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レガン戦記  作者: 高井楼
第四部
132/142

覚醒と幕引き・6

 エンディウッケは、ふらつく脚をふんばり、片腕をシドのほうに伸ばして、人さし指を複雑に動かしてすばやくサインを書くようなしぐさをし、次に、トントンとエナメルの靴のつま先で地面を突いた。

 マッキーバにつかまえられているミドが、金切り声をあげてシドに攻撃をうながした。

 シドは疲労を隠せないゆがんだ顔つきで、目をどんよりとさせて、エンディウッケの動作をながめていたが、意を決したようにまた肩を怒らせた。その直後に、エンディウッケがバッと両腕を開いた。シドの視界がぐにゃりと渦巻き、上半身がふらついた。

「石の崩れは日の産出」

 エンディウッケが文言をとなえた。「抗いがたい炎の門出」

 シドは頭を振って、エンディウッケの精神攻撃から逃れようとしたが、逆にめまいが強くなり、とうとう地面に倒れこんだ。

「明滅する、白い、花衣」

 エンディウッケのおごそかな声が、シドのかすんだ意識のなかにもぐりこんできた。ゴウ、と太い耳鳴りが起こり、シドは渦巻く世界に取りこまれ、漏斗をくぐるように精神が細くなり、方向感覚を失った。浮遊感にとらわれ、そこに非現実的な危うい安らぎを感じた瞬間、シドの視界が閉ざされた。



 シドは立っていた。

 ゆるい風がシドの身体を吹きぬける。それはどこか遠い日の遠い風とでもいうような、おぼろげな感触だった。風は最後に強く吹き、シドはその風の向かう方向に、無意識に目をやった。

 視線の先には、さまざまな見世物をしている広場があった。シドはそちらのほうに歩き、広場の中に入り、中を見てまわった。

 見世物は奇妙なものばかりだった。シドは白けた心で一つ一つをながめ、通りすぎた。青紫色の肉塊をむさぼり食っている老人。毒に犯され腐りゆく肉の過程を見せつける拳闘士。いつまでもトランポリンで跳ねつづけている四肢のない少女。雄同士の獣の交尾。盲いて白濁した眼球に針を刺す若い男。腹からもう一つの頭が飛び出ている駿馬。

 シドは、広場の中央の見世物の前で立ちどまった。ひとりの男が直立してたたずんでいた。

 男は全裸で、全身には無数の歯が生えていた。足の先から、禿げあがった頭、顔面や陰茎の先まで、びっしりと歯におおわれていた。

 まったく、歯のせいで顔もわからない、となぜかシドはいきどおった。

「もぬけの殻!」と、男が突然声をあげた。

 シドは驚いて目を見開いた。そしておののきながらも男の調子にあわせて、「もぬけの殻! もぬけの殻!」と叫んだ。するとまわりの人々もいっせいに叫びはじめた。「もぬけの殻! もぬけの殻!」

 シドはうれしくなり、腕を振り上げてさらに連呼した。人々は興奮しきって調子を合わせ、中には感極まって涙を流している者もいた。見れば歯の男は、身体に溶けかけたチョコレート・バーを塗りつけているところだった。

 シドはとたんにおそろしくなった。なぜなら、チョコレートが塗られた男の全身の歯が、徐々に小さな家や高い建物になり代わって、せり上がり、ひとつの街が作られつつあるからだった。

 やがて無数の歯が建物に変わると、その重みで男はよろよろとしながら、ゆっくりとシドに近づいた。

「わたしは街だ。住め。住め」

「いやだ!」シドはいった。「おまえは虫だ! 虫だ! 虫だ!」

 すると、男はきょとんとしたような声で、「見せてよ」といった。「見せてよ、見せてよ、見せてよ」

 シドは男が怖くてたまらなくなった。男はもう目の前まで迫ってきていた。そして男は全身を小刻みにけいれんさせ始め、「ああ、かゆい! かゆい!」と叫んだ。シドは赤子のように地面に寝そべって目を閉じ、手足ををすさまじい速さでばたつかせて、だだをこねた。

「いやだ! いやだよ! 帰れ! 帰れ!」

 目を開けると、シドはいつのまにか、長い一本道に寝そべっていた。後も先も見えないような、長い長い一本道だった。

 ひとりの少女がやってきた。その裸足の少女は、シドの前で立ちどまると、突如奇声を発した。するとその少女の顔が肥大し、さらに肥大し、それはゴム風船のようにどんどん膨らんでいった。

 やがて、ギギギギギ! と少女はひとしきり叫んだあと、大きく開いた口から、一つの白い棺を吐きだした。

 シドは立ちあがると、棺を見おろした。そしてその左右非対称の、いびつな真っ白い棺のふたをあけ、中に入って寝そべった。

「さよなら! みんなによろしく伝えてくれ、さよなら! さよなら!」と、シドは明るい調子でいった。少女は悲しみに打ち震えていて、その肥大した顔に、とめどなく涙が伝った。

