ハイドスメイの攻防・5
巨大な石柱が両側に立ち並ぶ、聖堂のような大広間に、三人の人間が立っていた。
広間の中央に、腰の高さほどの黒い円柱があり、天井の、万華鏡のようなバラ窓からそそぐ陽光が、円柱を囲むその三人の姿を照らしている。
ひとりは、灰色の生地のいたるところに金の刺繍をほどこした、豪華なローブをまとった初老の男。
もうひとりは、黒い背広の若い男。
そして最後は、白地に赤い飾り模様が浮かんだ、丈の短いローブの、若い女だった。
「ケイ・エルフマンが戦線を離れた理由は、まだわからん」
灰色のローブの男の声が響いた。
「だが、おかげで、むこうはキュベルカ一人にまかせられる」
「つまり、おれたちは海のほうに行けって?」背広の男が、軽い口調でいった。「例の海上要塞、名前なんだっけ?」
「ベアトリスだ」
と、ローブの男が答えた。
「おまえたちには、海上の戦線の卿団部隊にあたってもらう」
「あなたはどうするの、リカルド?」と女が聞いた。
「おれは、今夜着くリディア殿の応対をする」
「どっちかっていうと、そっちの役のほうがいいなあ」
背広の男が冗談めかして口をはさんだ。
「あらユルト、海でも、すごく美人の中枢卿に会えるはずよ」
「へえ、そうなの?」
「おまえの好みなどどうでもよい」
リカルドと呼ばれた男がいい放った。
「二人とも、隊をととのえて、すぐにベアトリスに向かえ。ユルト、中枢卿を甘く見るなよ。おまえは、メイナードの指示にしたがえ」
へいへい、と気の抜けた返事をして、ユルトと呼ばれる男はのっそりと歩き去った。
「たのんだぞ、メイナード」
リカルドは、女に強いまなざしを送った。メイナードと呼ばれた女は、うっすらほほえんでうなずくと、さっと背を向けて去っていった。
ひとりになったリカルドは、けわしい顔で立ちつくし、しばらくなにかをじっと考えこんでいた。
砂漠のハイドスメイは、アイザレン軍の手によって、およそ二時間前に陥落していた。
リディア、サヴァン、レダを乗せた飛行艇は、このとき、首都ラザレクへの空の上にあった。
*
芝草が広がる夜の丘に、ひとりの若い女が立ち、眼下の静かな海に、目をやっている。
天然の丘ではない。白い石組の、人工の岸壁だ。
女の目はするどく、長い豊かな黒髪は、ゆるやかな潮風に波打っている。
白銀のひきしまったローブをまとい、同じ色のマントをはためかせ、首から口もとまでは、これも白銀の、薄いフェイス・マスクでおおっていた。
その女の後ろから、ゆっくりと歩いてくる男がいる。
男の目には、女のマントに刺繍されている、「十」の上に「X」を二つ重ねた紋章が見える。
短い髪をオールバックにした、やせぎすの男で、歳は四十代前半だが、それよりも老けて見える。くたびれたジャケット姿で、女とは対照的に、ぱっとしない風体だ。はた目から見れば、さながら女主人と下男といったところだろう。
女の名前はルキフォンス、男の名前はイル・ケンサブルといった。それぞれ、中枢卿団の第二隊長と第四隊長だった。
ケンサブルがルキフォンスの横に立つと、ふたりはしばらく言葉もなく、夜の海を眺めた。
「ベアトリスの喧騒は、ここまでは届かないねえ」
と、やがてケンサブルが口を開いた。おだやかだが、どこかぼんやりとした、奇妙な口調だった。
「通信機のむこうでは、それはもう、やかましかったけどなあ」
「また軍司令部の催促か」
海を見すえたまま、ルキフォンスが応じた。「今度は、なんといってきている」
「大陸最強といわれるルキフォンス隊は、お飾りか、なんてどなられてねえ」
といって、ケンサブルは苦笑いした。「まあ適当にあしらっておいたが、おまえさん、どうするね?」
「〝静導士〟が来るまでは、極力動かぬ」
朗々とした声でルキフォンスは答えた。「それまでは、つまらぬ損害は出したくはない」
