連鎖・4
で、あとは?
クイラは踏み段のほうに目を向けた。四人の者がいて、そのうち三人が剣を構えている。クイラは、この者たちが不思議でしようがなかった。なんでわたしに敵対するの? あんたたち、なんでわたしに剣を向けるの? なにをそんなに、怖がってるの?
「コーエン、さがって!」コーラが切迫した声をあげた。
口ひげの男、コーエン公ドゥノは、目をギラギラと魅入られたようにむいて、自分の意志ではないかのような動作で、剣先を前に伸ばしてクイラににじり寄っていた。
コーエン。
クイラはその名前を深く頭に飲みこませた。コーエン。知ってる。記憶にある。コーエン公ドゥノ。エントールの大公だった男。キュベルカと共謀して国を裏切った男。でもわたしには関係ない。わたし、こいつを怒らせるようなことしたっけ?
コーエンの胴は、剣を構えたままの姿勢で両断された。切り離された上半身は肩から床に落ちたが、両手は剣をしっかり握り、そのまま固まっていた。床に転がるふたつの半身は、それぞれ、ザァ、と切断面から血を噴き出し、やがて血はこんこんと流れ出るようになった。
クイラは血のしたたる刀剣を片手に、コーエンの死体を背にして立っていた。すぐ目の前に、もうひとりの男がいた。
「スペイオ!」コーラが悲痛な叫びをあげた。
スペイオも知ってる。
クイラは整然と記憶をたどった。エントールの皇軍の司令官だった人。この人もたしか軍の部隊を動かさないで、アイザレン軍を聖都に入れた。キュベルカの仲間で裏切り者。それだけ。
スペイオの顔面は恐怖にこわばり、口はぶるぶる震えていた。かれは自分の死を予感していたが、なおも懸命に音を出して呼吸をつづけていた。まるで死に抵抗する、無意味な最後の手段であるかのようだった。目はクイラの、髪の短い痩せた顔を映しこんでいた。もはや見るというよりは、すでに彼女の一部になっているような気がした。
クイラは躊躇なくスペイオの額に剣を突き刺し、引きぬくと同時にスペイオは顔から床に倒れ、うつぶせに横たわった顔の下から、見る間に血だまりが広がった。
クイラは次に、コーラに顔を向けた。コーラは踏み段の上に立って剣を構え、キュベルカを守る風にしていた。
「キュベルカ様、レザーンを」コーラが小声で鋭くいった。
キュベルカは答えず、すこし迷うようなそぶりをしたが、やがて唐突に頭がガクガクとけいれんした。口を開き白目をむいて、人間らしさをいっさい拒絶するような奇怪な動きで頭は振られた。両手で握る太刀の剣先が激しく揺れた。クイラはじっと目をこらしてそれを見た。
やがてけいれんがおさまると、背中を丸めこんだキュベルカは、ひとつ大きく息を吐いた。そしてゆっくりと身体を起こし、下にいるコーラに目を向け、それからクイラに顔を向け、またコーラに顔を戻した。
「コーラ、どうしよう」そういったキュベルカの声は、頼りない少女のようだった。
「そこにいて、レザーン」張りつめた声でコーラはいい、踏み段をゆっくりと降りていった。
クイラはこのふたりのやりとりがまったく理解できず、興味深くもあり、滑稽でもあった。なにか、いまの状況ではまったく無意味な芝居のように感じられた。コーラは慎重に間合いを取ってクイラと対峙した。
「コーラ。名前しか知らないな」とクイラはつぶやき、「ねえ、あんたなに?」と異常なほどの大声でいった。
元キュベルカ隊副長で、幼少からキュベルカを、そしてキュベルカのもう一つの人格、レザーンを守りとおしてきたコーラ・アナイスは、答えずにけわしい目でクイラをにらんだ。
コーラの顔を、クイラは注意深く見た。
鼻筋の通ったきれいな顔立ち。自分と同じような短髪。目はきつい。わたしを殺すことに全神経を集中している。昨日今日と、あれほど穏やかだったのに、なにがあなたをそんなにしたの?
