ハイドスメイの攻防・1
見晴らしのいい丘の上に、白い石造りの建物があった。丘の下には、昼の砂漠がどこまでも広がっている。
ひとりの男が、その建物の中から、ぼんやりと外をながめていた。
ベランダの椅子にゆったりと脚を組んで座り、強烈な暑さにも汗ひとつかかず、すずしい顔をしている。
暗い紅色のローブを着て、肩に同じ色のケープを重ねている。
短い銀髪の、若い男だった。
ここは、ハイドスメイから五十キロ北にある、小さな町だ。アイザレン軍に占領された、砂漠民の町で、男のいる建物は、町の長の邸宅だった。
時は、サヴァンたちがユーゼン領を出航する一日前。ちょうど、リーンを糾弾しているころのことだった。
廊下を打ち鳴らすブーツの音が聴こえても、男の表情は変わらなかった。
靴音は徐々に近づき、男のいる部屋の開け放しのドアの前で止まり、さらに近づいてきた。
「いいご身分だこと」
と、女の高飛車な声がして、男は顔をそちらにむけた。
「やあ、ケイ」
「やあ、じゃなくてよ、ルケ」
中枢卿団・副団長ケイ・エルフマンは、せせら笑いをまじえていった。
「バカンスのお邪魔だったかしら?」
「いやいや」ルケと呼ばれた男はほほえんだ。「美人は大歓迎さ。なんか飲む?」
「……わたくし、あなたを五回くらい殺したくてよ、ルケ」
「あら。じゃあぼくは、きみのゆがんだ死に顔を、一日中ながめていたいねえ」
ベランダに切れるような沈黙が降りた。
エルフマンはおそろしい顔でルケをにらみつけ、ルケはとぼけた目でそんなエルフマンを見つめかえした。
やがて、エルフマンはツンとあごをあげて、口を開いた。
「前線の飛行艦隊が、リターグの援軍で手間どっているのは、ご存じかしら」
「うん、知ってる」
「それなら、あなたがいつまでも前線に出ないわけを、教えていただけて?」
「やだ」
一瞬でエルフマンはルケの胸ぐらをつかみ、その腰を浮かせるほど持ち上げていた。
「副団長権限で罷免してもよくてよ、このクソガキ!」
ルケはふっと笑みを浮かべると、突然、目の前のエルフマンの唇に軽くキスをした。
ハッと虚をつかれたエルフマンが手を放し、ルケは立ちあがると、乱れた服を整えた。
「しょうがない、行くよ」
中枢卿団・第三隊長ルケ・ルクスは、なにごともなかったようにそういった。
「でもぼく、戦争には興味ない」
「……なにがいいたいのかしら?」
エルフマンは、まだ唇にとまどいを残しながらいった。
「『知事』が来たでしょ?」とルケはいった。「その相手なら、まあ、してもいいかな」
エルフマンはきつい目でルケを見すえ、少し考えてから、「いいでしょう」といった。
「一時間以内に、わたくしの艦隊と合流なさい」
そういうと、エルフマンは来たときと同じ荒い足取りで去りかけ、ふと脚を止めて、こう付け加えた。
「『卿団の凶器』といわれるあなたの実力、名前倒れなら、怒りますからね」
ひとりになったルケは、エルフマンの去った先を、しばらく見るともなくながめていたが、やがて大きく伸びをすると、長々とあくびをした。
「ああ、眠ぃ」
ルケは不機嫌にそうつぶやくと、部屋の中に入り、ベッドにどさっと身を投げた。そして何秒もたたないうちに、寝息を立てはじめた。
前線の砲声が、ここにもかすかに届いていた。
*
サヴァンたちが、公爵邸の色とりどりの花畑をあとにしたころ、リターグの『知事』ロー・エアハルトとコーデリア・ベリは、壁一面のディスプレイに映る、赤や緑や黄色の光を見つめていた。
ハイドスメイの防衛支援にかけつけた、リターグの飛行艦隊の、旗艦の中だ。
ふたりがいる広い戦闘指揮所は、通信が入り乱れ、ディスプレイの光点は刻々と移動し、消滅し、また点灯していた。
「開戦から五日か……」
と、ふいにエアハルトがつぶやき、となりに立つコーデリアが、そちらに顔をむけた。
「ハイドスメイは、よくもった、といっていいのかな」
「相手は三個軍」コーデリアがいった。「……それでも、あの部隊さえ来なければ、まだ戦えていたわ」
「第十六師団、だったか」
エアハルトは腕組みをして立ち、これまでの戦況に思いをやった。
たしかに戦力はおとった。エントールとリターグ、それにハイドスメイの兵力をあわせても、敵の三分の一にも満たない。それでも、ハイドスメイは厚い外壁に囲まれた城塞都市で、堅固だった。このまま守り続けて、増援を待つことは十分にできたはずだ。
それがまさか、今朝になってこんな事態になるとは。
いきなりあらわれたあの部隊。たちまち蹴散らされる、町の外の防衛線。丸裸になったハイドスメイと、猛攻をかける敵の大軍。
苦々しさがこみ上げたエアハルトは、思わず首を横に振りかけて、それをなんとか押しとどめた。
いったい、あの部隊はなんなんだ? わかっているのは、戦車を中心とした機甲部隊ということと、〝第十六師団〟という呼称だけだ。いかにも精鋭という感じだが、それなら、いままでどこでなにをやっていたんだ?
