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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
2/142

ナザンの王女・2

 せわしげな靴音がふたつ、大廊下に響いている。

 ひとつは軽い旅装に着がえたリディアのブーツ、もうひとつはユース・ヴァンゼッティのブーツだ。

 人のいない城内に、それはことさら張りつめて聴こえる。

 ふたりの両手には、身のまわりの物を急いでつめこんだ旅行カバンがある。

 ユリリクとの別れから、三十分もたっていなかった。

 ふたりは、城の裏にある駐機場にむかっていた。そこに、ヴァンゼッティの乗ってきた飛行機が停まっているらしい。

「本当に、急で申し訳ありません、殿下」

 歩きながら、ヴァンゼッティがいった。

「敵の包囲が固く、思った以上に潜入が困難でした」

「そんな、あなたのせいではありませんもの」

 リディアはとりなすようにいった。

「それにしても、なぜアイザレンは、砂漠に侵攻したのでしょうか」

 前を行くヴァンゼッティの目が、リディアを意識してちらっと横に動いた。

「理由はともかく、」とヴァンゼッティはいった。

「敵は三個軍で、それを〝中央軍集団〟と呼んでいるようです。いまここを包囲しているのは一個師団ほどで、あとは南西のハイドスメイに進軍しております。そうなれば、南のエントール皇国との戦闘は避けられない。これは、大陸戦争の前触れといってもいいかもしれません」

「エントール皇国」

 リディアはつぶやいた。

 南を支配するエントール皇国は、北のアイザレン帝国と大陸を二分する大国だ。すると、アイザレンはエントールとの戦いの足がかりとして、わたしたちが住む、この東のヴァキ砂漠に攻め入ったのだろうか。でも、それにしても……

「それにしても、なぜアイザレン軍は、こうしてナザンを包囲したままでいるのでしょうか?」

 リディアは、思ったことをそのまま口にした。

「ナザンの攻略が目的ではないからです」と、ヴァンゼッティは振り返らずに歩きながら答えた。

「それでは、ナザンを攻める気はないのですか?」リディアは驚いて聞いた。

「いえ、明日総攻撃があります」

 淡々とした声で、ヴァンゼッティは答えた。

「確かな情報ですし、わたしもじかに偵察して、動きを見ておりましたので」

「では、どういうことなのでしょう。わたくしには、もうなにがなんなのか」

「追ってご説明申し上げます」ヴァンゼッティが話を打ちきるような調子でいった。

「いまは脱出に専念しましょう。面倒な気配がありますので、急ぎませんと」

「面倒な気配?」

 ええ、とだけ答えて、ヴァンゼッティはけわしい表情で歩きつづけた。そのまま、駐機場に着くまで、ふたりは無言だった。


 駐機場といっても、それは城の裏に広がるただの平地だった。空軍を持たないナザンとしては、それで十分だった。

 夜のなまぬるい風がそよいでいる。

 オレンジ色の照明が、まばらな飛行機をおぼろげに照らし、あたりに音はない。

 幽玄ともいえるその光景をながめていると、戦争など遠い出来事のように思えて、リディアは一瞬、なにかやるせない気持ちになった。

「こちらです」

 とヴァンゼッティが先導した。

 そう遠くない正面に、ぽつんと、大きな蛾のようなかたちの飛行機が、顔を向けて停まっていた。ヴァンゼッティの乗ってきた偵察機だった。このレガン大陸には、さまざまな飛行機や飛行艦がある。それらはすべて、垂直離着陸式だ。つまり、滑走路というものは存在しなかった。

 ふいに、ヴァンゼッティが立ち止まった。

 うしろにしたがっていたリディアも、突然の停止を不思議に思いながら、足を止めた。

 ヴァンゼッティは、なにかをうかがっていた。あたりの様子にすばやく目をこらし、全身に緊張がみなぎっていた。

 やがて、ヴァンゼッティは、自分が両手にしていた旅行カバンを、ゆっくりと地面に置いた。そうして、リディアをほうを振り向いた。

「殿下、飛行機の操縦は、おできになりますか?」

「え? ええ、あの、普通の乗用機ならば、一応」と、リディアはヴァンゼッティにならって旅行カバンを置きながら答えた。

「わたしの偵察機は、乗用機と操縦は同じです」

 ヴァンゼッティは硬い声でいった。

「リターグまでは、自動で航行します。万一の場合はフライト・マニュアルもあります」

「あの、それは、どういうことでしょう?」

 リディアはおずおずと問いかけた。

「どうやら、殿下おひとりで、リターグに行ってもらうことになりそうです」

 ヴァンゼッティは、さとすような口調でそういった。そしてリディアが驚いて口を開きかけたところに、さらにたたみかけた。

「リディア殿下、ひとつだけおたずねしたい」

「な、なんでしょうか」

「あなたは、ご自分の名を、戻されましたか?」

「どういうことでしょう」リディアは当惑を隠さずにいった。「わたくしには、リディア・ナザンという名前以外は、ありません」

 ヴァンゼッティは、じっとリディアの目をのぞきこんだ。

 あの謁見の広間のときと同じだ、とリディアは瞬間的に思った。凝視の目。なにかを探り、なにかを得ようとしている目だ。わからない。わけがわからない。わたしには、隠すことなんてなにもない。答えられることなら、なんだって答えたい。でもこの人のいうことは、まるで謎かけだ。

