魔都ラザレク・5
「男の寝屋に押し入るとは」寝起きのしわがれた声がする。「おまえも、よくよく好き者だな」
「おまえのしょぼくれた身体なんか、興味ないぞ」
と、女のすずしい声がする。
「でも、ふぬけた寝顔はかわいかったぞ。おまえの死に顔として、楽しくおがませてもらった」
「よくここがわかったな」
女の軽口を無視して、男がいった。「尾けてきたのか?」
「地図に載ってたぞ」女が答えた。「知らない街だから、探すのに手間どったけどな。それにしても、公邸にしてはむだにでかいな。あたしが国民なら糾弾するぞ」
「民衆には好かれるたちでね」ためいきまじりに男がいった。
「それで、この深夜になんの用だ? おれを殺しに来たか? いや、そうではないな。そんなことをすれば、いままでの苦労が水の泡だからな」
「あいさつのお返しにきた」
と女はいった。「シャトル・ポートの襲撃は、おまえだろう?」
「しかし、わからんな」
と、男は女の問いには答えずにいった。
「おまえは、なぜあれを助けようとする? おまえにとって、あれは最大の脅威ではないのか?」
「おまえには理解できないことだぞ。永久にな」
「なら、そろそろお引き取り願えんか」男はおだやかにいった。「明日からは、多忙をきわめるのでな」
「じゃあ今夜中に、この屋敷の片づけをしたほうがいいぞ」
女がからかうようにいった。「お返しの物が、いっぱい転がってるからな!」
その声とともに、女の気配がふっと消えた。
「リクドー」と、男がすぐにいった。
「始末しますか」どこからともなく別の男の声がした。
「いや、いい。それより邸内を片づけろ」
「片づけですか?」
「おそらく、護衛が全員やられている。明日の朝までに入れ替えておけ」
は、と答えて、リクドーと呼ばれた男の気配が消えた。
ひとりになった男は、おっくうそうにベッドに寝なおした。そしてすぐに、まるで何事もなかったように、寝息を立てはじめた。
──同刻。
はるか眼下の、深夜の町の灯を、飛行艦の窓から見下ろす者がいる。
個室の窓辺の椅子に、その若者はゆったりと座っていた。
ひじ当てにひじをつき、手のひらにほほを乗せて、小指は唇に軽く当てられている。
美しい顔立ちで、身体は細い。
髪は首元まで伸びた豊かな黒髪で、ゆるやかにカールがかかっている。
襟の大きく開いた黒い上着からは、白いフリル・シャツがのぞき、ひざまである黒いブーツの中に、ズボンが半分しまいこまれている。
その服装といい、もの憂い顔つきといい、いかにも大貴族の嫡子という印象だ。
ただひとつ、足元の床に無造作に置かれている、赤い鞘の太刀をのぞいては。
部屋のドアをノックする音が聴こえても、その若者は反応を示さなかった。ノックは何度か続いたが、やがて止み、すこしして静かにドアが開かれた。
入ってきたのは、浅黒い肌の、若い女だった。
細かい飾り模様がほどこされた、スマートな黒いローブをまとっている。短い髪とせつなげな瞳が印象的な女だった。
女は遠慮がちに、椅子に座る若者の様子をうかがうようにしてから、そちらに近づいていった。
「……キュベルカ様?」
と、女はおそるおそるの声でいった。
キュベルカと呼ばれた者は、ふっと我にかえって女に振り向くと、たちまち顔をほころばせた。
「あら、コーラ」
男のものか女のものか、よくわからない声音だ。
「……レザーン?」
コーラと呼ばれた女が、おずおずとそう呼びかけた。
「なあに?」
からかうような笑みを浮かべて、レザーンと呼ばれた者はいった。
コーラは心底疲れたというため息をついてから、
「キュベルカ様を呼んでちょうだい」といった。
「いいわよ」
と、レザーンは軽く答えると、突然その身体が、細かくけいれんしはじめた。顔は白目をむき、まるでそのまま失神してしまうような、のっぴきならない表情に一変していた。しかし不思議と苦しげな様子ではなかった。
ほどなくけいれんがおさまり、表情も落ち着いた。そしてその顔からは愛らしさが消え、かわりに深い威厳のようなものがあらわれていた。
「何用だ」
声音はあいかわらず男か女かわからないようだったが、口調は顔つきに見あった、重々しいものになっていた。
「夜も、だいぶ更けてまいりましたので」コーラが目を伏せて静かにいった。
「見ればわかる」
近衛静導士団・首席隊長リミヤン・キュベルカは、窓のほうに向きなおり、そっけなく応じた。
「明日にそなえて、お休みなられては、と思いまして」
「いらぬ世話だ」
キュベルカは言下にはねつけると、鋭い眼光をコーラに向けた。「さがれ」
「ですが、明日はラメクの軍司令部にも、顔を出さなければなりませんし……」
「さがれ」
ひややかな口調で、キュベルカはくりかえした。
キュベルカ隊副長コーラ・アナイスは、一礼すると、悲しげな顔で部屋を後にした。
キュベルカは、またさきほどの姿勢で、窓の外を眺めはじめた。
もの憂い表情は、いつまでも変わらなかった。
 




