表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
19/142

ハイドスメイの攻防・5

 巨大な石柱が両側に立ち並ぶ、聖堂のような大広間に、三人の人間が立っていた。

 広間の中央に、腰の高さほどの黒い円柱があり、天井の、万華鏡のようなバラ窓からそそぐ陽光が、円柱を囲むその三人の姿を照らしている。

 ひとりは、灰色の生地のいたるところに金の刺繍をほどこした、豪華なローブをまとった初老の男。

 もうひとりは、黒い背広の若い男。

 そして最後は、白地に赤い飾り模様が浮かんだ、丈の短いローブの、若い女だった。

「ケイ・エルフマンが戦線を離れた理由は、まだわからん」

 灰色のローブの男の声が響いた。

「だが、おかげで、むこうはキュベルカ一人にまかせられる」

「つまり、おれたちは海のほうに行けって?」背広の男が、軽い口調でいった。「例の海上要塞、名前なんだっけ?」

「ベアトリスだ」

 と、ローブの男が答えた。

「おまえたちには、海上の戦線の卿団部隊にあたってもらう」

「あなたはどうするの、リカルド?」と女が聞いた。

「おれは、今夜着くリディア殿の応対をする」

「どっちかっていうと、そっちの役のほうがいいなあ」

 背広の男が冗談めかして口をはさんだ。

「あらユルト、海でも、すごく美人の中枢卿に会えるはずよ」

「へえ、そうなの?」

「おまえの好みなどどうでもよい」

 リカルドと呼ばれた男がいい放った。

「二人とも、隊をととのえて、すぐにベアトリスに向かえ。ユルト、中枢卿を甘く見るなよ。おまえは、メイナードの指示にしたがえ」

 へいへい、と気の抜けた返事をして、ユルトと呼ばれる男はのっそりと歩き去った。

「たのんだぞ、メイナード」

 リカルドは、女に強いまなざしを送った。メイナードと呼ばれた女は、うっすらほほえんでうなずくと、さっと背を向けて去っていった。

 ひとりになったリカルドは、けわしい顔で立ちつくし、しばらくなにかをじっと考えこんでいた。

 砂漠のハイドスメイは、アイザレン軍の手によって、およそ二時間前に陥落していた。

 リディア、サヴァン、レダを乗せた飛行艇は、このとき、首都ラザレクへの空の上にあった。


   *


 芝草が広がる夜の丘に、ひとりの若い女が立ち、眼下の静かな海に、目をやっている。

 天然の丘ではない。白い石組の、人工の岸壁だ。

 女の目はするどく、長い豊かな黒髪は、ゆるやかな潮風に波打っている。

 白銀のひきしまったローブをまとい、同じ色のマントをはためかせ、首から口もとまでは、これも白銀の、薄いフェイス・マスクでおおっていた。

 その女の後ろから、ゆっくりと歩いてくる男がいる。

 男の目には、女のマントに刺繍されている、「十」の上に「X」を二つ重ねた紋章が見える。

 短い髪をオールバックにした、やせぎすの男で、歳は四十代前半だが、それよりも老けて見える。くたびれたジャケット姿で、女とは対照的に、ぱっとしない風体だ。はた目から見れば、さながら女主人と下男といったところだろう。

