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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
17/142

ハイドスメイの攻防・3

 かん高い警報が鳴りつづけている。

 総員に白兵戦をうながす、機械音声のアナウンスも響いている。

 エアハルトとコーデリアは、そんな艦内の狭い通路を、急ぎ足で進んでいた。

 装甲服を着た兵士の集団が駆けていく。

 全員、むかう先は同じだ。艦の中階層にあるハンガー。脱出用の飛行機などがある、広い格納庫だ。

 ふだんは、整備員のたまり場になっているほかは、特にどうということのない静かな場所だった。

 それが、いまでは無残にも変わり果てている。

 エアハルトは歩きながら眉を寄せた。ついさっき、戦闘指揮所のディスプレイに映された、ハンガーの光景が脳裏をかすめる。

 破壊された何機もの飛行機。スプリンクラーの雨。燃え残りの煙。そして地面に倒れている、血まみれの整備員たち。敵のすがたは、どこにもなかった。しかしエアハルトとコーデリアには、わかっていることがあった。

 ──二つの気配。

 少なくとも、強力な中枢卿が二人、この艦内にいることはたしかだ。

 それも、この戦線の状況を考えれば、一人はケイ・エルフマン以外に考えられない。なんのつもりかは知らないが、相手がわかっているだけ、まだいい。

 しかしもう一人は、まったく正体不明だ。それが不気味でしかたない。いや、それ以前に、敵はどうやってこの艦内に入ってきたんだ?

 足を急がせる二人の耳に、銃声がかすかに聴こえてきた。

 なにかいいようのない不安を、エアハルトはぬぐい去ることができないでいた。


「左舷中部に異常!」

 と通信士が伝えたとき、司令長官も参謀長も、まだ撤退にむけて各方面に連絡を取っているところだった。この段階では、戦闘指揮所はまだ落ち着いていた。

 ところが少しして、「ハンガー内で火災発生!」「艦内に敵侵入と思われます!」とたてつづけに声が上がり、指揮所は騒然となった。

「スパイか!」と、あわてて通信を切った司令長官がいった。そばにいる参謀長も、エアハルトもコーデリアも、口には出さなかったが同じ考えだった。

 旗艦は、強固な輪形陣で守られている。まわりを取り囲む飛行駆逐艦も、旗艦にはりついている直衛の戦闘機群も、えりすぐりだ。そこをかいくぐって、艦内に侵入するなど、内部の手引きがなければありえない話だった。

 通信が飛びかう中、壁の巨大なディスプレイにハンガーの様子が大写しになり、所内は一瞬凍りついた。

 飛行機に爆弾を仕かけたのだろう。そうだれもが思った。しかし、あの外壁に開いている、大きな四角い穴はなんだ?

