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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
13/142

ユーゼン公領の殺人・5

 ユーゼン公爵夫人リーンの居室は、二階にあった。

 ここちのいい、清潔な部屋で、窓からは広大な花の庭園が見わたせる。

 もっとも、いまは窓は閉じられ、レースのカーテンが引かれていた。

 リーンは、その窓に背を向けて、おだやかな表情で立っていた。

「それで、大事なご用とは、どういったことですの?」

 サヴァン、レダ、リディアの三人は、リーンから少し離れたところに立ち、その後ろに、執事が目を伏せて立っていた。

 サヴァンと執事は、会話のあと、書斎を片づけているリーンのもとに行き、重要な話がある、といったのだった。

 リーンはとまどいながらも、では私室で、と承諾した。

 二階に上がる際、サヴァンは、部屋に戻っていたリディアとレダを呼び出した。

 レダは『知事』の白い制服をきちんと着なおし、リディアも正装をまとっていた。


「リーン殿下」と、サヴァンが口を開いた。

「われわれは、亡きシャブロウ二世殿下には、恩義があります。その恩義を返す前に、ここを去るわけにはまいりません」

 リディアが前にいったことをまねただけだが、自分としてもその気持ちはある、とサヴァンは心の中でつぶやいた。もっとも、自分たちの考えが正しければ、「恩義」は「感謝」程度に引き下げられるが。

「ですのでわれわれは、いまそのご恩にむくいたいと思います。この事件の真相を、あきらかにすることで」

「真相?」と、リーンは目を丸くした。しかしそこには、微妙な演技の影があるように、サヴァンには感じられた。

「この事件では、特に注目すべき点が、三つあります」

 サヴァンは切り出した。

「一つは、エイゼンが特使の派遣を認めたこと。二つめはコーヒー。三つめが、あの秘密協定の文書です。

 一つめは簡単なことです。エイゼンが今回の事件を画策したのなら、特使の派遣を認めるはずがない。認めてしまえば、その事実が先走るからです。国レベルの話ですから、認めることで潔白をアピールするといった、安易なカモフラージュは通用しないでしょう。わざわざ嫌疑を深めることになり、特使の選定も含めて、あらゆる非難や追及を受けることになる。今回の場合、嫌疑を断固として突っぱねるなら、特使の派遣を一貫して否定するしかないのです。

 つまり、エイゼン側がそれをあっさり認めたのは、この事件にかかわっていないからです。ただ単に特使がいなくなったので、その調査をしているのでしょう。もし事件のことを少しでも知っていれば、潔白だとしても、ユーゼンとの接触はもうすこし慎重にするはずです」

「でもそれでは、特使が犯人ではない、という証拠にはなりませんわね」

 と、リーンはやわらかくいった。

「主人を暗殺するために、エイゼンにもぐりこんで、なんとかして特使になったのかもしれませんし」

「おっしゃるとおりです」

 とサヴァンはうなずいた。

「そして、もしそうならば、非常に優秀な人間です。今回の事件の犯人のような、つまらないミスを犯すとは思えません」

「それは、どういうことですの?」

 そういったリーンの声には、どことなく挑戦的な響きがあった。

「これから、犯行を口で再現してみます」

 サヴァンはいった。「おかしいと思える点があったら、ご指摘ください」

 サヴァンはすこしの間うつむき、そして前を向いた。

「昨日の夜、犯人は、公爵と特使の会談が終わるのを待っていました。公爵は玄関まで特使を見送り、それを犯人は、見るか聴くかしました。公爵が使用人を休ませたのは十時半ごろですから、死亡推定時刻も考えれば、特使が帰ったのは十一時から十一時半の間といったところでしょうか。

 犯人は、適当に時間を置いて、公爵に差し入れを持っていきます。あのホール・チーズですね。公爵は自前のワインとグラスを用意して、犯人と飲みます。犯人は、ワインに毒を入れるスキがないことを知っています。先代がワインの毒で亡くなられてから、非常に警戒されていた、ということですから。なので、犯人は、チーズに目をつけます」

「あら」

 とリーンが口をはさんだ。その目からは柔和さが消えていた。

「侍医の話では、チーズから毒は出ませんでしたわ」

「公爵は、口に入れるものには、とても気をつけていらっしゃった」

 サヴァンはリーンの言葉を受け流してつづけた。

「もちろん、チーズもです。ホールから自分で切ったもの以外は口にされないことを、犯人は知っていた。

 だから、犯人は、ナイフの刃に毒を塗ったんです。それも片側だけ。というのは、ホールのほうの、毒が付着した部分を切り取る手間が半分で済むからです。ごく少量で死にいたる劇薬ということですから、それで十分なんでしょう。

