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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
20/142

魔都ラザレク・1

 サヴァンたちが、砂漠の要衝ハイドスメイの陥落を知ったのは、空の上だった。

 ユーゼン公領から飛び立って、数時間後の夕方のことだ。

 飛行艇の乗組員からしらせを受けたサヴァンには、予期していたこととはいえ、やはりショックだった。

 ──もうこれでエントールは、防衛線を国内に後退するしかなくなった。よりによって、そのエントールの首都に向かおうとしている自分たちには一大事だ。

 とても、自分の頭だけで考えられる話じゃない。そう思ったサヴァンは、すぐに知事局の局長ジオ・レドムに連絡を取った。

「ほんと、こまったもんだね」

 と、通信機越しにレドムは、のんきにいってのけた。

「はあ。それで、指示をあおげればと思いまして」

 サヴァンは、レドムの口ぶりにあきれながらいった。

「特にない」レドムは即答した。「だが、忠告はしておく」

「はい」

「うまくやれ」

「……え?」

「おまえたちは、ユーゼン領で、エントールという国に、深く立ち入った。おまえたちはいま、エントールの複雑な歯車の上に乗っている」

 なんとも答えようのないサヴァンに、レドムはつづけていった。

「皇都ラザレクは、魔窟だ。生半可なところじゃない。だから、よく情勢を見きわめて、適切に対処しろ」

「それは、ユーゼン公爵夫人の背後の連中に、注意しろということですか?」

「おまえたち三人で判断して、行動しろ」

 と、レドムはサヴァンの質問には直接答えず、そういった。

「力を合わせて、うまくやれ。ユーゼン領でもできたことだ。これからもできる」

「これから、といいますけど」

 と、サヴァンは反論した。

「リディア殿下をラザレクに送り届けたら、ぼくとレダは帰還するんですよね?」

「どうやって?」

 とレドムはいった。

「アイザレン軍は、もうエントールの国境の山脈に達しつつあるんだぞ? おまえたち、敵の正面に突っこむつもりか?」

 サヴァンは通信を終えると、ぼう然とした。

 故郷のリターグを出たのは、五日前。たったの五日だ。それがいまでは、そのリターグに帰ることもできず、魔窟とまでいわれるラザレクで、立ち往生するはめになってしまった。

 たしかに、心ではわかっていた。ハイドスメイの陥落は、エントールだけの問題じゃない。同盟しているリターグにとっても危機なのだ。

 アイザレン軍は、リターグにも迫るだろう。そうなると、戻れるのはいつのことか。いや、戻る場所が、はたして残っているのだろうか。

 自分だって、レダじゃないけど、リターグを出ることにはワクワクしていた。それがなんでいまは、こんなに、無性に帰りたいのか。ホームシック? いやちがう。まあホームシックがどんなものか、自分は知らないけど、そういうものじゃない、という直感はある。


「バカだなあ、サヴァン」

 飛行艇の談話室で、局長との話を伝えるついでに、サヴァンがありのままの気持ちをうちあけると、テーブル席でふんぞりかえっているレダは、平然とそういった。

「ようするに、おまえはリターグを守りたいんだろ。なんたって、故郷の危機なんだからな」

「まあ、そういうことなのかな」

 むかいの席に座るサヴァンは、まだ釈然としない気持ちで答えた。

「なーに、リターグは心配ないぞ!」

 レダは元気よくいった。「エアハルトやコーデリアや、ほかのやつらがついてる」

 このときはまだ、ふたりは、エアハルトとコーデリアのことを知らされてはいなかったのだ。

「でもな、」とレダはつづけた。「リディアには、だれがついてる? あいつを守ってやれるのは、あたしらしかいないんだぞ?」

「それは、そうだな」

 とサヴァンは、今度はわだかまりなく答えた。

 心労のせいで、個室のベッドに横になっている、リディアの姿が目に浮かぶ。

 ずっとふさぎっぱなしだった。

 ユーゼン公とリーン、ふたりの死は、リディアの心に重くのしかかっている。

 寝室にひきとるまで、この談話室でうなだれたまま、涙を流していたのだ。

「そういえばおまえ、いつのまにか、リディアを名前で呼ぶようになったな」

 サヴァンは、小さく笑っていった。「『編み毛』じゃなかったのか?」

 ふん、とレダは顔をそむけ、背中をそらして大きく伸びをした。

 お姫さまのお守りだと! と局長につめ寄っていたときとは、ずいぶんな変わりようだ。

 ──力をあわせて、うまくやれ、か。

 サヴァンは局長の言葉を思いかえして、短く息を吐いた。

 わかりましたよ。どうせ、ほかに選択肢はないんだ。おれたち三人、せいぜいその魔窟とやらで、魔物に食われないようにがんばります。局長、リターグのことは、お願いしますよ。

「ま、とにかく」

 と、レダがいった。

「あたしの手にかかれば、エントール軍だろうが静導士だろうが、どうってことはないからな! なにかあったら、国ごと吹っ飛ばしてやるぞ!」

 前にも聞いたようなセリフだが、冗談ともいいきれないところがおそろしい、とサヴァンは思った。レダはいま、国ごと吹っ飛ばす空想でもしているらしく、ニヤニヤしながらあらぬ方向を見ている。

 こいつの力なら、本当に国を支配できるかもしれない。

 本気になったレダには、だれもかなわない。予備学校のころからそうだった。ヴァンゼッティも、エアハルトも、そのほかのエースたちも、だれもレダに近づくことすらできなかった。

