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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
26/142

エンディウッケ・2

 よごれきった高層建築の壁。灰色と白と黒にいろどられた空間。

 なにかの工事か、それとも銃声か、区別のつかない音が遠くに響いている。

 スモッグの臭いがたちこめている。朝の空はそのスモッグで、薄く黄色におおわれている。

 ひと気はない。

 対峙する四人以外に、その貧民街の一角には、ネズミ一匹いそうもない。

 四人は、二人一組になって、すこし距離を置いてむかいあっていた。

 マッキーバと、マッキーバのマントにしがみついているエンディウッケ。

 その前方には、スーツ姿の男がふたり。

 一人は、精巧なワニのかぶりもので、頭部をすっぽりとおおっている。

 もう一人は、おだやかな犬のような顔の、初老の男だ。

 エンディウッケの身体の震えが、マッキーバにも伝わってくる。

 ──むりもない。

 マッキーバは納得した。

 『ワニ』と『学者』とは、わかりやすいあだ名だ。なんにしても、こいつらは、ただものじゃない。


 やがて、『学者』のほうが、軽く咳ばらいをしてから、口を開いた。

「きみは、その子を、どうするつもりだね?」

 やわらかい口調だ。手は後ろに組んで、やや猫背ぎみに立っている。声といい風貌といい、たしかにいかにも学者風だった。

 『学者』は、無言のマッキーバをのぞきこむようにして、さらに続けた。

「殺すつもりだろう?」

 ガコン、と音がした。まるで合いの手をいれるような調子だった。となりに立つ『ワニ』が、その口を開閉した音だ。いったん開いた口は、いまはまた閉じられている。

「幼子に手をかけるほど、卿団はおちぶれてはいない」

 はたしてそうか、とマッキーバは啖呵をきりながらも思った。団長は、この子をどうするつもりなのか。しかしいまは、それを考えているひまはない。

「おまえたちこそ、このような子を殺人者に仕立てあげる、その罪は万死にふさわしい」

 マッキーバは、すらっと剣を抜いた。

 ほとんど綱渡りだった。団員暗殺の件は、エンディウッケからまだなにも聞き出していない。首相派のさしがねか、という以前に、犯人だという証拠もないのだ。

 できれば、この二人組から、そのあたりの情報を引き出したい。剣を抜いたのは、のるかそるかだ。こちらの強硬な姿勢に気を取られて、ぽろっとなにか口をすべらすかもしれない。いや、そもそも先手を打って攻撃しなければ、やられかねない。そう思わせる雰囲気が、こいつらにはある。

「きみは、どうするつもりだ?」

 と、『学者』はマッキーバが剣を抜いたことにまったく動じる様子もなく、エンディウッケに問いかけた。「その男についていけば、殺されてしまうよ。いや、もっとひどいことを、されるかもしれないよ?」

 エンディウッケは、マッキーバのマントをぎゅっと握り、『学者』をにらみつけた。

「ずいぶん、なつかれたもんだねぇ」

 『学者』は感心したようにマッキーバにいった。「それとも、わたしたちが嫌われているだけかね」

 ガコン、と、また『ワニ』が合いの手をいれた。

「まあ、なんでもいいが」

 『学者』はそういいながら、おもむろにネクタイを直した。

 それに呼応するように、『ワニ』がすこし横に移動し、戦いにそなえる空気になった。

「逃げようよ!」エンディウッケがマッキーバのマントをひっぱってさけんだ。

 〝卿団の威信は、おまえに預ける〟

 団長オービットの言葉が、マッキーバの頭をよぎった。

 マッキーバは片手に持った長剣をすばやく二人に向け、サッと横に払うしぐさをした。とたんに、二人の立っている地面がこなごなに吹き飛んだ。

 しかし、二人はまだ、その足場のなくなった地面に平然と立っていた。衝撃波でひとたまりもなく倒れているはずが、かすり傷ひとつ負わずに立ちつくしているのだった。

「内省する浮遊」

 と、『学者』が手でなにか印を結んで、声を発した。

「共鳴スル光沢」

 と、『ワニ』がそれにあわせて、奇妙なしゃがれ声を出した。

 もうやだ! エンディウッケが悲鳴をあげる。

 マッキーバの目がけわしくなる。

 こいつらが精神攻撃者なのは、予想がついていた。でも、おれの攻撃を受けつけないのはどういうことだ? こいつらには、実体がないとでもいうのか?

