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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
18/142

ハイドスメイの攻防・4

 重い砲声や、くぐもった機械音のすきまを縫うように、かぼそい声が響いている。悲鳴か笑い声かもわからない。しかし、そこにははっきりと、精神の錯乱が表われていた。

 その声の主、コーデリア・ベリは、濡れた地面に横倒れにうずくまり、ときおり身体をけいれんさせている。そして、コーデリアのそばにかがみこんで、じっと見下ろしているルケ・ルクス。

 ──なにがあった?

 すこし離れた場所にいるロー・エアハルトは、ルケの顔がコーデリアに触れそうなほど近づいているのを目にして、憤怒をこらえるのに必死だった。

「あなた、気が散漫ね」

 エアハルトの正面に立つエルフマンが、口を開いた。おどけるように首をかしげ、らんらんとした目はまっすぐにエアハルトを射抜いている。

「果たし合いの最中に、よそ見なんて、いけない人。ただでは死なせませんわよ」

 エルフマンは目を細めて、フフフ、と短く笑った。

 その目の先にいるエアハルトは、身体中を切り刻まれ、白い制服を赤く染めて、肩で息をしていた。

 ずたずたに裂かれたマントの切れはしが、地面に散乱している。

「みじめな姿ね、エアハルト」

 と、エルフマンはさらにいった。「嫌われてしまいますわよ、あの子に」

 かぼそい声が続いている。コーデリアが苦しんでいる。助けなければ。しかし……。

 エアハルトは、それがほとんど不可能なことに思え、絶望していた。

 かれには、ケイ・エルフマンの剣が、まったく見えないのだった。

 エルフマンは、細身の剣を握る手を、だらりと下げて立ちつくし、構えるそぶりもない。それなのに、こちらが動こうとすると、もうどこからともなく刃が飛んでくる。まるで空気に斬られるようだ。

 エアハルトは、不用意にエルフマンの間合いに入ってしまったことを、後悔してもしきれなかった。もう、距離を取りなおすこともできない。後ろに退こうとすれば、次はいままでとはちがい、致命傷を負わせられるだろう。

 エアハルトは、素手だった。腰の剣に手をかけるひますらなく、こうして翻弄され、じわじわとなぶられているのだった。

「それにしても、つくづく見そこないましたわよ、エアハルト」

 と、エルフマンはいい、片手に持つ剣の先を、ふっと震わせた。

 次の瞬間、エアハルトの苦悶のうなり声がした。そのほほには、新しい切り傷が走り、鮮血が流れ出ていた。

「『知事』のエースと聞いて、楽しみにしていましたのに。これでは、討ち取ってもなんの自慢にもなりませんわ」

 ──この女、いまにも笑い出しそうな顔をしている。

 エアハルトは、苦痛でかすんだ視界に映るエルフマンを見て、胸の中でつぶやいた。

 ──全身を、興奮でみなぎらせている。おれにはわかる。この女は、言葉とはうらはらに、心底この状況を楽しんでいる。

(なつかしいだろう?)

 ふと、頭の中で、声がした。

 エアハルトはその声にしばられたように、放心した。

 エルフマンがまだなにかをいっている。だが、もう耳に入らない。いま、おれには、おれの声しか聴こえない。

 制服のポケットに意識がいく。

 その中にしのばせてあるものを、おれの全細胞が望んでいる。

(コーデリアは気づかない)

 そう。そうだ。いまコーデリアは倒れていて、自分を失っている。おあつらえむきだ。

 ああ、笑いがこみ上げてくる。おれはそれをおさえることができない。

 おさえる理由が、おれには見いだせない。

「アハハハハハ!」

 エアハルトは突如、はじかれたように笑った。

 それを見たエルフマンは、不審げに眉をひそめた。コーデリアをながめていたルケも、異変を察して、顔をあげた。

「しかたない」

 エアハルトはそういうと、ニヤッと笑った。

 そしておもむろに、制服のポケットに片手をつっこんだ。

 エルフマンはさらに眉を寄せ、剣先を震わせた。

 とたんに、ポケットにやったエアハルトの腕が切り裂かれ、血が噴き出した。

 しかし、エアハルトはいっこうに気にする様子もなく、ポケットからなにかを取りだした。それは、ごく小さな拳銃のようなかたちをしていた。トリガーの部分には、すでに指がかけられている。

 エアハルトはすばやくそれを自分の首に当て、トリガーを引いた。

 エルフマンは警戒し、はじめて剣を構えた。ルケも、二人の様子を見ながら、ゆっくりと立ちあがった。

 拳銃のようなそれが地面に落ち、カラン、と乾いた音がした。

 エアハルトは、うなだれて、身体を小さく震わせている。

 眼球がきょろきょろと、まるで別の生き物のようにせわしなくさまよっている。

 ──あれは、注射器?

 とエルフマンは怪しんだ。

 ──だとすると、この男、なにか薬をうったのか?

