覚醒と幕引き・4
市街地の端にある丘の上に、メイナードとケンサブルはいた。
草木のない岩肌の地面に静止したふたりは、間合いをとって向かいあい、鳴り響く重層的な砲声の音に巻かれていた。
丈の短い白いローブをまとったメイナードは、両手で黒い大槍、名槍イサギを持ち、それを横にして姿勢を正していた。
中年で、くたびれたジャケット姿のケンサブルは、抜身の刀を片手に持ち、両腕をだらりと垂らしていた。かれらはそうして長い間対峙していた。
メイナードは、リターグにひそかに別れを告げ、一人で降下艇に乗りこみ、ケーメイに降りた。それは、ケンサブルの気配を地上に感じたからだった。
メイナードに迷いはなかった。もしケンサブルに勝っても、リターグには戻らないつもりだった。
メイナードは、自分の運命を信じた。ここまでの人生、彼女のまわりには、つねに重大な死がまとわりついてきた。そして彼女は、それを自分の責任だと思っていた。いま彼女はことさらに、無二の親友アーシュラを殺してしまったことを受け入れ、自分は生きてその罪をぬぐわなくてはならないと感じていた。
エアハルトが死んだ、とサヴァンに告げられたときは、また自分のまわりに死がひとつ増えたことを嘆きはしたが、すぐに無常の念がしのびよってきた。
メイナードは、一人になりたかった。たった一人になって運命をかかえこみ、みずから与えるその罰によって、自分の責任を、自分なりにまっとうしたい、と思った。それは責任として生きつづけなければならないということで、ケンサブルは、その意味で確実に殺しておくべき障壁だった。生きるために殺す、ということをしたあとで、彼女はイサギを捨てるつもりでいた。
「どうだい、いい場所を選んだだろう、ここ?」と、やがてケンサブルが、ぼんやりとした声でいった。
「そうね」メイナードはいった。
「ここなら、だれにも邪魔されずに済む。困るんだよ、いまはね。邪魔は困る」
「ええ、そう思うわ」
「気配がちがうね、メイナード。なにかよくわからん気配だ」
「そうかしら」
「ああ。でも悪くない。似合ってるよ、おまえさんに」
メイナードは答えずに、じっとケンサブルに目をやった。
「ひとつ聞きたいんだがね」
ケンサブルがいった。「きみは、この戦争の裏を知っているかい?」
「裏?」メイナードは、わずかに眉を寄せた。
「おまえさんの上司、ほら、静導士団の団長の、リカルド・ジャケイ。死んだらしいが、かれからなにか聞かなかったかい? たとえば、『日に立つ者』という言葉とか」
「なんの話?」
「かれは知ってたよ。ある程度はね。たぶん、ビューレンがうまく情報を流したんだろうなあ」
「なにも聞いていないわ」
「聞いておくべきだったね」
ケンサブルの口調が微妙に変わった。
「おまえさんは聞いておくべきだった。おまえさんには知っておいてもらいたかった。フェアじゃないからね。あんたとはフェアに戦いたかった」
「十分フェアよ、ケンサブル。むしろわたしのほうが上で、その分、不公平みたい」
「おもしろいことをいうねえ」ケンサブルは、恍惚とした笑みを浮かべた。「やっぱり今日はちがうねえ」
そういったとたん、ケンサブルは早足の散歩のような足取りで、すたすたとメイナードに近づいていった。
メイナードは目を閉じた。右からくるか、左か、正面か。これまでは直感に頼っていたメイナードだったが、このときは、はっきりとした意志をこめて、正面を選んだ。
メイナードのイサギを持つ手がすばやく持ちあがり、ケンサブルの刃を正面に受けた。目を開き、槍と刀が交差してギリギリとせめぎ合っている様を直視し、果たし合いがはじまったことを自覚した。そして、その刀の押しこみ具合から、以前ケンサブルに負わせた肩の傷は完全に癒えていると判断した。
メイナードはタイミングを見はからって瞬時に後ろに退くと、槍を突きだしてケンサブルに見舞った。常人には測りがたい速度と力で突いた槍は、ビュッという音を一瞬置き残し、槍の先の周囲に空気の揺らぎを生じさせた。が、ケンサブルは横に避けていて、すでにメイナードのふところに入ろうとしていた。メイナードはまたすばやく下がって間合いを取り、槍を持つ手の間隔を広くとって、横殴りにするように払った。ケンサブルは刀を縦にしてそれを受け、そのまま槍の先のほうに後退して、パッと飛びすさった。そしてふたりはまた静止した。
「おまえさん、なにか先を見てるね」
ケンサブルは、メイナードの目を覗きこむようにして、低い声でいった。
「この果たし合いの、先を見てる。ならば、つねに目を開けて戦ったらどうだね、メイナード。いまを見すえてこそ、先を見る資格がある」
メイナードは、ケンサブルをグッとにらみつけた。彼女はケンサブルのいうことは正しいと感じた。それは論理的な判断を超えて、自分にふさわしいと思える戦い方だった。わたしには責任がある。自分の戦いを自分で見つめてこそ、生きつづけるための第一歩になる。
メイナードは両手をぎゅっとしめて、最期のあいさつのようにイサギを強く握った。