すぐに殺すか、もうすこし見ているかで迷い、クイラはすぐ殺すことにした。あとはこの女の苦悶の表情を見るだけで十分だ、とクイラは思った。
一瞬のうちにクイラはコーラの下腹を突き、刃をぐっと横に引いて切り裂き、コーラの背後に立った。ザバッと太い音を立てて血液が噴出し、脱力したコーラは優雅にも思えるなめらかな動作で身体を曲げ、かがみ、ゆっくりと背中を地面につけた。
コーラの顔が、思い描いていた苦悶の表情とは異なることに、クイラは不満を感じた。目を大きくむいて、なかば開いた口から血をあふれ出させるその表情は、自分の内の感情があまりにも多すぎて、あるいは単純すぎて、表現することができないということを表現しているかのようだった。それは爆発的な降伏とでもいえるようなものだった。クイラは苦い顔で、首を横に振った。
「すごい。昔のあたしみたい!」と感嘆の声があがった。
クイラはキュベルカのほうを向いた。いまはレザーンとなっているキュベルカは、太刀を持った手を、もう片方の手でたたいて拍手していた。
「あたしもそんなふうに何人も殺したの、もっと小さいころ」
レザーンは、コーラの死体をあごで示していった。
「お屋敷中の人全部殺したの。親も殺したし、全部」
「どうして?」クイラはきわめて素朴にたずねた。
「うーんわかんない」レザーンは首をかしげた。「なにかめずらしいものを見てみたかったのかも。すごい退屈だったから」
「あんたほんとにキュベルカ?」クイラは目を細くして疑わしげにいった。
「あたしレザーン」
レザーンは、剣の構えを解いていった。「キュベルカはあとから出てきたの。だからあたしが住まわせてるだけ」
「じゃあ、あなたは本当はレザーンなの?」
「そう。わたしが本当のわたし」
「めんどくさくないの?」
「全然」とレザーンは語尾を上げていった。「すごいうまくやってる」
「ねえこのコーラって人、あんたのなに?」クイラは唐突にいった。
「あたしの小さいころからの友達。キュベルカからすれば部下」あっけらかんとした調子でレザーンはいった。
「悲しくないの? 死んじゃったけど」
「うーん、だってかわいくないもの」
「え?」クイラはしかめた顔でレザーンを見あげた。
「かわいくないでしょ、ほら」
レザーンはまたあごでコーラを指した。「かわいいときのコーラは好きだった。でもいまはかわいくないから嫌い」
「あんた変だよ」クイラがいった。
「そうかも」
「あんたが仕組んだの? あたしたちをここに連れてくること」
「ううん、ルケよ。あたしはかれのいうとおりにしただけ」
「なんで?」
「え?」
「なんでいうとおりにしたの?」
「おもしろそうだったから」
おもしろそう、か。
クイラは、身体を斬り刻まれて踏み段を落ちていくレザーンをながめながら、ぼんやりとレザーンの最後の言葉を心でくりかえした。
横向きの身体を回転させて踏み段をころげ落ちたレザーンは、コーラが広げた血だまりの端にうつぶせになり、みずからの血をコーラの血だまりに侵食させながら、ひどく物体的なぶかっこうな姿勢で死んでいた。
完全な静寂が広間に落としこまれた。
クイラは床に転がる死体の群れをながめ、それらが作る構図を目に焼きつけ、自分がいかに順序だてて手際よく行動したのかを確認して満足した。
それから深い虚脱感がやってきた。口の端がひくついた。もう一生を生きた気がしたが、それはまちがいで、自分の人生がこれからもつづいていくことを理解していた。
クイラは、剣の刃全体に付着した何人もの血の重なりに、意味もなくしばらく目をやり、やがて踏み段の角で丹念に拭うと、剣を鞘にしまった。
踏み段を降り、両肩を落としてうなだれながら、クイラは出口に歩いていった。なにか一つの感情がこみ上げてくるようだったが、クイラはそれをおさえこんだ。歩くことがたいして困難なわけではないのに、一歩一歩がひどく疲れ、息が乱れた。
鉄の大扉の前にクイラはやってきた。これからどこへ向かうのかはまったく考えていなかった。しかしとにかくこの扉を開けなければいけない、とクイラは感じた。彼女は両方の取っ手に手をかけて、体重を乗せて腰に力をこめて引いた。重い音とともに扉にすき間ができ、そこから風が吹きこんだ。
扉を開けきると、クイラはあえぎながら息を整え、最後に一度長く深呼吸した。苦しいが進まなければならなかった。クイラは目をしばたたかせて、前方を見た。廊下は長かった。
一歩一歩踏みしめながら、クイラは前に進んだ。ひとつひとつ片づけていこう、とクイラは自分にいい聞かせた。まずはこの廊下を歩くんだ。そこから先はわからない。でもかならずまた別の道がある。道があるかぎり、わたしは歩きつづける。
開け放たれた扉の入り口から、徐々にクイラのすがたが遠ざかっていく。薄暗い廊下にクイラの細い輪郭がぼやけ、やがてなにかが動く気配だけとなり、最後には気配も消えた。