 女の名前はルキフォンス、男の名前はイル・ケンサブルといった。それぞれ、中枢卿団の第二隊長と第四隊長だった。

 ケンサブルがルキフォンスの横に立つと、ふたりはしばらく言葉もなく、夜の海を眺めた。

「ベアトリスの喧騒は、ここまでは届かないねえ」

 と、やがてケンサブルが口を開いた。おだやかだが、どこかぼんやりとした、奇妙な口調だった。

「通信機のむこうでは、それはもう、やかましかったけどなあ」

「また軍司令部の催促か」

 海を見すえたまま、ルキフォンスが応じた。「今度は、なんといってきている」

「大陸最強といわれるルキフォンス隊は、お飾りか、なんてどなられてねえ」

 といって、ケンサブルは苦笑いした。「まあ適当にあしらっておいたが、おまえさん、どうするね?」

「〝静導士〟が来るまでは、極力動かぬ」

 朗々とした声でルキフォンスは答えた。「それまでは、つまらぬ損害は出したくはない」

「だれが来るかねえ」と、息を吐くようにケンサブルがつぶやいた。

「リカルドやメイナードであれば、わたしだけでは勝てぬ。頼むぞ、ケンサブル」

「そうだなあ」

 と、他人事のようにケンサブルは答え、空を見上げた。

 はるか上空に、光点のつらなりが見える。飛行艦隊が一列になって、東から西に移動しているのだ。

「いそがしくなりそうだなあ」と、それを見たケンサブルはいい、ルキフォンスは目をいっそうきつくして、暗い海を見つめた。


 ここは、アイザレンとエントールをへだてる、アトリ海という西の海だ。

 そしてふたりがいるところは、アイザレン本土に近い海上要塞だった。

 ここよりはるか三千キロ先には、エントール側の海上要塞、難攻不落のベアトリスがある。

 そしてそのベアトリスをめぐる攻防戦が開始されたのが、今日の昼、ちょうど中央戦線のハイドスメイが陥落したころのことだった。

 このアトリ海の戦域を、アイザレンは、西部戦線と呼んでいた。


 ──お飾り、か。

 ルキフォンスはふと、胸の中で失笑した。

 ──なら、きさまら軍部は、飾りにもならん能無しだ。

 ルキフォンスは、遠いここまで聴こえてきた、昼間のアイザレン軍の醜態に思いをめぐらせた。

 ベアトリスの誇る砲台群の前に、足止めをくらった海軍の先鋒艦隊。しかも、後方の艦隊と合わせて大渋滞になり、敵の海軍艦隊に横を突かれて、大損害を受ける始末だ。

 結果、海の兵力は半数に激減。そして、敵の損害はゼロだ。

 たしかにベアトリスは、エントール領海の最大の要衝。守る部隊は精鋭ぞろいと聞いている。空も、海と同様、こちらの飛行艦隊はさんざん蹴散らされたらしい。

 いま見ている飛行艦隊は、おそらく増援だろう。しかし、こう小さな光点がちらつくばかりでは、なんとも頼りなく感じるではないか。

 ──まあ、そんなことはどうでもよい。

 ルキフォンスは思い直した。

 ──われらの相手は、軍ではない。〝静導士〟だ。

 中枢卿団と並び称される、エントール皇国の『近衛静導士団』。

 それが重い腰を上げて、ようやく参戦するという報せが入ったのは、夕方のことだ。

 ──ベアトリスに、静導士のエースが来る。

 ルキフォンスはそう確信していた。

 ──ゆえに軍部の虫どもよ、きさまらの心配など無用だ。われらは動く。そのときになればな。

 ケンサブルはルキフォンスの横で、まだぼんやりと空を見上げていた。

 そんな二人の身体を、強い海風が、ひとつ吹き抜けていった。


   *


 深夜の長い一本道に、立ちつくす者がいた。

 簡素なマントをはおった大きな男で、髪はぼさぼさの長髪。そのいかつい肩は、荒い息とともに、上がったり下がったりしている。

 男の手には、剣がにぎられていた。血は付いていない。しかし男の前には、あおむけに倒れている者がいる。

 それは、幼い少女だ。

 黒いドレス、エナメルの靴。白いリボンのカチューシャは、頭からはずれて地面に落ちている。

 少女は、気絶していた。

 ここは、アイザレン帝国の第二都市カイトレイナの、ひと気のない遊歩道だ。

 両側に立ち並ぶ木々の、さらさらと葉を鳴らす音があたりに広がっている。

 遠い海で、中枢卿ルキフォンスとケンサブルが会話をかわしてから、数時間がたっていた。

 そしていま、同じ中枢卿のマッキーバは、息を整えながら、この邪気のない顔で倒れている少女を、見るともない目で見下ろしていた。

 ──まったく、おそろしい子だ。

 マッキーバは心の中でつぶやいた。

 卿団員の連続暗殺犯がこの子なら、隊長級のモラフが手も足も出なかったというのも、納得がいく。

 生ぬるい風が首筋をなで、マッキーバは思わず軽く身震いした。

 ──力は、ルケ並か。あるいは、もしかすると、それ以上かもしれない。

 なんにしても、このまま野放しにはできない。

 マッキーバはしばらくためらってから、やがて意を決して、少女の身体を両腕にかかえ、遊歩道を歩いていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