 本気を出しすぎたレダを止めるのは、いつもおれの役目だった。『知事』になったいまでも、それは変わらない。

 まあとりあえず、ラザレクではそんな事態にならないことを祈るしかない。

 そのとき、飛行艇のアナウンスが、四時間後にラザレク到着の予定、と告げた。すでに日が傾きはじめていた。


 そして夜。

 三人を乗せた飛行艇は、ラザレク郊外のシャトル・ポートに到着した。

 激動の一日だ。

 昼にはハイドスメイが陥落し、エアハルトら四人がぶつかり合い、海の戦線ではベアトリス攻防戦が勃発し、大陸中が注目していた静導士団の参戦が決定した。

 三人が到着したころ、はるかな海の向こうでは、人知れずルキフォンスが闘志を燃やしていた。

 シャトル・ポートの遠い先には、オレンジの灯に照らされた、豪壮な大屋敷が見える。

 着陸した飛行艇の油や、ほこりっぽいにおいが、いまはラザレクの、町の匂いをまぎらしていた。


 飛行艇から地面に伸びるタラップの、最後の一段に来て、リディアはそこからどうしても足を踏み出せない自分に気づき、ふいに放心した。

 少し行ったところには、先に降りたサヴァンとレダが、自分のことを待っている。

 あと一歩、足を踏み出せば、わたしはこのエントール皇国の皇都に立つ。いったい、どれだけの人がわたしとかかわって、そして……死んでいくのか。

 リディアはとたんに胸をぎゅっと締めつけられ、息苦しくなった。

 あの庭園での、リーンさんの笑顔。晩餐のときの、シャブロウさんのおだやかな顔。思い出すのは、そればかり。

 わたしを助けてヴァンゼッティさんが死に、わたしを逃がした父が死に、わたしをエントールに避難させようとした巡空艦マスチスでも、突然の攻撃と不時着で、何人も死傷者が出たらしい。

 でも、わたしの目には、あの公爵夫妻のなごやかな姿が、はりついて離れない。

 リディアは、タラップの手すりに寄りかかるようにして、小さくつばを飲みこんだ。

 わたしは、もう二度と、二度とこんな思いはしたくない。

 いっそのこと、アイザレン軍につかまったほうが、いいのかもしれない。なんの信念もなく、それどころか、この理不尽な戦争に怒りをおぼえるひますらなく、こうして逃げることに、なんの意味があるというの?

 胸苦しさに耐えきれず、リディアは手すりをぐっとつかみ、両膝をすこし折った。うしろから、船の乗組員が心配そうに声をかけてくる。リディアは無意識に、よわよわしい視線を、前方にやった。

 サヴァンとレダが、ならんで立ち、こちらを見ている。近づいてはこない。ただ立って、自分を見守っている。

 きびしいような、やさしいような、その二人の目は、まるで父の目のようだ。

「あたしは、長ったらしい話は大きらいだ」

 何時間か前に、船内の部屋にやってきたレダの、ぶっきらぼうな声が思い出される。

「だから、くどくどいわないぞ。あたしは、おまえを友だちにしてやる。感謝しろ。感謝のしるしに、元気を出せ。わかったな!」

 それだけいって、レダがさっさと部屋を去ってから、わたしはすこし笑って、胸がスッとしたんだった。

「あの、これを」

 といいながら、ランの花束を差し出したサヴァンの姿が、今度は浮かぶ。

「あの執事が、別れ際にくれたんです」

 サヴァンはいった。「とりあえずあずかったんですけど、やっぱりこれは、あなたが持つべきだと思います」

 そうして花束を手渡したときの目は、いまわたしを見ている目と同じ、深い色をたたえていた。

 わたしは部屋で一人になってから、その真っ白いリーン・オーキッドの花束をかかえて、口を結んで、ひたすら、なにかをこらえた。それがなんなのかはわからない。でも、たしかになにかを、こらえることはできたのだ。

 ふっ、とひとつ息をつくと、リディアは立ちあがった。そして、タラップの最後の一段をおりた。サヴァンとレダは動かない。けれどその目は、わたしを見守りつづけてくれている。船の部屋に置いてきたランが、やがて色あせて朽ちるように、わたしの心も朽ち果てるときがくるかもしれない。でもいまは、このふたりに導かれていこう。わたしの、たったふたりだけの、この大事な友だちに。

 リディアは決然とした顔で、サヴァンとレダのもとに歩いていった。その足音は、飛行艇のエンジン音に負けない力強さをもって、あたりに響いた。


   *


「どうするどうする?」

 楽しげな女の声がする。

「ゴ、ゴ、ゴーサインは出ている。お、おまえの、す、好きなタイミングでやれ」

 吃音の男の答える声がする。

 ひゅう、とするどい風が吹きぬける。

 ここは、目もくらむほど高い建物の屋上だ。

 女はその屋上のへりに寝そべって、三脚で固定した巨大なスナイパー・ライフルのスコープをのぞきこみ、興奮で顔をひきつらせている。

 まだ少女といっていい年頃だ。無造作に両側にたばねた髪に、化粧っ気のない、あどけない顔。その唇からは、キャンディ・スティックの細い棒が突き出ている。短パンに、平たい胸とそのまわりだけをおおうミニのTシャツ、そして履きつぶしたよれよれのブーツという格好だ。

「やっちゃうよやっちゃうよ?」

 また楽しそうに少女がいった。

「い、い、いや、く、車がきた。す、すこし待て」

 そういった男は、寝そべる少女の横に立っている。少女よりはあきらかに年長だが、こちらも若い。がっしりとした体格にぴったり合わせたようなコートを着ている。髪は短く、逆立っていて、顔はとても端整だ。

「了解了解♪」

 少女はキャンディ・スティックを歯でくわえて、ニヤッと笑った。


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