ケンサブルが再びすたすたと歩き出した。流れを支配する歩みだった。人はかれの時間の中で、かれの決定した立ち回りを従順にこなして、死んでいくのだった。だから近づいてくるケンサブルを見るということは、避けようのないかれの流れを受けとめるということだった。
メイナードはいまそれを怖れなかった。彼女は、自分がケンサブルよりも大きな、ほとんど人智ではとらえられない流れの中にいる、と信じていた。そこではケンサブルの存在は全体のほんの一部にしか過ぎず、もはや宿敵ですらなかった。
ケンサブルの流れと、メイナードの流れがからみあい、一糸も乱れぬ剣舞のように、ふたりは刀と槍を振るって交え、近づいては離れ、離れては近づいた。刀と槍のぶつかりあう硬い音と、あたりの重い砲声が一体となって、徹底的に無秩序な音をたてつづけた。
しばらくしてふたりはまた距離を置き、対峙した。どちらも深く息をついて、乱れた呼吸を整え、その間も視線は直線的にぶつかりあった。
はあ、とケンサブルは息をついてから、「もういい」と口にした。その声は低く、しゃがれていて、まがまがしかった。
「これでは、ただの騒動だ。うるさいだけだ」
ケンサブルがおそろしい目でメイナードをにらんだ。そして首を横に振っていった。
「つまらない」
ケンサブルは、だらりと下げていた両腕をゆっくりと上げると、刀をぴたりと正眼に構えた。まるで身体全体が複雑に再構築され、なにかのスイッチが入ったかのようだった。
メイナードも、横に持っていた槍をケンサブルに向けた。彼女は流れと流れの交わりが途絶されたことを理解し、警戒した。そして彼女の中で、にわかにケンサブルという男の存在感が切り立った。
場を勝手に仕切りなおされたことは、メイナードにとって不快で、それはほとんど嫌悪に近かった。いま彼女の目に映るケンサブルは、生理的な、あるいはもっと根源的な嫌悪の象徴だった。
生きるために、という信念は、もはや彼女の中に存在しなかった。メイナードは純粋に、ケンサブルを殺したいと思った。彼女の目は獣のようにぎらついた。湧き起こる嫌悪感は戦意に変換され、メイナードは全身のざわつきのもとで高鳴る鼓動を、頼もしく感じた。そして嫌悪の対象を殺しても罪に問われないこの場に、満足した。
ケンサブルの動き出しを、メイナードは的確にとらえた。常人の目には見えない、言語を絶する速度だったが、このときのメイナードの目には、鮮明すぎるほど鮮明だった。振りかぶった刀が陽光を一瞬映し、打ちおろされた。メイナードは槍を横にして上げ、持っている手と手の間の柄で、刀を受けようとした。しかし刀は、まるで手ごたえがないまま柄をスッと切断し、メイナードの肩に食いこんだ。
メイナードは目を見開いて飛びすさり、切られた柄を捨て、短くなった槍を両腕に持ちなおした。肩の傷口から流れる血が、みるみるうちに白いローブを染めていった。しかしメイナードは、痛みを感じなかった。
すでにケンサブルは、刀をまた正眼に構えて、きつい目でメイナードを見すえていた。
メイナードは、もう自分がケンサブルの刀を受けきれない、と感じた。動揺はなかった。視界が妙に広がっていた。
自分から仕かけるタイミングを、彼女は探った。一瞬の間が、さらに細かく切り詰められ、永遠とも無ともいえる時間の中で、メイナードの神経はおそろしく研ぎ澄まされた。
身体の内に、なにか突き上げてくるものがあった。彼女は血に染まる片腕を、槍から離した。
メイナードはその離した腕をバッと振りあげた。地に落ちている、切断された柄が弾丸のようにケンサブルを襲った。ケンサブルがそれを刀で払ったときには、もうメイナードはかれの目の前にいて、槍はケンサブルの左胸に深々と突き刺さり、まるで逃げ出すように血が槍を伝い、一本の線として地面に垂れた。
光景が凍りつき、停止した。
ハハハハハ! と、ケンサブルは笑った。口の両端がつりあがり、黄ばんだ歯の並びに血がにじんでいた。目はまっすぐメイナードを見ていた。ケンサブルはなにごともないように、胸に槍が刺さったまま数歩歩いた。槍はさらに深くケンサブルの胸を貫き通した。
メイナードは虚を突かれていた。ケンサブルは、まるでそうするのが当たり前だというように、片手に持った刀を淡々と彼女の胸に突き立てた。
驚愕したメイナードは、槍をケンサブルの身体から引き抜き、よろけながら後ろにさがった。刀がメイナードの胸から離れ、ケンサブルはうつぶせに倒れて死んだ。その片手が握る刀に付着している、自分の血を、メイナードはうつろに見おろした。
やがてメイナードは、両手に持つ槍を杖にして、それを支えに、がっくりと両ひざをついた。おびただしい血が、胸からも口からもこぼれ出て音を立てた。薄れゆく意識の中で、彼女はだれに対してか、ごめんなさい、と心でつぶやいていた。それは自分自身に対しての謝罪のようで、メイナードは不可解に思いながらも、その謝罪を受けいれ、安らいだ気持ちになった。視界が白くかすみはじめ、耳鳴りがし、力が抜けた。メイナードは、突き立ったイサギにおおいかぶさるようにして死んだ。それは深々と祈りをささげる姿勢に似ていた。