 『学者』がまた手をかざして、すらすらと印を結んでいう。

「寓話の中では、夜のかわりに」

「喪ガ降リル」

 『ワニ』の口がガバッと開かれた。その奥の闇に、マッキーバの目はたちまち吸いこまれていった。



 闇。

 マッキーバはゆっくりと目を開けた。

 すぐ前に、薄明かりのステージが見える。壇上に、スーツを着た男が立っている。

 頭部が欠けた、無脳症の男だ。

 その奇怪な姿に、マッキーバは戦慄をおぼえる。逃げようとするが、身体が動かない。

 男の片手には、腹話術の人形がかぶせられている。

 眼球の飛び出た、不気味なワニの人形だ。

 無脳症の男が、うやうやしく会釈をし、その人形を前にかざす。

「マダ閉店シテイナイ肉屋ハ、アリマスカ?」

 ワニの口が上下する。いやらしいしわがれ声だ。ワニはくりかえす。

「マダ閉店シテイナイ肉屋ハ、アリマスカ?」

 いいようのない恐怖におそわれたマッキーバは、身体を震わせるだけで、声を出すこともできない。

 男はもう片方の手に、いつのまにかティーカップを持っている。そしてそれを、優雅な手つきで口に持っていく。しかし中の液体は、カップをかたむけた先から、男のあごや首筋に流れ、ワイシャツをみるみる濡らしていく。そしてなにかが腐ったような、たえがたい臭気がたちこめる。マッキーバには、男の身体が酸で腐食していくのがわかる。

 マダ閉店シテイナイ肉屋ハ、アリマスカ?

 マッキーバの頭の中で、そのしわがれ声が延々とくりかえされる。

 突如、男はけいれんして、苦悶に目を見開きながらさけぶ。

「与えられた柩を刑苦に移行させ、与えられた律動を三日月に回帰させよ!」

「ミズカラノ名ノ形ヲ狂ワセヨ!」ワニの人形がさけぶ。

 マッキーバの理性がうすれていく。やがて彼の顔に、弛緩した笑みが浮かぶ。

「子守唄をください!」

 マッキーバの口からそんなさけびがもれる。

 ステージの男が、さっと両手をあげる。

 その瞬間、バアン! と、弦楽器がかき鳴らされるような轟音がひびく。

 マッキーバの身体が、たちまち球体に変わる。球体にきざまれた直線から、血や膿や体液がまざりあって流れだす。

 そしてマッキーバの視覚は、そんな自分のすがたを、まざまざと目の当たりにしている。

 手をつないだ者たちが、輪になって球体を取り囲む。

「手づかみの心臓、手づかみの心臓、淫らな淫らな、手づかみの心臓」

 と、かれらは楽しげに歌いながら、いつまでもまわりを踊りつづける。

 ふと、マッキーバの視界に、少女が近づいてくる。決然とした顔をしている。

 少女はマッキーバの視界の前で、指を動かし、なにか長いサインを書くようにしながら、言葉を発する。

「半透明の矢、半透明の矢、二つある黒い膜を見よ。針の狂いを転移させる、その膜を見極めよ」

 輪になった者たちが、一斉に、猛然とマッキーバの視界に振り向く。

「おまえの指がまちがえた!」

 と、かれらの合唱が響く。とてつもなく重々しく、壮大な響きだ。

「おまえの指がまちがえた!」

 マッキーバは恐怖で涙を流し、悲鳴をあげる。


 いつしか、マッキーバは二本足で立っている。

 かれは立って、少女を見おろしている。

「ここは静か」

 少女がいう。

「ここは静かだから、あたしは目を閉じるの」

 マッキーバの目にはまだ涙がたまっている。そこに光が差しこんでくる。涙に反射する光の強さに、マッキーバは目を閉じる。

「時間よ」

 少女の声が聴こえる。

 マッキーバは、子供のように、こくりとうなずいた。


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