覚醒と幕引き・8
リターグは、ケーメイの市街地から五十キロの地点にまで迫っていた。しかし司令のジオ・レドムはそれ以上進ませず、上空静止を命じた。
すでに空の脅威はなかった。地上も、味方の陸上部隊は機械兵に苦慮しながらも、ゆるやかに戦線を押しこんでいて、本日中には市街地を占領できそうな戦況だった。
レドムは司令席に腕を組んで座り、デスクのモニターにじっと目をやっていた。
「司令」
と、隣のデスクの参謀が口を開いた。「いつまで静止するのかを、ブリッジが確認したいそうですが」
「おれがいいというまでだ」レドムはモニターに目をやったままいった。
「司令がいいというまで、とお伝えしてよろしいですか、司令?」
「ああいいよ」とレドムは答えて、モニターから目を離して居ずまいを正した。「まあ遅くても数時間以内だ。そういっとけ」
「数時間以内ですね?」
「ああそうだ」
「司令、静止する理由は、なにかあるんでしょうか?」
「あるよ」
レドムは無造作にそういうと、椅子に深く座って、またデスクのモニターを見やった。「でもいまはいえん。じきにわかる」
モニターには、一つの光景が映されていた。それはどこか広い場所で、そこには大勢の人間が集まって立っていた。
*
ケーメイの市街地を抜けた先は、石の平地が驚くほど広大に広がっていた。
皇帝の宮殿は、その平地の市街地側から、ぽつんと見える距離にあった。
この、宮殿があるだけの広い平地は、本来ならば最終防衛線を敷く場所だった。しかしいまは、アイザレン軍の兵士は一人もいなかった。かわりに奇妙な集団が、石の広場の中央に大挙して、不思議とおごそかな雰囲気で立っていた。
砂ぼこりで汚れた、白い詰襟の制服を着た男女がいる。後ろには、同じ制服を着た者が数人と、ベージュのチュニックを着た女が一人。
その前方には、男が三人。三人の背後には、百人前後の、黒いマントに身を包んだ者たちが立っていて、小さな少女も一人いる。
そして二つの集団と三角を作るように、二人の男がいる。この一団は特に奇妙で、二人の背後には、百人を超える老若男女と、さらに多数の機械兵がいた。すこし離れた場所には、少女と青年がならんで立っていた。
陽光が照る灰色の地平に、風はゆるく吹きわたり、遠くの砲声は、ここにも届いている。
集団は、まるで示しあわせたように、三方向から時間をずらしてやってきた。すべての集団が中央に集まるのには、三十分がついやされた。
それぞれの集団の前に立つ者たちは、なかば感慨深げに、なかば警戒しながら、その場の静寂を仕切っていた。集まって一分が経過した現在でも、まだそうしていそうな気配だった。が、やがて沈黙はやぶられた。
「ヴァンゼッティ」
と声をあげたのは、サヴァンだった。それは非常に冷静で、堂々とした声だった。
「死んだはずのきみがここにいることを、説明してもらえるか」
「ごらんのとおり、死んでいない」
前方にいるユース・ヴァンゼッティは、困ったような笑みを見せていった。かれは、かつて『知事』だったころの白いマントで、全身を包んでいた。かれはすこし間を置いてから、つづけた。
「おれは、『知事』である前に、このアイザレンの皇帝だ」
「なに?」サヴァンはまゆをひそめた。
「おれはこの国の皇帝だ」とヴァンゼッティはくりかえした。「顔を見せずに、この国を治めてきた。実にやっかいな役割だった。でも、顔を知られないおかげで、『知事』にもなれた。これはおもしろい経験だった」
「マッキーバにやられたというのは?」
サヴァンは、ヴァンゼッティとならんで立っている二人の男に目をやり、またヴァンゼッティに目を戻した。
「あれは見せかけだ」ヴァンゼッティはいった。「必要があってしたことだ」
「必要とは?」
「すぐにわかる」
「なぜリディアを付け狙った、アイザレンは?」
「それは、彼女が『日に立つ者』だからだ」と、ヴァンゼッティの横にいるオービットが割って入った。
中枢卿団の団長服に黒いマントをはおった、その青白い顔の男を、サヴァンは知らなかった。しかし、特徴的な紅い瞳孔から、かれがオービットだという見当をつけていた。
「『日に立つ者』とは?」サヴァンはさらにまゆをしかめていった。
「ある力を持つ者を、そう呼ぶ」
オービットは淡々と答えた。「その者は、精神的肉体的なストレスにさらされて、覚醒する。われわれは、いわばその過程を作ったということだ」
このときリディアは、どこか夢の中にいるようなここちで立っていた。彼女は、もう疑いようのない自身の変調を自覚していた。
わたしは、やっぱりわたしじゃないような気がする、とリディアは思った。きっかけがあれば、いまにも一瞬で、別の人間になりかわる、そんな感じがする。でも、それがなぜか怖くない。時は満ちた、というような、不思議な気持ち。
『日に立つ者』。いま耳にした、そしてこれまでにも何度か聞いた、その言葉の意味が、わたしにはまだわからない。でもわたしは、自分がそう呼ばれるべき存在だと、心の奥底で悟っている。
そう、それに、わたしなにか、思い出さなければいけないことがあったはずだ。なんだっただろう。わたしは、なにを思い出すつもりだった?
