ハイドスメイの攻防・4
重い砲声や、くぐもった機械音のすきまを縫うように、かぼそい声が響いている。悲鳴か笑い声かもわからない。しかし、そこにははっきりと、精神の錯乱が表われていた。
その声の主、コーデリア・ベリは、濡れた地面に横倒れにうずくまり、ときおり身体をけいれんさせている。そして、コーデリアのそばにかがみこんで、じっと見下ろしているルケ・ルクス。
──なにがあった?
すこし離れた場所にいるロー・エアハルトは、ルケの顔がコーデリアに触れそうなほど近づいているのを目にして、憤怒をこらえるのに必死だった。
「あなた、気が散漫ね」
エアハルトの正面に立つエルフマンが、口を開いた。おどけるように首をかしげ、らんらんとした目はまっすぐにエアハルトを射抜いている。
「果たし合いの最中に、よそ見なんて、いけない人。ただでは死なせませんわよ」
エルフマンは目を細めて、フフフ、と短く笑った。
その目の先にいるエアハルトは、身体中を切り刻まれ、白い制服を赤く染めて、肩で息をしていた。
ずたずたに裂かれたマントの切れはしが、地面に散乱している。
「みじめな姿ね、エアハルト」
と、エルフマンはさらにいった。「嫌われてしまいますわよ、あの子に」
かぼそい声が続いている。コーデリアが苦しんでいる。助けなければ。しかし……。
エアハルトは、それがほとんど不可能なことに思え、絶望していた。
かれには、ケイ・エルフマンの剣が、まったく見えないのだった。
エルフマンは、細身の剣を握る手を、だらりと下げて立ちつくし、構えるそぶりもない。それなのに、こちらが動こうとすると、もうどこからともなく刃が飛んでくる。まるで空気に斬られるようだ。
エアハルトは、不用意にエルフマンの間合いに入ってしまったことを、後悔してもしきれなかった。もう、距離を取りなおすこともできない。後ろに退こうとすれば、次はいままでとはちがい、致命傷を負わせられるだろう。
エアハルトは、素手だった。腰の剣に手をかけるひますらなく、こうして翻弄され、じわじわとなぶられているのだった。
「それにしても、つくづく見そこないましたわよ、エアハルト」
と、エルフマンはいい、片手に持つ剣の先を、ふっと震わせた。
次の瞬間、エアハルトの苦悶のうなり声がした。そのほほには、新しい切り傷が走り、鮮血が流れ出ていた。
「『知事』のエースと聞いて、楽しみにしていましたのに。これでは、討ち取ってもなんの自慢にもなりませんわ」
──この女、いまにも笑い出しそうな顔をしている。
エアハルトは、苦痛でかすんだ視界に映るエルフマンを見て、胸の中でつぶやいた。
──全身を、興奮でみなぎらせている。おれにはわかる。この女は、言葉とはうらはらに、心底この状況を楽しんでいる。
(なつかしいだろう?)
ふと、頭の中で、声がした。
エアハルトはその声にしばられたように、放心した。
エルフマンがまだなにかをいっている。だが、もう耳に入らない。いま、おれには、おれの声しか聴こえない。
制服のポケットに意識がいく。
その中にしのばせてあるものを、おれの全細胞が望んでいる。
(コーデリアは気づかない)
そう。そうだ。いまコーデリアは倒れていて、自分を失っている。おあつらえむきだ。
ああ、笑いがこみ上げてくる。おれはそれをおさえることができない。
おさえる理由が、おれには見いだせない。
「アハハハハハ!」
エアハルトは突如、はじかれたように笑った。
それを見たエルフマンは、不審げに眉をひそめた。コーデリアをながめていたルケも、異変を察して、顔をあげた。
「しかたない」
エアハルトはそういうと、ニヤッと笑った。
そしておもむろに、制服のポケットに片手をつっこんだ。
エルフマンはさらに眉を寄せ、剣先を震わせた。
とたんに、ポケットにやったエアハルトの腕が切り裂かれ、血が噴き出した。
しかし、エアハルトはいっこうに気にする様子もなく、ポケットからなにかを取りだした。それは、ごく小さな拳銃のようなかたちをしていた。トリガーの部分には、すでに指がかけられている。
エアハルトはすばやくそれを自分の首に当て、トリガーを引いた。
エルフマンは警戒し、はじめて剣を構えた。ルケも、二人の様子を見ながら、ゆっくりと立ちあがった。
拳銃のようなそれが地面に落ち、カラン、と乾いた音がした。
エアハルトは、うなだれて、身体を小さく震わせている。
眼球がきょろきょろと、まるで別の生き物のようにせわしなくさまよっている。
──あれは、注射器?
とエルフマンは怪しんだ。
──だとすると、この男、なにか薬をうったのか?
