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レガン戦記  作者: 高井楼
第四部
123/142

連鎖・1

 リターグから旧エントールの聖都ラザレクまでは、高速飛行艇で二日の道のりだった。その間、エアハルトはクイラとほとんど会話をしなかった。クイラもむりに会話をしたいとは思わなかった。

 飛行艇が旧エントールと砂漠の国境を越えてすこしして、国境沿いの警備にあたっている軍の部隊の指揮官から通信が入った。エアハルトはその相手に対して、自分は『知事』であり、この国のあたらしい指導者たちと話をするためにやってきた、と手短に説明した。しばらく足止めされるだろうと思ったが、いったん通信を切った相手は、数分後にまたかけてきて、通っていいといった。その手際のよさに、なにか作為はないかとエアハルトはいぶかったが、結局考えてもしかたのないことだと思い直した。そこからラザレクまでは、スムーズに進むことができた。

 夜半にラザレクに入ると、また通信があり、飛行艇を停める駐機場を指示され、そこに降りると、数台のフロート車が待機していた。

 案内役の女は、コーラ・アナイスといった。短髪で浅黒い肌をした若い女で、黒いローブを着ていた。

 エアハルトとクイラは彼女に導かれるまま、その日は離宮を改築した貴賓用の宿泊施設に泊まった。そこはリディアとサヴァンとレダが、ラザレクにいる間に泊まっていたところだった。

 次の日の正午前にまた迎えが来て、昨日と同じようにコーラが案内をした。

 戦争が終わるまでエントールの皇帝が住まっていた宮殿にむけて、フロート車は縦列を作って大通りを走った。

 車窓から見る外の景色には、戦争の傷跡がなまなましく残っていた。いたるところに崩壊した建物があり、舗道もあちこち損傷していた。人通りが多く、通行人は荒廃した町の中を平然とした面持ちで歩いていた。

 それを目にしたエアハルトは、人間の環境への適応力の高さにあらためて驚かされた。リターグでも同じだった。町から超戦艦へと変わり、たえず空を浮遊することになっても、そこに避難した人々はたちまち適応し、不自由な暮らしの中でも淡々と日常生活をつづけていた。

 市街地を抜けたフロート車は、広大な平野がつづく道を長い間走った。ひと気はまったくなく、建物も、行きかう車もなかった。クイラはエアハルトの肩に頭をあずけて眠っていた。コーラ・アナイスはほとんど口を開かず、窓外に遠いような目をやりつづけていた。

 尖塔や円塔で飾られた、石造りの巨大な宮殿の中に三人だけで入り、エアハルトははじめて異変を感じとった。サヴァンから聞かされた話によれば、ここには一万人の人間が住んでいるはずだった。しかしいまは、だれもいなかった。警備の者すら見えず、まったくの無人だった。

「静かですね、ずいぶん」

 エアハルトは大廊下を先導するコーラに、そういった。

「ええ、静かです」コーラは答えた。

「いつもこんなに静かなんですか?」

「いえ、いつもはちがいます」

「では今日が特別ですか」

「ええ」

 エアハルトは、背後についてくるクイラの強い警戒心を感じ取った。エアハルトもまた、なにか不吉な予感を覚えた。ふたりとも帯剣していた。エアハルトはコーラのローブの腰帯に差さっている剣に目をやった。その身のこなしを見れば、彼女が剣の達人だということは、エアハルトには容易に読みとれた。

 もしこの先で、帯剣は認められないといわれたらどうするか。エアハルトは歩きながら考えた。一度引きかえすか、それとも剣をあずけるか。

 ふいに、コーデリアの顔が頭に浮かんだ。次に、一度戦ったことのあるルケ・ルクスの顔が浮かんだ。そしてエアハルトは、こうして導かれる先で、コーデリアとルケに会うことができる、とこれまで信じて疑わなかった自分に、はじめて気づいた。そして、この機会を失うと、もう二度と会えないだろうという直感に襲われた。それはほとんど確信に近いものだった。