「だれが来るかねえ」と、息を吐くようにケンサブルがつぶやいた。
「リカルドやメイナードであれば、わたしだけでは勝てぬ。頼むぞ、ケンサブル」
「そうだなあ」
と、他人事のようにケンサブルは答え、空を見上げた。
はるか上空に、光点のつらなりが見える。飛行艦隊が一列になって、東から西に移動しているのだ。
「いそがしくなりそうだなあ」と、それを見たケンサブルはいい、ルキフォンスは目をいっそうきつくして、暗い海を見つめた。
ここは、アイザレンとエントールをへだてる、アトリ海という西の海だ。
そしてふたりがいるところは、アイザレン本土に近い海上要塞だった。
ここよりはるか三千キロ先には、エントール側の海上要塞、難攻不落のベアトリスがある。
そしてそのベアトリスをめぐる攻防戦が開始されたのが、今日の昼、ちょうど中央戦線のハイドスメイが陥落したころのことだった。
このアトリ海の戦域を、アイザレンは、西部戦線と呼んでいた。
──お飾り、か。
ルキフォンスはふと、胸の中で失笑した。
──なら、きさまら軍部は、飾りにもならん能無しだ。
ルキフォンスは、遠いここまで聴こえてきた、昼間のアイザレン軍の醜態に思いをめぐらせた。
ベアトリスの誇る砲台群の前に、足止めをくらった海軍の先鋒艦隊。しかも、後方の艦隊と合わせて大渋滞になり、敵の海軍艦隊に横を突かれて、大損害を受ける始末だ。
結果、海の兵力は半数に激減。そして、敵の損害はゼロだ。
たしかにベアトリスは、エントール領海の最大の要衝。守る部隊は精鋭ぞろいと聞いている。空も、海と同様、こちらの飛行艦隊はさんざん蹴散らされたらしい。
いま見ている飛行艦隊は、おそらく増援だろう。しかし、こう小さな光点がちらつくばかりでは、なんとも頼りなく感じるではないか。
──まあ、そんなことはどうでもよい。
ルキフォンスは思い直した。
──われらの相手は、軍ではない。〝静導士〟だ。
中枢卿団と並び称される、エントール皇国の『近衛静導士団』。
それが重い腰を上げて、ようやく参戦するという報せが入ったのは、夕方のことだ。
──ベアトリスに、静導士のエースが来る。
ルキフォンスはそう確信していた。
──ゆえに軍部の虫どもよ、きさまらの心配など無用だ。われらは動く。そのときになればな。
ケンサブルはルキフォンスの横で、まだぼんやりと空を見上げていた。
そんな二人の身体を、強い海風が、ひとつ吹き抜けていった。
*
深夜の長い一本道に、立ちつくす者がいた。
簡素なマントをはおった大きな男で、髪はぼさぼさの長髪。そのいかつい肩は、荒い息とともに、上がったり下がったりしている。
男の手には、剣がにぎられていた。血は付いていない。しかし男の前には、あおむけに倒れている者がいる。
それは、幼い少女だ。
黒いドレス、エナメルの靴。白いリボンのカチューシャは、頭からはずれて地面に落ちている。
少女は、気絶していた。
ここは、アイザレン帝国の第二都市カイトレイナの、ひと気のない遊歩道だ。
両側に立ち並ぶ木々の、さらさらと葉を鳴らす音があたりに広がっている。
遠い海で、中枢卿ルキフォンスとケンサブルが会話をかわしてから、数時間がたっていた。
そしていま、同じ中枢卿のマッキーバは、息を整えながら、この邪気のない顔で倒れている少女を、見るともない目で見下ろしていた。
──まったく、おそろしい子だ。
マッキーバは心の中でつぶやいた。
卿団員の連続暗殺犯がこの子なら、隊長級のモラフが手も足も出なかったというのも、納得がいく。
生ぬるい風が首筋をなで、マッキーバは思わず軽く身震いした。
──力は、ルケ並か。あるいは、もしかすると、それ以上かもしれない。
なんにしても、このまま野放しにはできない。
マッキーバはしばらくためらってから、やがて意を決して、少女の身体を両腕にかかえ、遊歩道を歩いていった。