 このとき、エルフマンは、無防備なエアハルトに攻撃をしかけるべきだった。しかし、彼女は好奇と驚きにとらわれて、剣を構えたまま、様子を見守った。

 ルケはそんな二人の姿を、交互に見比べるようにしていた。

 やがて、エアハルトの目の焦点が、ふと定まった。

 身体の痙攣も止んでいた。

 ただときおり、頭をピクッと揺らしている。

 エアハルトは、ゆっくりと、目をエルフマンに向けた。

「きれいな髪だ」

 そう聴こえたときには、エアハルトは、もうエルフマンの背後に立っていた。そして、エルフマンの長い金髪を、手のひらに流すようにしていた。

「まるで麦畑のようだ。なんて美しい」

 とっさにエルフマンは身体を振り向きざま、剣を払った。それは尋常ではない速さで、さらにエルフマンとしては、渾身の力をこめた一閃だった。

 衝撃波が起こり、爆音とともにエルフマンの周囲の地面を粉砕した。

 しかし一刀両断されているはずのエアハルトの姿は、そこにはなかった。

「やれやれ」

 その声は、またエルフマンの背後から聴こえた。

 ふたたび振り向いたエルフマンの前には、二本の剣を持ったエアハルトが立っていた。

「ようやく、剣を抜けた」

 そうつぶやくと、エアハルトは、またニヤッと顔をゆがませた。頭は断続的に、ピクッ、ピクッと動かされている。瞳孔は小さくなったり大きくなったりしている。

 その変貌ぶりも異様だったが、手にしている二刀も異様だった。

 剣というよりは、ナタに近い。ずんぐりとした四角い刀身は、見るからに凶悪だ。

 エルフマンは剣を構えながら、思いがけず、身の毛がよだった。

 ──これが、『知事』のトップ・エースとして尊敬を集める、あのロー・エアハルトか? はじめの、威風堂々とした気迫はかけらもない。あるのはただ、まがまがしい妖気だけだ。

 相手をまちがえたか、とエルフマンは思った。……この男は、ルケ向きだ。あまりに醜い。

 瞬間、エルフマンの身体がふっと搔き消え、五メートルほど後ろに、また現われた。

 いま立っていた場所には、両剣を振り下ろした格好のエアハルトがいる。

 一秒にも満たない間に、一人が斬りかかり、一人がそれを避けたのだ。

 しかし、エルフマンのローブは、大きく斜めに切り裂かれていた。そこから覗く胸から胴にかけては、銀色のチェイン・メイルがおおっていた。

「アッハハハハ!」

 またエアハルトが笑った。まるで苦痛にたえるようなゆがんだ表情で、目を血走らせて、かれは狂気の笑い声をあげるのだった。

「おのれ!」

 憤怒に燃えたエルフマンは一声を発し、金色の髪全体がふわりと逆立った。

 エアハルトは、ククク、と忍び笑いをしながら、見開かれた目でエルフマンを凝視している。

 エルフマンは、構えている剣の先を、すばやく上げた。

 すると、エアハルトが立っている地面の破片が、ブワッと吹き上がった。さきほどエルフマンの一閃でこなごなになった欠片だ。

 すべては、また一瞬で終わっていた。

 エアハルトの胸には、深々とエルフマンの細剣が突き刺さっている。

 そして、エルフマンの右の胴には、エアハルトのナタのような剣が食いこんでいる。

 地面のがれきを目くらましに、エルフマンはエアハルトに全力の突きを見舞ったのだ。

 相手に対する失望、自分が受けたはずかしめ、それらの怒りを力に、ケイ・エルフマンの突きはその瞬間、何者もかわすことができないと思えるほどの凄みを見せた。

 しかし同時に、エアハルトの極限まで高められた集中力は、目の前に迫る、エルフマンの姿をとらえた。そしてなかば本能的に、その胴に剣を見舞ったのだった。

 エアハルトは長い息を吐いて、どっとあおむけに倒れ、エルフマンは声もなく、その場で両ひざをついた。

 血にまみれたふたりの剣が、地面に落ちている。

 音が近づいてくる。

 ルケの足音だ。

 ゆっくりとした足取りで、かれは二人の前にやってきた。

「いやあ、なんというか」

 と、ルケは、うずくまって息もたえだえのエルフマンに、平然と声をかけた。

「こりゃまた、とんだことになったねぇ」

 ルケは、あおむけのエアハルトに目をむけた。血だまりを広げながら、ぴくりとも動かない。死んだか、気絶か。まあどっちでもいい。ルケはまたエルフマンに視線を戻した。問題は、この女だ。チェイン・メイルのおかげで、たぶん致命傷はまぬがれただろう。でも、重傷にはちがいない。……まあ、因果応報だ。ぼくを出し抜こうなんて、百年早いんだよ。

「どうする?」

 ルケは、冷やかにエルフマンを見下ろした。「この男の首、取っておこうか?」

 エルフマンは咳きこみ、血を吐き出してから、首を横に振った。

「なんで?」ルケがおどけた風にいった。「ぼくの手柄になるのが嫌なのかい?」

 エルフマンには、声を出す力は残されていなかった。しかしその沈黙には、なにか含むものがあるように感じられた。

 ルケはかがみこむと、苦痛で意識がもうろうとしているエルフマンの横顔を見つめた。

「きみ、ぼくを殺すつもりだったでしょ?」

 ルケはいった。

「『知事』にやられればそれでいい、そうでなくても、『知事』をかたづけた後に、不意をついてぼくも殺す。そうすれば、きみは手柄をひとりじめして、邪魔なぼくは消えて、おまけに『ロヴァ』まで手に入る。お見通しなんだよ、バカが」

 ルケの最後の言葉には、強い侮蔑がこめられていた。

 エルフマンの呼吸は見る間に弱くなっていき、やがて気を失って、地面にくずれ落ちた。

 広いハンガー内に響く、ゴオンという機械音や、砲声が耳につきはじめる。

 破壊された飛行機の油や、煙の臭いにも、あらためて気づかされる。

 はるかむこうのハンガーの入口には、人の気配が集まっている。

 ルケは立ちあがると、倒れているエルフマンに目をやった。

 そして、深いため息をひとつ吐いてから、またかがみこんでエルフマンを抱き上げると、フッとその場から消えた。

 後には、エアハルトと、地面に丸まったままいつのまにか動かなくなっているコーデリアが残された。

 入口から突入した兵士たちが、そのふたりのもとに近づいてきていた。


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