 ともあれ、公爵は安心してそれを食べる。そして身体の異変に気づく。もだえながら出口に向かう途中で、息絶える。

 ここから、犯人は忙しくなります。まずナイフと、公爵の食べかけのチーズがあれば、それも持って部屋を出て、どこかへ隠したあと、新しいナイフを持って戻る。そしてホール・チーズの、毒の付いたところをカットしようとする。

 でも、切れなかった。犯人の腕力では、硬すぎたんです。あのチーズをわたしも触ってみましたけど、岩みたいでしたからね。

 しかたなく、犯人はその部分を削りとることにしました。ホール・チーズの切断面の片側に残っていた跡がそれです」

 サヴァンはひとつ間を置いた。

 リーンは無言で、じっとサヴァンを見すえるだけだった。

「犯人は、どうにかチーズをこそぎ落として、それを捨てにいきます」

 サヴァンはつづけた。

「念のため、またナイフを替えて、同じことをしたかもしれません。切るのとはちがって、削る場合は、そのナイフにも毒が付いたおそれがありますし、替えたナイフはきれいだと不自然ですからね。

 そうして犯人は、エイゼンの特使が殺害したように見せるため、グラスのワインに毒を入れ、玄関の鍵を開け、金庫に偽の書面を入れます。そしておそらく、なにか見落としはないかと、犯人はまた書斎に戻ったのです。そこで、ハッと気づいた」

 サヴァンは部屋を見わたすようにして、軽く鼻から息を吸った。

「いい香りですね」

 とサヴァンはいった。

「レダやリディア殿下と同じ香水の匂いです。つけている本人は、慣れてしまって鈍感になりますが、他人の鼻は敏感です」

 リーンは、冷やかにサヴァンをにらんだ。

「犯人は、あらためて書斎に入って、自分の香水の香りが残っていることに気づいたのです。死体の発見者がそれを嗅いだら面倒です。そこで、とりあえず窓を開けたものの、その香水の香りがそう簡単に消えないことを、犯人はよく知っていました。

 そこで犯人は、厨房かどこかから、挽いたコーヒー豆の入った袋を持ってきた。そして、あたかもユーゼン公がコーヒーを入れる途中で死んだように見せかけ、豆をばらまいた。

 コーヒーは、それ自体の香りも強いですし、消臭効果もあります。強い香水の香りをまぎらわすには、うってつけでしょう。実際、それはうまくいきました。みんなコーヒーの香りしか意識しませんでしたからね。……この香り消しの件は、レダが思い当たったことです」

「いったろ、あたしは優秀だ、ってな」

 と口をはさんだレダの目は、するどく光っていた。

 ウフフフ、と、突然リーンが口をおさえて、歌うように笑った。そして尊大な目をサヴァンに向けた。

「とても興味深いご推量ですわ。やはりこのような場合は、おきまりの文句を申しあげたほうがよろしいのかしら?」

「つまり、証拠がないと?」

 サヴァンは冷静に応じた。

「おっしゃるとおりですね。書斎もいまは片づけられていますから、この推量を立証することは不可能です。……リーン殿下、」

 サヴァンはリーンの顔を堂々と見すえた。

「殿下はこの事件を、内々に処理されたい、とお考えでした。でも、それは政治的な配慮ではない。ただ単に、警察の捜査を避けたかっただけでしょう?

 殿下は、遠からずエイゼンが騒ぎ出す、と当然予測しておられたはずです。折を見て、殿下は特使が来たことをお認めになり、ユーゼン公が殺害されたことや、例の文書のことを公表されるわけです。そうすることで、この事件の黒幕は、エイゼンだと世間にほのめかすことができる。文書を盾にするのは、エイゼンではなく、リーン殿下、あなたのほうですね?」

「当て推量は、もうたくさんですわ」リーンがぴしゃりといい放った。

「わたくしを、だれとこころえてらっしゃるのかしら。わたくしは、ユーゼン公爵夫人です。わたくしを愚弄することは、エントールを愚弄することです。あなたがた、もうただでは済みませんよ」

「ようやく、エントールという言葉で出てきた」

 と、サヴァンはいなすようにいった。

「いいでしょう。では、当て推量は次で最後にします」

 リーンは、切れるような目でサヴァンを見つめていた。

 もうそこには、リディアとレダが庭で会ったときの、あるいは晩餐のときの、あのやさしいおもかげは微塵もなかった。

 しかしそのたたずまいには、まがまがしさと同時に、ある種の力強い若さが満ちていて、それまでのリーンとはちがった磁力をもたらしているようだった。

 そして実際、リーンの若さは、サヴァンへの挑戦の気持ちを起こさせた。リーンは、サヴァンの話を、最後まで聞いてやることにしたのだった。


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