 おれは戦いにきたんじゃない。コーデリアに会いにきただけだ。現在この国をおさめているキュベルカにしても、ルケにしても、おれと戦う理由はどこにもないのだ。エアハルトは、そう自分にいい聞かせた。大廊下に反響する足音が、奇妙な立体感をもって耳に届いた。


 やがて大扉にさしかかり、中に入ると、そこから細い廊下を長々と歩いた。左右の壁にそって延々と伸びる赤いカーテンが、ゆるやかにうねった。廊下に窓はなく、ところどころ間接照明が灯るだけだった。その廊下の先に、両開きの巨大な鉄扉があった。

 コーラは鉄扉の両方の取っ手を握ると、力をこめて押した。ゴウン、と重い音が鳴りひびいた。

「ねえエアハルト」

 鉄扉が開ききる前に、クイラがエアハルトに耳打ちした。「なんか変だよ。やめたほうがいいよ」

「行くしかない」エアハルトは前を見つめていった。「もう行くしかないんだ」


 ふたりが中に入ると、コーラは鉄扉を閉め、無言でかれらの横を通りすぎた。

 壁も床も石造りの大広間で、天井に明かりはなく、かわりに脚の長い灯籠が点々と灯っていて、それだけで中をよく見わたせた。

 四本の巨大な円筒型の支柱が目についた。そしてふたりの正面の奥に、高く長い踏み段があり、その段の上にいかめしい椅子が置かれていて、そこに、男か女かわからない容貌の若者が、脚を組んで座っていた。コーラは段の下で立ちどまり、ふたりのほうに振り向いた。

 ここはもともと皇帝の謁見の間だったのだろう、とエアハルトは思い、踏み段のほうへ歩いていった。クイラもあとにしたがった。

 踏み段の左には、ふたりの男が立っていた。ひとりはこざっぱりとしたローブをまとった、にやけた面構えの男。もうひとりの男は、細い口ひげをたくわえ、いかにも貴族然とした服を着ていた。

 踏み段の右のほうには支柱があり、その前に椅子が二つ置かれていて、そこにもふたりの者がいた。

 そのうちの一方の、紅色のローブに同じ色のケープを重ねた、銀髪の若者が、口もとにいやな笑みを浮かべてエアハルトを注視していた。

 となりに座る、白いローブを着た金髪の若い女は、半分まどろんでいるかのような顔つきで、どこへともない視線を、前方の床に向けていた。

 エアハルトとクイラは踏み段の真下に立ち止まり、段上の椅子に座る者を見あげた。遠目にも美しい顔立ちで、うねりをおびた豊かな黒髪が首元まで伸び、襟の大きく開いた黒い上着から、フリルの付いた白いシャツがのぞいている。細身のズボンのすそはロング・ブーツの中につめこまれ、全体として、いかにも活発な貴族の嫡子という容姿だった。足元の床に横にして置かれている、赤鞘の太刀が目を惹いた。

「わたしはリミヤン・キュベルカという」

 凛とした声で、その者が口を開いた。その声音からも、男か女かわからなかった。

「現在わたしがこの国を統治している。それで、なにか話があると、エアハルト卿」

 ──リミヤン・キュベルカか。

 エアハルトは胸の内でつぶやいた。元静導士団・首席隊長。反旗をひるがえしてアイザレンと同盟を結び、ラザレクを転覆させた者。

「まずはお会いいただき、感謝します、キュベルカ殿」エアハルトはいった。「おたがい忙しい身です。お手間はとらせないつもりです」

「それで?」

「身柄を引き取りにきました。そこに座っている、『知事』のコーデリア・ベリです」

 エアハルトは、顔をわずかにそちらに向けていった。

 コーデリアは、自分の名前を呼ばれても耳に入らなかったように、床の一点をぼんやりと見すえつづけていた。

「それはわたしの関知するところではない」

 冷やかな声でキュベルカはいった。「コーデリアは、彼女のとなりにいるルケ・ルクスの部下だ。かれはアイザレンの人間だ。わたしにはどうしようもない」

「では、ルケ殿と話をさせていただきたい」

「だそうだが、ルケ」キュベルカは鋭くにらみつけるように、紅色のローブの男を見た。

「いいよ」

 男の軽い調子の声が、広間に響いた。いやな笑みがその顔にはりついていた。

 ──ルケ・ルクス。

 エアハルトの内心に、深々と灯るものがあった。

 中枢卿団・第三隊長。『卿団の凶器』。かつてコーデリアに精神攻撃をかけ、はずかしめた男。

 耐えがたい。なぜこの男と、並んで座っている、コーデリア。なぜだ?

