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レガン戦記  作者: 高井楼
第四部
122/142

カイトレイナ炎上・6

「クソ、クソ!」

 ナードはうつぶせのまま、片腕で顔をおおい、もう片方の手で拳を作って、地面に何度も何度も打ちつけた。

 これまで何十人、何百人という人間をナードは殺してきた。ほとんど運命づけられているように、銃弾は狙った者の命を奪った。ナードは自分の力を信じて疑わなかった。なにか目に見えない法則のようなものを、自分が支配していると感じていた。

 その確実であるはずの法則が、ごく少数の者には通用しなかった。

 町だったころのリターグでも、エントールの聖都でも、ナードは『知事』や中枢卿の狙撃に失敗していた。ときに銃弾が当たっても、それは命を奪うまでにはいたらず、そしてかならず邪魔が入った。

 なにかもうひとつの法則の存在を、ナードは感じ取っていた。それはナードには受け入れられるものではなく、かならずその不快な法則を打ち破らなければならない、と強く決意していた。

 エルフマンを照準器越しに覗いたのは、これで三度目だった。そしてこれが最期となった。法則を打ち破るひとつの機会を失い、ナードは決定的な敗北感にとらわれた。彼女は声にならないくぐもったうなり声をあげ、手がしびれるのもかまわず、硬い地面に拳を打ちつづけた。目は見開かれ、乾いていた。

 と、ナードの振りあげた拳が、ぴたりと宙で静止した。ナードはその姿勢のまま、息をひそめ、ふいにガバッと顔を起こした。そしてすばやく元の体勢に戻り、照準器に目を当てた。ズームをすこし下げて、ライフルを九〇度近くまで回転させた。

「おやおや?」

 ナードは噛みちぎられそうになっているキャンディのスティックを、舌でころころと転がした。


「なんだこりゃ」

 レダがやれやれという声でいった。前を行くサヴァンも同じ思いだった。リディアはなかば途方に暮れた面持ちで、ふたりのうしろを歩いていた。

 気配のする数ブロック手前で、三人は降下艇から降り、うらぶれた旧市街の路地を慎重に進んでいた。無数の死骸やフロート・タンクの残骸が目についた。どれもアイザレン軍の兵士、アイザレン軍の戦車だった。なかには黒いマントをはおった中枢卿の死体もあった。

「さっき降りた場所と同じだ」サヴァンはいった。「機械兵だろうな」

「でも、あれはアイザレンの味方のはずでは?」リディアがあたりに目をやりながらいった。

「うーん、よくわからないな」サヴァンはつぶやいた。

「あと、また気配が消えたぞ」とレダがいった。

「うん、消えたな」

「あっちのほうだ」レダが腕を伸ばして、斜め右を指さした。

「行ってみよう」サヴァンはうなずいていった。

 ときおり散発的に銃撃の音が聴こえる以外、周辺は静まりかえっていた。三人は死体や戦車の残骸を縫うようにして、あちこちに目を走らせながら進んでいった。


 ケイ・エルフマンの死体を目にしたサヴァンは、これまで一度もそのすがたを見たことがなかったにもかかわらず、それがエルフマンだと悟った。

 同時に、死体の前に立ってこちらを向いているクードとジュードに、いいえない怒りを感じた。

 首を切り離された無残な女の死体と、そのそばに平然と立ちつくす二体の機械。

 荒れはてた土の広場のこの光景を、サヴァンは嫌悪した。それはどうやら義憤に似ているようだった。そんな気持ちになったのは初めてだったが、サヴァンは自然とその感情を受け入れた。顔は無表情だった。レダとリディアは、サヴァンのうしろに立っていた。

 つかの間の沈黙が降りた。それからクードが、すらっと両刀を抜きはらった。

「全力」ジュードがいった。

「了解」クードが答えた。

「おれがいく」サヴァンはうしろを振りかえらずに、レダにいった。静かな声音だった。

「いいぞ」いつになく抑制された声でレダは答えた。

 リディアは、これまでにないふたりの雰囲気に驚き、とまどった。リディアとふたりの間には、いま、なにか決定的なへだたりがあった。リディアは言葉を失い、レダの真剣な横顔と、サヴァンの硬いうしろ姿を見やった。なにかおだやかではない、漠然とした予兆が、リディアの胸の内に広がっていった。

