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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
23/142

魔都ラザレク・4

「では、アイザレン軍はもう、エントールの領内に入ったのですか?」

 リディアが張りつめた声でいった。

「そうらしいです」とサヴァンはうなずいた。

 リディアがバス・ルームを出てすぐのことだ。ふたりは居間の椅子に向かいあって座っていた。

「ユーゼン領やエイゼン領を越えて、いまはラメクという町に向かっているようです」

「ラメク、ですか?」聞き覚えがないという風に、リディアがいった。

「コーエン領、というところの首都だそうで、エントール軍はそこを拠点に、防衛線を張っているとのことです」

 そう答えたサヴァンも、ついさっき聞かされた単語ばかりで、おぼつかない口ぶりだった。


 リディアがバス・ルームにいる間、サヴァンはとりあえず、局長のジオ・レドムと連絡を取ることにした。着いて早々襲撃は受けるし、レダはあのとおりだし、リカルド・ジャケイからは結局なんの情報も聞き出せなかったし、状況報告と情報収集をかねた、じつにまっとうな判断だ、とサヴァンはひとりで納得してうなずいた。それに、なんといっても気がまぎれる。いつまでもバス・ルームに神経が行くのはよくない。理性だ。

 局長は、数時間前に話したときと同じのんきな調子で、サヴァンがラザレクでの状況をざっと説明しても、たいして驚きもしなかった。

 しかし戦況のほうは、想像以上に緊迫していた。

「砂漠のアイザレン軍、あの中央軍集団とやらは、もうとっくに山脈を越えた」

 と、レドムは説明した。

「敵の現在の主目標は、ラメクだ」

「ラメク、ですか?」と、サヴァンもリディアとまったく同じ反応だった。

「エントールの東で一番大きい町だ。ハイドスメイから撤退したエントール軍が、ひとまずそこにとどまっている。といっても、撤退できたのはわずかだから、追ってラザレクから援軍が行くだろう」

「リターグは大丈夫なんですか?」

「大丈夫なわけがないじゃない」とレドムはあっさりいった。

「中央軍集団から分かれた部隊が、むかってきてるよ。第十六師団、とかいったかな。れっきとした軍の部隊らしいが、おかしなことに、卿団のエルフマンの指揮下に入っているようだ」

「で、どうするんですか?」

「どうもこうも、こっちは人口五万人の小国だよ? むこうは、南のその師団だけじゃなくて、北からも大部隊を送りこんでくるみたいだし、リターグはいま大混乱だよ」

 まあ知事局としては、やれることはやるけどね、と、レドムはそこにつけ加えた。


「すみません、わたくしのせいで」

 と、そのリターグの話を聞いたリディアは、沈んだ面持ちでうつむいた。

 サヴァンとレダがリターグに戻れず、しばらく自分の護衛を続けるということを、リディアは飛行艇の中で聞かされていた。

 いま口をついた謝罪の言葉は、リターグの危機と、そこにかけつけることができなくなったサヴァンたちの両方に向けられたもので、それはサヴァンにもわかった。

「あなたのせいじゃない」

 サヴァンはきっぱりいった。「すべて、アイザレンのせいです」

「でも……」

「いまは、リターグのことを考えている余裕はありません」

 サヴァンは、なおも打ち沈むリディアを気づかっていった。もっとも、単なる気づかいというわけでもない。対岸の火事より隣の喧嘩、とでもいったところだ。

「西のアトリ海でも、戦闘になっているようですし、大軍で攻めこまれたら、ラザレクもいつまで持つかわかりません。ただでさえ、指揮系統が複雑みたいですし」

「指揮系統ですか?」

 なにからどう説明すればいいのか、とサヴァンはとほうにくれる思いだった。このエントールの内情についても、レドムからさきほど聞かされていたのだ。ラザレクは魔窟、と前にいったレドムの言葉は、そのままエントールという国自体にもあてはまりそうだった。


「皇帝が統治しているのは、ラザレクだけだ」

 レドムはサヴァンとの通信の中で、そう説明した。

「あとの土地は、諸侯が治めている。つまり、エントールは、諸侯が寄り集まった連合国だ。そのことはおまえたちも、ユーゼン領で身をもって知っただろう」

「はあ」と、サヴァンはあいまいに返事をした。

「問題は、諸侯が完全に自治権を与えられているということだ。つまり、諸侯にはそれぞれの軍がある。この諸侯の軍と、ラザレクの皇軍と、皇帝直轄の近衛静導士団があるわけだ。急に足並みをそろえろといっても、無理な話だろう?」

「今度の戦争で、エントールの対応がおそかったのは、それが理由ですか?」

「そうだ」レドムはいった。「戦争を望まない領主もいるし、そうでなくても、諸侯は自分たちの領地を守るのでせいいっぱいだ。だから、砂漠には、はるか遠いラザレクの皇軍だけが派遣されていたんだ」

「よくそれで、国が成り立ちますね」と、なかばあきれてサヴァンがいった。

「いまのところ、静導士団が諸侯ににらみを利かせている」レドムはいった。「あの連中と事をかまえようなんて物好きは、そうそういるもんじゃない」


「……で、その静導士団の参戦も、今日の昼にようやく決定したらしいです」

 と、サヴァンはレドムとの会話を思い出しながら、ひととおりをリディアに説明した。リディアは口をはさむこともなく、ひたむきに耳をかたむけていた。

「要するに、ここはいろいろと面倒な国ということです」

 そうむりやり話を締めくくって、サヴァンは、リディアに目をやった。

 リディアは真剣な表情でうつむき、いまの話を反芻しているのか、何度も深くうなずいていた。

 ──こうして見ると、ごくふつうの女性なのにな。

 ベージュのチュニックを着て、洗いたての髪をうしろにくるっと巻き、顔はすこし眉を描いた程度の薄い化粧をしている。美しく高貴な顔立ちは、たしかに目を惹くが、とてもアイザレンが国をあげて捕らえようとしている重要人物という感じではない。