 エアハルトは、ゆっくりとルケのほうに歩いていった。うしろにひかえるクイラは、とまどいながらもかれの背中を追った。

 ルケは椅子にふんぞり返って、腕を組み、くだけたかっこうで、近づいてくるエアハルトの顔をじっと見つめていた。

 エアハルトはコーデリアに目をやらなかった。そしてルケの前で立ちどまっても、つとめて彼女を見ないようにした。

「むこうはどう? リターグのほう」ルケは旧知の人間に話すような、くったくのない調子でいった。

「リターグは順調にアイザレンに進攻している」

 エアハルトは硬い表情で答えた。「きみは目付けとしてこの国にいるらしいが、いまにそれどころではなくなる」

「いまもそれどころじゃないよ?」

 嘲笑をまじえてルケがいった。

「ぼくは中枢卿で、きみは『知事』。きみとぼくは敵同士。きみがどう考えてるのか知らないけど、きみはいま、とても深刻な事態に直面してる。はっきりいって、きみはここで死ぬと思う」

「そうかな」

「きみはここから出られない。きみにはコーデリアを連れてここを出て新しいスタートをきることはできない。きみの人生はここで終わる。きみがいままで積み重ねてきた記憶や経験は、まったく無意味になる。一瞬で、無になる」

「そうは思わない」

「そう思いたくないんだろ? というより、思いたくないと思うことすらしたくない」

 エアハルトは、ルケの顔を凝視した。まばたきはしなかった。エアハルトはこのとき、なぜかまばたきをすることを怖れた。

 ルケはそんなエアハルトの目を覗きこんだ。子供がいたずらの結果を待つような顔をしていた。

「コーデリアを返してもらう」やがて、エアハルトは低い声でいった。

「なぜ?」

「彼女は『知事』だ。ここにいるべきじゃない」

「どこにいるべきだと?」

「リターグに帰る」

 ふっとルケが鼻で笑った。そしてあごを少し下げ、上目づかいでエアハルトを見た。

「きみは、いま起きてるこの戦争の意味を知らない」

 ルケはいった。

「コーデリアも知らない。きみらが知らないということを、ぼくは知ってる。きみらは、本当の意味では『知事』じゃない。だからいたい場所にいていい」

「なんの話だ?」エアハルトはまゆをひそめた。

「コーデリアがここにいるのは彼女の意志だ」ルケは値踏みするような目をコーデリアにむけた。「彼女は好きでここにいる」

「たとえそうだとしても、連れていく」

「なぜだい?」

「愛しているからだ」

「じゃあ愛している相手の意志は尊重しないと?」ルケは小首をかしげる仕草をした。「それは、ただのエゴじゃない?」

「彼女は苦しんでる。自由にしてやってくれ」

「さっきも行ったけど、きみはもうすぐ死ぬ」

「それでもいい。彼女は自由にしてやってくれ」

「愛が死に勝るとでも?」

「なに?」

「愛が死に勝るかっていってんだよ」ルケの口調が、がらりと変わった。

「勝ち負けはない。愛は愛、死は死だ」

「つまらねぇ野郎だな、おまえ」

 ルケはまがまがしい光を放つ目で、エアハルトをにらんだ。そしてそのままの視線を、コーデリアに移した。

「おまえ、好きにしていいよ、コーデリア」

 コーデリアはふたりの会話の間、終始なんの反応も示さず、前を見ていた。会話の声は耳に届いていた。それはどこか遠い世界の、もうはるか昔に置き去られた声のように思えた。


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