ハイドスメイの攻防・2
「つまりさぁ」と、椅子にふんぞりかえっているルケ・ルクスが、とぼけた声でいった。「ぼくの寝坊のおかげで、敵はぼくがここにいることを知らないんだよ。感謝してよ、ケイ?」
ケイ・エルフマンは立ったまま、おそろしい目でルケをにらみつけていた。そのうしろにひかえているピットも、冷やかな顔でルケを見下ろしている。
コーデリアとエアハルトが気配を察知する、一時間前のことになる。
エルフマン艦隊の旗艦オステアの作戦室には、かれらのほかにも、おもだった士官や参謀たちの顔があった。そんな中で、まったく悪びれもせず、ときおりあくびまでするルケに、エルフマンははらわたを煮えくり返らせていた。
──人の苦労も知らないで、このガキ!
ここ数日の奔走が、頭の中をかけめぐる。
リディアという娘を取り逃がし、この中央戦線に合流してみれば、ふがいない軍部の連中は、まだハイドスメイでうろうろしている。おかげで温存しておきたかった第十六師団を、ナザンから呼び寄せるはめになった。
しかも昨日は昨日で、一時間以内に合流しろ、といっておいたはずのルケが、待っても待っても来ない。
督促の連絡をしてみれば、寝ている、という部下の返答。起こせ、と怒鳴っても、寝起きが悪いと殺される、とおびえて話にならない。
多忙をきわめる自分が、夜おそくに、ようやくルケをたたき起こしに行ってみれば、ルケの飛行艦隊はなんの準備もしていない。
怒り心頭、歯ぎしりしながら、まだ寝ぼけているルケの腕を引っぱり、自分の乗ってきた飛行艦に押しこんで、その後オステアに乗艦させてみれば、あてがわれた部屋のベッドに倒れこんで、また眠りこむ始末だ。
あおむけで寝息をたてるルケを見下ろしながら、剣を抜きかけた自分の姿が、まざまざと脳裏をよぎる。
そして一夜明けて、とっくに正午もすぎた現在。会議中のこの作戦室に、ふらっと普段着でやってきたこのガキは、寝ぼけまなこで「おはようさん」なんていいくさった。
──まあ、たしかにルケのいうことも、一理あるけど。
エルフマンは煮えたぎる胸の中で、かすかに思いをめぐらせた。
怒りで声が震えるエルフマンの責任追及の言葉をうけて、たったいまルケ・ルクスがいったことは、自分の艦隊がいなければ、前線に中枢卿団の隊長が二人いるとは思わないだろう、ということだった。
「それに、寝起きでぼんやりしてるから、『知事』にも気配をさとられない」
と、ルケは得意げにつづけていった。
「つまり、ギリギリまで、だれにも警戒されないってわけ。これ、全部計算のうちだから。きみらとぼくとじゃね、ここの次元がちがうのよ」
ルケはこめかみを人さし指でとんとんとたたいて、目の前に立つ、殺意の形相のエルフマンに、いたずらっぽくほほえんだ。
「どのみち、あなたひとりが来たところで、なんの役にもたたなくてよ、ルケ」
エルフマンは低い声でいった。
「ぼくひとりだって?」と、ルケはきょとんとしていった。
「機体も運んでくれたよね? 頼んでおいたでしょ?」
たしかに昨日、かれはエルフマンに連行される際に、戦闘機を一機、一緒に運ぶように頼んでいた。ずんぐりとしたエイのような、風変わりな機体だった。
「あなた、あれで単機突入でもするつもりかしら? よろこんで見送らせていただくわよ」
「見送るって、そんな」と笑いながらルケはいった。
「ぼくら、ふたりであれに乗って、単機突入するんだよ?」
作戦室の中は、瞬時に色めき立った。
ルケは、いかにも面倒そうにためいきをついた。
「あれはね、『ロヴァ』だよ。光学透過戦闘機、『ロヴァ』だ」ルケはいった。
「最新鋭の制空機だけど、もちろん、知ってるよね?」
「あれは……」エルフマンは一瞬、言葉を失った。「あれは、ルキフォンスの部隊に配備されているはずでしょう?」
「そう、きみが欲しがってもらえなかった、あれだよ」
「なぜあなたが……あれを持っているのかしら」
「秘密」
作戦室はもはや、険悪を通り越して、混乱の空気になっていた。
──『ロヴァ』。
ざわめきの中で、エルフマンは思いをはせた。
アイザレンが、国力をあげて開発した戦闘機『EP‐47・ロヴァ』。