 サヴァンは剣を抜かずに、ゆっくりと歩き出した。クードは二刀を交差して構え、ゆらりゆらりと身体を動かして、踏みこむタイミングを見はからっていた。

 サヴァンは速度を変えずに、歩を進めた。まったくクードを見ることはなかった。かれはただエルフマンの死体に、見るともない目をやっていた。距離が縮まり、クードが駆けた。一瞬のうちに、クードの二刀がサヴァンに迫った。それでもサヴァンは歩調を乱すことはなかった。

 グシャ、と音がした。と思う間に、クードの身体が粉砕していた。硬い装甲も義顔も、フードもチュニックも刀剣も、サヴァンの真横で粉みじんに吹き飛び、黒い液体が霧状になって宙をただよった。

 前方のジュードが剣を抜いた。サヴァンはなおも歩いた。その顔には、やはりどんな表情もなく、剣を手に取る気配もなかった。

 ジュードの目の前で、サヴァンは立ち止まった。ジュードは剣を正眼に構え、いまにもサヴァンに斬りこもうとしていた。サヴァンはジュードを見なかった。

 やがてサヴァンが一歩進み、ジュードがピクリと反応した直後、ジュードの身体も粉々に砕け散り、まるで小石が振るように、土の地面に無数の細かい破片が落ちた。黒い液体は霧になる前に蒸発していた。

 サヴァンはさらに歩いた。そしてエルフマンの首の前で立ちどまった。かがみこんで、血にまみれた金色の髪に触れ、いつくしむように手のひらを頭部にそっと置き、少したってから立ちあがった。

 サヴァンはそのまましばらくたたずんだ。自分の身の内に、なにかが起ころうとしていると感じ、それを待ち受けるようにした。あたりに戦闘の音はなく、しんとした空間にゆるい風が煙のにおいを運んでいた。

 やがてサヴァンが引きかえしてくるのを見て、リディアはふいに慄然とした思いにとらわれ、身体がぶるぶると震えた。自分の両腕を抱きかかえ、リディアはその場でうずくまり、わけのわからない混乱の中で、身体を震わせつづけた。脳裏になにかがよぎった。リディアは口をなかば開けていた。彼女はいまにも、自分の知らない言葉が口からついて出るような気がして、恐怖した。

 レダはそんなリディアのそばに立ち、手を差し伸べることもせずに、じっとリディアを見おろしていた。そして目をあげると、首をすっと横に向け、三方を囲む建物の、ひとつの屋上を見あげた。

「行こう」戻ってきたサヴァンがいった。「ここにもう用はない」

「ここを守っていたんだな、あの機械兵の部隊は」

 と、レダがサヴァンを横目に見ていった。「この果たし合いの場を守っていたんだろ。敵も味方も関係なく、邪魔されないように」

「そうかもな」

 サヴァンは答えると、うずくまっているリディアに目を向けた。かれはまだ無表情だった。

 リディアは、だれも寄せつけない領域でひとり身を震わせているようだった。サヴァンはそこになにかを読み取ろうとしたが、むだだった。それでも、自分とリディアが、いままでの自分とリディアではなくなりかけていることは、あきらかだと感じた。サヴァンは冷静にそれを受けとめた。長い間、それを待ち望んできたように思われた。

「リターグに戻ろう」サヴァンはレダとリディアにいった。

 ああ、とレダが答え、かがみこむと、リディアの肩に手を置いた。リディアは深く息を吐いて、震えをおさえこむと、こくりとうなずいた。


 ナードは路地を駆けていた。

 脚がおぼつかなかったが、その速度は常人をはるかに超えたものだった。スナイパー・ライフルをしまった、棺桶のような巨大なケースを両腕でかかえていた。

 声にならない叫びが喉元まで出かかっていた。あるいは自分の叫びがうしろからついてくるようだった。照準器越しにレダと目があったとき、ナードは自分が射抜かれたような気がした。なにかとりかえしのつかない事態が、一気に自分に降りかかってくる予感がした。

 ナードはいまにも泣きそうな顔で、必死に舗装されていない路地をひた走った。いつもは軽々と片手で持つライフル・ケースが、異様に重く感じられた。

 やがて旧市街を抜け、ぽっかりと開かれた場所に出た。何隻もの飛行艇が停まっていた。機械兵たちを乗せてきた船だった。ナードはそのうちのひとつに駆けこみ、操縦席に入ると、ケースをうしろに投げ落とし、エンジンをかけた。手が震えていた。照準器に映されたレダの顔が頭から離れなかった。それはもはや顔ではなく、絶対的な脅威を物体化したなにものかだった。

