かべていった。

「質問の意味がわからんが」男は警戒した口調で答えた。

「そう、たとえば」

 ピットは机に足を乗せたまま、おもむろに腰から短剣を抜いた。そして男にむけて、振り下ろすしぐさをした。

 とたんに、男の軍服が、肩から腹にかけて、ななめに裂けた。

 男は驚愕と怒りで目を見開き、唇を震わせた。

「リターグには、わたしと同等か、それ以上の『知事』が、手ぐすねひいて待っているぞ、大佐」

 と、人を食ったような調子でピットはいった。

「きさまは、敵の本拠地で、軍と『知事』を相手に、文字どおり孤軍奮闘するつもりか?」

「こうしている間にも、その敵は防備をかためているのだ!」

 かみつくように男は応じた。「聞く耳をもたないというのであれば、この件は総司令部を通じて、正式に……」

「まだそんな、たわけたことをいうのか」

 ピットは男の言葉をさえぎり、足を机から降ろして、姿勢を正した。

「第十六師団は、もはや軍の指揮下にはない。栄光の、中枢卿団エルフマン隊の、正規部隊だ。大佐、はっきりいっておこう」

 ピットは立ちあがり、スッとあごをあげて男を見つめた。

「隊長代理のわたしは、当然、エルフマン閣下の随意にある。わたしへのさきほどの苦言は、まもなく戻られるエルフマン閣下へのそれととらえて、よろしいか?」

 男は鼻で大きく呼吸をしてから、つばをのみこんだ。

「エルフマン卿は、いつ戻られる」

「まもなく、だ」ゆっくりと、高圧的にピットは答えた。

「この待機は、エルフマン卿の意志ということだな?」

「そうだ」

「……よかろう」男はいった。「では、帰還をお待ちしよう。手遅れにならねばよいがな」

 男は、軍服を裂かれたことをものともしないで、堂々と部屋をあとにした。

 ──さすがに、軍が誇った最精鋭の部隊だ。どいつもこいつも、肝がすわってやがる。

 ピットは、立ったまま思案顔になった。

 だが、いまさらあとには引けない。

 エントールに向かう中央軍集団と分かれ、リターグに進撃することは、たしかにおれの独断だったが、団長の許可はあとづけでもらった。

 だからこそおれは、なんの気がねもなく、このレンという町を占領したのだ。

 リターグから百キロ南。遠からず近からず、兵站にするにはもってこいの場所だ。

 接収した、このレンの族長の屋敷とやらも、高台にあって居心地がいい。

 待機など無意味、それはそのとおりだ。リターグの北からもアイザレンの援軍はやってきているが、われわれだけで十分リターグを攻略できる。

 だが、いまはだめだ。

 なにをおいても、隊長の合流を、待つのだ。

 ルケ・ルクスからひととおり聞かされた、隊長とエアハルトとの果たし合いは、さんざんなものだ。隊長を助けてくれたルケ卿には、すなおに感謝するが、そんなことより、開戦から失態つづきのエルフマン隊には、あとがない。

 カイトレイナからの報告では、エルフマン隊長の傷は、もう癒えたらしい。

 ならば隊長と本隊が到着してから、リターグを落とし、エルフマン隊全体の戦功にしなければならない。

 『知事』の本拠地のリターグを落とすことは、第一級の戦功だ。これでエルフマン隊の面目はたもたれる。むりやり部隊を増強したエルフマン隊長の、〝胸に秘めた悲願〟の、あしがかりにもなるだろう。

 ──そう、そしてなにより。

 ピットは、腰の長剣に意識をやった。

 感じるのだ。予感がするのだ。

 戦争の喧騒ではない。刺すような、一本の予感。

 この町に、『知事』がくる。

 おれも卿団幹部のはしくれだ。そのときが近いことは、頭ではなく身体が感じている。

 ──これを打ち倒して、隊長帰還の、露払いとすべし。

 ピットは高揚から、口もとに笑みが浮かぶのをおさえられなかった。そしてもてあます力を振り切るように、目的もないまま、勢いよく部屋を出た。


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