表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レガン戦記  作者: 高井楼
第四部
127/142

覚醒と幕引き・1

 話を聞きおえると、サヴァンたちは静まりかえって、身動きもしなかった。

 かれらは空に浮かぶリターグの、広い部屋の中のソファーに腰をおろしていた。サヴァンとレダとリディアが横に座り、むかいにジオ・レドムが一人で座っていた。旧エントールの謁見の間での出来事から、二日が経過した夜だった。

 いまその部屋の中は、唐突に時間の流れが断ち切られ、いつとも知れない流れの回復を神妙に待っているようだった。

「クイラの足取りは、全然つかめないんですか?」と、やがてサヴァンが口を開いた。

「まったくわからん」レドムは目を伏せて首を横に振った。

「それで、これからどうなるんですか?」

「なにがだ?」

「旧エントールです。どうするつもりなんですか?」

「ああ、それはわからない」レドムはいった。「いまは新しい統治者を諸侯で決めている最中だそうだ。現地からの報告どおりにいえば、きわめて厳粛に、らしい」

「そうですか」

「問題は、エアハルトとコーデリアだ」レドムは腕組みをして、うなだれていった。

「問題、とは?」

「遺体をさ、引き取るのか引き取らないのか」

「引き取るといっても、どうやって」

「だからなんとかしてさ。おまえもそのほうがいいと思わないか?」

 サヴァンは口をつぐんだ。とても単純な感情が、うまく引き出せないという顔をしていた。隣に座るレダがサヴァンにすこし顔を向けて、流し目を送った。レドムはなにかを勘ぐるような目でサヴァンを観察した。

「おまえはどうしたらいいと思うんだ?」レドムが再度聞いた。

「わかりません」

「わからない?」

「はい」

「なにがわからない?」

「なにもかもです。本当になにもかもがわかりません」

「なにもかも、か」レドムは一つ息をつくと、背もたれに背をあずけた。「まあ、しかたないな」

「あたしらは明日ケーメイに着く」レダがいった。「エアハルトもコーデリアも、どこかで見てる」

 沈黙の間が長くつづいた。

「まあとにかく、いまは休め」やがてレドムがいった。「レダのいうとおり、明日からケーメイでの決戦だ。この件はまた後日話そう」

 レドムは立ちあがると、別れのあいさつをいって部屋をあとにした。残った三人はしばらく動かなかった。リディアは終始顔を下げて、なにか心の中で祈りの言葉を一心にとなえているような静かなたたずまいだった。


 三人もまた解散してそれぞれの部屋に戻ることにし、サヴァンはひとりで自分の部屋へ向かう通路を歩いた。すこしして、前方に人が立ち止まっているのが見えた。サヴァンは脚を止め、その者と顔をつきあわせた。

「どうしました、メイナードさん」サヴァンはかすかに眉を寄せて、けげんそうにたずねた。

「エアハルトさんのこと、なにかわかった?」メイナードは真剣な表情でいった。

「エアハルトは、死にました」

 サヴァンは言葉をいくぶん詰まらせながら答えた。「コーデリアも死にました。キュベルカやルケや、旧エントールを治めている人たちも全員死にました」

「どうして?」メイナードは目を見張った。

「わかりません。クイラだけがいないんです。なにが起こったのか」

「それは……なんていったらいいのかわからないわ」

「不思議なんですけど、悲しいって気持ちが遠いんですよ」

「え?」

「悲しい、だけじゃなくて、いろんな気持ちが遠いんです。なにかものすごく広いものが自分の中にある感じです」

「むりもないわ。だって話を聞かされたばかりでしょう?」

「そういうんじゃないんです」

 サヴァンはゆっくりと首をひねった。

「なにかもっと大きなものなんです。自分の中から生まれてくるような」

 メイナードは、サヴァンの目をのぞきこんだ。その目はくっきりと開いていたが、どこでもないところを見ているようだった。メイナードはここ数日感じていたことが、まちがいではなかったと判断した。

 カイトレイナでの戦いから引きあげてきてから、サヴァンとリディアの様子はあきらかに変わっていた。どこかうつろで、話しぶりはたしかだったが、微妙に空疎だった。まるで精神だけが遠いところにある様子だった。

 メイナードにはそれがある程度理解できた。自分も親友のアーシュラを自らの手にかけたことで、忘我の日々が何日もつづいたからだった。

 しかしサヴァンとリディアの様子は、自分とはどこかちがって見えた。自分には、忘我の先にはなにもなかったが、かれらは先を探っている、そんな気がした。

 生まれてくる、という言葉が、メイナードの耳にこびりついた。とりなす声をかけ、サヴァンと別れて反対方向に歩いている間も、その言葉はずっと引っかかった。

 メイナードはふと脚を止めて、心をさまよわせたあと、振りかえった。サヴァンの背中が、曲がり角に差しかかるところだった。サヴァンはメイナードの目の中でだれでもない者になりかわり、その者は背筋を伸ばして曲がり角に吸いこまれ、姿を消した。


