覚醒と幕引き・9
サヴァンたちと程よい距離を取ると、かれらは立ち止まった。
ひとりは小柄な少女で、後ろに引きつめた長い黒髪を、一本の束にして背中に流していた。全身は黒いマントでおおっていたが、それは中枢卿団のマントとは違った質感の色味だった。
もうひとりは、長い豊かな白髪の青年で、白いたっぷりとしたローブをまとっていた。そのローブは、ひとつの染みも汚れもなく、陽光をまぶしく輝かせていた。
サヴァンは、少女と青年を交互に見て、妙な違和感を覚えた。ビューレンと同じだ、とサヴァンは思った。おれはこのふたりを知っている気がするのに、思い出せない。それにマッキーバやオービットたちもそうだ。初めて見る顔なのに、なぜか、なじみ深い感じがする。
あたりで戦闘をする者たちは、たちまち石の平地に散らばっていて、見わたすかぎりの場所で熾烈な戦いを繰り広げていた。しかしサヴァンたちの周囲には、ぽっかりと大きな空間ができていて、それが暗黙のルールだといわんばかりに、だれも近づいてはこなかった。
「それで?」サヴァンが、ふたりを見ながら口を開いた。「おれたちは、きみらと戦うのか?」
「そうだよ」白髪の青年が、ゆっくりとうなずいていった。「ぼくらと戦う」
「なぜだ?」サヴァンは青年をじっと見やった。
「なぜか」青年は、薄くほほ笑んでいった。「それは、きみたちを本来のきみたちに戻すためだ。きみと、リディアをね」
サヴァンは黙った。そして青年を凝視した。
「『日に立つ者』が覚醒すれば、マザー・キーが顕現する」
青年は、おだやかな声でつづけた。
「マザー・キーが顕現すれば、きみは元に戻れるはずなんだ。確証はないけど、みんなそう思っている」
「我はもう待てぬ」少女が鋭い一声を発した。「戦えばわかることだ。そうであろう、レダ・リュッケ」
少女はそういうと、直線的にレダを見すえた。レダは不敵な笑みを浮かべ、慎重な足取りで横に移動し、それにあわせて少女も、向かいあったまま動いた。
サヴァンと青年も、視線を交差させたまま、自然とレダたちとは反対側の方向に移動した。
リディアは、数人の『知事』たちに守られながら、ぼんやりと立ちつくしていた。彼女はもはや、目の前のできごとに理性的な意識をやることができず、自分の心の内の白い広がりにとらわれ、まるでさなぎになったような茫漠とした気持ちで、頼りなげにたたずんでいた。
そのリディアから距離を置いて、レダと少女は立ち止まった。怒声や、剣と剣がぶつかりあう硬質な音が止むことなく鳴りひびいていたが、あいかわらずリディアたちのまわりには近寄ってこなかった。
「元気そうだな、レダ・リュッケ」
少女は目だけを動かして、レダを頭から足元まで眺めていった。
「きさまもな、ウリア・カザン」
レダの声音は、もはや別人のような厳格さをおびていた。
「まずは、ご苦労だったといっておこう」と、ウリア・カザンと呼ばれた少女がいった。
「なに、楽しい時間だった」レダは涼しげな笑みを浮かべていった。
「そなた、本気を出さなければ、ここで死ぬぞ」
「そうだな。そのとおりだ」レダは剣を抜いた。
「ではいくぞ」
「ああ、いつでもいい」
次の瞬間、カザンのまわりの空気が変わった。誤作動を起こしたように空間が揺らぎ、カザンのすがたがグニャリと曲がった。いいしれない圧迫感が生じ、それはどんどん強さを増していった。
レダは剣をしっかりと構えて前方をにらみすえ、やがてなんの間合いも感じさせないタイミングで、剣を横一線になぎはらった。するとたちまち圧迫感が止み、カザンのすがたが元に戻った。
レダは疾駆して、猛然とカザンに突進した。カザンが横に避け、レダの剣が空を切った。しかし次の瞬間には、もうカザンの前にレダの剣先が迫っていて、それをまたカザンが避けた。そんな応酬がしばらくつづいた。並の人間には残像すら見えない、想像を絶する速度だった。
やがて、ふたりはまた向かいあったすがたで、空間に立ち現われた。
「なるほどいいだろう」
カザンはすばやくそういうと、身を包んでいたマントをバッと開きざま、双剣を引き抜いた。黒い引き締まったワンピースを着て、黒いブーツを履いた全身が見えた。
カザンはひと駆けでレダの目の前に迫り、両手の剣を振り下ろした。すると二本の剣は、レダの両肩のあたりで、強い磁力に反発したようにするりとすべり、逆にレダの剣がカザンの喉元に迫り、カザンは一瞬で身を退いた。にらみ合いの間が数秒つづき、次に同時に相手に打ちかかり、レダとカザンの剣は、初めてぶつかり合った。ぶわっと周囲の空間が波うち、波動が広がりわたった。