「われわれが行きます」エアハルトが司令長官にいった。

「中枢卿か?」司令長官はするどい目をやった。

「はい、そう思います」

 とエアハルトは答え、横のコーデリアにふと顔をむけた。コーデリアはディスプレイの、スプリンクラーが降りそそぐハンガーにじっと見入っていた。

「ちょうどいい」と、参謀長が司令長官にむかって、おもむろに口を開いた。「これで、撤退の正当な理由ができましたな」

「わかった、避退しよう」すぐに司令長官はいった。「全艦すみやかに後進、戦線を離脱する」

「なんにしても、本艦の命運は、貴卿らにかかっている」参謀長はエアハルトとコーデリアに目をむけた。「敢闘を祈る」

 そうして司令長官と参謀長は、撤退行動にむけて指揮をとりはじめ、エアハルトは、コーデリアの横顔をうかがうようにしてたずねた。

「なにか見えるのか?」

 コーデリアはそれには答えず、少し首をかしげ、ディスプレイに見入る目をいぶかしそうに細めた。


「勘のいいのがいるね」

 とルケがいった。

「ぼくらが〝ここ〟にいることに、感づいてるよ」

「さあどうかしら」と、となりのエルフマンは気のない返事をした。「スプリンクラーの水が、機体に跳ねかえっているのじゃなくて?」

「ああ、そうかもね」とルケは軽く答えて、おもむろに目の前の操縦桿に手を伸ばし、ボタンを押した。とたんに一条の光線が前に飛んでいく。

 直後に、はるかむこうのハンガーの入り口から、こちらにむけた銃声が聴こえてきた。

「こりないねぇ」

 ルケはそうしみじみとつぶやいた。


 移乗作戦は、じつにシンプルだった。

 まず、艦砲射撃を強めるなどして、敵艦隊の意識をひきつける。

 そのすきに、『ロヴァ』はひそかに敵の旗艦の舷に接近し、搭載している固体レーザー砲で装甲を焼き切り、ハンガー内部に侵入する。

 戦闘機が入れるほど広い場所は、そこしかない。

 もちろん、透明になれる『ロヴァ』がなければ、不可能な作戦だ。

 装甲を手際よく四角く焼き切り、ハンガー内の飛行機にもレーザーを浴びせたのは、ルケだった。エルフマンはその様子を、コックピットのとなりの席で静観していた。

 ──これぐらいの騒ぎを起こせば、『知事』はすぐにやってくる。

 エルフマンはそう信じて疑わなかった。

 なぜなら、かれらは『知事』で、われわれは『中枢卿』。確信の理由は、それだけで十分なのだ。

 ひととおりハンガー内を破壊すると、『ロヴァ』は開けた穴からゆっくりと侵入した。そして適当な場所で停まり、あとは先ほどのように、敵兵士が入口から突入しようとするのをときおりレーザーで阻止しながら、『知事』が来るのを待ちつづけていた。

 灰色のハンガーは、スプリンクラーの雨に濡れて、いっそう黒々とした暗さをおびていた。


「いったい、どこから撃ってきているのか」

 と、兵士の一人が途方に暮れたようにいった。

「突入しようとすると、このありさまです。どうしようもない」

 ハンガーの入り口に、倒れている兵士たちの姿がある。装甲服の、特殊金属の焼けた異臭が鼻につく。床は血の海だった。

「わかった、もうさがってくれ」と、エアハルトがいった。「あとは、われわれがやる」

「ひどい……」惨状をまのあたりにして、コーデリアがつぶやいた。

「いくぞ」

 エアハルトが声をかけ、コーデリアがうなずいた。

 次の瞬間、ふたりの姿は、ハンガーの入口脇から掻き消えた。

 そばにいた兵士たちは、なにが起こったのかわからず、あぜんとして顔を見合わせるばかりだった。


「あれかな?」とルケがいった。

「出ましょう」エルフマンが応じた。

 ルケの指が、操作パネルのボタンを軽快にたたく。ハッチが開かれた。

 そして二人もまた、一瞬のうちにコックピットから姿を消した。


 四人が向かいあったときには、スプリンクラーは止んでいた。

 かれらは広大なハンガーの中央に立ち、互いの様子をじっと観察した。

 白い制服にマントをはおり、帯剣した、エアハルトとコーデリア。

 同じく白い、パフスリーブのローブとマント姿で、腰には細身の剣を差すエルフマン。

 紅色のローブをまとい、同色のケープを肩にかけたルケは丸腰だった。

 かれらは、もう目の前の敵以外はなにも見えなかった。いま戦っている戦争や、そのほかのことは頭から消え、ただ獣のような集中力で視線をつきあわせた。

「中枢卿団の、エルフマン殿とお見受けするが」

 と、やがてエアハルトが硬い声で口を開いた。

「名誉ある身でありながら、あまりに非道なご来訪だ。このうえは、相応の報いを覚悟するがいい」

「報い、報われ、それが世の常」

 とエルフマンは応えて、フフフ、と華やかに笑った。

「くだらない口上はおやめなさい、エアハルト。わたくしたちは、こうして向かいあっている。それで十分じゃなくて?」

「ぼく、こっちがいい」

 ふいに、ルケがコーデリアを指さしていった。

「さっきぼくらを観てたのは、きみでしょ?」ルケは、コーデリアを上目づかいでのぞきこむようにした。「感じやすい奴のほうがいい。そっちの堅物はまかせるよ」

「わたくしの名は、コーデリア・ベリ」

 コーデリアは目をきつく細めていった。「お名乗りなさいな、無礼なおかた」

「ぼくは、卿団第三隊長ルケ・ルクス」

 ルケは口の端を曲げて、ニヤッと笑った。「『卿団の凶器』とは、ぼくのことだ」

 ルケがサッと片腕を伸ばした。人差し指が、数メートル先のコーデリアに向けられている。とっさにコーデリアは腰の剣に手をやった。すると、ルケは伸ばした腕を、横に線を引くように動かした。