このとき、エルフマンは、無防備なエアハルトに攻撃をしかけるべきだった。しかし、彼女は好奇と驚きにとらわれて、剣を構えたまま、様子を見守った。
ルケはそんな二人の姿を、交互に見比べるようにしていた。
やがて、エアハルトの目の焦点が、ふと定まった。
身体の痙攣も止んでいた。
ただときおり、頭をピクッと揺らしている。
エアハルトは、ゆっくりと、目をエルフマンに向けた。
「きれいな髪だ」
そう聴こえたときには、エアハルトは、もうエルフマンの背後に立っていた。そして、エルフマンの長い金髪を、手のひらに流すようにしていた。
「まるで麦畑のようだ。なんて美しい」
とっさにエルフマンは身体を振り向きざま、剣を払った。それは尋常ではない速さで、さらにエルフマンとしては、渾身の力をこめた一閃だった。
衝撃波が起こり、爆音とともにエルフマンの周囲の地面を粉砕した。
しかし一刀両断されているはずのエアハルトの姿は、そこにはなかった。
「やれやれ」
その声は、またエルフマンの背後から聴こえた。
ふたたび振り向いたエルフマンの前には、二本の剣を持ったエアハルトが立っていた。
「ようやく、剣を抜けた」
そうつぶやくと、エアハルトは、またニヤッと顔をゆがませた。頭は断続的に、ピクッ、ピクッと動かされている。瞳孔は小さくなったり大きくなったりしている。
その変貌ぶりも異様だったが、手にしている二刀も異様だった。
剣というよりは、ナタに近い。ずんぐりとした四角い刀身は、見るからに凶悪だ。
エルフマンは剣を構えながら、思いがけず、身の毛がよだった。
──これが、『知事』のトップ・エースとして尊敬を集める、あのロー・エアハルトか? はじめの、威風堂々とした気迫はかけらもない。あるのはただ、まがまがしい妖気だけだ。
相手をまちがえたか、とエルフマンは思った。……この男は、ルケ向きだ。あまりに醜い。
瞬間、エルフマンの身体がふっと搔き消え、五メートルほど後ろに、また現われた。
いま立っていた場所には、両剣を振り下ろした格好のエアハルトがいる。
一秒にも満たない間に、一人が斬りかかり、一人がそれを避けたのだ。
しかし、エルフマンのローブは、大きく斜めに切り裂かれていた。そこから覗く胸から胴にかけては、銀色のチェイン・メイルがおおっていた。
「アッハハハハ!」
またエアハルトが笑った。まるで苦痛にたえるようなゆがんだ表情で、目を血走らせて、かれは狂気の笑い声をあげるのだった。
「おのれ!」
憤怒に燃えたエルフマンは一声を発し、金色の髪全体がふわりと逆立った。
エアハルトは、ククク、と忍び笑いをしながら、見開かれた目でエルフマンを凝視している。
エルフマンは、構えている剣の先を、すばやく上げた。
すると、エアハルトが立っている地面の破片が、ブワッと吹き上がった。さきほどエルフマンの一閃でこなごなになった欠片だ。
すべては、また一瞬で終わっていた。
エアハルトの胸には、深々とエルフマンの細剣が突き刺さっている。
そして、エルフマンの右の胴には、エアハルトのナタのような剣が食いこんでいる。
地面のがれきを目くらましに、エルフマンはエアハルトに全力の突きを見舞ったのだ。
相手に対する失望、自分が受けたはずかしめ、それらの怒りを力に、ケイ・エルフマンの突きはその瞬間、何者もかわすことができないと思えるほどの凄みを見せた。
しかし同時に、エアハルトの極限まで高められた集中力は、目の前に迫る、エルフマンの姿をとらえた。そしてなかば本能的に、その胴に剣を見舞ったのだった。
エアハルトは長い息を吐いて、どっとあおむけに倒れ、エルフマンは声もなく、その場で両ひざをついた。
血にまみれたふたりの剣が、地面に落ちている。
音が近づいてくる。
ルケの足音だ。
ゆっくりとした足取りで、かれは二人の前にやってきた。
「いやあ、なんというか」
と、ルケは、うずくまって息もたえだえのエルフマンに、平然と声をかけた。
「こりゃまた、とんだことになったねぇ」
ルケは、あおむけのエアハルトに目をむけた。血だまりを広げながら、ぴくりとも動かない。死んだか、気絶か。まあどっちでもいい。ルケはまたエルフマンに視線を戻した。問題は、この女だ。チェイン・メイルのおかげで、たぶん致命傷はまぬがれただろう。でも、重傷にはちがいない。……まあ、因果応報だ。ぼくを出し抜こうなんて、百年早いんだよ。
「どうする?」
ルケは、冷やかにエルフマンを見下ろした。「この男の首、取っておこうか?」
エルフマンは咳きこみ、血を吐き出してから、首を横に振った。
「なんで?」ルケがおどけた風にいった。「ぼくの手柄になるのが嫌なのかい?」
エルフマンには、声を出す力は残されていなかった。しかしその沈黙には、なにか含むものがあるように感じられた。
ルケはかがみこむと、苦痛で意識がもうろうとしているエルフマンの横顔を見つめた。
「きみ、ぼくを殺すつもりだったでしょ?」
ルケはいった。
「『知事』にやられればそれでいい、そうでなくても、『知事』をかたづけた後に、不意をついてぼくも殺す。そうすれば、きみは手柄をひとりじめして、邪魔なぼくは消えて、おまけに『ロヴァ』まで手に入る。お見通しなんだよ、バカが」
ルケの最後の言葉には、強い侮蔑がこめられていた。
エルフマンの呼吸は見る間に弱くなっていき、やがて気を失って、地面にくずれ落ちた。
広いハンガー内に響く、ゴオンという機械音や、砲声が耳につきはじめる。
破壊された飛行機の油や、煙の臭いにも、あらためて気づかされる。
はるかむこうのハンガーの入口には、人の気配が集まっている。
ルケは立ちあがると、倒れているエルフマンに目をやった。
そして、深いため息をひとつ吐いてから、またかがみこんでエルフマンを抱き上げると、フッとその場から消えた。
後には、エアハルトと、地面に丸まったままいつのまにか動かなくなっているコーデリアが残された。
入口から突入した兵士たちが、そのふたりのもとに近づいてきていた。