……なんにしても、これでもう、ハイドスメイの陥落は時間の問題だ。
「わたしたち、いつ撤退するのかしら」
思いにふけるエアハルトの耳に、コーデリアの声が届いた。
「空はまだ持ちこたえているからな」エアハルトはあいまいに答えた。
──そう、空はまだ、互角なのだ。
エアハルトはまた思いをめぐらせた。
リターグとエントールの飛行艦隊は、陸とちがって、伏兵に悩まされることもなく、ここまでよく戦っている。むこうには卿団のエルフマン艦隊もいるが、空の戦力は、ほぼ互角だ。だからよけいに、雌雄の決したこの場をいつ去るか、タイミングが難しい。
まあ、そのあたりは自分たちの考えることじゃない、と、エアハルトは、二人の男が近づいてくるのを目の端にとらえながら思った。それを考えるのは、かれらの仕事だ。
「きみら、今回は出る幕がなかったな」
二人のうちの一人が、くったくのない口調でいった。この艦隊の司令長官だ。エアハルトやコーデリアよりもふた回りは年長の男で、黒い軍装をまとった身体はひきしまっている。
「では、撤退が決まったのですか?」エアハルトはたずねた。
「いや、まだだ」と司令長官は答えた。
「そうしたいのはやまやまだがね。なにせリターグはエントールとちがって、船がありあまっているわけではないからな」
小国のリターグとしては、本国に火の粉がふりかかることも考えれば、少ない戦力をむだに消耗するわけにはいかない。飛行艦隊の規模など、エントールやアイザレンとは比較にもならないのだ。
ハイドスメイ攻防戦の決着はついた、だから一刻も早く戦線を離れたい。これはリターグの支援艦隊の総意だった。かれらは敵艦隊との戦闘をつづけながらも、ジリジリとその機会を待っていたのだ。
「この状況では、エルフマンは、もう前に出てこんだろう」
と、司令長官がいった。「あだ討ちは、また今度になるな」
「われわれの任務は、中枢卿への対処です。あだ討ちではありません」
エアハルトは、すぐにそう反論した。
司令長官はまゆをあげて、なにかいいたげな顔をした。
エアハルトは不満をグッと飲みこんで、この話を終わらせることにした。どのみち、自分たちが乗っているこの艦が撤退すれば、それでおしまいなのだ。
「敵の軽巡一、大破、戦線離脱します」と、通信士の声が響いた。
「飛空はまだ落とせんか」
司令長官とともにやってきた、参謀長がつぶやいた。
「ひくう、ですか?」エアハルトがたずねた。
「飛行空母の略だよ」
と、参謀長のかわりに、司令長官が答えた。
「艦隊戦は、海も空も同じだ。戦闘機や爆撃機を積んだ空母が、勝敗のカギをにぎる。われわれだって、味方の飛空の艦載機の護衛がなければ、とっくに撃沈されとるよ。だから、ほら」と、司令長官は近くの通信士のモニターを指さした。
そこには、三角形の光を連ねて描かれた、四つの円があった。どの円の中央にも、ひとつの三角形がある。
「これは、敵味方の陣形だ。どちらにも旗艦を守る輪と、飛空を守る輪、ふたつあるだろう。これを輪形陣という。それだけ飛空は重要なんだ」
そう司令長官が明快な声でレクチャーをしているときだった。
「ハイドスメイ、外壁突破されました!」
と、通信士の大声がして、戦闘指揮所の中は一瞬、シンと静まりかえった。
最後の頼みだった外壁が突破されれば、あとは敵がなだれこむのをふせぐ手立てはない。
「引き際ですな」参謀長が指であごをなでながら、司令長官にいった。
壁一面のディスプレイの、分割された画面のひとつに、実際のハイドスメイの様子が映し出されていた。
報告のとおり外壁は破られ、白煙をあげている。
エアハルトはまゆをひそめた。
崩れた壁から、第十六師団のマークが入った、先のとがった靴のような、灰色の反重力戦車が突入している。フロート・タンクと呼ばれるそれは、反重力装置によって、地面を浮遊して進むことができる。
もっとも、それ自体はめずらしいものではない。戦車であれ、一般の車であれ、タイヤの付いたものは過去の遺物だった。
「ねえ、ロー」
司令長官と参謀長が言葉をかわしている間に、コーデリアがエアハルトにささやいた。
「……なにか、いやな気配がする。感じない?」
「……感じる。中枢卿だろう。一人じゃないな」エアハルトは答えた。「たしかに、引き際かもしれない」
司令長官は、エントールの艦隊の指揮官に連絡を取っているところだった。参謀長は、ブリッジにいる艦長と、携帯通信機でやり取りをしている。リターグの支援艦隊は、ようやく後退を決断したようだった。
──とげとげしい、強い気配が一つ。これはエルフマンか?
エアハルトは眉根を寄せた。
そして、もう一つ気配がある。これも強い。
……妙だ。後方にいるはずのエルフマンと、それと同等の中枢卿が、この艦に近づいてきているのか? いったい、なぜだ?