 シドは胸が熱くなり、泣きそうになったが、それをぐっとこらえ、「さよなら!」と震える声でもう一度少女にいい、ふたを閉じた。シドはふと、彼女の名前を知っているはずなのに思い出せないことに気づき、絶望と悲しみに震える息を吐き、初めて涙を流した。少女の声がした。

「母なる音律、父なる鼓動。わたしはわたしは祈りの子」

 悲鳴が聴こえる。だれの悲鳴か、なんの悲鳴か、シドにはわからない。シドはおいおいと泣き、棺の中でいつまでもいつまでも悲鳴を聴きつづける……



「ちくしょう!」

 ミドが叫んだ。まるで世界全体を呪うような叫び声だった。ミドはマッキーバから身体を振りほどこうと、むなしい抵抗をつづけながら、ちくしょう! ちくしょう! と叫びつづけた。

 エンディウッケは、倒れているシドに人さし指を向け、小さく文言をとなえつづけていて、精神攻撃の手をゆるめる気配はなかった。シドはあおむけになって、ピク、ピク、と身体をけいれんさせ、開ききった目は血走り、瞳孔は異様に開いたり閉じたりをくりかえしていた。

「ちっくしょう! ナードやれ! ガキを撃て!」

 その叫び声を耳にして、マッキーバはとっさにミドを後ろに投げ飛ばし、エンディウッケの前に立ち、背中で守った。

 集中がとぎれたエンディウッケは、ハッとわれにかえったようになり、指をひっこめ、精神攻撃が止んだ。

 もうひとり敵がいることは、マッキーバには予想外だった。撃てというからには、どこからか弾丸が飛んでくるはずで、マッキーバは剣を両手で持って、その攻撃にそなえた。


 広場の一部始終を、ナードは見ていた。

 広場を囲む建物のひとつの、屋上のはしに寝そべり、いつものように、低いトライ・ポッドに乗せたスナイパー・ライフルの照準器に片目をあて、拡大された光景をまんじりともせずに観察していた。

 スティック・キャンディは片方のほほにおさめていて、にじみ出るキャンディの甘みを、ナードは舌に染み渡らせていた。

 シドの声が飛び、マッキーバがエンディウッケの前に入り、四方に神経をとぎすましているのを、なんの感慨もなくナードは見た。倒れているシドに照準を移すと、精神攻撃が止まったことで身体のけいれんが軽減され、徐々に目に生気が戻ってくるようだった。

 次にナードは、ミドに照準を向けた。身体が自由になったミドは、もう落ちている斧を拾って前かがみになって身構え、マッキーバの背中をにらみすえていた。そして顔は凶悪なまでにゆがみ、口は罵倒のかぎりをつくしてナードを責めていた。撃てってんだよ、このクソ野郎! てめえマジでぶっ殺す、マジでぶっ殺すぞ! さっさと撃てってんだよゴミが! 死ねよクソ! コラさっさと死ねボケ!

 ナードは、不思議な生き物を見るようにミドをながめた。顔をつぶさに目に焼きつけ、罵声のひとつひとつを冷静に聴き、その自分に向けられた生々しい敵意になかば感嘆した。

 そこまで人を嫌えるということが、ナードには果てしなく疑問だった。ナードははじめから、マッキーバやエンディウッケには関心をもてなかった。かれらを狙撃する気持ちはすっぽりと抜け落ちていた。

 ナードの心は、ひたすらミドに向けられていた。ミドと自分との関係には、途方もないへだたりがあり、自分の力ではどうすることもできないように思えた。カイトレイナで認識した不快な法則は、物事の一面だけではなく、どこにでも存在するという気がした。それは自分にとって無条件に真の敵であり、必ず打ち破らなければならないものだった。自分が打ち破ることによって、ほかの人々も不快な法則から逃れられる、とナードは信じた。

 ナードはいま、ミドとの関係性はかぎりなくゼロに近いと感じていた。会話すら成立しないならば、あとは接触するしかないと思った。ただ単に触れるのではなく、関係を開くという明確な意思を示して、触れなければならないと考えた。それはたった一度、ほんの一瞬でもいいと思えた。これを成しとげれば、不快な法則はその正確性を失い、世界は晴れわたる気がした。

 心のどこかで、いまそれを成すべきだと感じていた。これを逃がせば、あとはないという気がした。いまこの瞬間にこそ解決方法があると信じ、それを検討した。ミドに触れる方法、ミドとの関係を一瞬でも開く方法、自分の意思をミドに示せる方法。

 脳裏に、昨日の、キャンディ・スティックが皿の肉汁に突き刺さる光景がよぎった。ナードはごく自然に、照準を絞り、ミドの顔面を拡大した。

 このとき、ナードの心にはなんの疑念もわかなかった。


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