  *


 飛行艦の狭い食堂の中に、少年と少女がいた。

 ぶ厚い木製の食卓に向かいあって座り、少年はみじろぎもせず、少女はその少年の代わりもつとめるかのように、ナイフとフォークを持つ上半身をことさら動かして、卓上の肉をむさぼり食べていた。

 長いポニーテールを揺らす少女は、白い布を胸や下半身に巻きつけただけのかっこうだった。少年は、短い髪をきっちりと横に分け、紺色のブレザーを着ていた。

 少女は、ほとんど火の通っていない平たく切った肉を口に運び、まるでそれが正式なマナーだとでもいわんばかりに、大きく咀嚼する音をたて、飲みこむときも音を立てた。

 肉汁と血がまざった液体は、皿の表面近くまであふれ、少女の胸の白い布も汚していた。

 少年は一心不乱に食べる少女のほうを見ず、背筋を伸ばした姿勢で、部屋の隅をおぼろげに見つめていた。

 と、ドアが開く音がした。

 入ってきたのは、ナードだった。ナードはドアを閉めると、口から突き出ているキャンディ・スティックを指でつまんで出し、まだ飴の球体がきれいに残っているそれを持ったまま、腕を降ろした。

 少年がナードに顔を向けた。少女はまったく無視して、人間的とも機械的とも思えるような大げさな動作で肉を食べつづけた。その姿はもはや、そこにある物質との、相互理解の末の共同作業のようだった。

「あのねあのね」と、ナードがうつむいて、いいにくそうに口を開いた。「あたしあたし……」

「知ってるわよ」ほほに肉を入れたまま、少女が小ばかにしたような声でいい、少年を見た。「ねえ、シド?」

「ミド、行儀が悪いよ」シドと呼ばれた少年がぼそりといった。

「あんた、あたしたちと組むんだって? クードとジュードが死んだから」ミドと呼ばれた少女は、ナードにすばやく顔を向け、さきほどと同じ口調でいった。

「そうなの、そうなの」消え入りそうな声でナードは答えた。

「なんでもいいけど邪魔しないでね」ミドはにくにくしげな調子でいった。「こっちはあんたなんか必要としてないから」

 ヒュ、と鋭い口笛が鳴った。シドが鳴らしたものだった。ミドは肉を飲みこみ、シドのほうを向くと、反抗するような口笛を返した。双子のかれらの間でしか通用しない、口笛言語だった。

「あー食事がまずくなる」ミドはそういい放つと、ドサッと椅子の背もたれに身を投げた。

「……ミドミド」ナードがいった。「なんでなんで?」

「なんであんたが嫌いかって?」シドが食いつくように身を乗り出して、大声をあげた。「嫌いだから嫌いなのよ。あんたがこの世にいるってことが嫌なの。ほんと信じられないくらい嫌い」

 ミドはバンと食卓をたたいて勢いをつけて立ちあがると、肩を怒らせてナードの横を通り抜け、背後で立ちどまった。

「消えろよ、ゴミ」ミドはすごみのある声でそういい残し、足早に食堂をあとにした。

「気にしないで、ナード」シドが卓上を見すえながら、静かにいった。「興奮してるんだ。明日は戦いだから」

 ナードは足元を見おろしたまま、ゆっくりとキャンディ・スティックを口に運んだ。そして無意識に残りの飴をガリガリと噛み砕いた。

「ぼくたちの獲物は、おじさんと女の子の二人組なんだ」

 シドがおだやかな口調で話した。「すごく強いんだよ。いままで二回戦って、二回とも引き分け。おじさんのほうは、ゴドーとリクドーをあっという間に殺したし、女の子のほうはすごい精神攻撃を使ってくる。だからきみがいると助かる」

 ナードはまったく聞いている素振りがなかった。うわの空の表情で、ガリ、ガリ、ガリ、と飴を噛む規則正しい音を立てるだけだった。

「でも、ときどき思うんだ」

 シドは椅子から腰を上げながらいった。「なんでぼくたち、戦ってるんだろうって。あの研究所で、ぼくたちはなんで育てられたのかなって。そう思うことはない、ナード?」

 ナードは反応しなかった。シドはナードの様子をじっとながめた。

「それじゃあ、明日はよろしくね」

 シドはそう声をかけると、食堂を出ていった。

 立ちつくすナードは、鈍く光る眼を床に向け、噛み砕いた飴をさらに細かく、丹念に噛んだ。彼女は、ミドとの関係が完全に閉ざされていることを、深く思い知った。

 ナードとしては、ミドと仲よくなりたかった。せめて日常的な会話くらいはしたいと思い、今日まで努力をつづけてきた。が、それはもう限界だと判断した。

 ミドへの憎しみはなかった。ナードは、この状況をなんとかする別の方法があるかもしれない、と考えていた。

 長い時間、ナードは立って考えつづけた。食堂は肉の匂いが濃くただよっていた。ナードの目の端には、肉の残りが置かれている白い皿が映りこんでいた。ナードは棒だけになったキャンディ・スティックを、その皿めがけてフッと吹き飛ばした。スティックは肉汁と血の液体に小さなしぶきをあげて刺さり、そのまま沈みこんでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