「やだよやだよ……」

 ナードは細い声をあげた。

 飛行艇が浮上した。船首が反転し、ゆっくりと前進し、やがてスピードに乗ると、飛行艇はそのまま帝都ケーメイの方向に飛び去っていった。


  *


 その大広間の、四方の壁には、幾何学的な模様のアイザレンの国旗と、ずらしたふたつの「X」に十字を重ねた中枢卿団の団旗が、交互にならんでいた。

 広間の奥には高段があり、段上は白色の薄い幕が下がっている。幕の内側に人が座っている影があり、高段の下には、二人の男が立っていた。

「カイトレイナが落ちました」

 高段の下の男がいった。金の縁取りが入った黒い制服を着ていた。顔は青白く、瞳は赤色だった。若いとも、壮年とも見える顔つきだった。

「いよいよだね」幕の内側から男の声がした。「最後の仕上げだ」

「メッツァとビューレンは?」

 高段の下の、もう片方の者が、赤い目の男のほうを向いてたずねた。四十代くらいの大柄な男で、ぼさぼさの長髪に地味な平服、薄汚れたマントというかっこうだった。

「もうとっくにカイトレイナを出て、こちらに向かっている」赤目の男が、ちらっと大柄な男を見やって答えた。

「マレイとカザンも一緒か、団長?」

「マレイとカザンも一緒だ、マッキーバ」

 中枢卿団・団長エーヌ・オービットは、今度ははっきりとその男、中枢卿団・筆頭隊長マッキーバを見すえていった。

 幕の内側に座っていた男が立ちあがった。そして垂れ下がる幕を両手で何度か引き上げて、スペースを作ると、身をかがめて外側に出て、すがたを現した。背後の白い幕がゆるやかに揺れて、すぐに動かなくなった。

 男は黒い短髪で、若かった。白いマントを羽織り、同じく白い細身の制服をまとっていた。

「そろそろおれも皇帝気取りはやめるよ」男は高段を降りると、やれやれという風にいった。

「ではヴァンゼッティ、あといくつか報告がある」オービットが口調を変えていった。「まず、ルキフォンスは撤退した。艦隊ごとケーメイに戻る」

「わかった」

 ユース・ヴァンゼッティは答えた。かつてはリターグの『知事』のトップ・エースという身であったはずの男だった。戦争初期に、リディアをナザンから逃亡させる際、戦死したことになっていた。

「それともうひとつ」オービットがいった。「エルフマンが死んだ」

 ヴァンゼッティとマッキーバは、口をつぐんだ。重い沈黙が広間に立ちこめた。

「なぜだ」マッキーバが口を開いた。

「機械兵に討たれた。例の、ビューレンが使っているあれだ」

「大きな犠牲だ。結局、彼女は真の目的を知らずに死んだ」ヴァンゼッティは顔をしかめて、首を横に振った。「彼女だけじゃない。罪もない多くの血が流れた。無にするわけにはいかない」

「これからさらに多くの血が流れる」マッキーバがいった。「ときどき、本当にこれでよかったのかわからなくなる」

「ルケをエントールから呼び戻したほうがいいか?」オービットが話を変え、ふたりを見た。

「あいつはいっても聞かない」ヴァンゼッティが答えた。「あいつはあいつの考えであそこにとどまっている。理由は知らないが、とにかく一度決めたら動かない。変わった男だよ、本当に」

「そもそもルケはおれたちの目的に興味がない」マッキーバがいった。「ケーメイに戻っても役に立つとは思えない」

「わかった」オービットはうなずいた。

 再び沈黙が流れた。

「あの三人は大丈夫だろうな」やがてヴァンゼッティがいった。

「それは問題ないだろう」オービットがいった。「なにかあっても、レダ・リュッケがついている」

「あとは待つだけか」マッキーバがいった。

「そう、あとは待つだけだ」オービットが答えた。

 三人はそれきり黙りこみ、自分の足元に視線を落として、それぞれがそれぞれの思いをめぐらせる様子で、立ちつくした。

 やがてヴァンゼッティがひとこといって立ち去り、次にオービットが立ち去った。その場に残ったマッキーバは、なおもしばらく、眉根にしわをよせて、苦悩にいろどられた深いまなざしで、じっとうなだれていた。


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