 その瞬間、コーデリアの視界に映るルケの姿が、ぐにゃりと揺れた。それはまるで煙のようにゆらゆらと波打ち、すぐに渦を巻きはじめた。

 その渦が、みるみる広がっていく。

 なにかおそろしい予感をおぼえたコーデリアは、渦になったルケに突進し、ハッ! とひと声あげて、剣を横一閃に抜きはらった。

 通常の人間の目にはとてもとまらない、すさまじい速さだった。目で追うことのできる中枢卿であっても、よけきれる者は少ないだろう。コーデリアの剣技は、それほどまでに冴えていた。

 しかしいま、一刀両断したはずのルケ、いや渦のようなものは、まったくおとろえることなく、コーデリアの視界全体に広がっていた。

 コーデリアは思わず顔をしかめた。

 ──やっぱり、精神攻撃か!

 そう思うのとほぼ同時に、コーデリアの視界が、パッと暗くなった。



 コーデリアは、ぽかんと空を見あげていた。

 藍色の空。

 そしてその空には、巨大なオレンジのガーベラが浮かんでいる。そこから放たれるギラギラした光が、コーデリアの身体を痛いほど射す。

「ふう、暑い」

 と、コーデリアの口からひとりでに声がもれた。それはとてもわざとらしい調子だった。

「ふう、暑い。ふう、暑い暑い」と、コーデリアはくりかえした。

 遠くから、黒いドレスを着た、おそろしく肥満した貴婦人が、腰に手を当ててかろやかに回転しながら近づいてくる。

「ああ、暑い! 暑い!」

 コーデリアの目が見開かれ、声はとたんに叫びに変わる。

 貴婦人はコーデリアの前にくると、悠々とおじぎをし、たちまちドレスをはだけて、豊満な乳房をあらわにする。

「エゲゲゲゲ」

 と、貴婦人が奇怪な、しわがれた笑い声をあげる。

「エゲゲゲ、エゲゲゲゲゲ」

「とても暑いのです!」

 コーデリアはうったえる。

 貴婦人は、「ええ、とてもとても、ふう、暑い暑い」といいながら近寄り、コーデリアの顔をいきなりその乳房にうずめる。

 突然コーデリアは恐怖を感じた。「出してちょうだい! ここから出してちょうだい!」

 調子はずれのピアノの音が聴こえてくる。

 貴婦人はコーデリアを引き離して、腕を取り、ふたりは行儀よくおじぎをする。

 そして踊りはじめる。

 貴婦人は恍惚としていて、コーデリアもなぜか楽しい気分になる。

 やがてギラついた空から雨が落ちてくる。

 コーデリアは急にふさぎこみ、踊りをやめる。

 貴婦人はくるくると踊りつづける。

 それをぼんやりとながめるうちに、コーデリアはふと、濡れそぼった貴婦人の豊満な身体にうずまって、眠りにつきたい、と感じる。

「寝かせてよ」

 コーデリアの口から自然と声が出る。それはとても横柄な声だ。

 貴婦人はビクッとして、踊りをやめ、おそるおそるコーデリアのほうを向く。

「寝かせてよ。ねえ、寝かせてよ」

 貴婦人はすっかりおびえて、あとずさる。

 コーデリアは両腕を前に突きだし、脚だけはまるで軍隊の行進のように、おおげさに上げ下げして、一歩一歩貴婦人に近づいていく。

「寝かせてよ、寝かせてよ、寝かせてよ、寝かせてよ」

 雨の音が止み、ピアノの音も止む。かわりに貴婦人が口をいっぱいに開けて、舌をぬらぬらと動かしながら歌いだす。

 ラーラーラーラー、ラーラーラーラー。

 美しい歌声。

 コーデリアは歩きながら感涙にむせぶ。そのおえつの合間にも、寝かせてよ、とまだつぶやいている。

 涙のむこうで、貴婦人の身体がグニャリとゆがむ。

 アハハハハ! と、どこからか笑い声が響く。

 貴婦人の歌声と、コーデリアの涙声と、その笑い声がとけあう。

 コーデリアは、はやく貴婦人のもとにたどり着こうと、脚を急がせる。

 歌い、泣き、笑い、進む。

 ガーベラのオレンジは、ぬれた地面を、あざやかに照らし、照らし、照らす……


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