 リディアはとほうにくれて、どぎまぎとヴァンゼッティを見かえすしかなかった。

 ふと、ヴァンゼッティの視線が横にそれた。

「殿下、おさがりください」

 決然とした声でそういうと、ヴァンゼッティは身体を正面に戻し、背中でリディアを守るようにした。

 嫌な気配がした。

 リディアは本能的にそれを感じ、まゆをひそめた。

 だれかが、前方の偵察機のほうからゆっくり近づいてくる。

 薄明かりの中でも、四十代くらいの大柄な男ということはわかった。簡素な服。飾り気のないマント。ぼさぼさの長髪。

 やがて男は、ヴァンゼッティの前に、適当な間合いをとって立ち止まった。

「……マッキーバか」

 ヴァンゼッティは、にがにがしい口調でそういった。

「おひさしぶりだね、ヴァンゼッティ」

 マッキーバと呼ばれた男は、なんの気もない調子で答えた。

 リディアはふたりから目を離さずに、数歩うしろに退いた。

 とりあえず、なりゆきを見守るしかない、とリディアは思った。

 特別、怖くはない。そもそも、なにを恐れればいいのかもわからないのだから。

 それに、とリディアはさらに思った。

 もし、このふたりが戦うのなら、『知事』の力を、この目で見ることができる。それはぜひ見てみたい。わたしはこれでも、ナザン一族の武技を継いだ戦士だ。戦士として、この二度とないような機会を、見逃したくない。

「エルフマンは、どうした?」ヴァンゼッティはマッキーバをきぜんと見すえていった。「おまえは、アイザレンにいるものとばかり思っていたが?」

「……それが、例の子か?」

 マッキーバはヴァンゼッティの問いを受け流し、リディアに顔をむけていった。

「これはまた、きれいな子だね」

「では、心にとどめておくがよい」

 とヴァンゼッティがひややかにいった。「死出のなぐさみになろう」

「おや、これは一本とられた」

 マッキーバはおどけるように、首を少しかしげた。

 ヴァンゼッティは白いマントをはだけ、すらりと二本の長剣を抜いた。

「あの男を止めている間に、わたしの機でお逃げください」

 ヴァンゼッティは両手の剣をかまえ、マッキーバを鋭くにらみながら、リディアにいった。

 リディアは無言でうなずいた。

 そしてまわりこんで偵察機にむかうため、ななめうしろに、脚を踏み出した。

 その瞬間、視界がさえぎられた。

 ……え?

 リディアは混乱して目をしばたたかせた。

 なにかが、ある。いや、なにかが、わたしの前に立ちふさがっている。いつの間に?

 リディアは固いつばを飲みこみ、こわごわと顔を上に向けた。

 そこには、まださっきのように、ひょいと首をかしげたかっこうで、リディアを見下ろすマッキーバがいた。

 リディアは息をのんで、あとずさった。あの人は、ヴァンゼッティさんは、どこに? リディアはヴァンゼッティの姿をさがした。

 ユース・ヴァンゼッティは、かれがいま立っていたその場所で、血まみれになって倒れていた。

 身体はあおむけで、マントや服はどす黒い血で汚れている。

 首を深く切られ、のけぞるような姿勢で、顔はリディアにむけられていた。

 リディアは思わず口もとを両手でおおった。ヴァンゼッティの見開かれた目が、自分をじっと見ているようだった。

「おまえさん、どうやら名は戻っていないようだね」

 と、マッキーバがいった。

 しかしその声はリディアの耳には遠かった。彼女はヴァンゼッティの死に強い衝撃をうけ、ただただぼう然と身体を震わせていた。

「しかし名は戻らなくても、声は出るだろう、『日に立つ者』よ」

『日に立つ者』。

 その言葉を聴いた瞬間、リディアの視界が突如かすんだ。

 ザァッ、と耳鳴りがする。

 失神しそう、とリディアは思った。しかしそのとき、頭の中で、声がした。


 ──歴程の視線


 リディアの眼球が、激しく宙をさまよいはじめた。その様子を、マッキーバは平然と見守った。


 ――群れる手足


 さらに眼球が激しくさまよう。両手はもう口もとから離れ、だらりと下がっている。


 ──回る鼓動


 リディアは、白目をむき出した。身体は硬直し、けいれんしている。頭は小刻みに、横に振られつづけている。


 ──肉体の昇華


 ふっと、リディアの身体から力が抜けた。

 リディアはがっくりとうなだれて、立ちつくした。

 色を取り戻した目はまださまよっていたが、さきほどよりはおだやかで、なにかを探そうと、地面をゆっくりながめまわしているかのようだった。


 ――背を向ける、直線の清浄


 リディアの視線が、ぴたりと止まった。彼女は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 ──開かれてある、耳の慟哭


 リディアは誰にともなく、つぶやいた。

「ゴスペル」

 なに! とマッキーバが叫び、とっさに両腕で自分の頭をかかえこんで、うずくまった。

 ドン! と、重い砲声のような爆音と衝撃があたりを襲った。

 マッキーバはそのまま地面にくずれ落ちた。リディアは放心して、しばらくの間、深い呼吸をつづけた。

 やがて、おぼろげながらも正気を取り戻すと、リディアは無意識に、近くにあった旅行カバンを手に持って、よろめく足取りで偵察機のほうに歩いていった。

 偵察機にたどりつくと、リディアはキャノピーを開けてシートに座り、エンジンを始動させ、航法制御パネルで目的地をリターグに設定した。その間も、リディアの頭はもうろうとしていた。

 機体が上昇をはじめると、リディアはシートにぐったりと身をもたれた。なにもなければ、このまま偵察機は、ひとりでにリターグまで行ってくれる。

 リディアは急に、猛烈な睡魔におそわれた。

 意識を失う前に、リディアの心に、かすかに灯るものがあった。

 〝ハイメゾン〟。

 わたしは、わたしの名は、リディア・ハイメゾン。

 でも、なにか足りない。わたしはまだ、本当には、名を戻していない。

 偵察機がナザンを無事に離れたときには、リディアはもう、深い眠りについていた。


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