連鎖・2
コーデリアは、立ちあがってから、自分が立ちあがったということを自覚した。腰の剣を抜いたときもそうだった。身体と心は離れた場所にありながら、結びついていた。自分の動作の一瞬一瞬が切り取られ、それらのひとつひとつに、なにか絶対的な意味があるような気がした。
エアハルトは、立ちつくすコーデリアから目を離さずに、ゆっくりと後退した。背後のクイラが剣に手を伸ばす気配がした。エアハルトは片腕を伸ばし、それを制止すると、クイラとともにさらに下がった。
キュベルカはなんの感慨もないような表情で、その光景を眺めていた。コーラも静かに見守っていた。口髭の男は動揺し、自身の剣の柄をにぎった。もうひとりの男は、親指と人さし指であごをまさぐりながら、ちらっとキュベルカに目をやった。
ルケは座ったまま声をしのばせて笑っていた。
エアハルトとクイラはじりじりと後退し、コーデリアと十分な間合いを取った。そしてエアハルトは踏み段のほうを横目にして、そこにいる者たちが、この事態を止めるつもりがないことを感じ取った。
コーデリアは剣を片手に下げ、おぼろげな目を足元に向けて、しばらくたたずんでいたが、やがて目を伏せたまま、ゆっくりと足を前に踏みだした。そしてエアハルトのほうに数歩歩いて、また立ち止まった。
「なにをしてるんだ、コーデリア」エアハルトはかろうじて平静さをたもちながら、小声でささやきかけるようにいった。
「わからない」
コーデリアがぼそりとつぶやいた。「わたしは、たぶんあなたを待ってた。でも待っていなかったのかもしれない」
「剣をしまって、帰るんだ」エアハルトが、いい聞かせるようにいった。「いいな、剣をしまえ」
「わたしは仲間を二十人殺した」
コーデリアがうつろな声でいった。「でもなにも感じない。手を伸ばしても届かない距離にあるの、それは」
「話をしよう」エアハルトがうなずいていった。「だから、まずはその剣をしまって」
「話はきらい」
コーデリアは平板な調子でいった。「話すことなんてないもの。わたしの声が勝手に出るだけだもの」
「その声を聞こう」エアハルトが決然といった。
「だめ」コーデリアは首を横に振った。「もう無理。無駄なのよ、なにもかも」
「なにも無駄じゃない」
エアハルトは力をこめていった。「まだこれからだ。これから先のことを考えろ」
「よくわからない」
コーデリアはいった。そして、ゆらりと顔を上げた。剣を持つ手が徐々に上がっていった。やがて剣先がエアハルトに向けられた。
「これしかないの」
エアハルトはクイラに下がれといい、クイラは剣の柄をにぎったまま、指示にしたがった。
エアハルトは、自分のナタのような両剣のうちの一本を抜いた。この場にいたっても、ルケはもちろん、キュベルカたちも止めに入る様子はなかった。それはこのような事態をあらかじめ予想していたかのようだった。エアハルトは、罠に落ちたと感知した。
「おれと戦ってどうする」
エアハルトは抜いた剣を下げたまま、一線を越えた先の冷静さで、コーデリアに語りかけた。
「戦わない」
とコーデリアは細い声でいった。「戦うとか、そういうんじゃない。もっとちがうもの。なにか別の」
「おれにどうしてほしい」エアハルトはいった。「教えてくれ。どうしたい」
「どうもしたくないと思う」コーデリアはすぐに答えた。
「どうもしたくないのに、剣を構えるのか?」
「ちがう。それはこれとはちがう」
「頼むから落ち着いてくれ」エアハルトは語気を強めていった。「剣をおろせ。まずはそこからだ」
次の瞬間、エアハルトの目にコーデリアの剣先が飛びこんできて、エアハルトは踏み段がある方向に跳びすさり、それを避けた。コーデリアと向かい合うかたちになったクイラが、剣を抜いた。
「やめろ!」エアハルトがクイラに叫んだ。クイラは戸惑いを隠しきれない表情で、それでも視線だけは、獣のようにコーデリアをとらえて離さなかった。
「さがってろ」エアハルトがいった。クイラはさがった。
「それだれ?」コーデリアの声がした。
「クイラだ」エアハルトは急いで答えた。「新しい『知事』だ」
「わたし知らない」
ほとんどうわの空のような調子でコーデリアはいった。「知りたくもない。なにもいらない」
コーデリアの剣が横に払われた。エアハルトは瞬時に後退し、顔を引きしめ、剣を正眼に構えた。刃が触れなかったにもかかわらず、エアハルトの白い制服の、腹の部分が広く切れていた。
エアハルトは間を置かず、コーデリアの剣めがけて自分の剣を打ちこんだ。力で圧してコーデリアの手から剣を離させるつもりだった。しかしエアハルトの剣は空を切り、コーデリアは広間の入り口のほうにさがっていた。間合いはそう遠くはなかった。しかしエアハルトには、もはや取り返しのつかない距離に思えた。
「おれを殺したいのか?」エアハルトはいった。
「知らない」コーデリアは答えた。広間は緊迫と静寂が調和した、不可思議な空間になっていた。
エアハルトは、もはや言葉がコーデリアに通じないことにがく然とした。なにがそうさせた? どうしてこうなった? 仲間を殺したというのが理由か? とにかく、正気にかえらせなければ。
「リターグにサヴァンとレダがいる」
エアハルトは声を張りあげた。「サヴァンとレダが、おまえを待ってる。また四人で、一緒に過ごせる。そのことを考えろ」
「名前はうるさい」コーデリアがいった。「聞きたくない」
糸が引くような気配がした。
と思う間に、エアハルトの背後の支柱に、深い切り傷が走った。いくつもの石の破片が石の床に落ちて、ばらばらと音を立てた。
静寂がたちまち緊迫におおわれた。コーラと口ひげの男が剣を抜いた。キュベルカも、おもむろに足元の赤い鞘の太刀を持ち上げた。小ぶりの黒い刀剣を手に持ったクイラは殺気立ち、コーデリアと距離を詰め、斬りこむ機会をうかがっていた。ルケは笑顔を消し、目を大きく開けて、食い入るように眺めていた。
「クイラ、さがれ」エアハルトはいった。「さがって、動くな」
クイラはそのとおりにした。目はコーデリアから離さなかった。後ろにさがる途中、その目の端に、エアハルトの顔が赤く映った。
エアハルトは、剣を正眼に構えたままでいた。額が横に切り裂かれ、まぶたに血が流れ落ち、まつ毛を濡らしてしたたり落ちた。血は目じりにも流れ、ほほを伝い、しずくとなってぽたぽたと地面に垂れた。
コーデリアの一閃の衝撃波は、エアハルトですら防ぎきれないものだった。エアハルトはこの瞬間、コーデリアの剣技が自分をはるかに超えていることを悟り、力づくで彼女を抑えこむことなどとうてい不可能だと知った。そして、どうすればいいのかと考えた。どこかに解決に通じる道はないかと、あれこれ探り、出口のない状況に途方に暮れた。
ぱっくりと割れた額からはとめどなく血が流れつづけ、それは首にも伝い落ち、制服の胸元も赤く染めた。コーデリアは空疎な目でエアハルトの顔を見ていた。
しばらく沈黙が降りた。エアハルトの顔からぽたりぽたりと落ちる血が、その沈黙の時間を刻んだ。