「すべて説明してもらえないか」サヴァンが、オービットにいった。「これがどういうことなのか。なぜ我々は、こうしてここに集まることになったのか」
「それは、実に込み入った話になる」と、サヴァンの左の方向にいる、ヴァン・ビューレンが口を開いた。ゆったりとした濃紺のローブをまとい、腰帯には、いつもは身につけていない太刀が、黒い鞘におさめられて差さっている。
「『日に立つ者』。マザー・キー。エネルギー」
ビューレンはいった。「戦争。異能者同士の戦闘。覚醒。それになにより、レイ=ロード・サヴァン」
サヴァンは、どこか浮かされたような表情で、ビューレンに顔を向けた。サヴァンもまた、リディアと同じような予兆を感じていた。自分の身の内でなにかが変わる、というその思いは、身体の全細胞がそれを肯定しているような、本能的な確信につながっていた。
「ヴァン・ビューレン。ぼくはあなたを知っている」
サヴァンはいった。
「たぶん、まちがいなく知っている。あなたの顔も名前も。でも思い出せない。ぼくとあなたは見知った間柄だったはずだ、ビューレン。ちがいますか?」
「おまえには、到底わかりようのないことだ」
ビューレンは、ゆっくりと首を横に振って、重々しく答えた。
「永遠の疑問にとらわれ、苦しむがよい。レイ=ロード・サヴァン」
「おしゃべりは終わりだ、おまえたち」
サヴァンの横のレダが、声を張りあげた。それはいつもの軽い調子ではなく、強制力のある、凛とした声音だった。
「そうだな」
そういうと、ビューレンはおもむろに太刀を抜いて、片手で持ち、その腕をだらりと下げ、オービットたちのほうを向いた。「さて、始めるか?」
まずオービットが真っ先に剣を抜き、マッキーバとヴァンゼッティ、さらに後ろにひかえている中枢卿団の団員たちも、つづいて剣を抜いた。
ビューレンの横にいるラジャ・メッツァは、にやりと笑った顔を、マッキーバに向けた。背広姿で、刀剣をおさめた黒い鞘を手にしていた。かれは剣を抜くと、鞘を捨てた。刀剣は黒一色で、柄には、網目状の金属のすべり止めがほどこされていて、つばはなかった。
そして同じ剣を持つ機械兵の群れが、いっせいに抜刀し、さまざまな服装、さまざまな容姿の老若男女の中にも、自分の武器を構える者がいた。
「その子はおれのものだ。返してもらうぞ」メッツァは口もとに笑みを張りつけ、エンディウッケをあごでしゃくっていった。
「断る」
マッキーバは答えた。横に立っていたエンディウッケは一歩下がり、メッツァをにらみつけた。
「その子は、おれの施設で育てた、おれの子だ」メッツァの目が、ギラッと光った。「特別に大事な子だ。絶対に渡さない」
「エンディウッケは帰らない」
「エンディウッケ? おまえが名付けたのか?」
「本当の名前はなんだ」
「名前などない」メッツァはせせら笑った。「認識番号がある」
「あたしの名前はエンディウッケ!」エンディウッケが、怒りを吐き出すようにいった。
「おまえの仲間は、おれの後ろにいるぞ?」メッツァはぞっとするような、いつわりのやさしさをこめた声でいった。「仲間を殺すのか、エンディウッケ?」
「あたしの仲間は、マッキーバだけ」
エンディウッケは、脚をしっかりとふんばって立ちながら、決然とした声でいった。彼女は、メッツァの後ろにいる、同じ研究施設にいたらしい老若男女に、目を向けなかった。
かわりに、マッキーバがそちらに視線をやり、ひととおり見わたしてから、正面を向いた。
「後ろの連中が、おまえの育てた者たちか? 異能者だな?」
「そうだ」メッツァは、なんでもない風に答えた。
「何者だ、おまえは。ビューレンの部下か?」
「知る必要はない」
メッツァはそういい残すと、慎重に後退し、やがてくるっと背中を向けて、機械兵や異能者たちの前を横切った。
「あの女の子は殺すな、絶対にだ」
歩きながらメッツァが大声をあげた。「あとは殺せ」
その言葉を合図に、静寂がはじけ飛んだ。機械兵と異能者の集団が、マッキーバたち三人に躍りかかり、三人の背後の卿団員たちも前に飛びだして、壮絶な戦闘がはじまった。
サヴァンたちは後退し、サヴァンとレダ、そして残りの数人の『知事』で、リディアを守りながら、その戦闘の様子をつぶさに眺めた。
メッツァやビューレンたちからすこし離れていた男女が、歩き出した。かれらは激しい戦闘をしり目に、まっすぐサヴァンたちのほうへ近づいていった。