メタ・マテリアルを駆使して、機体にあたる光を透過できる画期的な戦闘機。
ようするに、透明になれるのだ。
もちろん、赤外線その他のステルス性も抜群。ただしコストが高すぎて、いまは五機しかない。
そしてそれらはすべて、西部戦線の中枢卿、ルキフォンスが持っているはずなのだ。
「仮に、あれが『ロヴァ』だとして、」
と、エルフマンは気を取りなおしていった。
「なぜわたくしが、同乗しなければいけないのかしら?」
「ぼくひとりで、『知事』のエース格ふたりの相手はきついよ」と、ルケは苦笑いして答えた。「それに、きみもあれに乗ってみたいでしょ?」
「『ロヴァ』があるなら、なぜ早く前線にお越しにならなかったのです?」
と、たまりかねてピットが口を出した。
「せめて、昨日のうちにお話しいただくべきことだ。それをあなたは」
「うるせぇな」
ふいに、ルケの声音が変わった。
「ザコが口をはさむんじゃねぇよ。殺すぞ、てめぇ」
「おやめなさい!」と、エルフマンがうんざりした声で割って入った。
「急いては事を仕損じる、ってね」ルケはたちまち軽口の調子にもどっていった。「英気を養うのも仕事のうち。特にぼくなんかは、ほら、頭を使うから」
「『知事』の相手ならする、あなた、そういったわよね?」
「うん」
「つまり、『ロヴァ』で『知事』のいる艦に乗りこんで、討ち取る。そういうことね?」
「そういうこと」ルケは両手を頭のうしろに組んで、大きく背伸びをした。「ぼくは『知事』以外はどうでもいい。戦争はあんたらにまかせるよ」
「閣下、絶対にいけません!」
と、ピットがエルフマンにつめよった。
「ハイドスメイが陥落すれば、敵艦隊も撤退します。むやみに追う必要などありません」
その場にいる参謀やほかの士官たちも、一斉に同意した。ルケは馬鹿にしきったような笑みを見せて、その様子をながめていた。
エルフマンはルケの前に立ったまま、視線をそらして、しばらく考えこんでいたが、やがて一つ息を吐くと、見くだすような目をルケにやっていった。
「いいでしょう」
「いけません、閣下!」と、ピットが思わず声を荒げた。
「どうしてもというなら、『ロヴァ』で敵艦をたたけばいいだけの話ではありませんか! わざわざ閣下が敵の懐に入るなど、論外です!」
「わたくしは軍人ではなく、中枢卿です」
エルフマンはピットを振り向いていった。
「『知事』がいるのなら、その相手をするのは、中枢卿の本分。討ち取れば、団長にも顔向けができます」
「お気持ちはわかります。しかし……」
「あなたは師団長として、ひきつづき師団の指揮をとってちょうだい」
エルフマンはきっぱりそういうと、思いがけず晴れやかな笑顔を、ほかの者たちにむけた。
「みなさんも、移乗攻撃の作戦を至急たててくださいな。撤退される前に出撃しますから」
「卿団の本懐、ここにありだね」
ルケは冗談めかしてそういうと、椅子から立ちあがった。
「準備ができたら呼んで。部屋にいるから」
そうして、入ってきたときと同じように、ふらりと作戦室を出ていった。
「あの男、我慢できません」
ピットが首を横に振りながら、断固としていった。ほかの者たちは、エルフマンの判断にとまどいながらも、テーブルを囲んで作戦の立案にかかっていた。
「いいのよ、ピット」
と、エルフマンはピットにささやいた。
「いい考えが思いついたのよ。すごくいい考え。それに、前にいいましたわよね? ここはわたくしの戦場。ルケの好きにはさせないわ」
「部下をつけます」
「必要なくてよ」
とエルフマンはいって、意味ありげにほほえんだ。「そのほうがやりやすいの」
「……わかりました」
「あなたのいいところはね、ピット、しつこくないところよ」
エルフマンはいたずらっぽくピットの耳元でいった。「どんなときでもね」
ピットはぶぜんとした表情を崩さず、また首を横に振った。そして、作戦テーブルのほうに歩いていくエルフマンの背中を見やって、長々とためいきをついた。
一時間後、ルケとエルフマンを乗せた『ロヴァ』は、旗艦オステアを発進した。
こうして、リターグの支援艦隊の旗艦に乗りこむ、〝移乗攻撃〟作戦がはじまったのだった。