 サヴァンは静かに息を吐いた。そして、ごたごた続きで先延ばしにしていた問いを、リディアに投げかけた。

「リディアさん、話は変わりますけど、あなたは本当に、アイザレンに狙われる理由に、なにか心当たりはないんですか?」

 顔をあげたリディアは、また視線を落とし、記憶を一心にたどっていたが、やがてゆっくりと首を横に振りながら、「……思い当たることは、特にありません」と、おぼろげに答えた。

「前に、名前がどうとか、いってませんでしたっけ? あの、マスチスが襲撃される直前に」

「ええ……」と、リディアはうなずいた。

「ヴァンゼッティさんは、わたくしに、名前を戻したかどうか、とおたずねになりました。でもそれがどんな意味なのか、わたくしにはわかりません」

 そういって、リディアは膝の上の手をたよりなげにからめながら、目を伏せた。

「あのときお話ししたとおり、わたくしはレドムさんから聞かされるまで、自分がアイザレンに追われているなんて、」

 と、リディアはいいかけ、ふと眉をひそめた。

「そういえば……」

「なんですか?」身を乗り出すようにして、サヴァンがたずねた。

「あのマッキーバという人が、ヴァンゼッティさんに、〝それが例の子か?〟と、たしかそんなことをいったような気が……」リディアはこころもち意気込んだ顔をサヴァンに向けた。

「例の子……」

 サヴァンは考えこんだ。

 小国ナザンへの、不可解な侵攻。知事局のリディアへの対応。山脈付近での、エルフマン隊の襲撃。これらの事実があっても、サヴァンは心のかたすみで、はたしてリディアは本当に狙われているのだろうか、とも思っていた。

 アイザレンのような超大国が、砂漠の小さな国の王女を捕らえる、政略上の必要性なんかどこにある? もしかするとリディアの捕獲は、砂漠に侵攻するためのその場かぎりの作戦で、自分たちはそれを、大げさにとらえているだけなんじゃないだろうか。

 しかしいま、マッキーバという中枢卿のその言葉を知って、サヴァンの考えはあらたまった。

 それが例の子か? と、マッキーバがヴァンゼッティに聞いたということは、ヴァンゼッティもマッキーバも、もっといえば、知事局もアイザレンも、リディアがナザンの王女だからではなく、〝例の子〟だから関心をもっているということだ。それはどうやら、名前がどうのという話にも、結びつく気がする。

 リディアの期待をこめたような目が、じっと自分にそそがれているのを感じ取って、サヴァンは、ふと気まずさを感じた。

 ──ごめんね、リディアさん。

 サヴァンは胸の内でつぶやいた。

 ぼくは、ヴァンゼッティとちがって、下っ端なんだ。だからマッキーバの言葉の意味なんて、全然わからない。きっと『知事』のなかでも、トップ・エース級しか知らない重要機密なんだろう。

「まあ、とにかく」と、やがてサヴァンはお茶をにごすように口を開いた。

「今後も、アイザレンはあなたを狙ってくるでしょう。こちらも、気を引きしめます」

「せめて、ナザンでの記憶が戻れば、なにかわかるかもしれないんですけど……」リディアが申しわけなさそうにうつむいていった。

「どうしてマッキーバという人から逃れることができたのか、それがなにか、とても重要なことのような気がするんです」

 サヴァンは壁の時計に目をやった。もうすぐ午後十一時。

「そろそろ休みましょうか」

 すこし間を置いてから、サヴァンはそういった。ええ、とリディアはすなおにうなずいた。顔には出さないが、もちろん疲れきっているのはまちがいない。

「寝室を使ってください」とサヴァンはいった。「ぼくはこっちで寝ます」

 リディアはなにかをいおうと口を開きかけたが、サヴァンの決然とした顔を見て、わかりました、と短く答え、立ちあがった。

「あの、サヴァンさん。……レダさんのことなんですけど」

 と、リディアは去りぎわにいった。

「わたくしは、レダさんのすることには、いつもなにか大事な意味があるんだと思っています。わたくしはレダさんを心から信頼しています。もちろん、サヴァンさん、あなたのことも」

 それを聞いて、サヴァンは、ふっとやわらかく笑った。

「まあ、レダはレダ。ああいうやつです。しかたない」

 そういうと、サヴァンは椅子に座ったまま、すこしいたずらっぽい目でリディアを見あげた。

 そんなサヴァンを、リディアはまじまじと見つめてから、ふふ、とつられたように笑い、「それでは、おやすみなさい」といって、寝室に入っていった。

 ひとりになっても、サヴァンはそのまま椅子に座り、考えにならないような考えをめぐらせていた。リディアとさまざまな話をするうちに、いつしか同じ部屋で夜を明かすことへの意識など、きれいさっぱり消えていた。

 戦争、ラザレクでの自分たちの今後、リディアとアイザレン。

 考えなきゃいけないことは、山ほどある。なにから手をつければいいのかわからない。でも、ひとつだけいえることがある。

 サヴァンは、ふいに居間の不気味なような静けさに、意識をやった。

 おれたちは、なにか、大きな流れに巻かれているような気がする。戦争ともちがう、もっと巨大で、うねるなにかだ。おれたちはゆっくり、そのうねりの中心に引き寄せられている、そんな感じがする。

 サヴァンは苦い顔をして、大きく息をついた。

 壁の時計が、十一時をうった。

 遠く、アイザレンの第二都市カイトレイナでは、ちょうどマッキーバが、遊歩道に倒れた少女を見下ろしているところだった。


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