その波動を肌に感じながら、サヴァンと青年は立っていた。なにか頭の中で会話をしているような、奇妙に調和した雰囲気で、かれらは黙りこんでいた。
「不思議な気分だよ」
青年が口を開いた。「ぼくはきみを知っているのに、いまきみは、ぼくの知らない表情をしている」
サヴァンは青年の目をじっと見つめながら、すこし間をあけていった。
「名前を聞いてもいいか?」
「ぼくはマレイ」
そう名乗ると、マレイはうっすらほほ笑んだ。「やっぱり、このすがたじゃだめかな」
「きみと戦う必要はないと思う」サヴァンは静かにいった。
「いや、戦う」マレイは目を伏せた。そしてまた、サヴァンを見やった。「それしかない」
突如、激烈な波動がマレイの身体から立ちのぼった。マレイは、拳を握った片腕をふっと前に伸ばし、手を開いた。サヴァンのまわりの空間が、凝縮するようにサヴァンの全身を圧迫した。サヴァンはマレイと同じように、おもむろに腕を前に伸ばし、手を開いた。
バンッ、と二人の間の空気が鳴り、空間が鎮まった。
「しかたないね」マレイは身をかがめた。「いくよ」
一瞬でサヴァンに迫ったマレイは武器を持たず、手を手刀のかたちにしてサヴァンの顔に突きだした。それをサヴァンは片手ではらいながら、もう片方の手で剣を抜き一閃した。しかしマレイはもうサヴァンの背後にまわりこんでいて、手刀をサヴァンの首めがけて振った。サヴァンは前を向いたまま身をかわし、振り向くと同時に剣を振った。だが、またしてもマレイはそこにはおらず、サヴァンの真横に迫っていた。避け、攻めかかり、避け、攻めかかる。そのような展開が何度もつづいた。それはレダとカザンの戦いと同じく、別次元の応酬だった。放たれる気と気の激しい衝突によって生じる、空気の揺らめきだけが、かろうじてかれらの戦闘を伝えていた。
両側からの、とらえがたい空気の揺らめきに挟まれ、リディアはゆらりゆらりと身体を振らせながら立っていた。
リディアを守る『知事』たちは剣を構えながらも、どうしていいかわからず、混沌きわまる周囲の光景を、ぼう然と見わたしていた。
あたりの喧騒は、リディアの耳には遠かった。彼女はまどろみに似た感覚に支配されていた。だが、頭の中では、たえず自分の名前がくりかえされていた。
リディア・ナザン、リディア・ナザン、リディア・ナザン。
ふいに、〝ちがう〟と声が聴こえた。
ちがう。リディア・ナザンじゃない。わたしは……
とたんに、不可思議なイメージが頭に降りかかった。このレガン大陸の戦争が始まってからここまでの記憶が、ひとつの抽象的な模様を作って、拡大と収縮をくりかえすようだった。
騒乱、戦い、無数の死、静寂、苦しみ、悲しみ、せつなさ。イメージはそういったものを表現して、最後に、夢をリディアに思い起こさせた。
ナザンで観た、自分が歌をうたっている夢。ユーゼン公爵の屋敷やラザレクで観た、無数の戦士たちの中で泣きながら歌っている夢。スレドラハムで観た夢の中の、舞踏の音。
歌声が聴こえる。美しい数人の女性が白い影となって浮かぶ。彼女たちはわたしの名前を呼んでいる。これも夢に見た。彼女たちは笑っている。笑いながら、わたしの名前を呼んでいる。リディア。わたしは、リディア・ナザン。
ちがう。〝ハイメゾン〟。
そう、わたしは、リディア・ハイメゾン。わたしはナザンから脱出するときに、それを思い出していた。でもなにかが足りない。まだわたしの名前は完全じゃない。思い出さなければいけない。わたしは自分が、本当の名前を思い出さなければならないということを、心の深いところで知っている。そして、いまがそのときだということも。
ふいに、リディアの視界が開いた。
ふくれあがった戦闘の喧騒が、どぎつく耳に刺さった。石の地面には、すでに何十という死体や機械の残骸が広がっていて、それはリディアの目にくっきりと飛びこんできた。にわかに表現しようのない激情が沸き起こった。その激情の奥から、声がした。
──花をつみ、夜をつみ、歌をつむ
「祝う日、消失する日、無限の日」リディアの口から、ひとりでに声がもれる。
──生をひねり、死をひねり
「きざまれる、異文の告白」
──日に立つ者
「それはすなわち〝音〟の切り立ち」
──リディア・メロディ・ハイメゾン
リディアはいった。
「リディア・メロディ・ハイメゾン」




